「検察のエース」と呼ばれた石川達紘・元東京地検特捜部長(83=現・弁護士)が、自家用車で暴走死亡事故を起こしたのは5年前。意外だっただけに、記憶にとどめている人も多いことだろうが、今その裁判が大変なことになっている。石川達紘弁護士は事故当初から「車が勝手に暴走した。アクセルを踏み続けてはいない」と無罪を主張。一審が有罪判決だったことを受け、石川弁護士側は控訴審で一審判決を覆す“新証拠”を提出。現場の不鮮明な防犯カメラの画像分析なのだが、それは車の発信時に「検察側がアクセルを踏み込んだとする(運転していた石川弁護士の)左足先が車外に出ている」という衝撃の鑑定だった。しかも鑑定した大学教授は、これまで警察・検察の依頼を受け、数々の事件解決の画像解析をしてきたその道の第一人者である。鑑定通りなら、車が勝手に暴走したことになる。“新証拠”を受けて裁判所はどうしたのか? 問題の画像を公開しながら、ジャーナリスト・村山治氏による緊急レポートの後編――。(編集部)
元特捜部長レクサス暴走事故で“新証拠”(前編)有罪判決に疑問を投げかけた「第一人者」の鑑定 ◇ ◇ ◇ 山内は、検察側が「石川がアクセルを強く踏み込んだ」根拠のひとつとした「発進時に車が7センチノーズアップした」との主張についても、画像解析からは「2センチ前後しかアップしていない」と判断した。これも、「車が勝手にゆっくりと動き出した」とする石川側の主張に沿うものだった。 さらに、山内は、車が疾走中の石川の右足の状態についても、「車のドアは開きっぱなしで、右足の裏側を運転席ドアパネルの中央下部付近に押し付けられた状態であり、被告人が左足でアクセルペダルを踏むことは不可能だった」と判定した。これは、車の運転席ドアについた足跡と一致するものだ。 その根拠として山内は、発進時から衝突に近い時点までの5台の防犯カメラに写る事故車両のドアの開き角度を「傾角補正」処理して計測。28度、16度、16度、16度、14度で推移していることを確認した。 そのうえで、事故車と同型の車の運転席に石川を座らせ、ドアに右足を挟んだ状態でドアの開き角度を計測。それが13度で、防犯カメラがとらえたドアの開き角度と極めて近い値であることから、高速走行時にドアが開いていたのは、足が挟まっていたからだと結論づけた。 山内鑑定通りなら、事故車の発進時に、車の外に出ていた左足でアクセルペダルを踏むことは不可能であり、さらに疾走中も、右足を挟まれた状態で左足でアクセルを踏み続けることは物理的に極めて困難、ということになる。これは、「(事故車が)発進・加速した原因は、左足で誤ってアクセルペダルを踏み込んだこと」とした一審判決の認定は、間違いだったということになる。 さらに、パーキングブレーキがかかった状態の車が勝手に動き出したとなれば、事故車に何らかの不具合があったことを示唆することになる。東京高裁は画像鑑定を無視 石川側は、無罪につながる重要な新事実が得られたとして、控訴審を審理する東京高裁刑事3部に山内鑑定を証拠請求した。刑事3部は第一回公判期日を決める前に検察側に山内鑑定に対する意見を求めた。 検察側は21年12月10日、警視庁に改めて防犯カメラ画像を鑑定させ、「画像からは足が車外に出ているとは見えない」と反論する意見書を高裁に証拠請求した。そこで高裁刑事3部の動きは止まった。 石川側は早期審理を求め、22年7月19日、警察側の鑑定意見に対し山内は「画像処理が適切でないため、画像の微妙な変化が失われている……靴が見えないなどと主張されているが、警察の画像処理で情報が失われたのであり、見えないのは当然」、「そもそも見えなくなる処理をしているので、見えないのは当然」と指摘する詳細な追加意見書を刑事3部に提出した。 東京高裁刑事3部は同年10月26日に初公判を開いたが、被告人側の控訴趣意書、検察官側の答弁書を陳述させただけで双方の証拠請求を全て却下。わずか数分で結審した。 