年上女性が好きな男性もいれば、好きになった女性がたまたま年上だっただけという男性もいる。いずれにしても、「相手が年齢を気にしなければ、いい関係が築ける」と思ってる。つまり年齢など関係ないと思っているのだ。
【写真を見る】「夫が19歳女子大生と外泊報道」で離婚した女優、離婚の際「僕の財産は全部捧げる」と財産贈与した歌手など【「熟年離婚」した芸能人11人】 ところが女性にとっては、最初は気にしていなくても結婚後に不安を感じるケースは多々ある。自分がどんどん年齢を重ねていくのに、夫は男盛りを迎えていくのだ。年齢より若く見える女性が多くなったとはいえ、実年齢に心身は逆らいきれない。そんな妻を見つめている夫に変化が訪れたら……。

「今も僕が心から信頼しているのは、妻だけなんですけどね」 宮内謙佑さん(37歳・仮名=以下同)はため息をつきながらそう言った。彼と知り合ったのは数年前。自分の人生は変わっているかもしれないと連絡をもらい、ときおり会ったりメールのやりとりをしたりしてきた。確かにこの数年だけでも激変を重ねている。 彼は10歳のときから通っていた絵画教室の先生である保菜美さんと、20歳のときに結婚した。妻は38歳だった。そう、保菜美さんは謙佑さんより18歳年上なのだ。 「保菜美は実家の近所で絵画教室をやっていました。僕は絵が好きでそこへ行ったというより、“保菜美先生”と近づきたくて通い始めたんです」 謙佑さんの実家は、父がサラリーマン、母が地元ではそこそこ有名な会社を経営していた。母の祖父が創業した会社だったから、謙佑さんの父もそこで働いてもよさそうなものだが、母は「お父さんには無理。うちは少数精鋭で仕事をしているから」と公言していた。 「父はいつも母にバカにされ、母の一族からも下に見られていた。どうしてあんな生活に甘んじていたのかわからないんですけどね。その鬱憤がたまると僕に当たった。僕は子どものころからおとなしくてマイペースだったせいで、母からはいつも『うすのろ』と呼ばれていました」謙佑さんは10歳の時から「“保菜美先生”と近づきたくて」絵画教室に通い始めた絵画教室でも先生の姿ばかり描く 年子の妹が利発だったため、母は彼女を溺愛した。謙佑さんは家の中でもひとりきりでいることが多かったという。遠縁の“おばちゃん”がお手伝いさんとして家事を取り仕切り、彼女だけが謙佑さんの味方だった。そんな彼が、近所で見かけたのが「絵画教室」の看板だ。絵を習うと考えるとワクワクした。そのとき、目の前のドアが開いて顔を出したのが保菜美さんだった。 「どうしたの? と言われて、絵を習いたいと言いました。『じゃあ、お父さんかお母さんと一緒に一度来て』と。『父も母もいません。でも習いたいんです』ととっさに嘘をつきました。彼女が困った顔をしたので、僕はそのまま逃げるように帰りましたが、ドキドキしてどうしようもなかった。先生がきれいだったし、優しそうだったから、この人のそばにいたいと思った。それで、うちのおばちゃんに言って、母に了解をとってもらいました」 習いに行ったものの、彼はいつも保菜美先生の姿を描いていた。たまには風景とか果物とか描いてみたらと促されても、先生の絵を描き続けた。「その後、中学受験のための塾に行かされて、絵画教室はやめろと言われたんですが、絵をやめるなら受験はしないと言い張りました。結局、受験は落ちて母は激怒。『やっぱりあんたはお父さんに似てぼんくらだわ』と罵声を浴びせられて、絵画教室も辞めさせられました」 地元の中学に行ったが、おもしろいことは何もない。悪い同級生とつるんで万引きをし、警察に補導されたこともある。親への反発だろうと母親に言われたが、彼は反発する気力もなかった。ただ、退屈な日常に刺激がほしかっただけだ。 「しょうもない中学生だったと思います。ただ、母としてはあまりに世間体が悪かったんでしょう。