妻の大多数が夫からモラハラを受けている……そんな調査結果を養命酒製造株式会社がまとめている。
子どもがいる20歳~49歳の既婚女性1000名を対象にした同調査では、複数のモラハラ行動・態度をあげて、夫からそれらモラハラを受けたことがあるか質問。いずれかの項目について「ある」と回答した人の割合を算出すると、じつに85.0%となった。
具体的には「何を言っても反対する」「嘘をつく」「嫌なことを強制する」……、といったモラハラに悩まされているのだという。
また、義理の母がいる人(864名)にも同様に複数のモラハラ行動・態度をあげて、義母からからモラハラを受けたことがあるか聞いたところ、「ある」と回答した人の割合は41・6%。「マイルールを押し付ける」「子どもの育て方が悪いと罵る」という義母が少なくないらしい。
夫婦の関係、義両親との関係は日々、少しずつ変わるものだが、このようなモラハラ夫、モラハラ義母にもいつか改心の日は訪れるのか。ある女性の事例をもとに考えていく。
トモミさん(56歳・仮名=以下同)が7歳年上のマコトさん(63歳)と結婚したのは26歳のとき。当時勤めていた会社の先輩後輩の関係だった。その関係は家庭を持ってからも変わらなかった。
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「職場での彼のことは尊敬していました。リーダーシップがあって頼りがいがあった。でもそういう人と家庭を持ってみたら、モラハラだけが待っている日常でした」トモミさんは夫の希望により会社を辞めた。同じ会社だと仕事しづらいというのが理由だった。それはわからないでもなかったので、彼女は転職活動をしようとしたが「結婚生活が落ち着くまで待ってほしい」と言われ、とりあえず専業主婦となった。ふたりの家庭をじっくり作ろうとしたものの、1年もたたないうちに妊娠。すると「実家に越そう」と夫が言い出した。ひとり暮らしの母親が寂しがっているし、妊娠して心細いだろうから母が一緒のほうがいいと勝手に決めつけてきた。「もうすでに何年もお義母さんはひとり暮らしをしていたんです。今さらひとりが寂しいというはずもない。妊娠して心細いだろうというのも夫の勝手な判断。私は私で相性のいい産婦人科を見つけていたし、かえって義母に気を遣いながら暮らしたくはなかった。夫は最初から、結婚したら私を同居させるつもりだったんでしょう。そして私の妊娠がわかり、離婚もできない状況にしてから、同居を強いてきたんだと思う」夫のやり方に腹は立ったが、その時点では自分と赤ちゃんの安全を守るのが最優先だった。同居には抵抗したが、「大丈夫。オレがトモミの味方になるから」と言われて信用した。「お義母さんの性格を考えれば予想できたことですが、私は完全にお手伝いさん状態になりました。家事はすべて私。しかもお義母さんの監視と文句つき。お義母さんが出かけるときは運転手として送迎する。それまでお義母さんは歯医者さんにも買い物にも自転車で行ってたんですよ。それなのに同居後はすべて私が車で送迎。つわりがひどいから今日は勘弁してくださいと言っても、『暇だからつわりがひどくなるのよ』と許してもらえなかった」夫に抗議をしたこともあるが、「うちのお母さんは子どもを3人も育ててるんだ。親の言うことを聞けないなんて、思ったよりきみは反抗的なんだな」と暴言を吐かれた。そのころから夫はちょくちょくこうしたモラハラまがいの言葉を投げてくるようになったという。「男の子が生まれるまで」と4人の子を産んだけれど出産が近づいたころ、なぜか義母は友人と旅行に出かけた。予定日を過ぎても産まれなかったため、ある日、夫は「ちょっと残業で遅くなる」とメッセージを寄越した。だがその直後、彼女はもうじき産まれると直感、自分で車を運転して病院に行った。「医師や看護師さんには何かあったらどうすると叱られましたが、しかたがなかった。結局、ひとりで産みました。安産だったので未明には産まれていたんですが、夫とは連絡がつきませんでした。おそらく浮気していたんだと思います。それからもちょいちょい怪しいことはありました」 夫が来たのは夜になってからだった。義母はのんびり旅行をすませてからやってきた。ちょうど病室で、遠方から来たトモミさんの両親と一緒になったそうだ。