人生には思わぬ事態が待ち受けていることもある。三橋大地さん(仮名・20代)は、当初の志望通りシステム開発会社に就職。しかし、結果的に彼は2か月も立たないうちに退職する決断をくだす。一体何があったのか。◆エンジニアとして入社したつもりが…
「システム開発の部署を希望していたのですが、配属されたのは飲食店向けのPOSレジシステムの運用支援と保守の部署。POSレジシステムを購入したお客さんの店舗に出向いて正常に動くか管理し、お客さんからの質問に電話で答えることが主な業務でした」
希望の部署に配属されず、納得がいかない気持ちがあったため、研修が終わったあとに勇気を出して理由を上司に聞いてみた。
「上司にライトな感じで『開発をやりたい』と話すと、『動いているシステムをお客さんがどう使っているかを学んでほしい』と。言いくるめられたような気分でしたが、納得できる部分もあったので、我慢しました……」
◆前日に「12日間の出張」を命じられてしまう
根を張って働いていくことを決意をしたのもつかの間、GW明けから地獄のような日々が始まってしまう。
「先輩社員から突然『明日から12日間高崎に行くから用意しておいてよね』と言われて。新入社員ですし、拒否できるはずもなく、言われるがままについていきました」
そこで待っていたのは信じられない勤務実態だった。
「初日はPOSレジとサーバーの設置で終わったのですが、翌日から朝9時に現場に行き、システムの使い方を従業員に教えるわけです。従業員は朝番、中番、夜番に分かれていますけど、こちらはずっと現場にいなければならない。結局終わるのは23時ごろで……」
◆14時間労働が15日間続く
一過性の忙しさかと思いきや、まだまだ序の口だったという。
「責任者がうるさく『ああしろ、こうしろ』と難癖をつけ始めて……。営業段階で『カスタマイズできる』と言ってしまったらしく、開発部隊に直しを依頼して、システムを更新……その繰り返しで。細かい人物で、なかなか納得してもらえませんでした。怒鳴られたこともありますよ」
途中休みもないなかで死ぬ思いをして、当初の予定だった12日間が経過するも、上司からかけられた言葉に思わず耳を疑ってしまった。
「飲食店がオープンしている間は、営業開始の朝10時から閉店する24時まで現場に立ち会っていました。やっと終わりかなと思ったのですが、客先から『もう少しいてほしい』という依頼が……。すると上司から『三橋だけあと3日残っていろ』と。さすがに頭にきたのですが、どうすることもできませんでした。先輩には『人質にして申し訳ない』と謝罪され、現場の従業員にも同情されていましたね」
◆15日間無休で働いたのに…
高崎での激務を終えても、労いの言葉一つなく、まるで消耗品のような扱いを受けることに。
「ようやく家に帰ることができるようになると、会社から帰り道に1度帰社するようにと。さっさと帰りたいのに、わけがわからず辟易としました。案の定、挨拶がてら軽く話すくらいで、特に必要性は感じられず。
また、15日間無休で働いた分の代休を取ろうとすると、『これからの1週間は不測の事態が発生する可能性もあるから休まず会社に来るように』と命令され、耳を疑いました。休みも満足に取れない状況なのに数日後には『このあと奈良に行ってもらうから』とも言われて。ふざけるなという感じでしたね」
◆この会社で得られた経験は「ゼロ」
さらに給料の面でも、信じられないことが起きていた。
「当然深夜まで働いていたわけですから、残業代がたんまりと出るだろうと。それだけを楽しみにしていましたが、『うちは年俸制だから残業代は出ない』と。さすがに『そんなのはおかしいだろ』と抗議したのですが、『それなら辞めてもらってかまわない』とのことでした」
その後、どうなったのだろうか。
「1日14時間拘束の15連勤なのに、代休・残業代ゼロではやってられないですよ。結局『辞めていい』ということでしたので、お言葉に甘えてその場で辞めさせてもらいました。現在は別の会社でシステムエンジニアをしています。この会社で得られた経験は、ゼロですね」
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過酷な環境で花開く能力もある。それは往々にして処理能力や処世術だったりするものだが、彼の場合は「ヤバい会社はさっさと見切る」という決断力だった。
<TEXT/佐藤俊治>