共働き家庭の一般化や、少子化が進んだ昨今。子どもに無関心過ぎる親、過放任な親、過保護・過干渉な親が散見される一方、下の子や老親の世話、手伝いの範疇を超えた家事労働を強要する親が目につく。こうしたケースの中には、親の意識の有無に関わらず、「子どもは親の所有物」と勘違いしている場合もある。あなたは子どもの子どもたる時間や居場所を奪っていませんか現在関東在住の三宅亜子さん(30代・未婚)は、大学院生。九州の田舎に生まれ、実家、母方の祖父母宅、大叔母(祖父の妹)宅が徒歩30秒ほどの距離に建つ環境で育った。

父親は県の職員、母親は中学教師で、お互いが26歳の頃に出会い、結婚。父親は三宅さんが生まれる前に交通事故死。母親は29歳の頃、建設業に従事する10歳年上の男性と再婚し妹(6歳下)と弟(8歳下)をもうけるも、夫婦仲はやがて悪化し警察沙汰の喧嘩を繰り返し、三宅さんが高校生の頃離婚した。東京の大学へ進学し、社会経験を積むため大学と銀座のクラブのホステスとして二足の草鞋生活を始めた三宅さん。そこで彼女は母親の持つ根深いコンプレックスに気付き、それがこれまでの問題行動と深く関係していたことに気づく。妹と弟の現在三宅さんの6歳下の妹は、同じく大学進学を機に実家を出、現在は横浜に住んでいる。実家を離れてから徐々に母親の異常性に気付き始めたが、一方で精神的に不安定なことが増えた。「母は私と妹、それぞれに、それぞれがお互いを憎しみあうように言葉巧みに操っていました。これは、私と妹が大人になってから、2人で話すようになって気が付きました。厳しい試練や努力を課せられて育った妹も私同様、自分に自信が無く、ひとり暮らしを始めてから、自殺未遂や過呼吸を繰り返し、現在も精神科にかかっているようです。先日は過呼吸になりながら私に電話をしてきて、『私は絶対に幸せになれない!』と泣き叫んでいました」photo by yamasan/Gettyimages 関西の大学に進学し、一度家を出た弟は、2年間一度も大学に行かずにずっとアパートでネットゲームをしていたため、退学して実家に戻った。母に「彼氏のように」溺愛されてきた弟は…ところが、弟はネットゲームに120万円を課金していることが発覚すると、当時、国際電話をかけることの多かった三宅さんのせいに。弟に甘い母親は、それを信用して三宅さんを責めた。「当時、私は別の世帯として携帯電話やインターネットを契約。支払いも自分でしていたので全く無関係です。電話会社に確認すればすぐに真相がわかる話なのですが、母はそれをしませんでした。結局、私が電話会社に問い合わせ、ゲーム課金が発覚したのです」弟は実家にもどってからというもの、4年ほど引きこもっている。三宅さんによれば、弟は、高校まではどちらかと言うとリーダー格で、体育祭などのイベントでは一番活躍するタイプの子だったという。 「でも、今思えば、弟には引きこもる要因が多かったとも思います。私や妹と違って、弟は勉強や習い事を強制されなかった結果、全く勉強をせず、勉強ができませんでした。そのため言葉や伝え方を知らず、自分の意見を文章化したり口に出すことが苦手になったのだと思います。また、弟だけは母からかなり甘やかされており、“彼氏のような息子”ポジションでした。母は弟を叱れず、弟を叱る仕事はずっと私に任せていました」弟がゲームばかりしていると、母親は三宅さんに弟を殴って叱るように命じ、三宅さんはその通りにした。瞬間、母親は弟に駆け寄り、「かわいそうに!かわいそうに!」と頭をなでるのだ。そんな調子の母親によって、現在離れて暮らす三宅さんと妹は、“弟を助けない薄情者”として扱われ、身内や近所にあることないこと吹聴されている。子どもは親の所有物じゃない三宅さんは現在30歳。23歳のときに大学院に進んだが、摂食障害などで体調を崩し、25歳頃に前期を終え一旦就職し、今は仕事を続けながら博士課程に通う。25歳くらいの頃、母親から電話で、「弟の学費が足らない。実の父方のお祖母ちゃんから2000万騙し取って来い!」と命令された。さすがの三宅さんも、これには従えなかった。「この命令が、母の行き過ぎた我が儘や異常性を自分に気付かせ、母と縁を切る大きなきっかけの一つでした。