「義母が『遅くなってごめんなさいね。たまたま旅行とかちあっちゃって。もともと女の子だと聞いていたし、大騒ぎする必要もないかなと思って』と大失言。うちの両親が『女の子だとめでたくないんですか』とちょっと声を荒げたので、義母は『先に帰ってるわね』とさっさと消えました。『マコトさん、あなたのお母さん、失礼じゃない?』と母は激怒。夫はその場では謝っていましたが、私の両親が帰っていくと『おまえの親こそ失礼だよ。こっちはもらった女なんだからさ』と。耳を疑いました。私のことを“もらった女”だと思っていたなんてショックで……。子どももいるんだから、もうどこへも行けないよと夫はニヤリとしたんです。それがものすごく怖かった」男の子が生まれるまでと義母に叱咤されて、トモミさんは4人の子を産んだ。しかも3人までは全員、年子だ。医師から、少し母体のことを考えなさいと言われて、4人目は2年の間があいた。ところが4人目も女の子だった。「体がボロボロになりましたね。夫は夫婦関係が解禁になるとすぐ襲ってくる。私には苦痛でしかなかったけど、妊娠がわかると襲われなくなるからちょっとホッとするところもありました。でもそんなのおかしいともわかっていた。娘たちが仲良く育ってくれたことだけがありがたいです」夫の暴言は子どもが産まれても続いていた。「母親の無教養が子どもに悪影響を及ぼすんだよな」と短大出の彼女をバカにした。義母は義母で、「あなたは何人産んでも子育てが下手ねえ」と鼻で笑う。それでも子どもがかわいいから、彼女は夫と義母を無視してがんばった。「子どもが中学生くらいになると、一致団結して夫に文句を言うようになりました。夫もさすがに4人にあれこれ言われると黙るしかなくなった。子どもはわかってくれていたんだとうれしくなりました」10年前、義母が倒れた。彼女は自宅で介護すると決意したが、わがままな義母にはほとほと閉口した。娘たちはいちばん上が20歳になったばかり。若い女の子に介護などさせたくなかったから、娘たちが手伝うというのを「気持ちだけ受け取る」として自ら献身的に介護をした。3年間、義母最優先の日々を続けて見送った。義母の最後の言葉は「ごめんね」だった。「本当はありがとうと言ってほしかった。でも義母がごめんねと言ってくれたことで、今までのことはもういいと思えた。やりきった思いがありましたから。ただ、夫は自分の母親を介護した私に、一言のお礼もなかった。それがわだかまりとして残りました」* * *夫、そして義母にまでモラハラ的言動で苦しまされてきたトモミさん。4人の子を産むみ、育てることは大変な苦労だが、彼女たちが味方となってくれたのは、心強いことだったろう。トモミさんの献身的な介護で、わがままだった義母からも「ごめんね」の一言を引き出せたのは、多少なりとも救いになったには違いない。介護が終わった後に「介護ロス」になる人もいるというが、彼女はそうはならなかったようだ。時間がたっても、変わらないのは夫だけ。でも、夫が変わることが、はたしてトモミさんの溜飲を下げることにつながるのか。詳しくは後編記事〈30年間モラハラに苦しんだ56歳主婦が「がんが再発した夫」に黙って進める「いちばんの復讐」〉でお伝えする。
「職場での彼のことは尊敬していました。リーダーシップがあって頼りがいがあった。でもそういう人と家庭を持ってみたら、モラハラだけが待っている日常でした」
トモミさんは夫の希望により会社を辞めた。同じ会社だと仕事しづらいというのが理由だった。それはわからないでもなかったので、彼女は転職活動をしようとしたが「結婚生活が落ち着くまで待ってほしい」と言われ、とりあえず専業主婦となった。
ふたりの家庭をじっくり作ろうとしたものの、1年もたたないうちに妊娠。すると「実家に越そう」と夫が言い出した。ひとり暮らしの母親が寂しがっているし、妊娠して心細いだろうから母が一緒のほうがいいと勝手に決めつけてきた。
「もうすでに何年もお義母さんはひとり暮らしをしていたんです。今さらひとりが寂しいというはずもない。妊娠して心細いだろうというのも夫の勝手な判断。私は私で相性のいい産婦人科を見つけていたし、かえって義母に気を遣いながら暮らしたくはなかった。夫は最初から、結婚したら私を同居させるつもりだったんでしょう。そして私の妊娠がわかり、離婚もできない状況にしてから、同居を強いてきたんだと思う」
