家計を助けるために15歳から食品加工工場で働くも、100万円から始めた不動産投資によって今では総資産が1億円を超える、みわ氏。格差や学歴や職歴の壁に阻まれても人生を好転できた秘訣は何なのか?「100万円から始められるボロ物件投資」の秘訣を伝授する。◆学生時代の自分が“コミュ障”でよかった?
僕が不動産投資で生計を立てられるようになった理由の一つに、ひどい環境から抜け出したいという気持ちがあったと思います。
これまでもお話ししてきたように、実家が火事で燃えてしまい、引っ越した先は超ボロアパート。その家には借金取りが両親を催促しに来るし、その両親も後に離婚してしまいます。我ながらなかなかの環境です。
僕が育った北九州市は治安がいいとは言えず、ヤンチャな人も多い街。そんな街で、なおかつ環境の悪い家庭で育つと非行に走る人も多いです。実際に昔の同級生がグレてしまった姿を何人も見てきました。
◆中卒で勤めた工場の居心地のよさ
しかし、不思議と僕はグレることはありませんでした。その理由を考えると、学生時代に友達がいなかったからなのかもと思います(悲しいですが)。周りに悪い人はもちろん、話す友達さえいなければ「あの先輩、ちょっと悪いけどカッコいい!」と憧れるきっかけもありませんからね。
それに小学校や中学校時代は、母親の夕刊の新聞配達を手伝っていたことをからかわれたり、貧乏暮らしの後ろめたさもあって、できるだけ関わりを持たないようにしていました。そんな風に周りと馴染めない学生時代を過ごしていたこともあって、中学卒業後にウナギ加工工場に就職したときは結構前向きな気持ちになったのを覚えています。
家が貧乏だからといってからかわれることもないし、なにより働けばお金が手に入る。それまで暮らしてきた環境よりも明らかにいい環境にステップアップすることができました。
もしヤンチャな先輩とつるんでいたら就職することもなかったでしょうし、十数年後に不動産投資を始めることもなかったはず。いわゆる”コミュ障”だったことが功を奏したのかもしれません。
◆不動産投資に必要な“コミュ力”とは?
ただ、不動産投資を始めた頃はコミュニケーション能力の低さが脚を引っ張ってしまいました。たとえば、株の売買だとオンラインですべての取引を行えますよね。ですが、不動産投資となると不動産屋さんや住人の方など、どうしても生身の人間とのやりとりが必要になります。
子供の頃は友達がいませんでしたし、社会に出てからも工場勤務なのでそこまで多く喋ることもなかったため、不動産投資をやろうと動き出して初めて、自分はコミュニケーションが人一倍苦手なんだと気づかされました。不動産屋さん回りでお店に入っても一言も口にせず相手にもされなかった日が続きました。
ただ、ここでちょっと考えてみると、僕は不動産屋さんに行った時に「いい物件ないですか?」「紹介してください」など一方的な要求ばかりしていました。いきなりどこの馬の骨ともわからない若造が来てそんなことを言っても、相手からしたら信用ならないのは当然です。
いまさらですが、まず信用してもらうのが先決で、笑顔で不動産屋さんと仲良くなってから伝えるべきだったと思いました。
◆“要求”から“お願い”に変えて
そこで、一方的に“要求”するのではなく、“お願い”をするスタンスに変えてみたのです。例えば、ダメだった交渉のときは、「150万円下げてください」「屋根が悪いので直してください」という要求をしていました。これを「150万円に下げるのは難しいですかね?」「屋根が悪いけど自分で補修するので70万円下げることはできそうですか?」と、あくまでお願いするという話し方へと改善したのです。
こんな些細なことだけで、一方的だった会話が不動産屋さんとの“キャッチボール”になって続くようになりました。そして、それだけでも自分が大家としてやっていける自信に繋がっていったのです。
正直、僕のような状況はレアケースだと思います。その証拠に、僕が現在開いている講座の生徒さんは普通の会社員の方が大半ですし、普通のコミュニケーションができれば問題ありません。裏を返せば、「ありがとうございます」が言えなかった僕でもできたんだから、不動産投資で稼げるチャンスは誰にでもあるはずです。