※本稿は、西島暁子『魂の精神科訪問看護』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
統合失調症とは、脳のさまざまな働きをまとめられなくなり、考えや気持ちがまとまらない精神状態が続く病気です。
幻覚や妄想などが起こり、本当は言われていないのに悪口を言われたと思い込んだり独り言が増えたりします。
統合失調症には陽性症状と陰性症状があります。
陽性症状は幻覚が見えたり幻聴が聞こえたり、ありもしない妄想を信じ込んだりなど、現実にはあるはずがないものが現れる状態です。
現実にはなにも起きていないのにいじめを受けたと思い込んだり、誰かに監視されていると思い込んだりする人もいます。
妄想や幻覚は非常にはっきりと見えたり聞こえたりすることもあるので、病気のせいだと気づくことが難しくなります。
これに対して陰性症状は、活動性が低下して感情が現れなくなったり、意欲が低下したりする状態です。
身なりにまったく構わなくなったり入浴しなくなったりするほか、引きこもり状態になるなど、健康なときにはできていたことが失われていきます。
閉鎖病棟には統合失調症の患者も多く入院していました。
統合失調症でも慢性期で陰性症状が強い人だと、さまざまな意欲が低下して自宅では生活が成り立たなくなって入院が必要になることがあります。
こうした患者の場合、24時間ひたすらベッドに横になっているだけで、ひどい場合は褥瘡(じょくそう)ができるまで身動き一つしないこともあります。
褥瘡というのは体の一部が体重で圧迫されて血流が悪くなり、皮膚がただれることです。
寝たきりの高齢者などに起こるもので、若い人に褥瘡ができることなど、普通はほとんど考えられません。
しかし陰性症状が強いケースでは、若くても褥瘡が心配されるほど動かなくなってしまう人もいるのです。
私が経験した陰性症状が強い患者さんで、入院するまで自宅で長い間、引きこもっていて、約10年間一度も入浴していない方がいました。
入院してから入浴させて髪の毛を洗おうとしたのですが、髪の毛がまるでコンクリートのように固まってしまっていてまったく洗うことができませんでした。
おそらく頭皮の脂などがこびりついて固まり、それが少しずつ積み重なってコンクリートのようになってしまったのだと思います。
伸びきってカチカチになった髪の毛を切ろうと思いましたが、とてもハサミが入りません。
最終的にはノコギリのような刃物を使って少しずつ髪の毛を切り取り、頭をぬらし、ふやかしてまた少し髪の毛を切るということを何度も繰り返して、なんとか髪をカットすることができました。
ほかにも宗教が絡んでいるケースも多く見られました。
精神疾患をもつ人は宗教に勧誘されやすい傾向があるほか、病気に悩んだ結果、親が入信してしまうケースもあります。
宗教の教義によっては治療が難しくなるケースもありました。
例えば輸血を拒否する宗教などが知られていますが、輸血ではなくて投薬を拒否する患者が入院してきたケースもありました。
あるとき入院してきた患者の家族はお酒で病気を治すという宗教の教義に従っていて、治療に薬を使わないように要求してきたのです。
しかし精神科の治療というのは大半が薬物治療です。投薬を拒否されたら有効な治療を行うことは不可能です。結局、その患者は早々に退院となりましたが、最後まで家族と何度も交渉することになりました。
攻撃的な患者さんや、看護師に対して敵意をむき出しにする患者さんをケアし続けることは簡単ではありません。
特に最初の頃は強い恐怖を感じたり、自分自身もひどく気持ちが落ち込んで帰ったりする日もありました。
夜寝るときに、翌朝出勤するのが恐ろしく感じることもありました。
翌日が保護室担当の日であったりすれば、それだけで気が重くて仕方なく、朝身支度するのも憂鬱でした。
しかしそれでも私が精神科の看護師を辞めなかったのは、入院治療によって患者さんが平常に戻り、安定して退院していく様子を何度も目の当たりにしたからです。