夫のやり方に腹は立ったが、その時点では自分と赤ちゃんの安全を守るのが最優先だった。同居には抵抗したが、「大丈夫。オレがトモミの味方になるから」と言われて信用した。
「お義母さんの性格を考えれば予想できたことですが、私は完全にお手伝いさん状態になりました。家事はすべて私。しかもお義母さんの監視と文句つき。お義母さんが出かけるときは運転手として送迎する。それまでお義母さんは歯医者さんにも買い物にも自転車で行ってたんですよ。それなのに同居後はすべて私が車で送迎。つわりがひどいから今日は勘弁してくださいと言っても、『暇だからつわりがひどくなるのよ』と許してもらえなかった」
夫に抗議をしたこともあるが、「うちのお母さんは子どもを3人も育ててるんだ。親の言うことを聞けないなんて、思ったよりきみは反抗的なんだな」と暴言を吐かれた。そのころから夫はちょくちょくこうしたモラハラまがいの言葉を投げてくるようになったという。
出産が近づいたころ、なぜか義母は友人と旅行に出かけた。予定日を過ぎても産まれなかったため、ある日、夫は「ちょっと残業で遅くなる」とメッセージを寄越した。だがその直後、彼女はもうじき産まれると直感、自分で車を運転して病院に行った。
「医師や看護師さんには何かあったらどうすると叱られましたが、しかたがなかった。結局、ひとりで産みました。安産だったので未明には産まれていたんですが、夫とは連絡がつきませんでした。おそらく浮気していたんだと思います。それからもちょいちょい怪しいことはありました」
夫が来たのは夜になってからだった。義母はのんびり旅行をすませてからやってきた。ちょうど病室で、遠方から来たトモミさんの両親と一緒になったそうだ。「義母が『遅くなってごめんなさいね。たまたま旅行とかちあっちゃって。もともと女の子だと聞いていたし、大騒ぎする必要もないかなと思って』と大失言。うちの両親が『女の子だとめでたくないんですか』とちょっと声を荒げたので、義母は『先に帰ってるわね』とさっさと消えました。『マコトさん、あなたのお母さん、失礼じゃない?』と母は激怒。夫はその場では謝っていましたが、私の両親が帰っていくと『おまえの親こそ失礼だよ。こっちはもらった女なんだからさ』と。耳を疑いました。私のことを“もらった女”だと思っていたなんてショックで……。子どももいるんだから、もうどこへも行けないよと夫はニヤリとしたんです。それがものすごく怖かった」男の子が生まれるまでと義母に叱咤されて、トモミさんは4人の子を産んだ。しかも3人までは全員、年子だ。医師から、少し母体のことを考えなさいと言われて、4人目は2年の間があいた。ところが4人目も女の子だった。「体がボロボロになりましたね。夫は夫婦関係が解禁になるとすぐ襲ってくる。私には苦痛でしかなかったけど、妊娠がわかると襲われなくなるからちょっとホッとするところもありました。でもそんなのおかしいともわかっていた。娘たちが仲良く育ってくれたことだけがありがたいです」夫の暴言は子どもが産まれても続いていた。「母親の無教養が子どもに悪影響を及ぼすんだよな」と短大出の彼女をバカにした。義母は義母で、「あなたは何人産んでも子育てが下手ねえ」と鼻で笑う。それでも子どもがかわいいから、彼女は夫と義母を無視してがんばった。「子どもが中学生くらいになると、一致団結して夫に文句を言うようになりました。夫もさすがに4人にあれこれ言われると黙るしかなくなった。子どもはわかってくれていたんだとうれしくなりました」10年前、義母が倒れた。彼女は自宅で介護すると決意したが、わがままな義母にはほとほと閉口した。娘たちはいちばん上が20歳になったばかり。若い女の子に介護などさせたくなかったから、娘たちが手伝うというのを「気持ちだけ受け取る」として自ら献身的に介護をした。3年間、義母最優先の日々を続けて見送った。義母の最後の言葉は「ごめんね」だった。「本当はありがとうと言ってほしかった。でも義母がごめんねと言ってくれたことで、今までのことはもういいと思えた。やりきった思いがありましたから。ただ、夫は自分の母親を介護した私に、一言のお礼もなかった。