2019年に悪性リンパ腫が発覚し、50歳で「余命わずか」と告げられたのが、島根県に住む加治川健司さん。2回の抗がん剤治療を経たものの、完治には至らず、2022年2月には、医者から「余命半年」との宣告を受けました。自らの死を覚悟した現在、加治川さんが11歳の一人娘へのメッセージとして伝えたい言葉を託した、100本以上のYouTube動画や、著書『お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことば』(扶桑社刊)は、「家族愛を感じる」内容だと大きな話題を呼んでいます。 そして、2023年8月26日~27日放送の日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う46』で、加治川さんが家族と共に北アルプスの登山に挑戦! そこで、『24時間テレビ46』の登山企画に参加した加治川さんに、その感想を伺いました。
◆若かりし日に登った、北アルプスの登頂を目指す!
そもそも4月に35年ぶりに旧友に再会した後、彼と槍ヶ岳で撮った昔の写真を見た娘の風花さんから「この山はどこ? ここは私でも登れる?」と聞かれたという加治川さん。
そこで、「ここは登れないけど、ここがよく見える山は登れるかもしれない」と思い、8月の夏休みに北アルプスに登ろうと計画していたという。
「その直後に24時間テレビから取材の依頼があったんです。スタッフさんから「夏の予定は?」と聞かれ北アルプス行こうと思っているという話したところ「同行させてください」という話になりました。そして、親子3人での登山企画がスタートしたんです。
『24時間テレビ』はチャリティの要素が強く、自分がYouTubeを運営する際の『より多くのガン患者さんに笑顔になってもらいたい』という主旨にも合っていると思ったんです。だから貴重な機会なので引き受けることを決めました」
◆槍ヶ岳が見えるルートを模索
企画がスタートして、最初に検討したのは「どの山に登るのか?」でした……。
「番組スタッフの方と、どの山に登るかを検討していて、まず名前が挙がったのが、北アルプスの燕岳(つばくろだけ)でした。そこに自分は若い頃に北アルプスの山小屋で働いていたことがあり、歩き慣れている山なので、『もう一度登ってみたい』と思ったからです」
ルートは、中房温泉を出発して北アルプス三大急登の合戦尾根を登り燕岳(標高2763メートル)から大天井岳(おてんしょうだけ・標高2922メートル)を経由して日本100名山でもある常念岳(じょうねんだけ・標高2857メートル)を目指す北アルプスの“パノラマ銀座”縦走するというもの。パノラマ銀座という名前の通り、槍ヶ岳から穂高連峰が見渡せる眺望に富んだルートです。
「北アルプスの中では比較的登りやすい上、初日に燕山荘(えんざんそう)にさえ辿り着ければ、それ以降は高低差が少ないし、槍ヶ岳がキレイに見えるルートです。体が弱っている自分はもちろん、11歳の娘や奥さんも登りやすいし、楽しめそうだなと思ったのも決め手でしたね」
◆近場の山である大山でトレーニングも実施
登山決行の日は7月下旬と決まったものの、登山経験者である加治川さん以外、奥さんと娘さんについては山登り経験はゼロ。なので、いきなり北アルプスに挑戦するのは危険だと判断し、登山のトレーニングを実施したそうです。

そして迎えた7月30日。長野県松本市に入り、7月31日から8月2日まで2泊3日をかけて撮影クルーとともに登山をスタート。当初は「登頂できる可能性は50%くらい」と思っていたものの、番組スタッフのおかげで、その不安はかなり払しょくされていたとか。
「今回の撮影に同行してくださったクルーの方々は、山のプロフェッショナル集団だったんです。僻地のロケになれているので、登山の技術も自分より上のレベルの人ばかり。また、万が一の場合に備えて、ドクターも旅に同行してくれました。そんなプロ集団と一緒に行けたのは、とても心強かったです」
鉄壁のスタッフに加えて、思わぬ偶然も加治川さんに味方します。
「テレビ局の方が、山岳ガイドさんを雇ってくれたんです。そのガイドさんが、自分が山小屋でアルバイトしていた時の同僚で……。『こんな偶然あるんだ!』と本当にびっくりしました。おかげで、とても気持ちがリラックスしましたね」
◆登山初日にかかったドクターストップ!
