24歳で全身性エリテマトーデス(SLE)を発症したえりこさん(仮称)。ステロイドパルス療法を受け、入退院を繰り返していましたが、妊娠・出産のため治療を一時中断し、無事2児を出産。その後、強皮症も合併したというえりこさんに、闘病生活や出産について話を聞かせてもらいました。 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年6月取材。

体験者プロフィール:えりこさん(仮称) 1978年生まれ、北海道札幌市在住。夫、息子(中3)、娘(中1)の4人暮らし。2002年、全身性エリテマトーデス(SLE)を発症。発症時の職業は夜勤もある病棟看護師。ステロイドパルス療法を受け、入退院を繰り返すが、妊娠を希望し2005年に大学病院へ転院。免疫抑制剤治療を1年ストップし、2007年に長男を、2009年に長女を出産。2017年には強皮症を発症し、6本の指が壊死した。これをきっかけに看護師の仕事は退職し、現在はオンライン書道教室を営みつつ、闘病しながら子育てする人を応援するピアサポート活動(てくてくぴあねっとhttps://tekutekupeer.com)をしている。 記事監修医師:副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。 痛みで一睡もできない日々が続き入院を決意 編集部 全身性エリテマトーデス(SLE)が判明した経緯について教えてください。 えりこさん 雨の日や湿気の多い日に関節痛が出るようになり、冷たいものを触ったときや寒い場所で指先が白や紫色になるレイノー症が出てきました。今思えば、顔に蝶形紅斑(頬の両側に現れる蝶が羽を開いたような赤い発疹)も出ていました。その後、毎月38度以上の熱が出るようになり、おかしいと思うようになりました。 編集部 たしかに普通ではないですね。 えりこさん 一度熱が出ると1週間は下がらないため、微熱程度なら解熱剤を飲んで働いていました。発症の2年前(2000年ごろ)から時々関節痛やレイノー症の症状がありましたが、そのときはまさか自分が病気であるとは思ってもみませんでした。 編集部 病院を受診したきっかけを教えてください。 えりこさん ある日、足がパンパンに浮腫んでいて、腰も痛かったので病院へ行きました。そのときはネフローゼ症候群と診断され入院をしました。検査をするうちに膠原病のSLEであることが判明し、すぐにステロイドパルス療法を行いましたが、なかなか腎臓の症状が落ち着かず、3か月ほど入院しました。ステロイドの使用は5mgが目標で、またこれから生涯の付き合いになる予定だと説明がありました。 編集部 その後の治療効果はいかがでしたか? えりこさん やがてSLEの症状は落ち着きましたが、今度は強皮症になってしまいました。強皮症の始まりは、レイノー症からでした。もともと冬場になるとレイノー症がよく出ていましたが、仕事で手を温める時間もなく運転をしていました。ふと、自分の手の色がおかしいことに気が付きました。いつもなら、しばらくして色が戻るはずのレイノー症ですが、紫になったまま戻らなくなってしまいました。温めても赤紫にしかならず、痛みもありました。痛みが強くなり、ついにかかりつけの大学病院へ行ったのは鎮痛剤(ロキソニン)が効かなくなって寝られない日々が1週間続いた頃でした。 編集部 なかなか入院する決心がつかなかったそうですね。 えりこさん すぐに入院と言われていたのですが、仕事を辞めると生活が心配でしたし、職場にも迷惑がかかると思い、一度入院を断りました。血管拡張剤を毎日外来で点滴してもらいましたがあまり効果はなく、痛みの限界を感じ、結局入院を決めました。その時には指先は木炭のように黒くなっていました。指先の痛みはじっとしていると強くなりますので、昼夜問わず気を紛らわせていないと耐えられませんでした。眠くても痛みで10分くらいしか寝られず、夜も歩き周ったり、イタイイタイと言いながら耐えたりする日々が1か月ほど続きました。結局、検査や所見から、強皮症という診断が出ました。 編集部 強皮症はどのように改善したのでしょうか? えりこさん 発症時に壊死した6本の指先を切断するかどうかの確認で、形成外科を受診したときに勧められたのが高気圧酸素治療でした。半信半疑でしたが1か月半の治療で切断を防ぐことができ、細い血管も再生しました。また、肺高血圧症の治療が強皮症による手指壊死にも効果があるとのことで、血圧の薬と血液をサラサラに保つ点滴、免疫抑制剤の治療も行いました。 