それがわだかまりとして残りました」* * *夫、そして義母にまでモラハラ的言動で苦しまされてきたトモミさん。4人の子を産むみ、育てることは大変な苦労だが、彼女たちが味方となってくれたのは、心強いことだったろう。トモミさんの献身的な介護で、わがままだった義母からも「ごめんね」の一言を引き出せたのは、多少なりとも救いになったには違いない。介護が終わった後に「介護ロス」になる人もいるというが、彼女はそうはならなかったようだ。時間がたっても、変わらないのは夫だけ。でも、夫が変わることが、はたしてトモミさんの溜飲を下げることにつながるのか。詳しくは後編記事〈30年間モラハラに苦しんだ56歳主婦が「がんが再発した夫」に黙って進める「いちばんの復讐」〉でお伝えする。
夫が来たのは夜になってからだった。義母はのんびり旅行をすませてからやってきた。ちょうど病室で、遠方から来たトモミさんの両親と一緒になったそうだ。
「義母が『遅くなってごめんなさいね。たまたま旅行とかちあっちゃって。もともと女の子だと聞いていたし、大騒ぎする必要もないかなと思って』と大失言。うちの両親が『女の子だとめでたくないんですか』とちょっと声を荒げたので、義母は『先に帰ってるわね』とさっさと消えました。
『マコトさん、あなたのお母さん、失礼じゃない?』と母は激怒。夫はその場では謝っていましたが、私の両親が帰っていくと『おまえの親こそ失礼だよ。こっちはもらった女なんだからさ』と。耳を疑いました。私のことを“もらった女”だと思っていたなんてショックで……。子どももいるんだから、もうどこへも行けないよと夫はニヤリとしたんです。それがものすごく怖かった」
男の子が生まれるまでと義母に叱咤されて、トモミさんは4人の子を産んだ。しかも3人までは全員、年子だ。医師から、少し母体のことを考えなさいと言われて、4人目は2年の間があいた。ところが4人目も女の子だった。
「体がボロボロになりましたね。夫は夫婦関係が解禁になるとすぐ襲ってくる。私には苦痛でしかなかったけど、妊娠がわかると襲われなくなるからちょっとホッとするところもありました。でもそんなのおかしいともわかっていた。娘たちが仲良く育ってくれたことだけがありがたいです」
夫の暴言は子どもが産まれても続いていた。「母親の無教養が子どもに悪影響を及ぼすんだよな」と短大出の彼女をバカにした。義母は義母で、「あなたは何人産んでも子育てが下手ねえ」と鼻で笑う。それでも子どもがかわいいから、彼女は夫と義母を無視してがんばった。
「子どもが中学生くらいになると、一致団結して夫に文句を言うようになりました。夫もさすがに4人にあれこれ言われると黙るしかなくなった。子どもはわかってくれていたんだとうれしくなりました」
10年前、義母が倒れた。彼女は自宅で介護すると決意したが、わがままな義母にはほとほと閉口した。娘たちはいちばん上が20歳になったばかり。若い女の子に介護などさせたくなかったから、娘たちが手伝うというのを「気持ちだけ受け取る」として自ら献身的に介護をした。3年間、義母最優先の日々を続けて見送った。義母の最後の言葉は「ごめんね」だった。
「本当はありがとうと言ってほしかった。でも義母がごめんねと言ってくれたことで、今までのことはもういいと思えた。やりきった思いがありましたから。ただ、夫は自分の母親を介護した私に、一言のお礼もなかった。それがわだかまりとして残りました」
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夫、そして義母にまでモラハラ的言動で苦しまされてきたトモミさん。4人の子を産むみ、育てることは大変な苦労だが、彼女たちが味方となってくれたのは、心強いことだったろう。
トモミさんの献身的な介護で、わがままだった義母からも「ごめんね」の一言を引き出せたのは、多少なりとも救いになったには違いない。介護が終わった後に「介護ロス」になる人もいるというが、彼女はそうはならなかったようだ。
時間がたっても、変わらないのは夫だけ。でも、夫が変わることが、はたしてトモミさんの溜飲を下げることにつながるのか。
詳しくは後編記事〈30年間モラハラに苦しんだ56歳主婦が「がんが再発した夫」に黙って進める「いちばんの復讐」〉でお伝えする。