クラブ活動もしていないし、暇だから悪いのとつるむんだと言って、絵画教室へ行けと言われました。やめさせられたり行けと言われたり。大人って勝手ですよね」 中学2年のときに、また絵を習い始めた。保菜美先生は、以前よりきれいになっていた。当時、彼女は結婚したばかりだったのだ。 「嫉妬の感情を初めて味わいました。それでもだんだん絵を描くことそのものも楽しくなってきたので、教室には行き続けた。ときどき、保菜美先生の夫が迎えに来ることがあるんです。背の高いイケメンだった」泣いていた保菜美先生 高校生だった17歳のころ、適当に学校をサボって教室に行ってみると、先生がひとりで座っていた。謙佑さんが入ってくるのを見てあわてて顔をそらしたが、泣いているように見えた。 「先生、どうしたのと近づくと、彼女の目から一気に涙があふれた。それを見たらなんだかやるせなくて、どうしたらいいかわからなくて先生を思いきり抱きしめました。先生が泣き続けるので背中をさすって……」 先生が離婚したと知ったのはその直後だった。母親が「あの先生、浮気していたらしいわよ」と言うのを聞いて、彼は内心、激怒した。先生はそんな人じゃない、おそらく浮気していたのはあのイケメン夫だと直感で思ったが、もちろん母にそんなことは言わなかった。 「大学に行くなら東京の有名な大学に入れと母はうるさかった。そうでないならここにいるな、出て行けって。みっともなくてしょうがないわと言われていましたね」 絵画教室で将来についてぼーっと考えていると、先生が美大に行かないのと話しかけてきた。美大に行くほどの準備はしていないし、自分にとって絵は趣味の域を超えるものではないともわかっていた。 「私、実家に帰ろうと思っているのと、先生がある日、言ったんです。僕たちの距離はつかず離れずで、教室以外では会ったこともなかった。先生にとって僕はただの教室の生徒でしたから。でも先生と離れてしまうかもしれないと思った瞬間、僕の中で何かが弾けた。教室が終わって先生がひとりになったのを見計らって、『先生が実家に戻るなら、僕も連れて行ってください』と言ったんです」 保菜美さんにとってはわけがわからなかっただろうと、今の彼は苦笑する。だが18歳の少年は真剣だった。この人と離れたら、自分が自分でいられなくなるような切羽詰まった感覚があったという。大きな歳の差、地元で噂に「高校を卒業するとそのまま実家に戻る彼女についていき、彼女の実家近くにアパートを借りました。家を出ると言ったら、母親が『大学に行った学費だと思って少し渡しておく』と200万くれたので、そのお金で生活を始めたんです。ただ、彼女の実家のあたりは小さな町だったので、見慣れない僕が彼女と歩いているだけで噂になったようです」 保菜美さんはやはり絵画教室を開き、それなりに生徒も来たが、「先生と謙ちゃんは親子なの?」と子どもに聞かれるようになった。大人も習いに来ていたが、どことなく彼をうさんくさい目で見ているのもわかった。保菜美さんの親も「あの若いのは何なの?」と言うようになったらしい。しかも彼女は、別れた夫からも追われていた。 「夫の浮気で別れたのは本当のようです。だけど別れたあと、元夫はやはり離婚しなければよかったと思ったんでしょう。よりを戻そうと何度も言ってきたみたい。だから彼女は実家に戻った。それなのに今度は実家にまで追いかけてくるようになったんです」 彼が20歳のとき、絵画教室の前で元夫と保菜美さんが揉めているのに出くわしたことがある。腹が立った彼は、元夫を力任せに殴りつけた。「人を殴ったのは初めてでした。今でもあのときの感触が残っている。ぐしゃっと嫌な音がしました。鼻の骨が折れたみたいです。彼女は『ここを出よう。どこか知らないところへ行こう』と言いました」 そして元夫を殴ったあと初めて、謙佑さんは保菜美さんと男女の関係になった。ふたりは泣きながらずっとひとつになっていた。手に手を取って、関東地方のある地域に落ち着いた。 後編【「あなたはまだ若い。やり直せる」離婚を切り出した18歳年上の妻、夫はその後も浮気を続け土下座させられ…ついに出た本音】へつづく亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。デイリー新潮編集部
