家事も育児も率先して引き受け、さらに妻へのケアも欠かさない。そんな夫がいたら「何の文句もない。毎日幸せでニコニコして暮らせる」と言った女性がいる。大半の夫は、家事も育児も言われて仕方なしにしているところがあるのだろう。
実際にそんな男性と結婚して8年経つ女性がいる。だがイケメンでイクメンの夫が、ある日突然、妻に別の顔を見せたとしたら……。
いつも「いい夫」「いい父」だったけど「うちの夫は私が嫉妬するくらい、子どもに好かれているし、近所の奥さんたちにも『いいダンナさんね』と言われるんです。私もそうだと思っていました」
チヅルさん(39歳)は、少し浮かない顔でそう言った。結婚して8年、6歳と4歳の子を共働きで育てている。2歳年上の夫は、客観的に見ても、いわゆる「イケメン」だ。180センチ近い身長で引き締まった体、顔は俳優の斎藤工似だという。写真を見せてもらうと、確かに斎藤工をちょっと渋くした感じのイケメンが写っていた。
「こんな顔をしながら、外でもかっこつけずに子どもを抱いたりおんぶしたりする。こんなかわいい子どもたちを産んでくれたきみを、僕は一生大切にすると言ってくれたこともあります。いつでも夫の愛情を感じていたし、誰からも羨ましがられるくらいステキな夫だった」
しかもその“ステキ”な彼は、独身時代、友だち主催の飲み会で知り合い、ずっとチヅルさんにアプローチし続けてくれたのだ。チヅルさんは、「こんなかっこいい人だから彼女がいるに違いない」と思っていたし、こういう人と付き合ったら浮気ばかりされて苦しむだろうとも考えていた。
ところが彼はめげることなく1年間、ずっと彼女をデートに誘ってきた。本気なんだ、とにかく一度デートしよう、と。明るい彼に根負けして付き合ったら、彼の魅力に取りつかれたとチヅルさんは言う。
「どこからどう見ても、かっこいいしいい人だし。結婚を決めて親に会わせたときも、彼はとても低姿勢で、『僕がチヅルさんを幸せにするなんて断言はできないけど、僕はチヅルさんといると幸せなんです』と言って両親を笑わせていました。
結婚してからも家事はどんどんやってくれるし、子どもが産まれてからは育児も7割くらいやってる。しかもマンションの自治会の仕事もしてるし、最近は町内会にも顔を出したりして。近所とうまくやっていったほうがいいというのが彼の持論みたい」
ひょっとしたら自己陶酔?幸せな日々を送っていたチヅルさんだが、上の子が小学校に入った昨年以降、ときどき夫の言動に「あれ?」と思うことがあった。
「昨年の暮れ、仕事納めだった日に帰宅した夫の顔を見たら、なんだかヘンなんです。マスクをとるとあちこち腫れてる。どうしたの? と聞いたら、コラーゲンを入れたんだって。美容に興味なんてあったのかと違和感を覚えました。
子どもの学校でも、夫は結構な人気者なんですよ。『やっぱりかっこよくないとオレじゃないからさ。子どもやきみのためにも』なんて言い訳してたけど、その後、目の下の脂肪をとりたいとか、最近ではお腹の脂肪吸引しようかなとか言い出して」
男女問わず外見に自信のある人は、少しでも衰えることが許せないのかもしれない。だがチヅルさんは、夫には実はいろいろなコンプレックスがあるのではないか、それを隠すために人に好かれようとして必死なのではないか、そしてそうしている自分に酔っているのではないかと思うようになっていった。
「夫はずっといい人を演じてきたのではないか。そんな気がしてきたんです」
それが確信に変わったのは、夫が残業だと言ってなかなか帰宅しない日のことだった。深夜になって翌朝の牛乳を買い忘れていたことに気づいたチヅルさんは、すぐ近くのコンビニへと走った。コンビニの隣には小さな公園がある。
牛乳を買って帰ろうとしたとき、公園にちらりと見えた人影は夫だった。小さなブランコに座ってじっとしていた。酔いをさますためにいるのだろうと近寄ってみると、夫は恐ろしく暗い顔をしていた。
「話しかけるのもはばかられるくらい、暗くて冷たい表情でした。しばらくすると携帯を取り出してメッセージか何かを打ち込んでいるようなそぶり。
するとすぐ電話がかかってきたんですが、夫は出るなり『オレには家庭があるってわかってただろうが。とにかくおまえが生きていたかったら連絡してこないでくれ』と脅すように言って切ってしまった。ものすごく怖かった。あんな夫の顔も声も初めてでした」
ただそれから数週間後、共通の友人から夫と同じ部署で働いていた女性が突然、行方をくらまし、大きな話題になっていると聞いた。夫は一言もそんなことを言わなかった。そんな大事件があったのならすぐにでも妻に言いそうなのに。
「夫は不倫していて、彼女に一方的に別れを告げた。それを悲観した彼女がいなくなったんじゃないでしょうか」
真相はわからない。あれからも夫はイケメンのイクメンだし、明るく過ごしてはいる。だが、つい先日は家の中でも、あの公園にいたときと同じような凄惨(せいさん)な表情で洗面所の鏡に見入っている夫を見てしまった。
「この人には私の想像もつかないような一面がある。そう思いました。他人に見せる顔と、ひとりだけのとき、あるいは個人的に会っている女性を振り捨てたときのような顔。私はまだまだ夫のことがちっともわかっていない。そんな気がしています」
踏み込んで知る必要があるのだろうか……チヅルさんは迷っている。
夫といえども他人である。わからなくて当然だし、知らない一面を見るのは怖いと話す。人間はさまざまな面をもっているが、あの電話で聞いた夫の冷たさもまた真実ではある。いつかその面が家族に向くときもあるのだろうかとチヅルさんは沈んだ声で言った。