平均年収443万円――これでは普通に生活できない国になってしまった。なぜ日本社会はこうなってしまったのか?
話題の新刊『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』では、〈昼食は必ず500円以内、スタバのフラペチーノを我慢、月1万5000円のお小遣いでやりくり、スマホの機種変で月5000円節約、ウーバーイーツの副業収入で成城石井に行ける、ラーメンが贅沢、サイゼリヤは神、子どもの教育費がとにかく心配……〉といった切実な声を紹介している。
ここでは、「月収9万円シングルマザー、永遠のような絶望を経験した先の『夢』」と題した「年収120万円」41歳女性へのインタビューをお届けする(前回はこちら)。
みんなサービス残業をやっている職場工場勤務の時はぴったり最低賃金と同じ時給でしたし、休業補償はしてくれない、年次有給休暇の権利も認めてくれない。こんな会社やってられるかー!とも思って辞めて、失業保険の給付を受けて職探しをしました。ハローワークに通うと、就職氷河期世代向けの就職支援がありました。氷河期世代を正社員として採用すると、企業に助成金が出る仕組みです。支援を受けて、6歳から18歳までの障害のある子を放課後に預かる放課後デイサービスに就職が決まりました。けれど、事件が起こったんです。放課後デイサービスはシフト勤務なのですが、早番でサービス残業を要求されたのです。「皆、そうしているから」と。私は、従業員を守ることが利用する子どもの安心につながるのだから、労働基準法に則って法律を守って欲しいと言ったんです。社長にも、管理職にも。そうすると、「何を言ってるんだ! 皆やっている。できないならシフトに入れないよ」と、えらいことになって。労働組合にも相談したのですが埒が明かず、結局、辞めることに。ハローワークで、しかも、就職氷河期世代支援で紹介された会社ですよ。それで退職届を提出するのにも、電話で人格否定されて恫喝されるので一人で行くのが怖くて、労組の人に付き添ってもらったんです。社長は障害があり目が悪くて、どうやら労組の人がいたことに気づいていなかったようで、気づいた翌日、家に刑事が来て住居不法侵入罪で訴えられました……。その会社は、放課後デイサービス事業はまだできて3~4年くらいの会社でした。放課後デイサービスは補助金が出て儲かるようです。社内のパワハラがあまりに酷かったので、周囲で会社や社長の名前を出すと、知る人ぞ知るという感じでした。強引で悪質な体質だって。今年に入って、この代表が暴行の現行犯で逮捕されたことを知りました。やはりそういう人と会社だったということですね。今もこの放課後デイサービスは変わらず営業しています。 家と学校の間をつなぐ場を作りたい私は、放課後の午後3時以降の時間帯とは重ならないで働きたい。放課後の子どもの居場所作りの夢に理解を示してくれた社長は、そうした働き方を認めてくれました。実家は遠く、私も子どもも、ここではよそ者です。おじいちゃん、おばあちゃんがいるわけでない。私たちにとっても、ふらっと寄ることができる場所が必要です。特にコロナ禍で子どもたちは放課後に自由に遊べず、家でゲームするしかなかった。学校も感染予防でピリピリしていて、雰囲気がギスギスしているのか、息子も「行きたくないなー」と言って登校拒否することもよくありました。家と学校以外の場がないと。公的な「学童」は感染予防でひたすら座学をさせるばかりで、子どもが行きたがらなかった。楽しそうな人気のある民間学童は人が集まりすぎてパンク寸前だし、費用が月数万円もかかる。どこにも居場所がない。だから私はその誰かにとって居心地がいい、安心できる居場所を作りたいと思ったのです。子ども食堂が話題になっていますが、これまでの活動で大勢「参加者」が来ても一人ひとりに目を向けられない現実を目の当たりにしてきました。私は目の前の一人を大切にできる場作りを目指していきたいと思います。喫茶店のモーニングが贅沢私は時給800円で働いてきて、子どもの生活に合わせた労働時間だから、頑張っても月10万円ほどの収入と養育費の5万円しかない。どれだけ収入があればいいのか、私は月20万円あったら、お金の心配をしないで生活できると思う。東海地方の喫茶店は「モーニング」だと400~500円のドリンク代で朝食が無料でついてくるんです。たまにモーニングに行くのは自分へのご褒美です。気分転換にもなるし。息子が野球の練習をしている間に、娘を誘って喫茶店に行くことがあります。