大量生産、大量消費などの人間活動によって深刻化する環境問題。これから先、私たちがエシカル(倫理的)な生活をするにあたり、本当に必要なモノはいったい何か――。装備を切り詰め、現地で食料を調達する「サバイバル登山」を実践する登山家・服部文祥さんだから知る「モノの価値」や「お金を必要とせずに生きる方法」とは。
【動画】冬こそ欲しい!水筒&手ぬぐいおススメ生活
電気やガス、水道の来ない廃村での生活

――服部さんがサバイバル登山を始めて、25年になります。「サバイバル登山は、食料・燃料を可能な限り現地で調達し、自分でルートを定めて長く山中を旅するというものですが、中核にはフリークライミングの存在があります。環境をいじらず、あるがままの岩を人間が持つ生物としての力で登りましょうというのが、フリークライミングの思想。その思想を岩だけでなく、山全体に当てはめたらどうなるんだろうと、この登山を29歳から始めました。僕としては、これこそが本来の登山だと思っているんですよ。自然との関わり方がフェアだし、想像力を駆使して自分を高める努力をしなくてはいけないものが登山であって、本当は『サバイバル』なんて形容詞をつける必要はない。ただ、一般的な言葉としての登山が登山道をたどる行為になってしまっているので、わかりやすく説明するためにそう呼んでいます」――実践するなかで、どんな気づきがありましたか。「細かく言えば、そもそもテントが必要なのか、長期間山中で活動するのにどれくらいの米の量が必要なのか、ライトはいらない、時計もいらない、鍋と靴は必需品などさまざまですが、一番の気づきは食料調達についてです。獣や魚を追うなかで、食べ物というのは本来、その自然環境から獲得して、命を殺して食べることだと深く実感しました。それまではスーパーに並んでいるものだと信じて疑っていなかったわけです。加えて、生まれてからサバイバル登山を始めるまでの30年近く、『食料=命』ということをほとんど何も考えずに生活してきた自分の能天気さと、それが可能な社会システムにも驚きました。多くの物事をお金で解決し、疑問を持たずにそのまま歳をとって死んでいくことすらできる。こんなすごいシステムをよくつくったな、って」――「エシカルな生活」という言葉から、想像することは?「やはり究極は自給自足でしょう。サバイバル登山以外にも僕は世界を旅してきましたが、選択肢なく自力で生活を営んでいる人たち、生態系に近いところで環境に寄り添って生きている人たちを見てきました。そして、そんな人たちをとてもかっこいいと思った。だから僕も、そういうプリミティブ(原始的)な暮らしをする彼らに対して恥ずかしくない生活をできるだけしたい。2023年夏は猛烈な暑さが続き、気候変動問題を強く意識させられましたが、いずれにしても自然環境に対する責任を放置して逃げ切るつもりはありません。ひどいままの状態で次世代に託そうとせず、目を背けずに向き合っていきたいと思っています」――実際にご自宅で自給自足を心がけていると聞きます。「庭にはミカンやハッサク、梅やタケノコ、柿の木などが生え、柿はこの季節、干し柿にしています。菜園もあるし、ニワトリは放し飼いにしている。自給自足するにあたりニワトリは生活の軸になります。家庭で出た生ごみを食べてくれて、それが卵に変わる。冬は基本的に薪ストーブだけで十分に暖をとれます。近隣の家が煙を気にせずにいてくれるからできるというのはありますが……」――2019年からは電気やガス、水道の来ない廃村の古民家を手に入れ、2拠点生活をしているとか。「そうですね。向こうに行ったら化石燃料はほぼ使わない。たき火に火をつけるライターくらいですかね。消費と経済活動から離れて、自分の頭と体を動かして生活を完結させるのは楽しいですよ。水道は山の水を引いて、電気はソーラーパネルとバッテリーを使う。電子レンジや炊飯器、冷蔵庫もないので、パネル2枚で十分まかなえますね。冷凍庫が必要ならあと2枚はいるかもしれない。基本、明るくなったら起きます。チャイを飲みながら原稿を書き、合間に朝食を食べ、昼から夕方までは畑作業や燃料集めなどを含む野良仕事全般をします。夏だったら午後4時、5時、冬だったら午後3時、4時くらいまで。暗くなる前に杉の葉や枝、薪などの燃料を使ってお風呂を沸かし、文化釜で米を炊き始め、米が炊けたら蒸らしながら、畑の野菜を使って野菜炒めをつくる。冬には軒先にぶら下げてあるシカの肉を削ぎ落として、おかずに入れます」――シカも狩猟で捕獲する?「はい。