入院時に暴れたり看護師に罵声を浴びせたり、とてもあり得ない妄想を口走っている人が、薬物療法や電気療法、作業療法などさまざまな治療を受けて、退院時には別人のように穏やかになる様子を何人も見てきました。
入院したときは保護室で叫んでいて、今にも看護師に殴りかからんばかりに暴れていた人が、家族とともにありがとうと感謝の言葉とともに退院していくのです。
このように治療によって本来の姿に戻っていく患者さんを何人も見ていくと、目の前の暴力的な行動や正気とは思えないような暴言は、すべて病気のせいなのだということが納得できるようになります。
するとどれほど嫌なことを言われたり、暴力的な態度を取られたりしても、それに恐怖を感じにくくなっていくのです。
さまざまな問題行動が病気のせいだと自分自身で理解できると、患者さんに対するネガティブな感情も和らいでいきます。
病気に対する知識や理解が深まると、不快な態度を取る患者さんに対して、嫌悪感をもつよりも、どうすればこの患者さんを治療してあげられるかというほうに気持ちが向くようになっていくのです。
また病気に対する理解が深まると、患者さんに対して、恐怖よりも看護師としての興味や好奇心をもつようにもなっていきました。
多様な症状に対しても興味深い思いで観察するようになったり、どのような経過をたどって今の状態になったのか、背景や経歴にも興味をもったりするようになりました。
自分自身のなかで変化が起こってくるにつれて、私はどんどん精神科看護という世界に没頭していったのです。
このように精神科看護に面白さややりがいを感じるようになっていたある日のことでした。
一人の患者さんが保護室に入院してきました。
その患者さんは統合失調症で、現実にはあり得ない妄想を絶えず口走っていました。
驚いたのはその患者さんがまだ中学生で、しかも私の出身中学の生徒だったことです。
それまで私が出会った患者さんはどれほど若くても20歳代くらいで、大半が30代~60代でした。
そのためまだ10代前半の若さで陽性症状の激しい患者さんを見て、強い衝撃を受けました。
今でこそ発達障害などで若い年齢の患者さんが入院することは珍しくありませんが、当時はまだ10代前半の患者さんが入院するのはとても珍しいことでした。
そのような若い年齢の患者さんが宇宙規模や世界規模のあり得ないような妄想を絶えずブツブツとつぶやきながら、ひどい陽性症状で保護室に入れられたのです。
周囲に暴力を振るったり暴れたりするタイプの症状ではありませんでしたが、あまりに妄想がひどく、学校生活を送れるような状態ではありませんでした。
24時間見守っていないと、自分自身をひどく傷つけてしまうリスクもありました。
そのため妄想がある程度治まるまでは、保護室でしっかり薬を飲んでもらうことが必要でした。
その患者さんはしばらく保護室で過ごしたあとに、症状が落ち着いたことを確認してから大部屋へ移動し、やがて退院していきました。
若い患者さんはあまり長く入院はさせないことが多いので、それほど長期の入院ではなかったと記憶しています。
また両親がきちんと投薬管理をしていたようで、退院後に再入院してくることはありませんでした。
しかし統合失調症は治療によって症状が落ち着いても、基本的に一生付き合っていかなければならない病気です。
患者さんは退院後も服薬を継続していないと、普通の生活を送ることが難しい場合が大半です。
まだ10代前半の若さで重度の統合失調症を発症した患者が、その後の人生で困難を抱えることは想像に難くありません。
若い患者さんの場合、自分が原因で病気になったのではない可能性も高いとも考えられます。
なぜこの若さで発症してしまったのか、このあといったいどうなるのか、私はその患者さんのことがその後も頭から離れませんでした。
———-西島 暁子(にしじま・あきこ)ナースサポート.アリス 代表取締役1975年東京都生まれ。 1995年帝京大学医学部入学、1996年都立府中看護学校入学。2012年にナースサポート.アリスを設立。2012年5月にソレイユ訪問看護ステーションをオープン。著書に『魂の精神科訪問看護』(幻冬舎)がある。———-
(ナースサポート.アリス 代表取締役 西島 暁子)