思春期で難しい年ごろなので、弟抜きでちょっと話す時間を作るようにしています。それだって、ごくたまにですよ。 真面目に生活してお金を貯めて、2年前に中古で平屋の一戸建ての家を買いました。夫からモラハラを受けながらもコツコツ貯めた貯金と父が残した遺産を合わせ、総額700万円を一括購入しました。前は、狭くて暗いアパートで暮らして、他の部屋には外国人が住んでいて毎晩夜中までカラオケをしているような環境で、毎日が本当にしんどかったです。生きていることがもうしんどかった。清水の舞台から飛び降りる思いで家を買って、良かった。「70代でアルバイト」は他人事ではない住む家はあるので、あとの不安は自分の健康ですね。なにせ、私一人での子育てですから。6年ほど前に子ども会の会長と町内会の班長、小学校のPTA活動の委員長、保育園役員が同時に重なって無理がたたって身体を壊してしまいました。胸の辺りの表面がえぐれて激痛が走りました。乳癌の末期かと思ったのですが、ストレスによって発症した肉芽腫性乳腺炎という病気でした。この時、せめて息子が中学を卒業するまでは生きなきゃと思って、無理はしないことに決めたんです。息子が義務教育を終えていれば、7歳年上の娘は働いているかもしれない。老後も心配です。2022年の2月に、新潟県の老舗製菓会社の工場で火災が起こって、60代と70代のアルバイト従業員が亡くなったニュースがあったじゃないですか。あれを見て、ああ、年金では暮らせないから70代になってもアルバイトしているんだなと感じたんです。必死に働いても非正規労働は報われない。何か権利を主張しても無視される。そういうことがあまりにも多く、理不尽だと思います。私自身、ずっと非正規で働かざるを得なかったので、壁にぶつかってばかりでした。政治に強い関心を抱かずにはいられません。
みんなサービス残業をやっている職場工場勤務の時はぴったり最低賃金と同じ時給でしたし、休業補償はしてくれない、年次有給休暇の権利も認めてくれない。こんな会社やってられるかー!とも思って辞めて、失業保険の給付を受けて職探しをしました。ハローワークに通うと、就職氷河期世代向けの就職支援がありました。氷河期世代を正社員として採用すると、企業に助成金が出る仕組みです。支援を受けて、6歳から18歳までの障害のある子を放課後に預かる放課後デイサービスに就職が決まりました。けれど、事件が起こったんです。放課後デイサービスはシフト勤務なのですが、早番でサービス残業を要求されたのです。「皆、そうしているから」と。私は、従業員を守ることが利用する子どもの安心につながるのだから、労働基準法に則って法律を守って欲しいと言ったんです。社長にも、管理職にも。そうすると、「何を言ってるんだ! 皆やっている。できないならシフトに入れないよ」と、えらいことになって。労働組合にも相談したのですが埒が明かず、結局、辞めることに。ハローワークで、しかも、就職氷河期世代支援で紹介された会社ですよ。それで退職届を提出するのにも、電話で人格否定されて恫喝されるので一人で行くのが怖くて、労組の人に付き添ってもらったんです。社長は障害があり目が悪くて、どうやら労組の人がいたことに気づいていなかったようで、気づいた翌日、家に刑事が来て住居不法侵入罪で訴えられました……。その会社は、放課後デイサービス事業はまだできて3~4年くらいの会社でした。放課後デイサービスは補助金が出て儲かるようです。社内のパワハラがあまりに酷かったので、周囲で会社や社長の名前を出すと、知る人ぞ知るという感じでした。強引で悪質な体質だって。今年に入って、この代表が暴行の現行犯で逮捕されたことを知りました。やはりそういう人と会社だったということですね。今もこの放課後デイサービスは変わらず営業しています。 家と学校の間をつなぐ場を作りたい私は、放課後の午後3時以降の時間帯とは重ならないで働きたい。放課後の子どもの居場所作りの夢に理解を示してくれた社長は、そうした働き方を認めてくれました。実家は遠く、私も子どもも、ここではよそ者です。おじいちゃん、おばあちゃんがいるわけでない。私たちにとっても、ふらっと寄ることができる場所が必要です。特にコロナ禍で子どもたちは放課後に自由に遊べず、家でゲームするしかなかった。学校も感染予防でピリピリしていて、雰囲気がギスギスしているのか、息子も「行きたくないなー」と言って登校拒否することもよくありました。家と学校以外の場がないと。公的な「学童」は感染予防でひたすら座学をさせるばかりで、子どもが行きたがらなかった。