私はさすがにひどいと思い、母には同意したフリをし、すぐに実の父方の祖母と大叔母にこのことを話しました。母がどれほど異常であるかを、身内が本当の意味で知り始めるきっかけでもあったと思います」一方で、妹は母親の異常性に徐々に気付きながらも、まだ母親に「愛されたい」という気持ちが残っており、完全には断ち切れないでいる。 「私自身、積み重なってきたものが理由で、何かがあって母と縁を切ったということではありません。上京してからも、実家に残っている妹と弟、祖父母のために、私が少しでも母の電話に対応したり、帰省した時に母の意地悪のターゲットになったりすれば、妹弟や祖父母への母からの被害が少しでも減らせるのではないかと考えていたためです。また、祖父母孝行するために祖父母宅に帰るとなると、必然的に母にも会うことになるため、面倒なもめ事を避けるために縁を切れずにいました」8年前に祖父が亡くなり、祖母も遠方の伯父(母の兄)と同居することになったこともきっかけの一つだった。何らかの精神疾患をかかえていたのか母親は今年60歳になる。最近、上司にあたる教頭か校長に暴力的な行為をしたことで学校を辞めさせられ、現在は引きこもりに関わる機関で働いているという。三宅さんの話を聞いて筆者は、母親は何らかの精神疾患を抱えていたのではないかと思わずにはいられない。 「母は仮病を使うことが多く、これまでに何度も癌になったり、何度も脳に腫瘍ができたり、何度も余命宣告を受けたりしています。精神科にかかることも多かったですが、『病気を治そう』という意志は全く無く、自分が病気であることを盾や言い訳にし、私や妹が少しでも母に何か相談しようとすると、『私の方が苦しい』と薬を見せびらかしてきました。確かに、祖父母の育て方も母がおかしくなった原因の一つだとは思いますが、私はむしろ、“突然変異”的な要素が強いように感じています」三宅さんは成人した後、母親の性格の悪さや我が儘さ、虚言癖について疑問を持ち、伯父(母の兄)に訊ねたことがある。「子供を所有物扱いした親」の救いようのない末路「お母さんは、私のお父さんが死んだから、人を貶めたり息をするように大きな嘘をついたり、自己中心的な性格になったの?」と聞いたところ、「いや、昔からやね。小さい頃からあんな感じやった」と答えたのだ。伯父の話によると、祖父母は母親の性格をずっと何とかしようと努力してきたが、何をどう試みても変わらなかったという。「祖父母の育て方以上に、母の先天的な脳の疾患、例えばサイコパスなどによる可能性が高い気がしています」例えば自己愛性パーソナリティ障害など、先天的な脳の疾患によって子どもを所有物扱いしてしまっていたのだとしたら、それは「仕方のないこと」になってしまうのだろうか。 いや、それを「仕方のないこと」としてしまったら、子どもは救われない。だからといって、「先天的な脳の疾患を持つ人が子どもをもうけて良いのだろうか」などという暴論を投げかけるつもりはない。三宅さんや三宅さんの妹弟のような子どもを救うには、周囲の大人がいち早く微かな異常に気付き、然るべき機関につなげることではないだろうか。そういう意味では、三宅さんの祖父母や大叔母や伯父は、その責任を十分に果たせていたとは言い難いだろう。最後に三宅さんに、「もしもこの先、『お母さんが入院した。介護が必要になった』などという知らせを受けたらどうしますか?」と聞くと、「可能な限りの虐待の証拠を提示し、『私は彼女とは関係ありません』を貫きたいと考えています」ときっぱり答えた。これが子どもを所有物化した親の末路なのかもしれない。
あなたは子どもの子どもたる時間や居場所を奪っていませんか
現在関東在住の三宅亜子さん(30代・未婚)は、大学院生。九州の田舎に生まれ、実家、母方の祖父母宅、大叔母(祖父の妹)宅が徒歩30秒ほどの距離に建つ環境で育った。
父親は県の職員、母親は中学教師で、お互いが26歳の頃に出会い、結婚。父親は三宅さんが生まれる前に交通事故死。母親は29歳の頃、建設業に従事する10歳年上の男性と再婚し妹(6歳下)と弟(8歳下)をもうけるも、夫婦仲はやがて悪化し警察沙汰の喧嘩を繰り返し、三宅さんが高校生の頃離婚した。