闘病中に2人の子どもを出産 編集部 SLEの発症の原因で思い当たる節はありましたか? えりこさん 結婚を機に引っ越しをしたため、環境の変化によるストレスや頼まれると断れない性格で訪問看護の仕事をたくさん入れてしまったことによる疲労の蓄積など、さまざまな要因が引き金になったのかもしれません。 編集部 病気が判明したときの心境について教えてください。 えりこさん SLEの診断がついたときには安心しました。ようやく適切な治療を受けられると思いましたし、ようやく症状を改善させることができるかもと期待もしました。強皮症にもなったことで、膠原病を患うことの大変さを身をもって知りました。また、生きがいであった訪問看護の仕事ができなくなると絶望し、生きている意味があるのだろうかと考えたり、落ち込んだりすることもありました。 編集部 発症後、生活にはどのような変化がありましたか? えりこさん SLE患者は、紫外線を浴びない生活を送らなければならないため、海やアウトドアを楽しむことができなくなりました。また、すぐに疲れるので無理のない生活をするようにしました。ほかにもステロイドを内服しているので、感染症には気を付けるようになりましたね。また、強皮症で指が使えなかったので、フォークでラーメンを食べたりスプーンでご飯を食べたりするようになりました。現在も壊死した指の感覚は鈍感なため、家事は家族で分担してやってくれています。特に料理は難しくなりましたが、主人がほどんと作ってくれるようになり、今では夫と二人で台所に立つのが当たり前になっています。 編集部 SLEの治療中に出産されたそうですね。 えりこさん はい。2児の母になりました。第1子のときは、妊娠時7.5mgだったステロイドの量を、出産までに5mgまで減らしました。出産は、胎児の心拍が下がり緊急帝王切開をしました。 編集部 それはSLEが影響していたのでしょうか? えりこさん いいえ。SLEではなく、回旋異常で胎児が出てこられなかったためでした。帝王切開で出産した翌日には担当医の指示でステロイドを10mgに増量しましたが、2日目からはまた5mgに減らしました。産後はだるさもありましたが、特に再燃はありませんでした。第2子の時は、ステロイドの量は5mgのままでした。 編集部 病気に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。 えりこさん 一番は子どもたちです。次に、同じ病気であったり、同じく闘病をしながら子育てをしたりしている方々とのSNSのつながりです。ほかには、趣味に没頭することですね。 病気でも未来を選ぶ権利は誰にでもある 編集部 現在の体調や生活の様子について教えてください。 えりこさん たまに予定を入れすぎて体調を崩すことはありますが、再燃もなく、症状は安定しています。ボランティア活動や趣味を無理のない範囲で楽しんでいます。 編集部 もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか? えりこさん 「無理しないで、休みなさい。早く入院したほうが、早く退院できるし、迷惑はかからないから、治療を優先してほしい」と伝えます。 編集部 あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。 えりこさん 病気の症状が出ている人を邪魔な存在として扱うのではなく、理解を示してもらえるとありがたいです。病気になりたくてなっている人はいません。また、病気でもやりたいことや、未来を選ぶ権利は同様にあることも分かってほしいです。 編集部 医療従事者に望むことはありますか? えりこさん いつもお世話になり、感謝の気持ちしかありません。 編集部 最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。 えりこさん なかなか診断がつかず、しばらく辛い症状が続く場合がある病気ですし、治療はステロイドを多く使用することもあって、見た目に変化が出てしまうことなどから、病気であることを責めたり、落ち込んだりすることもあると思います。そんな時は一人で悩まず、気持ちにふたをせず、アウトプットする場をもってほしいと思います。患者会などで自分の経験や悩みを話すことで、気持ちの整理もできます。また、当事者同士の繋がりを持つことで、元気を分け合うことができ、助け合うこともできるはずです。無理をせずに、マイペースで共に歩んでいきましょう。 編集部まとめ 自分の身体の不調に気がつきながらも、仕事を休むと迷惑がかかってしまうという責任感からなかなか入院を決断することができなかったえりこさん。「自分の体調が安定するペースを見つけ、それについて罪悪感を持たないでください。自分にOKを出してあげてほしいです」とおっしゃっていたのが印象的でした。SLEに限らず、何かしらの病気を抱えている人すべてに届いてほしいと思いました。治療体験を募集しています