同年12月14日に言い渡された判決は、山内鑑定に一切触れず、一審判決をそのままなぞり石川側の控訴を棄却した。石川側は上告した。鑑定人の見解 刑事訴訟法392条は「控訴裁判所は、控訴趣意書に包含された事項は、調査しなければならない」と規定している。石川側は山内鑑定を控訴趣意書の中核的な証拠と位置付けていた。高裁が山内鑑定について検察に意見を求めたのは、裁判所も山内鑑定の内容を見て一定の問題意識を持ったからだろう。 通常なら、公判で審理対象とし、裁判所としての判断を示すのが通常の訴訟指揮と思われるが、東京高裁がなぜか、審理対象とせず、そうしなかった理由についても判決では説明しなかった。 今年1月末、山内は取材に対し、以下のようにコメントした。「捜査機関からの依頼を多く受け、指導員としての立場で協力してきた。警視庁と検察の画像解析能力の高さは十分認めているころだが、この案件の解析内容はまるで別人の仕事であり、画像解析の手法が適切なのか疑問が残る。とはいうものの、警視庁交通部解析官や担当検察官は立派に職務を全うされているので、双方の鑑定内容が取るに足りないということはない。裁判所が検察、被告の両方の証拠請求を棄却するのは、はじめて経験した。東京高裁の裁判官は、鑑定自体を議論に乗せたくないとしか思えない。裁判所は行司役。力士を土俵に上げないで差配するのでは相撲はなりたたない。難しい案件だからといって裁判官が職務放棄するのでは、裁判制度は崩壊する。最高裁ではきちんと審理してほしい」 裁判所はこの山内の声をどう聴くのか。 石川側は、鑑定を無視した高裁の訴訟指揮について「通常では考えられない大胆とも言える異常な審理方法。審理不尽であり、著しく正義に反する」などとする上告趣意書を3月22日、最高裁に提出。上告審でも山内鑑定を重要証拠として証拠請求する方針だ。▽村山治(むらやま・おさむ)1950年、徳島県生まれ。1973年に早稲田大学政治経済学部を卒業し毎日新聞社入社。1989年の新聞協会賞を受賞した連載企画「政治家とカネ」取材班。1991年に朝日新聞社入社。東京社会部記者として金丸事件、ゼネコン汚職事件、大蔵省接待汚職事件などの大型経済事件報道に携わる。2017年からフリー。著書に『特捜検察vs.金融権力』(朝日新聞社)、『検察 破綻した捜査モデル』(新潮新書)、『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)『工藤會事件』(新潮社)など。
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山内は、検察側が「石川がアクセルを強く踏み込んだ」根拠のひとつとした「発進時に車が7センチノーズアップした」との主張についても、画像解析からは「2センチ前後しかアップしていない」と判断した。これも、「車が勝手にゆっくりと動き出した」とする石川側の主張に沿うものだった。
さらに、山内は、車が疾走中の石川の右足の状態についても、「車のドアは開きっぱなしで、右足の裏側を運転席ドアパネルの中央下部付近に押し付けられた状態であり、被告人が左足でアクセルペダルを踏むことは不可能だった」と判定した。これは、車の運転席ドアについた足跡と一致するものだ。
その根拠として山内は、発進時から衝突に近い時点までの5台の防犯カメラに写る事故車両のドアの開き角度を「傾角補正」処理して計測。28度、16度、16度、16度、14度で推移していることを確認した。
そのうえで、事故車と同型の車の運転席に石川を座らせ、ドアに右足を挟んだ状態でドアの開き角度を計測。それが13度で、防犯カメラがとらえたドアの開き角度と極めて近い値であることから、高速走行時にドアが開いていたのは、足が挟まっていたからだと結論づけた。