東京の大学へ進学し、社会経験を積むため大学と銀座のクラブのホステスとして二足の草鞋生活を始めた三宅さん。そこで彼女は母親の持つ根深いコンプレックスに気付き、それがこれまでの問題行動と深く関係していたことに気づく。
三宅さんの6歳下の妹は、同じく大学進学を機に実家を出、現在は横浜に住んでいる。
実家を離れてから徐々に母親の異常性に気付き始めたが、一方で精神的に不安定なことが増えた。
「母は私と妹、それぞれに、それぞれがお互いを憎しみあうように言葉巧みに操っていました。これは、私と妹が大人になってから、2人で話すようになって気が付きました。
厳しい試練や努力を課せられて育った妹も私同様、自分に自信が無く、ひとり暮らしを始めてから、自殺未遂や過呼吸を繰り返し、現在も精神科にかかっているようです。
先日は過呼吸になりながら私に電話をしてきて、『私は絶対に幸せになれない!』と泣き叫んでいました」
photo by yamasan/Gettyimages
関西の大学に進学し、一度家を出た弟は、2年間一度も大学に行かずにずっとアパートでネットゲームをしていたため、退学して実家に戻った。母に「彼氏のように」溺愛されてきた弟は…ところが、弟はネットゲームに120万円を課金していることが発覚すると、当時、国際電話をかけることの多かった三宅さんのせいに。弟に甘い母親は、それを信用して三宅さんを責めた。「当時、私は別の世帯として携帯電話やインターネットを契約。支払いも自分でしていたので全く無関係です。電話会社に確認すればすぐに真相がわかる話なのですが、母はそれをしませんでした。結局、私が電話会社に問い合わせ、ゲーム課金が発覚したのです」弟は実家にもどってからというもの、4年ほど引きこもっている。三宅さんによれば、弟は、高校まではどちらかと言うとリーダー格で、体育祭などのイベントでは一番活躍するタイプの子だったという。 「でも、今思えば、弟には引きこもる要因が多かったとも思います。私や妹と違って、弟は勉強や習い事を強制されなかった結果、全く勉強をせず、勉強ができませんでした。そのため言葉や伝え方を知らず、自分の意見を文章化したり口に出すことが苦手になったのだと思います。また、弟だけは母からかなり甘やかされており、“彼氏のような息子”ポジションでした。母は弟を叱れず、弟を叱る仕事はずっと私に任せていました」弟がゲームばかりしていると、母親は三宅さんに弟を殴って叱るように命じ、三宅さんはその通りにした。瞬間、母親は弟に駆け寄り、「かわいそうに!かわいそうに!」と頭をなでるのだ。そんな調子の母親によって、現在離れて暮らす三宅さんと妹は、“弟を助けない薄情者”として扱われ、身内や近所にあることないこと吹聴されている。子どもは親の所有物じゃない三宅さんは現在30歳。23歳のときに大学院に進んだが、摂食障害などで体調を崩し、25歳頃に前期を終え一旦就職し、今は仕事を続けながら博士課程に通う。25歳くらいの頃、母親から電話で、「弟の学費が足らない。実の父方のお祖母ちゃんから2000万騙し取って来い!」と命令された。さすがの三宅さんも、これには従えなかった。「この命令が、母の行き過ぎた我が儘や異常性を自分に気付かせ、母と縁を切る大きなきっかけの一つでした。私はさすがにひどいと思い、母には同意したフリをし、すぐに実の父方の祖母と大叔母にこのことを話しました。母がどれほど異常であるかを、身内が本当の意味で知り始めるきっかけでもあったと思います」一方で、妹は母親の異常性に徐々に気付きながらも、まだ母親に「愛されたい」という気持ちが残っており、完全には断ち切れないでいる。 「私自身、積み重なってきたものが理由で、何かがあって母と縁を切ったということではありません。上京してからも、実家に残っている妹と弟、祖父母のために、私が少しでも母の電話に対応したり、帰省した時に母の意地悪のターゲットになったりすれば、妹弟や祖父母への母からの被害が少しでも減らせるのではないかと考えていたためです。