24歳で全身性エリテマトーデス(SLE)を発症したえりこさん(仮称)。ステロイドパルス療法を受け、入退院を繰り返していましたが、妊娠・出産のため治療を一時中断し、無事2児を出産。その後、強皮症も合併したというえりこさんに、闘病生活や出産について話を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年6月取材。
体験者プロフィール:えりこさん(仮称)
1978年生まれ、北海道札幌市在住。夫、息子(中3)、娘(中1)の4人暮らし。2002年、全身性エリテマトーデス(SLE)を発症。発症時の職業は夜勤もある病棟看護師。ステロイドパルス療法を受け、入退院を繰り返すが、妊娠を希望し2005年に大学病院へ転院。免疫抑制剤治療を1年ストップし、2007年に長男を、2009年に長女を出産。2017年には強皮症を発症し、6本の指が壊死した。これをきっかけに看護師の仕事は退職し、現在はオンライン書道教室を営みつつ、闘病しながら子育てする人を応援するピアサポート活動(てくてくぴあねっとhttps://tekutekupeer.com)をしている。
記事監修医師:副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
編集部
全身性エリテマトーデス(SLE)が判明した経緯について教えてください。
えりこさん
雨の日や湿気の多い日に関節痛が出るようになり、冷たいものを触ったときや寒い場所で指先が白や紫色になるレイノー症が出てきました。今思えば、顔に蝶形紅斑(頬の両側に現れる蝶が羽を開いたような赤い発疹)も出ていました。その後、毎月38度以上の熱が出るようになり、おかしいと思うようになりました。
編集部
たしかに普通ではないですね。
えりこさん
一度熱が出ると1週間は下がらないため、微熱程度なら解熱剤を飲んで働いていました。発症の2年前(2000年ごろ)から時々関節痛やレイノー症の症状がありましたが、そのときはまさか自分が病気であるとは思ってもみませんでした。
編集部
病院を受診したきっかけを教えてください。
えりこさん
ある日、足がパンパンに浮腫んでいて、腰も痛かったので病院へ行きました。そのときはネフローゼ症候群と診断され入院をしました。検査をするうちに膠原病のSLEであることが判明し、すぐにステロイドパルス療法を行いましたが、なかなか腎臓の症状が落ち着かず、3か月ほど入院しました。ステロイドの使用は5mgが目標で、またこれから生涯の付き合いになる予定だと説明がありました。
編集部
その後の治療効果はいかがでしたか?
えりこさん
やがてSLEの症状は落ち着きましたが、今度は強皮症になってしまいました。強皮症の始まりは、レイノー症からでした。もともと冬場になるとレイノー症がよく出ていましたが、仕事で手を温める時間もなく運転をしていました。ふと、自分の手の色がおかしいことに気が付きました。いつもなら、しばらくして色が戻るはずのレイノー症ですが、紫になったまま戻らなくなってしまいました。温めても赤紫にしかならず、痛みもありました。痛みが強くなり、ついにかかりつけの大学病院へ行ったのは鎮痛剤(ロキソニン)が効かなくなって寝られない日々が1週間続いた頃でした。
編集部
なかなか入院する決心がつかなかったそうですね。
えりこさん
すぐに入院と言われていたのですが、仕事を辞めると生活が心配でしたし、職場にも迷惑がかかると思い、一度入院を断りました。血管拡張剤を毎日外来で点滴してもらいましたがあまり効果はなく、痛みの限界を感じ、結局入院を決めました。その時には指先は木炭のように黒くなっていました。指先の痛みはじっとしていると強くなりますので、昼夜問わず気を紛らわせていないと耐えられませんでした。眠くても痛みで10分くらいしか寝られず、夜も歩き周ったり、イタイイタイと言いながら耐えたりする日々が1か月ほど続きました。結局、検査や所見から、強皮症という診断が出ました。
編集部
強皮症はどのように改善したのでしょうか?
