条例違反を受けて記者会見する大丸別荘の山田真社長(写真:共同通信)
福岡県筑紫野市の老舗旅館「二日市温泉 大丸別荘」が、週1回以上は必要な浴場の湯の取り換えを年2回しか行わず、調査で基準値の最大3700倍のレジオネラ属菌が検出された問題。運営会社の山田真社長は2月28日に福岡市内で記者会見し、謝罪しました。
山田社長は条例違反をした理由について「レジオネラ菌があまり大した菌ではないという認識があった」「塩素のにおいが自分の体質に合わない」などと語ったと記者会見を取材した新聞やテレビなどが報じています。この発言からは、同社長やこの会社の常識と社会の常識の大きなギャップが垣間見えます。
「レジオネラ菌が大した菌じゃないという先入観があった」「レジオネラ症は大したことないだろう」――2月28日の会見では、神妙な面持ちとは裏腹に、社長自身の間違った思い込みや無責任な発言が目立ちました。同旅館は、消毒のための塩素の注入も怠っていました。その理由について山田社長は「塩素のにおいが自分の体質に合わずに嫌いだった」などと説明しました。
しかしこうした思い込みは、インターネットで調べれば一瞬で「おかしい」と思うようなことです。「自分の体質に合わない」という経営者の個人的な理由でお客の健康を害する権利もありません。
福岡県の条例では、連日使用する循環浴槽は週1回以上すべての湯を入れ替え、残留塩素濃度を一定以上に保つと定めています。山田社長やこの旅館に一般的な社会の常識やコンプライアンス(法令順守)の意識があれば起こりえない問題でした。「大したことはない」「においが嫌い」という根拠のない、プロ意識に欠けた行動が大きな問題を引き起こしたといえるでしょう。
大丸別荘がホームページで紹介している大浴場(画像:大丸別荘公式サイト)
レジオネラ属菌とは、自然界(河川、湖水、温泉や土壌など)に生息している細菌で、感染するとレジオネラ症を引き起こします。レジオネラ属菌は現在までにおよそ60種類が知られており、その中でも、レジオネラ・ニューモフィラは、レジオネラ肺炎を引き起こす代表的なレジオネラ属菌の1種とされています。
レジオネラ症は最悪の場合、死に至る病です。こうした社長の「非常識」な指示に抵抗する社員はいなかったのでしょうか。会見によると、やはり疑問を持った従業員もいたようです。報道によると、2019年12月に社長がお湯の入れ替えと塩素注入をやらなくていいと指示した時のスタッフの反応についての質問に、山田社長は「入れたほうがいいという人もいた」と話しました。
しかし、大丸別荘がこうした従業員の声を聞き入れることはありませんでした。「社会常識」に沿った従業員の訴えよりも「会社の最高権力者」である社長の間違った思い込みや、「塩素ぎらい」の感情を優先したわけです。この結果、この旅館は客の健康を害しかねない条例違反を続けてしまいました。
「会社の常識、社会の非常識」という言葉があります。会社の中で常識とされていることが、一般的な社会常識と違うケースはしばしばあります。それは、「社内でスリッパを履く」「社内だけで通用する専門用語を使う」といったささいなことから、「組織ぐるみの法令違反」といった重大なものまでさまざまです。
終身雇用が基本だった日本の場合、企業は仕事の場としてだけではなく一種のコミュニティーになっているケースがあります。「ムラ社会」とも呼ばれる企業内では、「社会の常識」とは違う「会社の常識」がつくられやすくなり、従業員はそれに逆らうことが難しくなります。
こうした社内外の常識のギャップが高じて起きてしまった「組織ぐるみ」の企業不祥事は、今回が必ずしも初めてではありません。鉄鋼大手のアルミ・銅製品の性能データの改ざん問題では、同社の国内工場で数十年前から不正が続いてきたと報じられました。不正のやり方が事実上「裏マニュアル」化されていて、担当者が代わるたびに不正行為が引き継がれていたとされます。
大手食品メーカーがBSE(牛海綿状脳症)関連対策の1つである国産牛肉買い上げ制度を悪用し、外国産の牛肉等を国産牛肉と偽って、これを買い取らせたという事件もありました。こちらも組織ぐるみの偽装工作だったとされています。
会社で法令違反が常態化していた場合、社員の多くがそれに麻痺し、疑問を感じなくなることがあります。人間には、「周囲の人と同じ行動をとるほうが安全だ」と判断する「多数派同調バイアス」があると言われます。「会社の常識が社会の非常識」となってしまっている企業で不正が蔓延してしまうのはある意味では当然ともいえるでしょう。
今回の大丸別荘の問題を一段と深刻にしたのが、衛生管理について県に虚偽報告していたことです。大丸別荘などに立ち寄った他県からの来訪者が、体調不良を訴えて医療機関を受診し、レジオネラ属菌が原因と判明。筑紫保健福祉環境事務所が昨年8月、訪問先の1つとして大丸別荘を検査したところ、大浴場で県条例の細則で定める基準値の約2倍に相当する菌が検出されたそうです。しかし、旅館側は湯の交換頻度や塩素注入は適正だと説明し、10月の自主検査でも菌は基準値以下だったと県に届け出ました。
隠蔽や虚偽報告にはさまざまなリスクがあります。まずは不祥事への直接の批判です。次に「不祥事隠し」がバレた場合、批判の矛先は企業の隠蔽体質にも向かいます。「不祥事を隠して批判を避けようとした卑怯さ」や「反省の姿勢が見えない」ことが、多くの人たちの心証を悪化させるからです。
また、もう1つの大きな問題がありました。彼らの虚偽報告によって水質改善が遅れ、結果として、さらに多くの客をレジオネラ属菌による体調不良を引き起こすリスクにさらしてしまったことです。もし大丸別荘が昨年8月の時点で事実関係を認め、衛生管理を改善していれば、11月の県の再検査で基準値の3700倍もの菌が検出されることはなかったでしょう。今回の問題は、大丸別荘がどのような形で発表しても強く批判されたと思いますが、最低限、正確な情報を早く報告し、開示するべきでした。
社会学者によると、会社も社会も「(同じ目的を持つ人々による)結合の一般概念」で、その起源は中国の「社」にさかのぼるそうです。その後、「会社」は「営利目的の組織」を意味する言葉として、「社会」はより生活をともにする共同体に近い意味に分化していきました。つまり、会社も社会も起源をたどれば、同じような意味だったということです。
私はジャーナリストですが、広報コンサルタントの仕事も兼任しています。私の場合、クライアント企業には「広報担当者の大きな役割の1つは会社と社会をつなぐことです」と伝えています。会社と社会をつなぐのは、メディアに記事を掲載してもらうことだけではありません。外部から仕入れた社会の常識を社内にフィードバックし、会社と社会のギャップが過度に広がらないよう埋めていくことでもあります。
「会社と社会の常識のギャップ」が広がれば、企業の法令違反や大きな不祥事につながります。企業が持続可能な経営を続けるためには、「会社と社会をつなげる役割」を担う人たちがどうしても必要なのです。
(日高 広太郎 : 広報コンサルタント、ジャーナリスト)