神戸山口組の本部長で五龍会(本部・札幌市)の青木和重会長に対し、3月22日付けで絶縁状が出た。この業界で絶縁とは2度と元サヤには戻れないことを指す極めて重い処分だ。背景には井上邦雄組長の激怒があったようだが、その背景、経緯について、元山口組系「義竜会」会長で、暴力団組員の更生を支援するNPO法人「五仁會」主宰の竹垣悟氏が解説する。
【写真を見る】別の最高幹部への破門状、2022年1月に6代目山口組・司忍組長の誕生会に招かれた銀座の有名ママらの楽しげなひと幕など 青木和重会長は元々、6代目山口組の2次団体・3代目誠友会で若頭補佐などを務めていたが、3代目の死去後に発足した4代目とは距離があり2015年11月に除籍された。

神戸山口組の井上邦雄組長 その後の16年7月に神戸山口組へ加入して自身では五龍会を結成。20年8月に若頭補佐、そして22年9月には本部長に就任していた。ちなみに、神戸入りの際に4代目誠友会から絶縁となっている。「青木会長は神戸山口組から絶縁された後の26日に、6代目山口組傘下の3代目弘道会・野内組(本部・岐阜市)の定例会に出席しています。舎弟として移籍することになったと聞いています」 と、竹垣氏。天の声があった 神戸山口組から6代目山口組に移籍したり出戻ったりというのは、もはや珍しいことではない。ただ、今回の件がそういった過去の例と趣を異にしているのは、前述したように、青木会長がかつて所属した4代目誠友会から絶縁処分を受けている点だ。 2度と元サヤには戻れないことを広く通知された者が、同じ6代目山口組傘下の団体に出戻るというのは、前例がない動きであることは間違いない。「“天の声”があったということでしょう。6代目山口組の高山清司若頭がこの動きを承認し、青木会長が元々所属した誠友会側も納得したうえで、最も力のある3次団体と評される野内組が引き受けることになったと見られています」(同) そもそも今回、青木会長が神戸側から絶縁処分を受けるに至った経緯とは何だったのか?井上組長の逆鱗に触れた「神戸山口組を脱退後、その実態を激烈に批判していた絆會の織田絆誠代表に対し、神戸側がヒットマンを放ち、織田代表の身代わりとなってボディガード役の楠本勇浩組員が射殺されました。2017年9月のことです。その楠本組員の去年の命日に、当時神戸山口組の若頭補佐だった竹本均・百八竜会会長と共に青木会長は現場を訪れ、手を合わせたことがありました」(同) 折から、神戸山口組は池田組と連帯する「2社連合」計画が進行していた。その池田組と絆會とは運命共同体として知られ、となるとこの3社は友好関係を結ぶことになる。織田代表としてはそういった関係になるにあたって、かつて自らをターゲットとした事件について神戸側からの謝罪のようなものを求めたとされる。「織田代表の意向を踏まえ、青木・竹本という2人の最高幹部が弔いの場に姿を見せたわけですが、この行為が井上組長の逆鱗に触れたということでした。しかし、2人共にその叱責を受け入れがたく、井上組長から心が離れ、結果として組織を抜ける決意を固めたようです」(同)カタギになって頑張れよ 脱退の決意を固めたものの、その意思を明確にしないまま組織と連絡も絶っていた青木会長。最近になって井上組長から電話があったという。「その時初めて青木会長は“神戸山口組を出ます”との意思を伝え、井上組長は“カタギになって頑張れよ”と激励したのですが、青木会長は“いや、カタギにはなりません”と伝えたことから井上組長は激怒したということです。自身の組織で本部長まで務めた人間があろうことか対立組織に移籍するということですからね。ケンカを売られたということですし、ショックだったのでしょう。一方の青木会長としても、素知らぬふりをして6代目山口組側に戻ることは自身のスタンスとして許せず、移籍の意思を明確にしたということでしょう」(同) ちなみに青木会長と共に弔いの場を訪れた神戸山口組の竹本均若頭補佐も、破門状が出されたため、組織を抜けることになった。ナンバー2である小嶋恵介若頭と揉めたのがきっかけだとされる。「竹本若頭補佐は“高山清司若頭を独立組織になっても狙う”と豪語しているようです。そういうこともあるので、青木会長とは違って、6代目側は竹本若頭補佐を受け入れることはないようです」(同) こうしてまた2人、神戸から最高幹部が脱退することになったが、その後の道はそれぞれ違うことになりそうだ。デイリー新潮編集部