えりこさん
発症時に壊死した6本の指先を切断するかどうかの確認で、形成外科を受診したときに勧められたのが高気圧酸素治療でした。半信半疑でしたが1か月半の治療で切断を防ぐことができ、細い血管も再生しました。また、肺高血圧症の治療が強皮症による手指壊死にも効果があるとのことで、血圧の薬と血液をサラサラに保つ点滴、免疫抑制剤の治療も行いました。
編集部
SLEの発症の原因で思い当たる節はありましたか?
えりこさん
結婚を機に引っ越しをしたため、環境の変化によるストレスや頼まれると断れない性格で訪問看護の仕事をたくさん入れてしまったことによる疲労の蓄積など、さまざまな要因が引き金になったのかもしれません。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
えりこさん
SLEの診断がついたときには安心しました。ようやく適切な治療を受けられると思いましたし、ようやく症状を改善させることができるかもと期待もしました。強皮症にもなったことで、膠原病を患うことの大変さを身をもって知りました。また、生きがいであった訪問看護の仕事ができなくなると絶望し、生きている意味があるのだろうかと考えたり、落ち込んだりすることもありました。
編集部
発症後、生活にはどのような変化がありましたか?
えりこさん
SLE患者は、紫外線を浴びない生活を送らなければならないため、海やアウトドアを楽しむことができなくなりました。また、すぐに疲れるので無理のない生活をするようにしました。ほかにもステロイドを内服しているので、感染症には気を付けるようになりましたね。また、強皮症で指が使えなかったので、フォークでラーメンを食べたりスプーンでご飯を食べたりするようになりました。現在も壊死した指の感覚は鈍感なため、家事は家族で分担してやってくれています。特に料理は難しくなりましたが、主人がほどんと作ってくれるようになり、今では夫と二人で台所に立つのが当たり前になっています。
編集部
SLEの治療中に出産されたそうですね。
えりこさん
はい。2児の母になりました。第1子のときは、妊娠時7.5mgだったステロイドの量を、出産までに5mgまで減らしました。出産は、胎児の心拍が下がり緊急帝王切開をしました。
編集部
それはSLEが影響していたのでしょうか?
えりこさん
いいえ。SLEではなく、回旋異常で胎児が出てこられなかったためでした。帝王切開で出産した翌日には担当医の指示でステロイドを10mgに増量しましたが、2日目からはまた5mgに減らしました。産後はだるさもありましたが、特に再燃はありませんでした。第2子の時は、ステロイドの量は5mgのままでした。
編集部
病気に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。
えりこさん
一番は子どもたちです。次に、同じ病気であったり、同じく闘病をしながら子育てをしたりしている方々とのSNSのつながりです。ほかには、趣味に没頭することですね。
編集部
現在の体調や生活の様子について教えてください。
えりこさん
たまに予定を入れすぎて体調を崩すことはありますが、再燃もなく、症状は安定しています。ボランティア活動や趣味を無理のない範囲で楽しんでいます。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
えりこさん
「無理しないで、休みなさい。早く入院したほうが、早く退院できるし、迷惑はかからないから、治療を優先してほしい」と伝えます。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
えりこさん
病気の症状が出ている人を邪魔な存在として扱うのではなく、理解を示してもらえるとありがたいです。病気になりたくてなっている人はいません。また、病気でもやりたいことや、未来を選ぶ権利は同様にあることも分かってほしいです。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
えりこさん
いつもお世話になり、感謝の気持ちしかありません。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
えりこさん
なかなか診断がつかず、しばらく辛い症状が続く場合がある病気ですし、治療はステロイドを多く使用することもあって、見た目に変化が出てしまうことなどから、病気であることを責めたり、落ち込んだりすることもあると思います。そんな時は一人で悩まず、気持ちにふたをせず、アウトプットする場をもってほしいと思います。患者会などで自分の経験や悩みを話すことで、気持ちの整理もできます。また、当事者同士の繋がりを持つことで、元気を分け合うことができ、助け合うこともできるはずです。無理をせずに、マイペースで共に歩んでいきましょう。
自分の身体の不調に気がつきながらも、仕事を休むと迷惑がかかってしまうという責任感からなかなか入院を決断することができなかったえりこさん。「自分の体調が安定するペースを見つけ、それについて罪悪感を持たないでください。自分にOKを出してあげてほしいです」とおっしゃっていたのが印象的でした。SLEに限らず、何かしらの病気を抱えている人すべてに届いてほしいと思いました。