職場やバイト先で理不尽な目に遭ったという人は少なくないだろう。とりわけ、なかには「立場が上」というだけで、高圧的な態度で接してくる上司もいる。フリーランスのウェブデザイナーの恵梨さん(仮名・38歳)は、約15年前に起こった“不可抗力の不倫”を、自分で尻拭いしたという。「大学卒業後、専門学校に進学。学費と生活費のためにバイトを掛け持ちしていました」と、高額な時給のバイトが決まった。落ち着いて学業に専念しようとした時に、予期せぬ出来事が起こったという。
◆パン屋でバイトしていたらスカウト
当時、高額なバイトを紹介されたのは近所のパン屋でバイトをしていた時だった。
「ある日40代後半ぐらいの常連の女性のお客様に挨拶をすると『あなた、学生さんなの? よかったら夫が板前の割烹でスタッフを募集中なの。やってみない?』とスカウトされたんです。場所は港区のビルの地下にある店でした。パン屋のバイトより2倍以上も高い時給を提示されたので、エントリーしました」
有名なエンタメ企業も入っているビルの割烹は、地方の大企業が経営する東京店。店長兼板長やマネージャーはその企業の社員で、アルバイトは全員東京で採用されたスタッフだった。採用された恵梨さんは、明るくてきぱきと仕事をこなし、お客さんからも好かれたという。
◆板長からホテルに誘われる
ところが入社してから2か月後に、不倫の前兆となる出来事が起こった。
「板長兼店長と最寄り駅が同じだったので、一緒に帰ったんです。駅の改札を出て挨拶をしようとしたら、いきなりホテルに誘われて……。まさかと驚きました。板長がバイトの私を誘うなんて、冗談だと思ったんです」
彼氏がいるからとやんわりと断った恵梨さん。ところが翌日から板長兼店長から嫌がらせが始まったという。
◆誘いを断ったら、お店の地下で…
「地下二階の倉庫から食材を持ってくるように命じられるんですが、『頼んだ覚えはない』とか『違う食材だ、やり直し』など、めちゃくちゃなことを言い出して、開店前の準備に間に合わないことが何度もありました。このままではクビにされるかもしれないと危惧を感じたときに、地下に連れていかれたんです」
その日も「頼んだ食材じゃない、何度言えばわかるんだ」と板長に厨房で怒鳴られてから、「一緒に取りに行くぞ」と同行を促された恵梨さんは地下二階の倉庫で、板長から性的な行為を強制されたという。
「板長が自分でズボンのベルトを解いてズボンを脱いだんです。そして性的な行為を一方的に命じられました。『俺の言う通りにしないと、クビにする』と脅迫されて……クビになるとまたパン屋バイトに戻ってしまう。そうなると生活が苦しくなる。高額のバイトを手放したくないという気持ちから、渋々承諾してしまったんです」
有名人や大手企業の役員らが来店する店の板長兼店長は品位のかけらもない、ゲス野郎だった。このことに恵梨さんは打ちのめされたという。
◆出入り業者の八百屋に関係がバレる
当時は板長の行為がセクハラでパワハラだと気づかなかったほど小娘だった、と悔しそうな表情を浮かべる恵梨さん。そのとき彼女に味方が現れる。
「板長の性的行為が1年近く続いた頃でした。お店に出入りしている業者の一人で20代後半の八百屋の男性から付き合ってくれと告白されました」
八百屋の男性は二人の関係を見抜いていた。厨房で板長と二人きりになった恵梨さんが「我慢しているのではないか」と感じた男性は、休日に恵梨さんをお茶に誘ったという。
◆メンタルクリニックを受診するまでに
だが「辞めたいけど、でもすぐに別のバイトが見つかるという保証はない」と不安が募った恵梨さん。とうとうメンタルクリニックで受診したという。
「診察後に処方箋をもらうと、ふと『私は何をやっているんだろう』と我に返りました。両親の反対を押し切って専門学校に進学した私は希望に溢れていました。学業を支えるために必死に頑張ってきたんです。それなのに情けない」
これまで一生懸命に自分の夢を叶えようとしていた。ところが、板長は一生懸命な自分を踏みにじっている。「許せない」と心の底から板長の言いなりになっていたことを後悔し、そして報復に出たのだ。
「休日に板長の自宅に電話をしました。電話に出た奥さんに『大事な話があるので、おうかがいします』と伝えて、自宅に向かったんです」
◆板長の自宅で妻に直談判
途中で板長から電話がかかってきた。お前が何を言っても俺が一切知らないからな、という脅しだったが、それに屈せずに恵梨さんはインターフォンを押した。恵梨さんをパン屋でスカウトした板長の妻が玄関で出迎えると、恵梨さんは深々とお辞儀をして、謝罪した。
「バイトの件でお世話になりました。せっかく素敵なお店をご紹介していただいたのですが、板長からお付き合いを命じられて、『応じなければ解雇する』と言われたので、嫌々お受けしました。でも奥様に対して心苦しくて、精神的に参ってしまってメンタルクリニックに通院しています。バチが当たったんだと思います。本当にごめんなさい。奥様にお詫びします」と、これまでのことを全部打ち明けた。
すると板長の妻が青ざめて、「こっちにきて」とリビングに通された。ソファーに座ってテレビを見ていた板長に、妻が「この子がこんなことを言っているけど、本当なの?」と尋ねる。すると「違う、違う、俺は知らない」と板長はひたすら否定をした。
そこで恵梨さんが妻に対して「本当にすみませんでした」と何度も頭を下げる。妻は「本当なの?」と板長に尋ね、そのたびに「違う、俺は知らない」と否定することが続いた。
◆風の便りで「お店はビルごと消失」
激怒した板長が「何でお前が来たの?」とすごんでから「俺は知らないからな」と居直ったため、とうとう恵梨さんは「八百屋の男性も知っています」と妻に告げると、妻はさっそく八百屋の男性に電話して「今すぐここにきて!」と命じたという。
「その間も板長が私をニラんでいました。でも怖くなかった。これまで我慢していたことを全部暴露したら、せいせいしましたから」
八百屋の男性が到着すると、妻から質問攻めにされた男性は「以前から相談されていて、彼女はかなりつらそうでした」と述べた。すると板長の妻がブチ切れて、夫を往復ビンタ。板長は無言だったという。
翌日、店を辞めた恵梨さんは、すぐに新しいバイトを見つけた。割烹の新しいバイトは年配の女性に決まり、八百屋の男性ともそれきりになったという。今では当時の苦い思い出を乗り越えて、ウェブデザイナーとして活躍する恵梨さん。当時あったお店は、すでにビルごとなくなったと風の便りで聞いたという。
<取材・文/夏目かをる>