また、祖父母孝行するために祖父母宅に帰るとなると、必然的に母にも会うことになるため、面倒なもめ事を避けるために縁を切れずにいました」8年前に祖父が亡くなり、祖母も遠方の伯父(母の兄)と同居することになったこともきっかけの一つだった。何らかの精神疾患をかかえていたのか母親は今年60歳になる。最近、上司にあたる教頭か校長に暴力的な行為をしたことで学校を辞めさせられ、現在は引きこもりに関わる機関で働いているという。三宅さんの話を聞いて筆者は、母親は何らかの精神疾患を抱えていたのではないかと思わずにはいられない。 「母は仮病を使うことが多く、これまでに何度も癌になったり、何度も脳に腫瘍ができたり、何度も余命宣告を受けたりしています。精神科にかかることも多かったですが、『病気を治そう』という意志は全く無く、自分が病気であることを盾や言い訳にし、私や妹が少しでも母に何か相談しようとすると、『私の方が苦しい』と薬を見せびらかしてきました。確かに、祖父母の育て方も母がおかしくなった原因の一つだとは思いますが、私はむしろ、“突然変異”的な要素が強いように感じています」三宅さんは成人した後、母親の性格の悪さや我が儘さ、虚言癖について疑問を持ち、伯父(母の兄)に訊ねたことがある。「子供を所有物扱いした親」の救いようのない末路「お母さんは、私のお父さんが死んだから、人を貶めたり息をするように大きな嘘をついたり、自己中心的な性格になったの?」と聞いたところ、「いや、昔からやね。小さい頃からあんな感じやった」と答えたのだ。伯父の話によると、祖父母は母親の性格をずっと何とかしようと努力してきたが、何をどう試みても変わらなかったという。「祖父母の育て方以上に、母の先天的な脳の疾患、例えばサイコパスなどによる可能性が高い気がしています」例えば自己愛性パーソナリティ障害など、先天的な脳の疾患によって子どもを所有物扱いしてしまっていたのだとしたら、それは「仕方のないこと」になってしまうのだろうか。 いや、それを「仕方のないこと」としてしまったら、子どもは救われない。だからといって、「先天的な脳の疾患を持つ人が子どもをもうけて良いのだろうか」などという暴論を投げかけるつもりはない。三宅さんや三宅さんの妹弟のような子どもを救うには、周囲の大人がいち早く微かな異常に気付き、然るべき機関につなげることではないだろうか。そういう意味では、三宅さんの祖父母や大叔母や伯父は、その責任を十分に果たせていたとは言い難いだろう。最後に三宅さんに、「もしもこの先、『お母さんが入院した。介護が必要になった』などという知らせを受けたらどうしますか?」と聞くと、「可能な限りの虐待の証拠を提示し、『私は彼女とは関係ありません』を貫きたいと考えています」ときっぱり答えた。これが子どもを所有物化した親の末路なのかもしれない。
関西の大学に進学し、一度家を出た弟は、2年間一度も大学に行かずにずっとアパートでネットゲームをしていたため、退学して実家に戻った。
ところが、弟はネットゲームに120万円を課金していることが発覚すると、当時、国際電話をかけることの多かった三宅さんのせいに。弟に甘い母親は、それを信用して三宅さんを責めた。
「当時、私は別の世帯として携帯電話やインターネットを契約。支払いも自分でしていたので全く無関係です。電話会社に確認すればすぐに真相がわかる話なのですが、母はそれをしませんでした。結局、私が電話会社に問い合わせ、ゲーム課金が発覚したのです」
弟は実家にもどってからというもの、4年ほど引きこもっている。
三宅さんによれば、弟は、高校まではどちらかと言うとリーダー格で、体育祭などのイベントでは一番活躍するタイプの子だったという。