青木和重会長は元々、6代目山口組の2次団体・3代目誠友会で若頭補佐などを務めていたが、3代目の死去後に発足した4代目とは距離があり2015年11月に除籍された。
その後の16年7月に神戸山口組へ加入して自身では五龍会を結成。20年8月に若頭補佐、そして22年9月には本部長に就任していた。ちなみに、神戸入りの際に4代目誠友会から絶縁となっている。
「青木会長は神戸山口組から絶縁された後の26日に、6代目山口組傘下の3代目弘道会・野内組(本部・岐阜市)の定例会に出席しています。舎弟として移籍することになったと聞いています」
と、竹垣氏。
神戸山口組から6代目山口組に移籍したり出戻ったりというのは、もはや珍しいことではない。ただ、今回の件がそういった過去の例と趣を異にしているのは、前述したように、青木会長がかつて所属した4代目誠友会から絶縁処分を受けている点だ。
2度と元サヤには戻れないことを広く通知された者が、同じ6代目山口組傘下の団体に出戻るというのは、前例がない動きであることは間違いない。
「“天の声”があったということでしょう。6代目山口組の高山清司若頭がこの動きを承認し、青木会長が元々所属した誠友会側も納得したうえで、最も力のある3次団体と評される野内組が引き受けることになったと見られています」(同)
そもそも今回、青木会長が神戸側から絶縁処分を受けるに至った経緯とは何だったのか?
「神戸山口組を脱退後、その実態を激烈に批判していた絆會の織田絆誠代表に対し、神戸側がヒットマンを放ち、織田代表の身代わりとなってボディガード役の楠本勇浩組員が射殺されました。2017年9月のことです。その楠本組員の去年の命日に、当時神戸山口組の若頭補佐だった竹本均・百八竜会会長と共に青木会長は現場を訪れ、手を合わせたことがありました」(同)
折から、神戸山口組は池田組と連帯する「2社連合」計画が進行していた。その池田組と絆會とは運命共同体として知られ、となるとこの3社は友好関係を結ぶことになる。織田代表としてはそういった関係になるにあたって、かつて自らをターゲットとした事件について神戸側からの謝罪のようなものを求めたとされる。
「織田代表の意向を踏まえ、青木・竹本という2人の最高幹部が弔いの場に姿を見せたわけですが、この行為が井上組長の逆鱗に触れたということでした。しかし、2人共にその叱責を受け入れがたく、井上組長から心が離れ、結果として組織を抜ける決意を固めたようです」(同)
脱退の決意を固めたものの、その意思を明確にしないまま組織と連絡も絶っていた青木会長。最近になって井上組長から電話があったという。
「その時初めて青木会長は“神戸山口組を出ます”との意思を伝え、井上組長は“カタギになって頑張れよ”と激励したのですが、青木会長は“いや、カタギにはなりません”と伝えたことから井上組長は激怒したということです。自身の組織で本部長まで務めた人間があろうことか対立組織に移籍するということですからね。ケンカを売られたということですし、ショックだったのでしょう。一方の青木会長としても、素知らぬふりをして6代目山口組側に戻ることは自身のスタンスとして許せず、移籍の意思を明確にしたということでしょう」(同)
ちなみに青木会長と共に弔いの場を訪れた神戸山口組の竹本均若頭補佐も、破門状が出されたため、組織を抜けることになった。ナンバー2である小嶋恵介若頭と揉めたのがきっかけだとされる。
「竹本若頭補佐は“高山清司若頭を独立組織になっても狙う”と豪語しているようです。そういうこともあるので、青木会長とは違って、6代目側は竹本若頭補佐を受け入れることはないようです」(同)
こうしてまた2人、神戸から最高幹部が脱退することになったが、その後の道はそれぞれ違うことになりそうだ。
デイリー新潮編集部