ところが女性にとっては、最初は気にしていなくても結婚後に不安を感じるケースは多々ある。自分がどんどん年齢を重ねていくのに、夫は男盛りを迎えていくのだ。年齢より若く見える女性が多くなったとはいえ、実年齢に心身は逆らいきれない。そんな妻を見つめている夫に変化が訪れたら……。
「今も僕が心から信頼しているのは、妻だけなんですけどね」
宮内謙佑さん(37歳・仮名=以下同)はため息をつきながらそう言った。彼と知り合ったのは数年前。自分の人生は変わっているかもしれないと連絡をもらい、ときおり会ったりメールのやりとりをしたりしてきた。確かにこの数年だけでも激変を重ねている。
彼は10歳のときから通っていた絵画教室の先生である保菜美さんと、20歳のときに結婚した。妻は38歳だった。そう、保菜美さんは謙佑さんより18歳年上なのだ。
「保菜美は実家の近所で絵画教室をやっていました。僕は絵が好きでそこへ行ったというより、“保菜美先生”と近づきたくて通い始めたんです」
謙佑さんの実家は、父がサラリーマン、母が地元ではそこそこ有名な会社を経営していた。母の祖父が創業した会社だったから、謙佑さんの父もそこで働いてもよさそうなものだが、母は「お父さんには無理。うちは少数精鋭で仕事をしているから」と公言していた。
「父はいつも母にバカにされ、母の一族からも下に見られていた。どうしてあんな生活に甘んじていたのかわからないんですけどね。その鬱憤がたまると僕に当たった。僕は子どものころからおとなしくてマイペースだったせいで、母からはいつも『うすのろ』と呼ばれていました」
年子の妹が利発だったため、母は彼女を溺愛した。謙佑さんは家の中でもひとりきりでいることが多かったという。遠縁の“おばちゃん”がお手伝いさんとして家事を取り仕切り、彼女だけが謙佑さんの味方だった。そんな彼が、近所で見かけたのが「絵画教室」の看板だ。絵を習うと考えるとワクワクした。そのとき、目の前のドアが開いて顔を出したのが保菜美さんだった。
「どうしたの? と言われて、絵を習いたいと言いました。『じゃあ、お父さんかお母さんと一緒に一度来て』と。『父も母もいません。でも習いたいんです』ととっさに嘘をつきました。彼女が困った顔をしたので、僕はそのまま逃げるように帰りましたが、ドキドキしてどうしようもなかった。先生がきれいだったし、優しそうだったから、この人のそばにいたいと思った。それで、うちのおばちゃんに言って、母に了解をとってもらいました」
習いに行ったものの、彼はいつも保菜美先生の姿を描いていた。たまには風景とか果物とか描いてみたらと促されても、先生の絵を描き続けた。
「その後、中学受験のための塾に行かされて、絵画教室はやめろと言われたんですが、絵をやめるなら受験はしないと言い張りました。結局、受験は落ちて母は激怒。『やっぱりあんたはお父さんに似てぼんくらだわ』と罵声を浴びせられて、絵画教室も辞めさせられました」
地元の中学に行ったが、おもしろいことは何もない。悪い同級生とつるんで万引きをし、警察に補導されたこともある。親への反発だろうと母親に言われたが、彼は反発する気力もなかった。ただ、退屈な日常に刺激がほしかっただけだ。
「しょうもない中学生だったと思います。ただ、母としてはあまりに世間体が悪かったんでしょう。クラブ活動もしていないし、暇だから悪いのとつるむんだと言って、絵画教室へ行けと言われました。やめさせられたり行けと言われたり。大人って勝手ですよね」
中学2年のときに、また絵を習い始めた。保菜美先生は、以前よりきれいになっていた。当時、彼女は結婚したばかりだったのだ。
