〈「図書室でパンツを脱がされ、後ろからドンッて…」小学生の少女が父親と教師から受けた“おぞましい性的虐待”〉から続く
毒親とは、あらゆる手段で子どもの人生を支配し、悪影響を与える親のことだ。毒親は子どもの心と人生を破壊することも少なくない。貧困や生きづらさなどに苦しむ人は、「毒親育ち」であることも多いのだ。
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ここでは、「毒親育ち」の女性の告白を綴ったノンフィクションライター・中村淳彦氏の著書『私、毒親に育てられました』(宝島社新書)より一部を抜粋。幼少期から、実父や教師による性的虐待を受け続けてきた美智子さん(仮名、61歳)。彼女が少女時代に過ごした地獄の日々とは――。(全2回の2回目/1回目から続く)
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◆◆◆
少女に降り注ぐ悲劇は、これだけでは終わらなかった。
美智子さんは図書室で鈴木教師に強姦され、さらに追い討ちをかけて保健室で女性教員に恫喝されたことが大きなダメージとなった。精神的に追い詰められて登校拒否となったのだ。悪夢を思い出して眠れなくなり、頑張っても週一度くらいしか学校に行けなくなった。
「いろいろショックで怖くなって、家に閉じこもっていた。でも、新学期がはじまってすぐの4月、鈴木先生がうちに来た。学校が終わったばかりの15時くらい、玄関を開けたら鈴木先生がいた。家には誰もいなかった。先生に『久しぶり。学校にどうして来ないの?』って言われた。
怖くてなにも言えなくて、先生は笑顔で近づいてきた。『またしよう、大好きなんだ』って抱きつかれました。玄関で脱がされて、先生も下半身裸になって正面からやられました。最中は先生が怖い表情で腰を動かして、叫びたくても口を押さえられているので叫べない。すごく痛くて、怖くて、硬直してされるがままだったことを覚えています」
鈴木教師は性交が終わると、慌ててズボンを穿いて逃げるように帰った。美智子さんは裸のままで放置され、しばらくして服を着た。体の震えは止まらず、涙も止まらなかった。
美智子さんには、どうして男の人が自分の体を触って、興奮するのかわからなかった。保健の授業で男女のその行為は、子どもができるかもしれないこと、いけないことであるのは教わっている。下半身裸の鈴木教師を思い出すと、恐怖心といけないことをしている罪悪感で、胸が痛くなる。体中に嫌な気持ちが渦巻いている。
「保健の先生に怒られたことがトラウマになっていた。でも、訳がわからないので自分だけでは抱えきれない。誰かに話さなきゃ、相談しなきゃと思って、父親に電話をした。翌日、父親は母親がいない時間に家に来て、鈴木先生にされたことを話したんです」
登校拒否をしていることと、その理由は図書室での強姦が原因であること。妊娠が怖くて保健室の先生に相談したら、怒りだして恫喝されたこと。それがとてつもなくショックだったことを、父親に泣きながら話した。
鈴木教師は4月から弟の担任になり、1週間前に突然家に来て、自宅で再び強姦されたことも伝えた。父親は弟の担任に怒り、電話をすると言った。小学生なので妊娠はしないだろうけど、体調がどうなのか随時教えてほしいと言った。
「ひどい先生だったな。でもお前も大人になったということだ。俺ともするか」
父親は一通りの経緯と話を聞いてから、最終的にそう言いだした。
父親は近づいて後ろから抱きついてくる。いつものようにカラダを触られて、頬を舐めてくる。美智子さんはどうしてそうなるの? そう思いながら我慢した。父親の欲望を受け止めた。
「先生に強姦されたことを父親に話してから、父親も求めてくるようになった。本番の近親相姦です。この父親の性的虐待というか、カラダを要求するみたいなことは高校卒業まで続きました。数十回はやっていると思います。本当に気持ち悪いし、つらかったけどそんな感じになってしまいました」