楽しそうな人気のある民間学童は人が集まりすぎてパンク寸前だし、費用が月数万円もかかる。どこにも居場所がない。だから私はその誰かにとって居心地がいい、安心できる居場所を作りたいと思ったのです。子ども食堂が話題になっていますが、これまでの活動で大勢「参加者」が来ても一人ひとりに目を向けられない現実を目の当たりにしてきました。私は目の前の一人を大切にできる場作りを目指していきたいと思います。喫茶店のモーニングが贅沢私は時給800円で働いてきて、子どもの生活に合わせた労働時間だから、頑張っても月10万円ほどの収入と養育費の5万円しかない。どれだけ収入があればいいのか、私は月20万円あったら、お金の心配をしないで生活できると思う。東海地方の喫茶店は「モーニング」だと400~500円のドリンク代で朝食が無料でついてくるんです。たまにモーニングに行くのは自分へのご褒美です。気分転換にもなるし。息子が野球の練習をしている間に、娘を誘って喫茶店に行くことがあります。思春期で難しい年ごろなので、弟抜きでちょっと話す時間を作るようにしています。それだって、ごくたまにですよ。 真面目に生活してお金を貯めて、2年前に中古で平屋の一戸建ての家を買いました。夫からモラハラを受けながらもコツコツ貯めた貯金と父が残した遺産を合わせ、総額700万円を一括購入しました。前は、狭くて暗いアパートで暮らして、他の部屋には外国人が住んでいて毎晩夜中までカラオケをしているような環境で、毎日が本当にしんどかったです。生きていることがもうしんどかった。清水の舞台から飛び降りる思いで家を買って、良かった。「70代でアルバイト」は他人事ではない住む家はあるので、あとの不安は自分の健康ですね。なにせ、私一人での子育てですから。6年ほど前に子ども会の会長と町内会の班長、小学校のPTA活動の委員長、保育園役員が同時に重なって無理がたたって身体を壊してしまいました。胸の辺りの表面がえぐれて激痛が走りました。乳癌の末期かと思ったのですが、ストレスによって発症した肉芽腫性乳腺炎という病気でした。この時、せめて息子が中学を卒業するまでは生きなきゃと思って、無理はしないことに決めたんです。息子が義務教育を終えていれば、7歳年上の娘は働いているかもしれない。老後も心配です。2022年の2月に、新潟県の老舗製菓会社の工場で火災が起こって、60代と70代のアルバイト従業員が亡くなったニュースがあったじゃないですか。あれを見て、ああ、年金では暮らせないから70代になってもアルバイトしているんだなと感じたんです。必死に働いても非正規労働は報われない。何か権利を主張しても無視される。そういうことがあまりにも多く、理不尽だと思います。私自身、ずっと非正規で働かざるを得なかったので、壁にぶつかってばかりでした。政治に強い関心を抱かずにはいられません。
工場勤務の時はぴったり最低賃金と同じ時給でしたし、休業補償はしてくれない、年次有給休暇の権利も認めてくれない。こんな会社やってられるかー!とも思って辞めて、失業保険の給付を受けて職探しをしました。
ハローワークに通うと、就職氷河期世代向けの就職支援がありました。氷河期世代を正社員として採用すると、企業に助成金が出る仕組みです。支援を受けて、6歳から18歳までの障害のある子を放課後に預かる放課後デイサービスに就職が決まりました。けれど、事件が起こったんです。
放課後デイサービスはシフト勤務なのですが、早番でサービス残業を要求されたのです。「皆、そうしているから」と。
私は、従業員を守ることが利用する子どもの安心につながるのだから、労働基準法に則って法律を守って欲しいと言ったんです。社長にも、管理職にも。そうすると、「何を言ってるんだ! 皆やっている。できないならシフトに入れないよ」と、えらいことになって。
労働組合にも相談したのですが埒が明かず、結局、辞めることに。ハローワークで、しかも、就職氷河期世代支援で紹介された会社ですよ。
それで退職届を提出するのにも、電話で人格否定されて恫喝されるので一人で行くのが怖くて、労組の人に付き添ってもらったんです。
社長は障害があり目が悪くて、どうやら労組の人がいたことに気づいていなかったようで、気づいた翌日、家に刑事が来て住居不法侵入罪で訴えられました……。
その会社は、放課後デイサービス事業はまだできて3~4年くらいの会社でした。放課後デイサービスは補助金が出て儲かるようです。社内のパワハラがあまりに酷かったので、周囲で会社や社長の名前を出すと、知る人ぞ知るという感じでした。強引で悪質な体質だって。今年に入って、この代表が暴行の現行犯で逮捕されたことを知りました。やはりそういう人と会社だったということですね。今もこの放課後デイサービスは変わらず営業しています。