狩猟期間中は一日のスケジュールが変わり、現地に着いたらその日から(愛犬の)ナツと一緒にシカを捕獲に行きます。獲れたら――まあ、大抵獲れますが――解体と食べることが生活に加わる。ここ3、4年は鉄砲を使わずとも、ナツだけでシカを獲ることが時々できるようになりました。自分の体重の5、6倍もあるシカでも追い詰めて、ワンワンほえて僕を呼ぶ。『親分、止めましたよ』って。それから僕が追いついて、木の棒や石でたたいてとどめを刺す。1人や2人分の食料なら、シカ1頭で2週間分は余裕で持ちますね」1日500円で十分豊かに暮らせる――廃村での生活には、あまりお金がいらないように思えます。「おいしいごはんと納豆は食べたいし、牛乳も飲みたい(笑)。とはいえ廃村の自給生活は、1日500円もあれば十分豊かに暮らせるんじゃないですかね。米も自分で作れればいいのですが、品種改良されていて、いまはトラクターを使わないと難しい。ガソリンを使うし、それだと自力の生活という軸がぶれてしまう。完全な自給自足には、まだまだ課題が多いです」――近年では、お金を持たずに長期の旅行をしているとのことですが。「今秋はナツと一緒に39日間、北海道を旅しました。予定ルート上の2カ所にデポ(補給地点)を設置し、生米6キロと砂糖1キロと塩500グラム、あとは鉄砲と弾丸と釣りざお、その他もろもろを持って歩き始めました。おかずは基本、現地調達です。ナツのえさは9割以上がシカでした。無銭の理由は、大規模な荒野が日本にはもうないから。だったら現金もカードも持たずに家を離れたら、周囲が荒野になるんじゃないかという思いで始めました。完全な無人地帯とはいきませんが、荒野的な要素はだいぶ増えるし、面白い。夜は、ほとんど野宿で過ごします。野営地ではたき火をしますが、たまに寄る番屋や山小屋にカセットコンロが置いてあって炊事をすると、改めて化石燃料のすごさに驚きます。ガス缶1本で丸1日、朝飯から夕飯まで数人分をまかなえてしまう。同じサイズの薪なら20分程度で燃え尽きてしまうのに。そりゃみんな化石燃料に飛びつくだろうなって。楽だし、しかも安いでしょう」「本気でエシカルな生活に取り組もうとしたら、面倒くさいですよ。自分で薪を集めて、切りそろえて、状況によっては乾燥させないといけない。大雨が降れば自前の水道は止まってしまう。でも、その面倒くささそのものがやっぱり生きることだから。おっくうなことを面倒くさいとやめていったとしても、息をするのとご飯を咀嚼(そしゃく)し、飲み込むことはやめないでしょう? それって気持ちがいいからだと思うんですよ。薪を集める、水道を自力で管理する、それって心が弾むものなんだと、みんな意識できるといいですが」――そのように思考を変えるのは、一筋縄ではいかなそうです。「それは、人が文明社会に生きていく限りは経済と無関係に生活できないものだと思い込んで、視野が狭くなっているからでしょう。頭と手足を駆使して、身の回りのことをできるだけ自分で解決する生活を体験すれば、そんなのは偏った選択肢の一つにすぎないとわかるはずです。庭の木になっている柿に目もくれず、スーパーで外国産のフルーツを買う。高級車を手に入れて乗り回す。そんなことのために満員電車に押し込まれて出社して夜遅くまで残業する。それって本当に幸せですか。ナツが教えてくれますよ。犬は自分の足で歩き続けるのが当たり前だし、食べ物はその辺のものでいいし、荷物も持っていない。でも、その瞬間をしっかりと楽しんで生きています」――意識が変われば、モノの買い方や捉え方も変わってくる気もします。「エコが提唱される他方で、実際には農薬まみれの100円のキャベツが平気で買われ、有機無農薬栽培でつくった200円のキャベツが売れ残っている現実があります。経済効率がよく安いものを支持することは、きちんとした方法で栽培したキャベツを間接的に否定することになる。そうすると真面目にキャベツをつくる人がいなくなり、エシカルな消費をしようにもできなくなってしまいます。安くて体に悪いものを買ってお金をセーブできても、不健康になれば後々医療費を払うことになるから、結果的には不効率だと思うのですが。環境への配慮を心がける人は以前よりも増えてはいるのでしょうが、本気で倫理的に生きていこうとするなら、もっとみんなで考えた方が良いと思いますね。売る方は売る方で誠実さが求められるし、買う方は買う方で、消費が世間に対する評価となり、社会を動かす大事な要素になると、より意識するべきではないかと思います」【服部 文祥(はっとり ぶんしょう)プロフィール】1969年、神奈川県生まれ。K2登頂や冬の黒部横断などを経験したあと、装備を切りつめ食糧を現地調達するサバイバル登山を始める。2019年より関東近郊の里山にある廃村の古民家を手にいれ「脱経済成長」をテーマにした暮らしを開始。近著に「お金に頼らず生きたい君へ:廃村『自力』生活記」(河出書房新社)、「北海道犬旅サバイバル」(みすず書房)、「山旅犬のナツ」(河出書房新社)など。(取材・文/森田浩明)