団地のベランダから飛び降りようとしたことも 登校拒否になった美智子さんは、父親に日常的に強姦されるようになった。それから、さらに精神的に閉じこもった。怖くて学校に行けないだけでなく、いつ父親が来るかわからないので、自宅にいるのも怖くなった。 この頃から統合失調症の症状がはじまっている。「死ね、死ね。もう死のう。死んじゃってもいいよ」。たまにそんな幻聴が聞こえる。実際に団地のベランダから飛び降りようとしたことも何度もあった。飛び降りるのは怖い。ベランダに出て飛び降りようとしても、躊躇して実行することはできなかった。 結局、小学6年生の1年間は学校に行けなかった。中学校は地元の公立ではなく、自宅から離れた寄宿舎付きの特別支援学校に進学した。自宅から離れたことで、父親との関係もストップした。「中学校の3年間だけは平穏でした。自宅から離れたのでなにもされなかった。勉強もちゃんとして、学力も取り戻して普通に過ごせました。高校は足立区に戻って、私立の女子高校に進学した。足立区に戻ったら父親がまた自宅に来るようになって、カラダを求められた。なにも変わらない、母親の名前を呼びながら私のカラダを触って挿れてくる。本当にうんざりしました。『嫌だ、やめてほしい』って何度言っても聞いてもらえない。まあまあ、いいじゃないかみたいな感じでやってくる」高2で母親の兄である叔父からも肉体関係を迫られる 高校生のときの美智子さんはアイドルのような容姿だった。魅惑的な美智子さんに対して男性親族が狂っていった。肉体関係は、実の父親だけでは終わらなかった。「高校2年生のときに母親の兄である叔父に迫られました。たまたま叔父と叔母が遊びに来ていて、母親と叔母が北千住に買い物に行って2人きりになった。私は叔父のために昼食の準備をしていたんだけど、叔父が後ろから抱きついてきた。ものすごい力で洋服を脱がされて、やめて、やめてって手を払ったんだけど、止まらなかった。叔父は『美智子ちゃん、美智子ちゃん』って異常な興奮状態で、ものすごい勢いでズボンとパンツを脱いでその場で挿れられました」 キッチンで立ちバックの体位で強姦された。叔父は「かわいい、かわいい、きれいだ、美智子ちゃんはきれいだ」と、腰を振りながら声をあげる。下半身は痛い。 数分間、ズンズンする痛みを我慢して終わった。「叔父と叔母は昔から私によくしてくれたけど、結局そんなことになった。2時間くらいで母親と叔母は楽しそうに帰ってきたけど、レイプされたとか言えない。なにごともなかったように振る舞うしかなくて、父親との関係も続いていたし、もう頭がおかしくなりそうだったし、本当に頭がおかしくなっていた」 美智子さんは幼少時からの性的虐待、繰り返される強姦被害、誰にも言えない精神的なダメージによって、まだ初潮がきていなかった。初潮がきたのは家族から離れて父親と縁を切った20歳になってからである。男性恐怖で統合失調症に 高校を卒業して、就職活動をした。高校の推薦でメガバンクに採用され、東京本店の窓口業務をするようになった。高卒の一般職女性は独身男性行員の嫁候補という扱いが当たり前の時代だった。入社早々、様々な男性行員が入れ代わり立ち代わり美智子さんに近づいてくる。「銀行で今まで溜まってきたものが爆発して、完全に精神的におかしくなってしまいました。『彼氏いるの?』『デートしたい』『飲みに行こう』『エッチしたことあるの?』『俺の好みなんだ』とか……出社をすると、ひたすら男性に声をかけられる。ずっと虐待とか強姦とかそんな経験をしているので男性は怖いし、関わりたくない。ずっと我慢していたけど、1日中、次から次へと男性に話しかけられるので、本店の営業中に『もういやぁぁぁぁ~』『ぎゃぁぁぁぁ!』って絶叫しちゃったんです。そこで初めて精神科に行きました。精神分裂病(現在は統合失調症)と診断されて、銀行は2年もたないで辞めました」 退職と同時に、悪夢しかない足立区の団地を出た。父親や叔父、鈴木教師に絶対に会わないように多摩地区のほうに引っ越した。地獄のような性加害を繰り返されたことで患った統合失調症が治ることはなかったが、薬を飲みながら、男性を避けながら、従業員が女性だけの環境の小さな会社で働いた。 美智子さんが初めて「子どもが欲しい」と思ったのは38歳のときだった。悪夢から20年以上は経っている。今だったら大丈夫かもしれないと思って結婚相談所に登録した。そして出会った男性と結ばれて、ひたすらDVを受けて離婚した。そして61歳になった現在、池袋の変態ママを頼って売春をはじめようとしている。「ママには『男性客はよく知っている男たちなので大丈夫。絶対に怖い思いをすることはないから安心して』って言われています。だから、あまり心配していません」 取材が終わり次第、この変態アジトに男性客がやってきて売春をするようだ。筆者は美智子さんに見送られて帰るとき、エレベーターの前で貧しそうな老人とすれ違った。老人は変態アジトの中に入っていった。(中村 淳彦/Webオリジナル(外部転載))
登校拒否になった美智子さんは、父親に日常的に強姦されるようになった。それから、さらに精神的に閉じこもった。怖くて学校に行けないだけでなく、いつ父親が来るかわからないので、自宅にいるのも怖くなった。
