団塊ジュニアのアラフィフ世代は、不良文化の影響をもろに受けた最後の世代。彼らがまだ10代だった90年代前半までは暴走族もまだ勢いがあり、当時メンバーだったという人もいるだろう。 とはいえ、そんな彼らも今はいい大人。年齢的にも職場で管理職を務める者も多いはず。現在、上場企業で事業部長を務める福田竜平さん(仮名・49歳)もかつては暴走族のメンバーだったひとり。14歳の夏から約3年間、ほぼ毎週のように仲間たちと暴走行為を繰り返していたという。
◆族時代に培ったコミュ力が役に立っている?
「小さい頃から遊んでもらっていた近所に住む年上の兄ちゃんたちが暴走族に入ったんです。それが無性にかっこよく見えて、当時よくつるんでいた学校の同級生2人とチームに加えてもらったんです。けど、喧嘩上等の武闘派集団なんかではなく、自分たちから抗争をふっかけるようなマネはしませんでした。それでも向こうから因縁をつけられたりしてトラブルになったことは一度や二度ではありませんでした(苦笑)」
ケンカの経験も「普通の学生よりはやっぱり多かったです」と話すも特に腕っぷしが強かったわけではなく、勝ったり負けたりを繰り返したとのこと。でも、要領は良かったらしく補導された経験は一度もなかったそうだ。
「総長や特攻隊長みたいな肩書きも持っていませんでしたし、そもそもそこまで気合入れて暴走族をやっていたわけもないですから。だから、街でメンチ切って絡んできた相手でも気づいたら友達になってた、なんてことはよくありましたね。第一印象が最悪でも相手の懐に入るのはそこまで苦にしないタイプだったため、営業畑だった20~30代のころは成績も社内ではおかげさまで上位でした。そう考えると、今こうやって管理職でいられるのもヤンチャしてた時代に培ったコミュ力のおかげかもしれないですね。あの頃に出会った人たちはクセの強い人ばかりだったので……」
◆先輩をバイク事故で亡くしたことが更生のきっかけに
そんな福田さんだが進学した地元公立高校に在籍していたのは1年の2学期まで。偏差値50台前半の普通の学校だったが校則が厳しく、何かと目の敵にしてきた生徒指導部の教師に反発する形で辞めてしまったそうだ。
そして、翌年に私立高校に入学したが、そこはいわゆる底辺校。喫煙がバレて謹慎を食らったこともあったが2年生の夏には暴走族を引退して受験勉強に専念。1浪した後、地元国立大への合格を果たす。
「実は、17歳になったころ、可愛がってもらってた族の先輩がバイク事故で亡くなったんです。その人は私が学校の成績が比較的良かったのを知っていて、『お前は俺と違って頭いいんだから大学に行けよ。これからの時代、学歴は大事だぞ』って自分のことを棚に上げてそんなことを言ってたんです。当時は母親みたいなことを言ってウザかったですが、そろそろ将来のことを真剣に考えなきゃならなかったし、一念発起して大学進学を目指した次第です。『大学に入れば4年間は遊べる』と舐めた動機があったことは否定しませんが、結果的にはこれが人生のターニングポイントになったと思います」
◆当時の仲間たちとの付き合いは今も続いている
卒業後は新卒採用されたIT企業を経て、20代後半で現在の会社に転職。なお、元暴走族だった経歴については職場の同僚や部下もまったく知らないという。
「言わないに決まってるじゃないですか。最初に勤めていた会社の上司にも暴走族のことを伏せ、元ヤンだったと少し話したくらいですね。黒歴史とは思ってないですが周りに言いふらすような内容でもないですし、今のご時世は不用意な元ヤンアピールがパワハラだと捉えられかねませんから」
ちなみに当時の族仲間とは未だに連絡を取り合っている者が多く、彼が帰省する年末年始に合わせて集まるのが恒例になっている。
家業を継いだり、建築・土木などのガテン系の仕事を仕事をしている者が多いが、いずれも真面目に社会人をやっているそうだ。
「上の世代になると、警察の厄介になって塀の向こう側に行っちゃった人もいますけどね。そういう意味では道を踏み外した仲間がいなかったのは恵まれてるのでしょう。堅気とは思えないガラの悪そうな見た目をしている連中が多いため、飲み会の様子はSNSにはアップできませんけどね(笑)」
80~90年代、暴走族とまでは言わなくとも当時ヤンチャしていた者は少なくない。職場の同僚や上司の中にもそんな過去を持つ人は案外多かったりするのかも。
<TEXT/トシタカマサ>
―[ヤンキーのその後]―