こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は廃刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。 12月に突入し、すっかり忘年会シーズンです。この連載では、ある意味で「命がけ」の取材の裏話などをお話させていただいておりますが、今回ご紹介する体験も私の中で一生忘れられない思い出のひとつ。それが、屋形船で開催された「暴走族の忘年会」の取材です。
◆まさに命がけの「暴走族の忘年会」の取材秘話
もう30年以上も前の話ですが、その取材は私たちにとって、どこにも逃げ場がない、水上で起きた大事件、まさに地獄絵図と言っても過言ではないでしょう。 ティーンズロードはレディース(女性暴走族)をメインに誌面で紹介していましたが、同時に男性暴走族からも取材依頼が多数来ていました。様々なハプニングが起こるのは、女性よりも男性の暴走族の取材中が多かったと記憶しています。
「ティーンズロードが取材に来る!」ってことになれば、向こうも一大事です。チームのみんなが気合いを入れてカメラに写ろうとテンションを上げてくるので、こちらは事故が起きないように、彼らを落ち着かせるのに必死でした。
さて、世間的な忘年会シーズンといえば、雑誌の編集部的には「年末進行」です。印刷所も休みの期間に入ってしまうので、その前に通常よりもタイトなスケジュールで入稿しなければなりません。雑誌の発売日などにもよりますが、うちとしてはお正月を迎える前に2号分を同時に制作しなければならず、大変でした。
そんな忙しい時期でしたが、関東近郊の某暴走族から連絡があり「うちのチームの忘年会、屋形船を貸し切ってやるんで取材に来てくださいよ」とのこと。
◆屋形船に暴走族のメンバーがズラリ
今までにない珍しいオファーだったので、編集部的には面白いネタが撮れるかもしれないと思って取材を快諾。私と新人編集者、スチールカメラマン、ビデオカメラマン(※当時はビデオも制作していた)の4人体制で行くことになり、現場に着くと、すでに30人くらいのメンバーが揃っていて、取材班を出迎えてくれました。
私も「よろしくお願いします!」とテンション高めに挨拶しながら、屋形船に乗り込んだのですが、このときは、のちに何が起こるのか、知る由もありませんでしたね……。
屋形船の中は広くて、すでに料理が配膳されていました。みんなが座った後に、幹部やOBと見られる人たちが、一人ひとり挨拶をしていきます。
「オレは〇〇連合◯代目の〇〇だけど、このチームは無敵なんで、てめ~らも喧嘩するなら死ぬ気でいけよ! 絶対負けんじゃねーぞ!!」
そんな先輩の言葉に対して、後輩たちは「押忍! 押忍!」と叫んでいました。
◆インタビューの最中にまさかのトラブル
先輩のなかには、いい感じに酔っ払っている人もチラホラで現場的にはカラオケなどで盛り上がりを見せていました。彼らの年齢が成人に達していたのかどうかはわかりません……。(※20歳未満の飲酒は法律により禁止されています)
そんななかで、幹部からこんなお願いがあったんです。
「ティーンズロードさん、今年うちのチームに入った若いヤツをインタビューしてくださいよ」
ということで、3~4人の新人メンバーに意気込みを聞くことになりました。暴走族といっても新人は15~16歳ぐらいです。インタビューでカメラを向けられれば緊張をして何を言っていいかわからなくなるのも当然ですし、声も小さくなってしまいます。

「そんな気合いの入ってない喋り方をしたら、オレらのチーム全員が舐められんだろ!」
彼をおもいっきりボコボコにしています。それを見ていた他の先輩たちも「てめ~ら! 看板しょってんだから、気合い入れて喋れよコラ! ティーンズロードさんに元気ないって言われてどーすんだコラ!」
そして、他の新人メンバーの子たちまで殴られ始めたのです。先輩たちもテンションが上がっているので、止めるに止められない状態。新人メンバーは謝罪しながら、ひたすら下を向いて耐えています。
その状況を目の当たりにした屋形船の女性スタッフが恐怖のあまりに思わず「キャー!」と叫び続けます。それを見て幹部の1人が「てめ~! キャーキャーうるせえんだよ!」と屋台船の襖をパンチで壊してしまいます。
こうなると、もう取材どころではなく、本当に早く帰りたいと思いました。ただし、逃げたくてもここは水上。どこにも行けません。スタッフたちも、ただただその様子を呆然と眺めているしかない状態でした……。
◆我に返って頭を下げる幹部「壊れたものは全て弁償します」
私はカメラマンに「カメラを回してると、どんどんエキサイトしていくんでカメラを止めて!」と指示して、幹部にも「このままでは大事になってしまうので、ティーンズロードにも載せるわけにはいきません」と伝えました。
そこからは、ようやく冷静さを取り戻したようで現場も落ち着き始めました。そして、屋形船は岸に戻ってきました。
幹部たちは屋形船のスタッフに謝罪して「迷惑をかけてすみませんでした……壊れたものは全て弁償しますんで勘弁してください」と頭をさげていました。 新人メンバーたちも軽いケガで済んだようで、私たちもホッと胸をなでおろして、屋形船から降りました。本音としては、すぐにでも現場から立ち去りたかったのですが、じつはこの後、恐怖の第二弾が待ち受けていたのです……。
ふと横を見ると、そこには「酒樽」が置いてありました。
◆日本酒を無限に飲まされる編集長…
幹部や先輩をはじめ、チームのメンバーがそれを囲むと「今日はティーンズロードの皆さんが来てくれたんで、代表して編集長に升酒を飲み干してもらうから、みんなよく見とけよ!」というのです。
当然、断れる雰囲気ではありません。もしもここで私が飲まなければ、他のスタッフが代わりに飲まされるかもしれないと思い、
「皆さん、今日はありがとうございました!それでは頂きます!」
と、樽からすくった升酒を一気に飲み干しました。「ようやくこれで帰れる」と思ったら、まさかの展開が続きます。
「さすがはティーンズロードの編集長! 飲みっぷりがいいっすね~! じゃあ、もう一杯お願いします!」
いくらお酒が好きな私でも升に入った日本酒を連続で2杯も飲むことはそうそうありません。しかしここで断ったら場の空気が悪くなると、2杯目も一気に飲み干しました。
結局、同じやりとりが7~8回ぐらい続き、最後にはガタイのいい幹部の一人が「編集長、このままだとヤバいんでオレの後ろに隠れて静かに帰ってください(苦笑)」と、私に気を使ってくれる始末……。 ようやく開放された私とスタッフは、新人編集部員の運転する車で一目散に帰りました。いま振り返ってみると、色々な意味で「体を張った取材だったな」とつくづく思います。 帰り道で私は何度も吐きそうになり、車を停めて外でリバースしてしまったことを付け加えておきます。
<文/倉科典仁(大洋図書)>
―[ヤンキーの流儀 ~知られざる「女性暴走族」の世界~]―