しかし、いざ登山が始まってみると、ガンに冒された身体では、なかなか思うようには進めないという現実が。家族やスタッフのサポートはありつつも、精神的にも体力的にも「キツかった」と語ります。
「最もきつかったのは初日でした。若い頃は30分で登れたルートが、気付いたら1時間かかってしまう。このペースだと大分苦戦するな……と嫌な予感がしました」
あまりにも辛そうな加治川さんの様子を見かね、初日の夜、ドクターから告げられたのは2日目以降のルート変更の提案でした。ただ、加治川さんとしては、初日が一番高低差の多いルートだとはよくわかっていたため、事前に何度も打合せをして、このルートを決めて、散々準備してきたのに、それを変更されるのは困る……と大きく反発したそうです。
『そもそもガン患者が登山をする時点で、100人の医者が全員ストップをかける行為だとわかっています。もし、ドクターの言葉を素直に聞くような人間だったら、わざわざここにきて山に登ったりしません。それでも、この企画に参加しているのは、それなりの気持ちがあるからこそ。あと、“もうこれ以上はダメだ”という体調については、自分も経験上よくわかっているので、やらせてください』と。そこまで伝えたら、ドクターも理解を示してくれて『わかりました、当初のルートを進みましょう』と言ってくれました」
◆家族への負担や登頂へのプレッシャーは「きつかった」
「初日を越えられれば、あとは大丈夫」と考えていた加治川さんですが、一方、登頂できるかどうかについては、ずっとプレッシャーは感じ続けていたそうです。また、心配だったのは、登山初心者の家族への負担について。
「今回登ったのは、いわゆる北アルプスの中での初心者コースなんですが、自分自身も経験者ではありますが、やはり数十年ぶりに登ってみると、結構きつい。『もう現役じゃないんだな』と痛感しました(笑)。そんな中、奥さんや娘は大丈夫だろうかとずっと不安だったのですが、彼女たちは文句も言わずにつきあってくれた。本当にありがたかったです」
◆娘と一緒に自然や動物と触れ合えたのは、良い思い出に
ご自身の体調とも向き合いながら、さまざまなハプニングもある登山旅となったものの、「結果的には本当に良い思い出になった」と加治川さんは続けます。
「自分が病気になって、『あと半年』と言う余命宣告を受けて……。この数年間は本当にいろんなことがありました。そんな中、正直、人生でもう一度長野の山に登れる機会があるなんて、思ってもいませんでした。山小屋で働いていた頃の同僚に偶然遭遇できたし、娘が見たがっていたきれいな花やライチョウなどの珍しい動物なども見ることができた。家族と一緒に登れて、本当に幸せでした」
加治川さんは無事に登山を達成できたのか? それは『24時間テレビ』内で放送されます(27日午前10時30分放送予定)。
加治川健司(かじかわ・けんじ)1969年、東京都生まれ。1987年に高校卒業後に自転車で日本一周を達成する。1988年には、カナダ・ユーコン川でカヌーツーリング、チリでパタゴニアトレッキングなどを行うなど、世界での生活を送る。帰国後の1990年に就職をするも、1998年に島根県に移住して林業家となる。2001年に結婚、2012年5月に長女が生まれる。2019年6月、結節性リンパ球優位型ホジキンリンパ腫のステージIVが発覚。2回の抗がん剤治療を行うが、がんが再発。その後、悩みぬいた末に治療をしない決断をする。2022年2月、医師から「余命半年」の宣告を受ける。同月、娘に自分の想いを残すために、YouTube「ジャムミント」を始める。