家と学校の間をつなぐ場を作りたい私は、放課後の午後3時以降の時間帯とは重ならないで働きたい。放課後の子どもの居場所作りの夢に理解を示してくれた社長は、そうした働き方を認めてくれました。実家は遠く、私も子どもも、ここではよそ者です。おじいちゃん、おばあちゃんがいるわけでない。私たちにとっても、ふらっと寄ることができる場所が必要です。特にコロナ禍で子どもたちは放課後に自由に遊べず、家でゲームするしかなかった。学校も感染予防でピリピリしていて、雰囲気がギスギスしているのか、息子も「行きたくないなー」と言って登校拒否することもよくありました。家と学校以外の場がないと。公的な「学童」は感染予防でひたすら座学をさせるばかりで、子どもが行きたがらなかった。楽しそうな人気のある民間学童は人が集まりすぎてパンク寸前だし、費用が月数万円もかかる。どこにも居場所がない。だから私はその誰かにとって居心地がいい、安心できる居場所を作りたいと思ったのです。子ども食堂が話題になっていますが、これまでの活動で大勢「参加者」が来ても一人ひとりに目を向けられない現実を目の当たりにしてきました。私は目の前の一人を大切にできる場作りを目指していきたいと思います。喫茶店のモーニングが贅沢私は時給800円で働いてきて、子どもの生活に合わせた労働時間だから、頑張っても月10万円ほどの収入と養育費の5万円しかない。どれだけ収入があればいいのか、私は月20万円あったら、お金の心配をしないで生活できると思う。東海地方の喫茶店は「モーニング」だと400~500円のドリンク代で朝食が無料でついてくるんです。たまにモーニングに行くのは自分へのご褒美です。気分転換にもなるし。息子が野球の練習をしている間に、娘を誘って喫茶店に行くことがあります。思春期で難しい年ごろなので、弟抜きでちょっと話す時間を作るようにしています。それだって、ごくたまにですよ。 真面目に生活してお金を貯めて、2年前に中古で平屋の一戸建ての家を買いました。夫からモラハラを受けながらもコツコツ貯めた貯金と父が残した遺産を合わせ、総額700万円を一括購入しました。前は、狭くて暗いアパートで暮らして、他の部屋には外国人が住んでいて毎晩夜中までカラオケをしているような環境で、毎日が本当にしんどかったです。生きていることがもうしんどかった。清水の舞台から飛び降りる思いで家を買って、良かった。「70代でアルバイト」は他人事ではない住む家はあるので、あとの不安は自分の健康ですね。なにせ、私一人での子育てですから。6年ほど前に子ども会の会長と町内会の班長、小学校のPTA活動の委員長、保育園役員が同時に重なって無理がたたって身体を壊してしまいました。胸の辺りの表面がえぐれて激痛が走りました。乳癌の末期かと思ったのですが、ストレスによって発症した肉芽腫性乳腺炎という病気でした。この時、せめて息子が中学を卒業するまでは生きなきゃと思って、無理はしないことに決めたんです。息子が義務教育を終えていれば、7歳年上の娘は働いているかもしれない。老後も心配です。2022年の2月に、新潟県の老舗製菓会社の工場で火災が起こって、60代と70代のアルバイト従業員が亡くなったニュースがあったじゃないですか。あれを見て、ああ、年金では暮らせないから70代になってもアルバイトしているんだなと感じたんです。必死に働いても非正規労働は報われない。何か権利を主張しても無視される。そういうことがあまりにも多く、理不尽だと思います。私自身、ずっと非正規で働かざるを得なかったので、壁にぶつかってばかりでした。政治に強い関心を抱かずにはいられません。
私は、放課後の午後3時以降の時間帯とは重ならないで働きたい。放課後の子どもの居場所作りの夢に理解を示してくれた社長は、そうした働き方を認めてくれました。
実家は遠く、私も子どもも、ここではよそ者です。おじいちゃん、おばあちゃんがいるわけでない。私たちにとっても、ふらっと寄ることができる場所が必要です。
特にコロナ禍で子どもたちは放課後に自由に遊べず、家でゲームするしかなかった。学校も感染予防でピリピリしていて、雰囲気がギスギスしているのか、息子も「行きたくないなー」と言って登校拒否することもよくありました。家と学校以外の場がないと。