「嫉妬の感情を初めて味わいました。それでもだんだん絵を描くことそのものも楽しくなってきたので、教室には行き続けた。ときどき、保菜美先生の夫が迎えに来ることがあるんです。背の高いイケメンだった」
高校生だった17歳のころ、適当に学校をサボって教室に行ってみると、先生がひとりで座っていた。謙佑さんが入ってくるのを見てあわてて顔をそらしたが、泣いているように見えた。
「先生、どうしたのと近づくと、彼女の目から一気に涙があふれた。それを見たらなんだかやるせなくて、どうしたらいいかわからなくて先生を思いきり抱きしめました。先生が泣き続けるので背中をさすって……」
先生が離婚したと知ったのはその直後だった。母親が「あの先生、浮気していたらしいわよ」と言うのを聞いて、彼は内心、激怒した。先生はそんな人じゃない、おそらく浮気していたのはあのイケメン夫だと直感で思ったが、もちろん母にそんなことは言わなかった。
「大学に行くなら東京の有名な大学に入れと母はうるさかった。そうでないならここにいるな、出て行けって。みっともなくてしょうがないわと言われていましたね」
絵画教室で将来についてぼーっと考えていると、先生が美大に行かないのと話しかけてきた。美大に行くほどの準備はしていないし、自分にとって絵は趣味の域を超えるものではないともわかっていた。
「私、実家に帰ろうと思っているのと、先生がある日、言ったんです。僕たちの距離はつかず離れずで、教室以外では会ったこともなかった。先生にとって僕はただの教室の生徒でしたから。でも先生と離れてしまうかもしれないと思った瞬間、僕の中で何かが弾けた。教室が終わって先生がひとりになったのを見計らって、『先生が実家に戻るなら、僕も連れて行ってください』と言ったんです」
保菜美さんにとってはわけがわからなかっただろうと、今の彼は苦笑する。だが18歳の少年は真剣だった。この人と離れたら、自分が自分でいられなくなるような切羽詰まった感覚があったという。
「高校を卒業するとそのまま実家に戻る彼女についていき、彼女の実家近くにアパートを借りました。家を出ると言ったら、母親が『大学に行った学費だと思って少し渡しておく』と200万くれたので、そのお金で生活を始めたんです。ただ、彼女の実家のあたりは小さな町だったので、見慣れない僕が彼女と歩いているだけで噂になったようです」
保菜美さんはやはり絵画教室を開き、それなりに生徒も来たが、「先生と謙ちゃんは親子なの?」と子どもに聞かれるようになった。大人も習いに来ていたが、どことなく彼をうさんくさい目で見ているのもわかった。保菜美さんの親も「あの若いのは何なの?」と言うようになったらしい。しかも彼女は、別れた夫からも追われていた。
「夫の浮気で別れたのは本当のようです。だけど別れたあと、元夫はやはり離婚しなければよかったと思ったんでしょう。よりを戻そうと何度も言ってきたみたい。だから彼女は実家に戻った。それなのに今度は実家にまで追いかけてくるようになったんです」
彼が20歳のとき、絵画教室の前で元夫と保菜美さんが揉めているのに出くわしたことがある。腹が立った彼は、元夫を力任せに殴りつけた。
「人を殴ったのは初めてでした。今でもあのときの感触が残っている。ぐしゃっと嫌な音がしました。鼻の骨が折れたみたいです。彼女は『ここを出よう。どこか知らないところへ行こう』と言いました」
そして元夫を殴ったあと初めて、謙佑さんは保菜美さんと男女の関係になった。ふたりは泣きながらずっとひとつになっていた。手に手を取って、関東地方のある地域に落ち着いた。
後編【「あなたはまだ若い。やり直せる」離婚を切り出した18歳年上の妻、夫はその後も浮気を続け土下座させられ…ついに出た本音】へつづく
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部