この日、音楽・エンターテイメントの専修学校「東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校(TSM)」(東京・西葛西)では、K-POPアイドル練習生を選抜する韓国芸能事務所のオーディションが開催されていた。
校舎1階に出来ていたのは長い行列。10代を中心とした若い男女が緊張した面持ちで受付を待っている。黒いユニフォーム姿のスタッフが彼らを待ち受け、審査会場へと誘導していく。応募総数900名のこのオーディション。それでも滞ることなく、手慣れた様子で受付作業を進めるスタッフたちの年齢は思いのほか若く、応募者たちと同世代のようにも見える。実はTSMに通う20歳前後の学生がスタッフを務めているのだ。
なぜ学生が韓国芸能事務所のオーディション運営に携わっているのか。
’88年の開校以来、音楽・エンターテイメント業界で即戦力となる人材を輩出してきたTSMは、’18年と’20年にK-POPに特化した2つの専攻を開設した。1つがアーティスト志望者に向けた「K-POPダンサー&アーティスト」専攻(以下アーティスト専攻)。
もう1つがK-POP業界への就職希望者人に向けた「K-POPアーティストマネージャー」専攻(以下マネージャー専攻)だ。オーディションスタッフは、後者のマネージャー専攻に通う学生たちが中心メンバーとなり、実践授業の一環として、オーディションの運営全般を担っているのである。
近年、日本人のK-POPアイドルが次々と誕生しているが、アイドル志望者に留まらず、K-POP業界で働くことを切望する若者が増えているという。
アーティスト専攻、マネージャー専攻の企画に携わり、現在は高等課程総合音楽科を担当する加藤洋介さんは、こう説明する。
「‘17年ころからK-POPアイドル・アーティスト志望者が増えるにつれ、アイドル志望者だけでなく、K-POPに携わる仕事がしたいという就職希望の声も多く聞こえるようになりました。
今の若者にとって韓国は憧れの対象。K-POPが世界のトレンドを作っているのだという意識が強い。グローバル化したK-POP業界で働くことに価値を見出しているのだと思います」
国内外にある41の姉妹校のうち12校にK-POP関連の専攻を開設。現在では、アーティスト専攻に約900名、マネージャー専攻に約200名の在校生がいる。
マネージャー専攻ではどんな仕事を視野にカリキュラムが組まれているのか。
「就職先は主に芸能事務所になります。仕事はマネージャー、新人開発、ファンクラブ運営、グッズの企画・開発、イベント企画・制作、プロモーション関連。また、チケッティングや物販といったコンサートまわりの仕事まで視野に入れています。
韓国ではCDを作るのも販売するのも、コンサートの運営もすべて芸能事務所が担っています。ファンクラブのあり方も日本と異なり、ファンが作ったファンクラブを公式ファンクラブとして認めていますし、ファンが作った画像を公式に使用したりする。
こうしたK-POP業界の構造や仕組み、また、芸能事務所ごとの違いを学びます。そのほか、プロデュース力、企画力、韓国語・英語といった語学。映像編集やマーケティングといった音楽ビジネスに必要なカリキュラムも取り入れています」
TSM がコンセプトにしてきたのは、「業界の求める人材を業界とともに育成する」こと。産学連携で行なう実践型授業を「企業プロジェクト」と呼び、力を注いできた。
マネージャー専攻の学生に課される企業プロジェクトが、冒頭で書いた韓国芸能事務所のオーディション運営だ。
オーディションは各地の姉妹校で頻繁に実施されており、学生たちは、その都度、十数人でチームを組み、応募者を集めるためのプロモーションから、会場設営、当日の受付、案内、撮影といった運営業務のすべてを担う。
「韓国からは審査員が1~2名来日しますので、彼らのサポートも務めます。世界で活躍している有名アーティストを発掘した新人開発担当者が来日することもあり、刺激をいただくこともありますし、審査する姿を間近に見て、多くを学んでいきます。
審査員には学生たちの仕事ぶりを厳しい目で見てもらっています。そこで高い評価を得られ、内定が決まる場合もあります。毎回、私は学生たちに『控え室の椅子の並べ方まで見られているよ』と伝えるのですが、回を重ねるうちに自分が何を求められ、何をすべきかに気づくことができ、自発的に行動を起こせるようになる。現場経験を積むことの大切さはここにあります」
一昨年TSMに入学した山口月碧さん(20歳)は、これまで30回以上ものオーディションの運営に携わってきた。常に意識しているのは、「応募者たちに、『応募して良かった』と思ってもらえるようにすること」だと語る。
「オーディション当日は応募してきた人にとって人生で重要な一日。有意義に過ごしてほしいので、そのためにできることは何かを考えます。例えば、待ち時間に快適に過ごせるような待機場所を設けたり、移動がスムーズにできるよう導線を確保したり。迷ったり不安になったりしないようきちんと注意事項を伝えておくことを心がけています」
高校生の時にK-POPの魅力にハマり、「キラキラしている韓国アイドルを支えるマネージャーになりたい」という目標ができた。入学後は、オーディションの運営に携わるうちに、新人開発という仕事にも興味が沸いたという。
「会場で審査員のそばに立っていると、どういう人が練習生に求められるのかが少しずつわかってきて、新人を発掘する仕事にも関心を持ちました。将来は、韓国で働けたらいいなと思いますが、まずは日本支部のある韓国芸能事務所に就職できればと思っています」
韓国芸能事務所は日本人スタッフにどういうスキルを求めているのだろうか。
最近では、インスタやX(旧ツイッター)に載せるための画像やテロップを入れる映像編集スキルを求められる傾向にあるというが、最も必要とされているのは、「人間力やコミュニケーション能力」だという。
「この人と一緒に働きたいと思わせる人間力。そして、韓国語を含めた高いコミュニケーション能力です。K-POP業界での就職を希望する日本人が増えていることもあり、韓国側が求める質はより上がっています」
マネージャー専攻の開設は間もないが、韓国芸能事務所への就職を実現させた卒業生は多数いるという。韓国語が長けており本社採用を決めた人もいるが、多くは日本支社での採用だ。
「受け入れ側のK-POP業界には、日本の巨大マーケットを攻略したいという思いが強くあります。日本に向けたプロモーションには、日本を理解している日本人スタッフは不可欠。今後もこの傾向は続くと思います」
K-POPの世界的人気が高まるにつれ、映像クリエーターやヘアメイクといった専門職から芸能事務所のスタッフまで、韓国でK-POP関連の仕事に就きたいという人が増えており、世界中から人材が集まっていると聞く。近い将来、そのなかに第一線で活躍する日本人はどのくらい誕生しているのだろうか。今後は、K-POP業界を支える日本人の存在にも着目して見ていきたい。
取材・文:辻啓子