「これくらいが自分にはちょうどいい」という「分相応の壁」は、ときに挑戦や成長を妨げてしまう。その傾向が顕著に現れている日本の部活動の「異常性」だ。この日本独特の文化を参考に、「分相応の壁」を打破するためのメソッドを、書籍『分不相応のすすめ』より一部抜粋して紹介する。 ダメなものはダメだから 中学・高校の6年間は、価値観や人格を形成していく上で、とても大切な期間となります。その期間の大きな活動の1つになっているのが、部活動です。学生たちは、運動系の部活でも、文化系の部活でも、それぞれにかけがえのない青春を謳歌することができます。

そこに、疑問を持つことはあまりないかもしれません。しかし、海外から見ると、特に運動系において、日本の部活動には2つの「異常性」があるのだといいます。※2 トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
「これくらいが自分にはちょうどいい」という「分相応の壁」は、ときに挑戦や成長を妨げてしまう。その傾向が顕著に現れている日本の部活動の「異常性」だ。この日本独特の文化を参考に、「分相応の壁」を打破するためのメソッドを、書籍『分不相応のすすめ』より一部抜粋して紹介する。
ダメなものはダメだから 中学・高校の6年間は、価値観や人格を形成していく上で、とても大切な期間となります。その期間の大きな活動の1つになっているのが、部活動です。学生たちは、運動系の部活でも、文化系の部活でも、それぞれにかけがえのない青春を謳歌することができます。

そこに、疑問を持つことはあまりないかもしれません。しかし、海外から見ると、特に運動系において、日本の部活動には2つの「異常性」があるのだといいます。※2 トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
ダメなものはダメだから 中学・高校の6年間は、価値観や人格を形成していく上で、とても大切な期間となります。その期間の大きな活動の1つになっているのが、部活動です。学生たちは、運動系の部活でも、文化系の部活でも、それぞれにかけがえのない青春を謳歌することができます。

そこに、疑問を持つことはあまりないかもしれません。しかし、海外から見ると、特に運動系において、日本の部活動には2つの「異常性」があるのだといいます。※2 トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
中学・高校の6年間は、価値観や人格を形成していく上で、とても大切な期間となります。その期間の大きな活動の1つになっているのが、部活動です。学生たちは、運動系の部活でも、文化系の部活でも、それぞれにかけがえのない青春を謳歌することができます。

そこに、疑問を持つことはあまりないかもしれません。しかし、海外から見ると、特に運動系において、日本の部活動には2つの「異常性」があるのだといいます。※2 トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
中学・高校の6年間は、価値観や人格を形成していく上で、とても大切な期間となります。その期間の大きな活動の1つになっているのが、部活動です。学生たちは、運動系の部活でも、文化系の部活でも、それぞれにかけがえのない青春を謳歌することができます。
そこに、疑問を持つことはあまりないかもしれません。しかし、海外から見ると、特に運動系において、日本の部活動には2つの「異常性」があるのだといいます。※2 トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
そこに、疑問を持つことはあまりないかもしれません。しかし、海外から見ると、特に運動系において、日本の部活動には2つの「異常性」があるのだといいます。※2 トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。

そこに、疑問を持つことはあまりないかもしれません。しかし、海外から見ると、特に運動系において、日本の部活動には2つの「異常性」があるのだといいます。※2 トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
そこに、疑問を持つことはあまりないかもしれません。しかし、海外から見ると、特に運動系において、日本の部活動には2つの「異常性」があるのだといいます。※2
トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
トーナメント制の大会が多すぎる 1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。 優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
1つめの異常性は、1回負けたら終わりのトーナメント制の大会ばかり、という点です。野球、サッカー、テニスなど、多くの競技において、総当たりの勝敗で競うリーグ制ではなく、トーナメント制が当たり前になっています。4000校が出場する場合、1回戦が終わる時点で、負けた2000校は活動が終わってしまうことになります。
優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。 しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
優勝するまでの道のりには、ただ1回の負けも許されません。だから、必然的に、「負けない」ための技術や戦術を重視するようになります。「点を取られなければ負けない」が基本である以上、守りを優先しやすくなるのは当然でしょう。
しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。 本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
しかし、こうした「負けない」ための戦い方や考え方を偏重すると、「勝つ」ための攻撃や挑戦的なプレーからはどんどん遠ざかっていってしまいます。
本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。 この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
本来のスポーツとしては、トーナメント制だけでなく、勝っても負けても次の試合があるリーグ制で、MTM(Match Training Match)が望ましいものとされています。MTMとは、試合をしたら、その結果を踏まえて、選手も指導者も考えてトレーニングをして、次はより良い試合ができるように挑む、「試合 → 練習 → 試合」の流れを意味します。
この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。 こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
この「MTM」の繰り返しが、選手と指導者の成長にとって大切であると考えられています。
こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。

こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。 各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
こうした問題意識の下、サッカーにおいて、構想から10年近くをかけ、苦労の末に実現したのが、2011年から始まった日本サッカー協会主催の「高円宮杯U-18サッカーリーグ」です。
各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。 このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
各都道府県に分けられる「都道府県リーグ」、その上の全国9地域に分けられる「プリンスリーグ」、さらにその上の東西2つに分けられる「プレミアリーグ」の三層構造で、4月から12月までかけてリーグ戦が行われるものです。それぞれのリーグの上位チームと下位チームでは、毎年、入れ替え戦もあります。
このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。 応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
このリーグ制の創設は、健全なMTMの中で技術・戦術・マインドを成長させることができる環境づくりの大きな前進といえるでしょう。
応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
応援に専念する部員たち 海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。 野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
海外から見た「日本の部活動」のもう1つの異常性は、応援に専念する部員たちの存在です。そもそも、学校に部活動というものがなく、学外のクラブチームなどに所属してスポーツをする国もあるため、感覚が異なるのは当然の部分もあれど、それにしても「(試合に出られないのに)応援に専念する」部員は、異様に見られることが多いといいます。
野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。

野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。 共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
野球やサッカーの強豪校では、部員が200人、300人といった規模になりますが、試合に出られるのは10名前後、ベンチに入れるのは20名強です。それ以外の大多数の部員は、応援席で、プレーする仲間を鼓舞するために応援に専念します。
共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。 「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
共に練習に励み、切磋琢磨してきた仲間のために、自分はプレーできなくても応援する。その献身性や仲間意識は、美徳として広まっているといえるでしょう。しかし、それは日本の当たり前ではあっても、文化の異なる海外から見ると異常に見えるということです。
「選手ではなく、サポーター(応援団)か?」「なんで自分がプレーできなくて悔しいのに、応援しているんだ?」と純粋な疑問を持たれるそうです。海外では、応援することは素晴らしいが、それでも、「我慢して応援すること」が、「自分でプレーすること」を超えることはないのが当たり前だからです。 自分が活躍できる環境を選んでいい もし試合に出られないなら、1つレベルを下げて、現在の自分がプレーできるレベルを選んで、そこで活躍する。今よりも上のレベルを目指してチャレンジをしつつも、自分が試合に出てプレーすることを楽しみ、1番大切にする。こうした感覚を持つことが、海外の当たり前になっているのです。 「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
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「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。 ――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
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「絶対に負けちゃダメだから」と負けないように頑張ったり、「試合に出られなくても、応援しなきゃダメだから」と我慢したりすることは、本当は、不変的な「ただ1つの正解」の感覚ではないわけです。誰もが受け入れて当たり前の感覚ではないことを、ぜひ知っておきましょう。
――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
――― ※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。 文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
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※2 DAZN NEWS「「人に指導することは難しい」。日本から若くて優秀な指導者が出てくるためには | 内田篤人のFOOTBALL TIME」、livedoor NEWS「「ドイツにサッカー部は存在しない」 日本との育成環境の違いが興味深い」を参照。
文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
文/永井竜之介 写真/shutterstock 分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
文/永井竜之介
写真/shutterstock
分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
分不相応のすすめ 永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
永井竜之介 2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
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2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
2023/11/20 \2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
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\2,200 216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
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216ページ ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
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ISBN: 978-4911194003 「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
978-4911194003
「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。
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