電気やガス、水道の来ない廃村での生活
――服部さんがサバイバル登山を始めて、25年になります。
「サバイバル登山は、食料・燃料を可能な限り現地で調達し、自分でルートを定めて長く山中を旅するというものですが、中核にはフリークライミングの存在があります。環境をいじらず、あるがままの岩を人間が持つ生物としての力で登りましょうというのが、フリークライミングの思想。その思想を岩だけでなく、山全体に当てはめたらどうなるんだろうと、この登山を29歳から始めました。
僕としては、これこそが本来の登山だと思っているんですよ。自然との関わり方がフェアだし、想像力を駆使して自分を高める努力をしなくてはいけないものが登山であって、本当は『サバイバル』なんて形容詞をつける必要はない。ただ、一般的な言葉としての登山が登山道をたどる行為になってしまっているので、わかりやすく説明するためにそう呼んでいます」
――実践するなかで、どんな気づきがありましたか。
「細かく言えば、そもそもテントが必要なのか、長期間山中で活動するのにどれくらいの米の量が必要なのか、ライトはいらない、時計もいらない、鍋と靴は必需品などさまざまですが、一番の気づきは食料調達についてです。獣や魚を追うなかで、食べ物というのは本来、その自然環境から獲得して、命を殺して食べることだと深く実感しました。それまではスーパーに並んでいるものだと信じて疑っていなかったわけです。
加えて、生まれてからサバイバル登山を始めるまでの30年近く、『食料=命』ということをほとんど何も考えずに生活してきた自分の能天気さと、それが可能な社会システムにも驚きました。多くの物事をお金で解決し、疑問を持たずにそのまま歳をとって死んでいくことすらできる。こんなすごいシステムをよくつくったな、って」――「エシカルな生活」という言葉から、想像することは?
「やはり究極は自給自足でしょう。サバイバル登山以外にも僕は世界を旅してきましたが、選択肢なく自力で生活を営んでいる人たち、生態系に近いところで環境に寄り添って生きている人たちを見てきました。そして、そんな人たちをとてもかっこいいと思った。
だから僕も、そういうプリミティブ(原始的)な暮らしをする彼らに対して恥ずかしくない生活をできるだけしたい。2023年夏は猛烈な暑さが続き、気候変動問題を強く意識させられましたが、いずれにしても自然環境に対する責任を放置して逃げ切るつもりはありません。ひどいままの状態で次世代に託そうとせず、目を背けずに向き合っていきたいと思っています」
――実際にご自宅で自給自足を心がけていると聞きます。
「庭にはミカンやハッサク、梅やタケノコ、柿の木などが生え、柿はこの季節、干し柿にしています。菜園もあるし、ニワトリは放し飼いにしている。自給自足するにあたりニワトリは生活の軸になります。家庭で出た生ごみを食べてくれて、それが卵に変わる。
冬は基本的に薪ストーブだけで十分に暖をとれます。近隣の家が煙を気にせずにいてくれるからできるというのはありますが……」
――2019年からは電気やガス、水道の来ない廃村の古民家を手に入れ、2拠点生活をしているとか。
「そうですね。向こうに行ったら化石燃料はほぼ使わない。たき火に火をつけるライターくらいですかね。消費と経済活動から離れて、自分の頭と体を動かして生活を完結させるのは楽しいですよ。
水道は山の水を引いて、電気はソーラーパネルとバッテリーを使う。電子レンジや炊飯器、冷蔵庫もないので、パネル2枚で十分まかなえますね。冷凍庫が必要ならあと2枚はいるかもしれない。
基本、明るくなったら起きます。チャイを飲みながら原稿を書き、合間に朝食を食べ、昼から夕方までは畑作業や燃料集めなどを含む野良仕事全般をします。夏だったら午後4時、5時、冬だったら午後3時、4時くらいまで。暗くなる前に杉の葉や枝、薪などの燃料を使ってお風呂を沸かし、文化釜で米を炊き始め、米が炊けたら蒸らしながら、畑の野菜を使って野菜炒めをつくる。冬には軒先にぶら下げてあるシカの肉を削ぎ落として、おかずに入れます」
――シカも狩猟で捕獲する?
