こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は廃刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。◆「正月暴走」の取材が年末年始の恒例行事
テレビで「紅白歌合戦」や「ゆく年くる年」が流れると、「1年が終わるな」という感じかもしれませんが、我々が作っていたティーンズロードでは年末年始、「正月暴走」(初日の出暴走)の取材がもはや恒例行事になっていました。これで1年を締め括り、そのまま新年を迎える……。
今では信じられないかもしれませんが、当時は大晦日になると「正月暴走」と言って、全国(特に関東地方)の暴走族が単車や車、原付バイクなどで富士急ハイランドの駐車場を目指して大規模なお祭り騒ぎの暴走を繰り広げていたのです。
暴走族同士の喧嘩もほとんどなく、ひたすら爆音を奏でて、それに合わせて踊りまくるといえばわかりやすいでしょうか。この日は暴走族がひとつになって盛り上がるんです。
◆「こんなに暴走族が存在しているのか!」と驚いた
創刊前、じつはすでに都内近郊では「暴走族なんていまだにいるの? 見たことないよ」というような時代を迎えていました。なので、最初に「正月暴走」の光景を見た瞬間は、「世の中にはこんなにたくさんの暴走族が存在しているのか!」と目を疑うほどでした。
富士急ハイランドの駐車場はほぼ族車で埋まり、いったん駐車場に入ってしまうと、あまりの多さで駐車場から出ることができなくなり、たいてい大晦日から元旦の2日くらいまでそこに閉じ込められてしまうような状態。
駐車場に入れなかった暴走族たちも周辺に集まり、爆音とともに新年を迎えるという感じなのですが、とにかくどこを見ても族車しかいない。
もっと言えば、警察の検問などでたどり着けない暴走族たちは、その周辺の高速道路のパーキングエリアに集まり、爆音を鳴らしてタコ踊り(※)をしながら駐車場の中をぐるぐると走り回るのです。
(※)阿波踊りなどのお祭りで踊るような彼らの踊りを私たちはタコ踊りと呼んでいました
◆警察もお手上げの「なんでもアリ」無法地帯に
その期間は高速道路およびパーキングエリアは無法地帯。もちろん、高速道路の本線もほとんどが族車で大渋滞。時折、逆走をしている原付の改造バイクや、高速道路のど真ん中でピースサインで記念写真を撮る女の子たち。路側帯に駐車して弁当を食べている特攻服の暴走族……。
まさに「なんでもアリ」という異常な状態です。私たちも渋滞で富士急ハイランドまでたどり着けない年は、ひたすら車の中から撮影をしておりました。
警察も総動員で料金所の付近などで取り締まるわけですが、あまりの台数の多さにお手上げのようでした。スルスルと取締りの間を抜けて行ってしまうので、何をどうしていいのやらという感じです。
◆取締りが年々強化され、今では「伝説」に…
まぁ、これが大晦日から三が日まで続くのですが、それぞれが地元の方向に戻り始め、道路が走れるようになると、ようやく取材班も開放されて、家路につくわけです。
高速道路上には、族車に取り付けられていたと思われる改造パーツが散乱。タイヤや竹槍マフラー、エアロパーツなど、途中で壊れたものを放置していくので、それを避けながら走る感じでした。
そんな私たちの「正月休み」と言えるのは、その後の1日か2日ぐらいでしょうか。当時は毎年のことだから感覚が麻痺していましたが、いま考えると「よく頑張っていたな」と思います。
さて、そんな「正月暴走」も取締りが強化され、族車の台数もどんどん減っていき、今では「伝説」みたいになってしまいました。
決して褒められることではありませんし、今の時代にやれば大変なことになってしまうのでしょう。ただ、あの頃の暴走族のエネルギーはすごかったなと思うことがありますね。
<文/倉科典仁(大洋図書)>
―[ヤンキーの流儀 ~知られざる「女性暴走族」の世界~]―