■[TOKYO考 都市再生の100年]<3>
■「若返った」
東京都中央区月島。
通称「もんじゃストリート」は、もんじゃ焼き屋が軒を連ね、海外の観光客にも人気がある。明治時代に埋め立てられ、新たに築かれた島、「築島」が地名の由来だとされる。下町情緒あふれる町並みに、タワーマンションが林立するようになった。
「若い夫婦が増えて、町は若返った」。3年前に完成した32階建ての三井不動産のミッドタワーグランドに住む三上一夫さん(77)は話す。夕方には吹き抜けのエントランスに学校帰りの小学生らが集まり、おしゃべりに興じる。住民交流の恒例行事として七夕のイベントも開かれる。
三上さんは若い頃から月島で暮らしてきた。かつては近くに石川島播磨重工業(現・IHI)の工場がある職工の街だった。40年以上前に工場は撤退し、地元の長屋住まいの人たちを中心に、高齢化が目立つようになった。跡地にタワマンができて、風景は変わった。
マンション購入者は、共働きで一定の世帯収入がある若いパワーカップルが多い。信用力を生かして1億円前後の住宅ローンを夫婦ペアで組み、大規模な金融緩和によって、低い金利で借りられる。
東京湾に面するベイエリアは、タワマンの街へ移行している。関東大震災で倒壊した建物のがれきで埋め立てた豊洲は、豊かな土地になるようにと、名付けられた。人口は20年前の6倍に迫り、不動産会社が実施した年収1000万円以上の人が住みたい街の調査で今年、1位に選ばれた。
晴海では、東京五輪・パラリンピックの選手村を改修した「HARUMI FLAG(ハルミフラッグ)」の申し込み倍率が最高200倍を超えた。早ければ2025年に引き渡されると、2年足らずで1万2000人の街が現れる。
■都心回帰
関東大震災では、低い土地で液状化の被害が発生した。埋め立て地は住む場所として敬遠され、東京西部から神奈川、埼玉にかけての地盤が強い多摩丘陵や武蔵野台地で開発が進んだ。不動産大手が湾岸に照準を定めたのは、人口急増で適地が減り、耐震技術が進んだことが大きい。
産業構造や行政の変化も見過ごせない。明治大の市川宏雄名誉教授(都市政策)は指摘する。
「20世紀の日本は製造業が中心で、工場は郊外が多かった。サービス業が発展すると、通勤に不便だと思うようになった。法律の見直しで高い建物の建設が可能になり、都心回帰が起きて、開発の遅れていた湾岸にも人々が流れ込んだ」
1997年の建築基準法改正で、マンションが高層化しやすくなり、都心の空洞化解消を狙う東京都も制度を見直した。湾岸は割安で、最後のフロンティアとして注目された。
千代田区の皇居近くにあるマンションの価格は1坪(3・3平方メートル)あたり1000万円前後で、60平方メートルの部屋は2億円近い。晴海フラッグのタワー棟ならば、1坪400万円程度と、千代田、中央、港の都心3区でも開きがある。3区を選ぶならば、「価格面では湾岸一択だ」(大手不動産販売担当)となる。
湾岸タワマンには課題もある。一つは交通の便の悪さで、人口の割に鉄道が少なく、通勤ラッシュで混雑する。都心と川で隔てられており、災害が起きると孤立しかねない。ほかの場所もあてはまるが、停電でエレベーターが止まる恐れを考えれば、高齢者は高い階に住みにくい。
名古屋大減災連携研究センターの武村雅之特任教授は、将来を心配する。
「タワマンは維持管理費や修繕積立金が割高で、入居後の負担は重い。建物の老朽化や住民の高齢化が進み、高度成長期に発達した郊外のニュータウンと同じような道をたどるのではないか。廃虚化のリスクは通常のマンションより大きい」
■日本初は「与野ハウス」
消防法は、高さ31メートルを超える建物を「高層建築物」としており、一般的に相当する10階建て以上が高層マンションと呼ばれる。倍の20階建て、高さ60メートル以上はタワーマンションとなる。
住友不動産によると、日本で初めてとなる分譲タワマンは、さいたま市の「与野ハウス」で、1976年に完成した。21階建ての高層棟は高さが66メートル。50年近くを経て約460戸はなお現役だ。
近くに鉄道が開業することを見込んで開発し、分譲価格は最上階約120平方メートルのファミリータイプが約4100万円。「当時としてはかなり高級だった」(住友不動産広報)という。
2000年代にタワマンが増えるまで、最も高いのは、1998年に完成した埼玉・川口の「エルザタワー55」の約185メートルだった。
現在は、虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー(東京都港区)の約220メートルとなる。