この頃から統合失調症の症状がはじまっている。「死ね、死ね。もう死のう。死んじゃってもいいよ」。たまにそんな幻聴が聞こえる。実際に団地のベランダから飛び降りようとしたことも何度もあった。飛び降りるのは怖い。ベランダに出て飛び降りようとしても、躊躇して実行することはできなかった。
結局、小学6年生の1年間は学校に行けなかった。中学校は地元の公立ではなく、自宅から離れた寄宿舎付きの特別支援学校に進学した。自宅から離れたことで、父親との関係もストップした。
「中学校の3年間だけは平穏でした。自宅から離れたのでなにもされなかった。勉強もちゃんとして、学力も取り戻して普通に過ごせました。高校は足立区に戻って、私立の女子高校に進学した。足立区に戻ったら父親がまた自宅に来るようになって、カラダを求められた。なにも変わらない、母親の名前を呼びながら私のカラダを触って挿れてくる。本当にうんざりしました。『嫌だ、やめてほしい』って何度言っても聞いてもらえない。まあまあ、いいじゃないかみたいな感じでやってくる」
高校生のときの美智子さんはアイドルのような容姿だった。魅惑的な美智子さんに対して男性親族が狂っていった。肉体関係は、実の父親だけでは終わらなかった。
「高校2年生のときに母親の兄である叔父に迫られました。たまたま叔父と叔母が遊びに来ていて、母親と叔母が北千住に買い物に行って2人きりになった。私は叔父のために昼食の準備をしていたんだけど、叔父が後ろから抱きついてきた。ものすごい力で洋服を脱がされて、やめて、やめてって手を払ったんだけど、止まらなかった。叔父は『美智子ちゃん、美智子ちゃん』って異常な興奮状態で、ものすごい勢いでズボンとパンツを脱いでその場で挿れられました」
キッチンで立ちバックの体位で強姦された。叔父は「かわいい、かわいい、きれいだ、美智子ちゃんはきれいだ」と、腰を振りながら声をあげる。下半身は痛い。
数分間、ズンズンする痛みを我慢して終わった。
「叔父と叔母は昔から私によくしてくれたけど、結局そんなことになった。2時間くらいで母親と叔母は楽しそうに帰ってきたけど、レイプされたとか言えない。なにごともなかったように振る舞うしかなくて、父親との関係も続いていたし、もう頭がおかしくなりそうだったし、本当に頭がおかしくなっていた」
美智子さんは幼少時からの性的虐待、繰り返される強姦被害、誰にも言えない精神的なダメージによって、まだ初潮がきていなかった。初潮がきたのは家族から離れて父親と縁を切った20歳になってからである。
高校を卒業して、就職活動をした。高校の推薦でメガバンクに採用され、東京本店の窓口業務をするようになった。高卒の一般職女性は独身男性行員の嫁候補という扱いが当たり前の時代だった。入社早々、様々な男性行員が入れ代わり立ち代わり美智子さんに近づいてくる。
「銀行で今まで溜まってきたものが爆発して、完全に精神的におかしくなってしまいました。『彼氏いるの?』『デートしたい』『飲みに行こう』『エッチしたことあるの?』『俺の好みなんだ』とか……出社をすると、ひたすら男性に声をかけられる。ずっと虐待とか強姦とかそんな経験をしているので男性は怖いし、関わりたくない。ずっと我慢していたけど、1日中、次から次へと男性に話しかけられるので、本店の営業中に『もういやぁぁぁぁ~』『ぎゃぁぁぁぁ!』って絶叫しちゃったんです。そこで初めて精神科に行きました。精神分裂病(現在は統合失調症)と診断されて、銀行は2年もたないで辞めました」
退職と同時に、悪夢しかない足立区の団地を出た。父親や叔父、鈴木教師に絶対に会わないように多摩地区のほうに引っ越した。地獄のような性加害を繰り返されたことで患った統合失調症が治ることはなかったが、薬を飲みながら、男性を避けながら、従業員が女性だけの環境の小さな会社で働いた。
美智子さんが初めて「子どもが欲しい」と思ったのは38歳のときだった。悪夢から20年以上は経っている。今だったら大丈夫かもしれないと思って結婚相談所に登録した。そして出会った男性と結ばれて、ひたすらDVを受けて離婚した。そして61歳になった現在、池袋の変態ママを頼って売春をはじめようとしている。
「ママには『男性客はよく知っている男たちなので大丈夫。絶対に怖い思いをすることはないから安心して』って言われています。だから、あまり心配していません」
取材が終わり次第、この変態アジトに男性客がやってきて売春をするようだ。筆者は美智子さんに見送られて帰るとき、エレベーターの前で貧しそうな老人とすれ違った。老人は変態アジトの中に入っていった。
(中村 淳彦/Webオリジナル(外部転載))