公的な「学童」は感染予防でひたすら座学をさせるばかりで、子どもが行きたがらなかった。楽しそうな人気のある民間学童は人が集まりすぎてパンク寸前だし、費用が月数万円もかかる。どこにも居場所がない。だから私はその誰かにとって居心地がいい、安心できる居場所を作りたいと思ったのです。
子ども食堂が話題になっていますが、これまでの活動で大勢「参加者」が来ても一人ひとりに目を向けられない現実を目の当たりにしてきました。私は目の前の一人を大切にできる場作りを目指していきたいと思います。
私は時給800円で働いてきて、子どもの生活に合わせた労働時間だから、頑張っても月10万円ほどの収入と養育費の5万円しかない。
どれだけ収入があればいいのか、私は月20万円あったら、お金の心配をしないで生活できると思う。
東海地方の喫茶店は「モーニング」だと400~500円のドリンク代で朝食が無料でついてくるんです。たまにモーニングに行くのは自分へのご褒美です。気分転換にもなるし。
息子が野球の練習をしている間に、娘を誘って喫茶店に行くことがあります。思春期で難しい年ごろなので、弟抜きでちょっと話す時間を作るようにしています。それだって、ごくたまにですよ。
真面目に生活してお金を貯めて、2年前に中古で平屋の一戸建ての家を買いました。夫からモラハラを受けながらもコツコツ貯めた貯金と父が残した遺産を合わせ、総額700万円を一括購入しました。前は、狭くて暗いアパートで暮らして、他の部屋には外国人が住んでいて毎晩夜中までカラオケをしているような環境で、毎日が本当にしんどかったです。生きていることがもうしんどかった。清水の舞台から飛び降りる思いで家を買って、良かった。「70代でアルバイト」は他人事ではない住む家はあるので、あとの不安は自分の健康ですね。なにせ、私一人での子育てですから。6年ほど前に子ども会の会長と町内会の班長、小学校のPTA活動の委員長、保育園役員が同時に重なって無理がたたって身体を壊してしまいました。胸の辺りの表面がえぐれて激痛が走りました。乳癌の末期かと思ったのですが、ストレスによって発症した肉芽腫性乳腺炎という病気でした。この時、せめて息子が中学を卒業するまでは生きなきゃと思って、無理はしないことに決めたんです。息子が義務教育を終えていれば、7歳年上の娘は働いているかもしれない。老後も心配です。2022年の2月に、新潟県の老舗製菓会社の工場で火災が起こって、60代と70代のアルバイト従業員が亡くなったニュースがあったじゃないですか。あれを見て、ああ、年金では暮らせないから70代になってもアルバイトしているんだなと感じたんです。必死に働いても非正規労働は報われない。何か権利を主張しても無視される。そういうことがあまりにも多く、理不尽だと思います。私自身、ずっと非正規で働かざるを得なかったので、壁にぶつかってばかりでした。政治に強い関心を抱かずにはいられません。
真面目に生活してお金を貯めて、2年前に中古で平屋の一戸建ての家を買いました。夫からモラハラを受けながらもコツコツ貯めた貯金と父が残した遺産を合わせ、総額700万円を一括購入しました。
前は、狭くて暗いアパートで暮らして、他の部屋には外国人が住んでいて毎晩夜中までカラオケをしているような環境で、毎日が本当にしんどかったです。生きていることがもうしんどかった。清水の舞台から飛び降りる思いで家を買って、良かった。
住む家はあるので、あとの不安は自分の健康ですね。なにせ、私一人での子育てですから。
6年ほど前に子ども会の会長と町内会の班長、小学校のPTA活動の委員長、保育園役員が同時に重なって無理がたたって身体を壊してしまいました。胸の辺りの表面がえぐれて激痛が走りました。乳癌の末期かと思ったのですが、ストレスによって発症した肉芽腫性乳腺炎という病気でした。
この時、せめて息子が中学を卒業するまでは生きなきゃと思って、無理はしないことに決めたんです。息子が義務教育を終えていれば、7歳年上の娘は働いているかもしれない。
老後も心配です。2022年の2月に、新潟県の老舗製菓会社の工場で火災が起こって、60代と70代のアルバイト従業員が亡くなったニュースがあったじゃないですか。あれを見て、ああ、年金では暮らせないから70代になってもアルバイトしているんだなと感じたんです。
必死に働いても非正規労働は報われない。何か権利を主張しても無視される。そういうことがあまりにも多く、理不尽だと思います。私自身、ずっと非正規で働かざるを得なかったので、壁にぶつかってばかりでした。政治に強い関心を抱かずにはいられません。