山内鑑定通りなら、事故車の発進時に、車の外に出ていた左足でアクセルペダルを踏むことは不可能であり、さらに疾走中も、右足を挟まれた状態で左足でアクセルを踏み続けることは物理的に極めて困難、ということになる。これは、「(事故車が)発進・加速した原因は、左足で誤ってアクセルペダルを踏み込んだこと」とした一審判決の認定は、間違いだったということになる。
さらに、パーキングブレーキがかかった状態の車が勝手に動き出したとなれば、事故車に何らかの不具合があったことを示唆することになる。
石川側は、無罪につながる重要な新事実が得られたとして、控訴審を審理する東京高裁刑事3部に山内鑑定を証拠請求した。刑事3部は第一回公判期日を決める前に検察側に山内鑑定に対する意見を求めた。
検察側は21年12月10日、警視庁に改めて防犯カメラ画像を鑑定させ、「画像からは足が車外に出ているとは見えない」と反論する意見書を高裁に証拠請求した。そこで高裁刑事3部の動きは止まった。
石川側は早期審理を求め、22年7月19日、警察側の鑑定意見に対し山内は「画像処理が適切でないため、画像の微妙な変化が失われている……靴が見えないなどと主張されているが、警察の画像処理で情報が失われたのであり、見えないのは当然」、「そもそも見えなくなる処理をしているので、見えないのは当然」と指摘する詳細な追加意見書を刑事3部に提出した。
東京高裁刑事3部は同年10月26日に初公判を開いたが、被告人側の控訴趣意書、検察官側の答弁書を陳述させただけで双方の証拠請求を全て却下。わずか数分で結審した。
同年12月14日に言い渡された判決は、山内鑑定に一切触れず、一審判決をそのままなぞり石川側の控訴を棄却した。石川側は上告した。
刑事訴訟法392条は「控訴裁判所は、控訴趣意書に包含された事項は、調査しなければならない」と規定している。石川側は山内鑑定を控訴趣意書の中核的な証拠と位置付けていた。高裁が山内鑑定について検察に意見を求めたのは、裁判所も山内鑑定の内容を見て一定の問題意識を持ったからだろう。
通常なら、公判で審理対象とし、裁判所としての判断を示すのが通常の訴訟指揮と思われるが、東京高裁がなぜか、審理対象とせず、そうしなかった理由についても判決では説明しなかった。
今年1月末、山内は取材に対し、以下のようにコメントした。
「捜査機関からの依頼を多く受け、指導員としての立場で協力してきた。警視庁と検察の画像解析能力の高さは十分認めているころだが、この案件の解析内容はまるで別人の仕事であり、画像解析の手法が適切なのか疑問が残る。とはいうものの、警視庁交通部解析官や担当検察官は立派に職務を全うされているので、双方の鑑定内容が取るに足りないということはない。裁判所が検察、被告の両方の証拠請求を棄却するのは、はじめて経験した。東京高裁の裁判官は、鑑定自体を議論に乗せたくないとしか思えない。裁判所は行司役。力士を土俵に上げないで差配するのでは相撲はなりたたない。難しい案件だからといって裁判官が職務放棄するのでは、裁判制度は崩壊する。最高裁ではきちんと審理してほしい」
裁判所はこの山内の声をどう聴くのか。
石川側は、鑑定を無視した高裁の訴訟指揮について「通常では考えられない大胆とも言える異常な審理方法。審理不尽であり、著しく正義に反する」などとする上告趣意書を3月22日、最高裁に提出。上告審でも山内鑑定を重要証拠として証拠請求する方針だ。
▽村山治(むらやま・おさむ)1950年、徳島県生まれ。1973年に早稲田大学政治経済学部を卒業し毎日新聞社入社。1989年の新聞協会賞を受賞した連載企画「政治家とカネ」取材班。1991年に朝日新聞社入社。東京社会部記者として金丸事件、ゼネコン汚職事件、大蔵省接待汚職事件などの大型経済事件報道に携わる。2017年からフリー。著書に『特捜検察vs.金融権力』(朝日新聞社)、『検察 破綻した捜査モデル』(新潮新書)、『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)『工藤會事件』(新潮社)など。