「あんたは何も知らないだけ」と兄をかばい続ける母…金を無心してくる兄(54)の突然死に、妹が抱いた“複雑な感情” から続く
疎遠だった兄の死を突然知らされ、その後始末に追われた5日間を描いたエッセイ『兄の終い』(村井理子著/CCCメディアハウス)。
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同書から、著者と兄の折り合いが悪くなるきっかけとなったエピソードを抜粋し、掲載する(前後編の後編/前編から読む)。
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30年前に父が死んだとき、葬儀が終わり実家に戻ると、兄は私を徹底的になじった。
葬式中に兄が母に対して、「ろくに看病もせずに親父を死なせたのはあんただ」と言ったから、私は兄に、「ろくに看病をしなかったのは兄ちゃんじゃないか、それまでいちども病院に来なかったのに、パパが危篤になったらようやくやってきて、廊下でママからお金をもらって帰ったじゃないか」と反撃したのだ。
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兄は私を睨みつけたが、親戚の手前、何も言わなかった。その代わり兄は、家に戻った直後に大声で私を罵倒しはじめた。罵倒というよりは恫喝(どうかつ)だった。それはいつまでも続き、母は泣き、私は根負けしてその場から逃げた。
その日を境に、私は兄を兄とは思わなくなり、形式的なつきあいでさえ避けるようになった。母は私と兄の関係に心を痛めたが、最終的に兄の味方をすることを選んだ。私は母との間にも距離を置くようになった。
とうとう兄の引っ越しが決まった日、母は不安そうな声で私に電話をかけてきて、どうしたらいいだろうと言った。
母の声を聞いて暗澹(あんたん)とした気持ちになった。相手が末期がんの母だとわかっていても、「勝手に行かせればいいじゃん」と答えることしかできなかった。母が私に何を求めているのかが理解できなかった。
私にどうしろっていうの? 兄を止めろとでも? 悪いけど、関わり合いになりたくはない。
「近々帰るから」と言うと、私は電話を切った。
この電話から一週間ほどしてからのことだ。母が再び電話をかけてきた。兄が転居先の多賀城市でアパートを借りるが、賃貸契約のために保証人が必要だという。大家さんが、高齢の母以外の保証人をつけて欲しいと言ってきたそうだ。母は、一生のお願いだから、兄のために保証人になってくれと私に懇願した。
私は母の話を怒りに震えながら聞くと、「それは悪いけどお断りします」と言って、勢いよく電話を切った。
すると、直後に兄から電話がかかってきた。
「頼むよ、最後のチャンスなんだ。多賀城で正社員の仕事が見つかったんだよ。お前にだけは、絶対に迷惑をかけない。俺と子どもを見捨てないでくれ。一生の頼みだ」
「絶対に嫌」と答えた。
子どもを見捨てないでくれと言った兄の言葉に猛烈に腹を立てていた。
子どもを盾にするとは、堕ちるところまで堕ちたものだ。兄は、私が断ることができないとわかってやっているのだ。あの人は、すべてわかっていて、そのうえで私にプレッシャーをかけてきている。
私は最後まで嫌だと譲らなかった。
とうとうあきらめた兄は電話の最後に、思い出したように、「それからお袋が言ってたけどな、お前は他人に対して厳しすぎるって。何様なんだ、偉そうにってさ!」と大声で言った。
翌日になって、また母から連絡が入った。母からだとわかっていたので、電話を取らなかった。すると、何度も、何度もかかってくる。仕方なく出ると、母は号泣しながら、「お願いだから」とくり返した。
私が兄のアパート契約の保証人になったのは、こういった経緯だった。
2019年の夏頃から家賃の滞納が続き、兄のアパートの管理会社から私のところに連絡が入るようになっていた。
「もう少しで滞納が3ヶ月になります。3ヶ月を超えますと、保証人さんに支払って頂かなければならないことになるんです」と管理会社の男性は申しわけなさそうに言った。
私は兄の携帯にメッセージを送り続けた。
「家賃を払ってください。迷惑かけないって言ったよね? 迷惑かけるんだったら、あなたとは他人になります」
私から出る「他人」という言葉が、兄は何よりも嫌いだった。
5年前の母の葬儀で人目を憚らず泣いていた兄は、棺の蓋が閉められると「母ちゃん、ありがとう」と大きな声で言った。そして私を振り返って、「俺たち、二人きりになっちゃったな」と言った。
兄妹なんだから、これからも仲良くしよう、助け合っていこう。そんなことを涙ながらに言う兄に、何か恐ろしいものを感じた。兄は誰かに助けてもらわなければ生きられない人だった。それまでも、両親、配偶者に頼り生きてきた。それをすべて失った兄が、すがるような目で私を見ていた。逃げろ、逃げるんだ、全力で……私は心のなかで何度もくり返した。
それ以来、私はことある毎に、「私はもう結婚したから」と兄に言い、兄との間に一線を引いてきたつもりだった。あなたは私に依存することはできないのだと、しっかりと釘を刺してきたつもりだったのだ。
何度メッセージを送っても反応しない兄に業を煮やし、携帯を鳴らした。何十回も鳴らした。とうとう根負けした兄は、翌日になってメッセージを返してきた。
「明日入金することで話はついています。もう他人なんですね。電話をする顔がないです。迷惑かけてすいません。病気をしてから生活がガタガタなんです」
糖尿病で高血圧の持病があった兄は、2016年には狭心症となり、カテーテル治療を受けていた。それ以来、体調が完全に戻っていないことは私も知っていた。気持ちが揺れはじめた。1ヶ月分だけでも払ってやったほうがいいのだろうか。
兄はしばらくして、「せがれのために頑張りますけど、追いつめられて追いつかないんです」と書いてきた。しばらく悩んだが、私は返信をしなかった。
すると、私からの返信を求めるように、「迷惑かけてごめんなさい。こんなことになるとは思ってもいなかった。情けないです」と、兄は書いてきた。
私はそれでも、返信をしなかった。過去の軋轢(あつれき)を思い出して怒りに震えながらも、体調を崩している兄が心配で仕方なかった。しかし、ここで折れたら、いつか必ず痛い目にあうとわかっていた。
以前、こんなことがあった。
母の葬儀で兄は、喪主を務めたにもかかわらず、大事なことは何一つしなかった。代わりに、母の死後に必要なさまざまな手続きや支払いはすべて私が行ったが、兄はそれが不満だったようだ。
葬儀を終えて多賀城に戻るというタイミングで、私をつかまえて、「お前、いくら稼いだんだよ」と言った。
「どういう意味?」
「お前、葬式でいくら稼いだんだよ」
「稼いでないよ」
「葬式代払っても、少しは残るんだろ?」
「残るわけないじゃん。これから先、どれだけ支払いがあるかわかってる?」
「なあ、頼むから分けてくれよ。このままじゃあ、多賀城に戻れないんだよ」
「そんなこと、なんで私に関係あるの?」
「お前、俺を見捨てるのかよ。頼むよ、これが最後だから」
私は心の底から恐怖を感じた。ついに兄はターゲットを私に絞ったのだと思った。 私は急いで財布から5万円を出すと、押しつけるようにして兄に渡し、「これが最後だからね」と言って、逃げるようにしてその場を離れた。兄は私の背中に、「ありがとうな!」と大声で言った。(村井 理子)
私は心の底から恐怖を感じた。ついに兄はターゲットを私に絞ったのだと思った。
私は急いで財布から5万円を出すと、押しつけるようにして兄に渡し、「これが最後だからね」と言って、逃げるようにしてその場を離れた。兄は私の背中に、「ありがとうな!」と大声で言った。
(村井 理子)