「はい。狩猟期間中は一日のスケジュールが変わり、現地に着いたらその日から(愛犬の)ナツと一緒にシカを捕獲に行きます。獲れたら――まあ、大抵獲れますが――解体と食べることが生活に加わる。
ここ3、4年は鉄砲を使わずとも、ナツだけでシカを獲ることが時々できるようになりました。自分の体重の5、6倍もあるシカでも追い詰めて、ワンワンほえて僕を呼ぶ。『親分、止めましたよ』って。それから僕が追いついて、木の棒や石でたたいてとどめを刺す。1人や2人分の食料なら、シカ1頭で2週間分は余裕で持ちますね」
1日500円で十分豊かに暮らせる
――廃村での生活には、あまりお金がいらないように思えます。
「おいしいごはんと納豆は食べたいし、牛乳も飲みたい(笑)。とはいえ廃村の自給生活は、1日500円もあれば十分豊かに暮らせるんじゃないですかね。米も自分で作れればいいのですが、品種改良されていて、いまはトラクターを使わないと難しい。ガソリンを使うし、それだと自力の生活という軸がぶれてしまう。完全な自給自足には、まだまだ課題が多いです」
――近年では、お金を持たずに長期の旅行をしているとのことですが。
「今秋はナツと一緒に39日間、北海道を旅しました。予定ルート上の2カ所にデポ(補給地点)を設置し、生米6キロと砂糖1キロと塩500グラム、あとは鉄砲と弾丸と釣りざお、その他もろもろを持って歩き始めました。おかずは基本、現地調達です。ナツのえさは9割以上がシカでした。
無銭の理由は、大規模な荒野が日本にはもうないから。だったら現金もカードも持たずに家を離れたら、周囲が荒野になるんじゃないかという思いで始めました。完全な無人地帯とはいきませんが、荒野的な要素はだいぶ増えるし、面白い。
夜は、ほとんど野宿で過ごします。野営地ではたき火をしますが、たまに寄る番屋や山小屋にカセットコンロが置いてあって炊事をすると、改めて化石燃料のすごさに驚きます。ガス缶1本で丸1日、朝飯から夕飯まで数人分をまかなえてしまう。同じサイズの薪なら20分程度で燃え尽きてしまうのに。そりゃみんな化石燃料に飛びつくだろうなって。楽だし、しかも安いでしょう」
「本気でエシカルな生活に取り組もうとしたら、面倒くさいですよ。自分で薪を集めて、切りそろえて、状況によっては乾燥させないといけない。大雨が降れば自前の水道は止まってしまう。
でも、その面倒くささそのものがやっぱり生きることだから。おっくうなことを面倒くさいとやめていったとしても、息をするのとご飯を咀嚼(そしゃく)し、飲み込むことはやめないでしょう? それって気持ちがいいからだと思うんですよ。薪を集める、水道を自力で管理する、それって心が弾むものなんだと、みんな意識できるといいですが」――そのように思考を変えるのは、一筋縄ではいかなそうです。
「それは、人が文明社会に生きていく限りは経済と無関係に生活できないものだと思い込んで、視野が狭くなっているからでしょう。頭と手足を駆使して、身の回りのことをできるだけ自分で解決する生活を体験すれば、そんなのは偏った選択肢の一つにすぎないとわかるはずです。
庭の木になっている柿に目もくれず、スーパーで外国産のフルーツを買う。高級車を手に入れて乗り回す。そんなことのために満員電車に押し込まれて出社して夜遅くまで残業する。それって本当に幸せですか。
ナツが教えてくれますよ。犬は自分の足で歩き続けるのが当たり前だし、食べ物はその辺のものでいいし、荷物も持っていない。でも、その瞬間をしっかりと楽しんで生きています」
――意識が変われば、モノの買い方や捉え方も変わってくる気もします。
「エコが提唱される他方で、実際には農薬まみれの100円のキャベツが平気で買われ、有機無農薬栽培でつくった200円のキャベツが売れ残っている現実があります。
経済効率がよく安いものを支持することは、きちんとした方法で栽培したキャベツを間接的に否定することになる。そうすると真面目にキャベツをつくる人がいなくなり、エシカルな消費をしようにもできなくなってしまいます。
安くて体に悪いものを買ってお金をセーブできても、不健康になれば後々医療費を払うことになるから、結果的には不効率だと思うのですが。
環境への配慮を心がける人は以前よりも増えてはいるのでしょうが、本気で倫理的に生きていこうとするなら、もっとみんなで考えた方が良いと思いますね。売る方は売る方で誠実さが求められるし、買う方は買う方で、消費が世間に対する評価となり、社会を動かす大事な要素になると、より意識するべきではないかと思います」
【服部 文祥(はっとり ぶんしょう)プロフィール】1969年、神奈川県生まれ。K2登頂や冬の黒部横断などを経験したあと、装備を切りつめ食糧を現地調達するサバイバル登山を始める。2019年より関東近郊の里山にある廃村の古民家を手にいれ「脱経済成長」をテーマにした暮らしを開始。近著に「お金に頼らず生きたい君へ:廃村『自力』生活記」(河出書房新社)、「北海道犬旅サバイバル」(みすず書房)、「山旅犬のナツ」(河出書房新社)など。