―[家族に蝕まれる!]―
「トラウマなんでしょうね、女性との性行為の際、思わず『喘ぎ声を出すな!』と怒鳴ってしまったこともあります。申し訳なかったなと思っています」 そう言って肩を落とすのは、小川諒平氏(仮名・30代)だ。会社員として順調に出世している彼のトラウマの根源は、母親にあった。小川氏によれば、母親は明るい性格で流行に敏く、人の輪に入るのが巧みな「愛され上手な女性」。
だが、家庭で見せる顔はまったく異なっていた。
◆「泣き声がうるさい」という理由で…
「私を身ごもったとき、すでに父と母は喧嘩が絶えなかったと聞いています。父からのDVが酷かったため、母は生むことを躊躇したようです。父方の親戚から『中絶費用は出すから』と勧められたらしいのですが、子どもがいることで女性として一人前になれると考えていた母は、出産を決めたようです。
ただ出産後は、赤ん坊だった私の泣き声がうるさいなどの理由をつけて、育児を父に任せて自分は実家に帰るなどしていたようですね」
◆「小さなミスでも咎められた」影響が現在も…
母親の小川氏への接し方に愛情はほとんど感じられなかったという。
「母は私に対して非常に当たりがきつく、殴る蹴るなどは当たり前でした。それ以上に酷かったのは、言葉による虐待でした。たとえば外出するときには、毎回『あんたは父親に似て一重まぶたで目つきも悪いんだから、職務質問されるわよ』と言ってきます。
食べ物は満足に与えられず、お腹が空いて冷蔵庫から何か食べてしまおうものなら『人のものを勝手に食べるなんて、父親に似て卑しい子だね』と。そんな環境ですから、小6のとき、私の体重は30kgにも満たなかったのです。自分の家なのに、他人の家にいるような居心地の悪い感覚でした。
小さなミスでも咎められ、吊るし上げられるため、間違うことに対して非常に臆病になってしまいました。大人になってからも、鍵のかけ忘れがないか、水道の蛇口から水は出ていないか、置き忘れたものはないか、などを何度も確認しなければ落ち着かない日々が続きました。ミスによってもたらされる結果よりも、ミスそのものに怯えている感じです」
◆なぜ弟ばかりが贔屓されるのか
小川氏には、「弟」がいる。
「私に比べて出来の悪いはずの弟は、いつも母から贔屓されていました。家事分担も圧倒的に私のほうが重く、ミスして怒られるのはいつも私でした。『勉強だって、お兄ちゃんなんかすぐに抜かせるんだからね!』と、母はいつも私を踏み台にして弟を励ましていました」
不可解な兄弟間格差の理由について、小川氏は成人後に知ることになる。
「どうも不倫相手との子どもだったようですね。しかも、父もそれを知っていて、離婚までは家族でいたようです」 ◆「血の繋がりのない弟」の親権をほしがった父
小川氏が小学校中学年から高学年にかけて、両親は離婚に関する協議を重ね、離婚調停にもつれ込んだ。結果として親権は母親が勝ち取ったが、その裁判でさえ、父親の「コミュニケーションの一環」だったのではないかと小川氏は振り返る。
「先ほども述べたように、母は人たらしでした。父親は当時から『弟』が血の繋がりがないことを知っていて、あえて私と弟2人を引き取るために裁判を起こしています。
これは私の推測ですが、父はどんな形でもいいから母親とか関わっていたかったのではないでしょうか。あるいは、母が可愛がっていた『弟』――つまり彼女の宝物を奪取したいという歪な愛情があったようにも思えます」

◆女性に対して「トラウマを植え付けられた」出来事
そもそも小川氏の母親に惹かれた男性は多い。冒頭のトラウマは、その際に植え付けられたものだ。
「離婚調停の期間中、母は私たちを連れて実家に帰っていました。その実家には弁護士が泊まりに来ることが何度もあって、私たちと母と弁護士で同じ部屋に寝ていました。
10歳くらいのときだった思いますが、夜中に目が醒めてしまいました。すると母の喘ぎ声が聞こえてきたのです。性の知識はほとんどありませんでしたが、何が起きているのか大体予想はつきました。鼓動が速くなり、全身が硬直するのがわかりました。小学生ながら『気づいたことがバレたら殺されるかも』と本気で思いました。
それ以来、情事の際に女性が出す声を聞くと、あの光景を思い出してしまうのです。そうした母の姿を見ているので、本当は『弟』と血が繋がっていないことを知ったときも、驚きより納得が先にありました」
◆母親に反抗する発想は毛頭なかった
弁護士はある領域において非常に著名で、メディア露出もしている人物だが、家庭の悩みを小川氏の母親に打ち明けていたという。いわく、「病気の妻がいる」らしく、弁護士は彼女と別れた暁には小川氏の母親と住もうと考えていたようだ。
だが正式に離婚が成立した瞬間、小川氏の母親は弁護士を捨てた。
「離婚後の母は、『これで法的にも自由』とばかりに、別の男と付き合っては別れてを繰り返していました。あんなに『一緒になろう』と母に将来を語っていた弁護士も、あっさり用済みになるとは思っていなかったのではないでしょうか」
裁判では親権者を母親にすることが認められたが、14歳になると小川氏は父親と住むことになる。異常な痩せ方をしていることや身体にできたアザが担任教師の目に止まり、小川氏は児童相談所に一時保護されたのだ。
母親と離れることによって、これまで恐怖に支配されていた自分を客観的に見ることができたと話す。
「普通、思春期も真っ只中の中学生男子ならば、肉体的には母親よりも強いはずです。しかし、心の根っこの部分を洗脳されているので、母親に反抗をするなどという発想は毛頭ありません。この息苦しい環境に自分を適合させることでしか、生きる術がなかったからです」
◆「20年近く母と連絡を取っていない」理由
現在、小川氏は父親とは年に数回の連絡をとっているものの、母親とは20年近く連絡をとっていない。その理由はこうだ。
「大学生くらいまでは、嫌々ながら母と話すこともありました。しかし、気がつけばいつも彼女のペースに乗せられてしまいます。決して人を論破するタイプではなく、いつの間にか彼女の意のままに操られているから不思議です。他方で、たとえば父親の養育費の支払いが少しでも遅れると、判決を盾にして『御社の◯◯氏は裁判所の判断を無視しています』などと文書を送り付けたり、手段を選びません。私はやっと自分の生活を立て直すことができたので、その平穏を母に侵されたくないというのが理由です」
次々に男たちを惹きつけて離さない魔性の女性。その魅力は、ひとりの肉親の犠牲に支えられていたのかもしれない。母親の後遺症に苛まれない人生を獲得するため、小川氏は自ら歩みを進めた。
<取材・文/黒島暁生>
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