「でも、今思えば、弟には引きこもる要因が多かったとも思います。私や妹と違って、弟は勉強や習い事を強制されなかった結果、全く勉強をせず、勉強ができませんでした。そのため言葉や伝え方を知らず、自分の意見を文章化したり口に出すことが苦手になったのだと思います。また、弟だけは母からかなり甘やかされており、“彼氏のような息子”ポジションでした。母は弟を叱れず、弟を叱る仕事はずっと私に任せていました」弟がゲームばかりしていると、母親は三宅さんに弟を殴って叱るように命じ、三宅さんはその通りにした。瞬間、母親は弟に駆け寄り、「かわいそうに!かわいそうに!」と頭をなでるのだ。そんな調子の母親によって、現在離れて暮らす三宅さんと妹は、“弟を助けない薄情者”として扱われ、身内や近所にあることないこと吹聴されている。子どもは親の所有物じゃない三宅さんは現在30歳。23歳のときに大学院に進んだが、摂食障害などで体調を崩し、25歳頃に前期を終え一旦就職し、今は仕事を続けながら博士課程に通う。25歳くらいの頃、母親から電話で、「弟の学費が足らない。実の父方のお祖母ちゃんから2000万騙し取って来い!」と命令された。さすがの三宅さんも、これには従えなかった。「この命令が、母の行き過ぎた我が儘や異常性を自分に気付かせ、母と縁を切る大きなきっかけの一つでした。私はさすがにひどいと思い、母には同意したフリをし、すぐに実の父方の祖母と大叔母にこのことを話しました。母がどれほど異常であるかを、身内が本当の意味で知り始めるきっかけでもあったと思います」一方で、妹は母親の異常性に徐々に気付きながらも、まだ母親に「愛されたい」という気持ちが残っており、完全には断ち切れないでいる。 「私自身、積み重なってきたものが理由で、何かがあって母と縁を切ったということではありません。上京してからも、実家に残っている妹と弟、祖父母のために、私が少しでも母の電話に対応したり、帰省した時に母の意地悪のターゲットになったりすれば、妹弟や祖父母への母からの被害が少しでも減らせるのではないかと考えていたためです。また、祖父母孝行するために祖父母宅に帰るとなると、必然的に母にも会うことになるため、面倒なもめ事を避けるために縁を切れずにいました」8年前に祖父が亡くなり、祖母も遠方の伯父(母の兄)と同居することになったこともきっかけの一つだった。何らかの精神疾患をかかえていたのか母親は今年60歳になる。最近、上司にあたる教頭か校長に暴力的な行為をしたことで学校を辞めさせられ、現在は引きこもりに関わる機関で働いているという。三宅さんの話を聞いて筆者は、母親は何らかの精神疾患を抱えていたのではないかと思わずにはいられない。 「母は仮病を使うことが多く、これまでに何度も癌になったり、何度も脳に腫瘍ができたり、何度も余命宣告を受けたりしています。精神科にかかることも多かったですが、『病気を治そう』という意志は全く無く、自分が病気であることを盾や言い訳にし、私や妹が少しでも母に何か相談しようとすると、『私の方が苦しい』と薬を見せびらかしてきました。確かに、祖父母の育て方も母がおかしくなった原因の一つだとは思いますが、私はむしろ、“突然変異”的な要素が強いように感じています」三宅さんは成人した後、母親の性格の悪さや我が儘さ、虚言癖について疑問を持ち、伯父(母の兄)に訊ねたことがある。「子供を所有物扱いした親」の救いようのない末路「お母さんは、私のお父さんが死んだから、人を貶めたり息をするように大きな嘘をついたり、自己中心的な性格になったの?」と聞いたところ、「いや、昔からやね。小さい頃からあんな感じやった」と答えたのだ。伯父の話によると、祖父母は母親の性格をずっと何とかしようと努力してきたが、何をどう試みても変わらなかったという。「祖父母の育て方以上に、母の先天的な脳の疾患、例えばサイコパスなどによる可能性が高い気がしています」例えば自己愛性パーソナリティ障害など、先天的な脳の疾患によって子どもを所有物扱いしてしまっていたのだとしたら、それは「仕方のないこと」になってしまうのだろうか。 いや、それを「仕方のないこと」としてしまったら、子どもは救われない。だからといって、「先天的な脳の疾患を持つ人が子どもをもうけて良いのだろうか」などという暴論を投げかけるつもりはない。三宅さんや三宅さんの妹弟のような子どもを救うには、周囲の大人がいち早く微かな異常に気付き、然るべき機関につなげることではないだろうか。そういう意味では、三宅さんの祖父母や大叔母や伯父は、その責任を十分に果たせていたとは言い難いだろう。最後に三宅さんに、「もしもこの先、『お母さんが入院した。介護が必要になった』などという知らせを受けたらどうしますか?」と聞くと、「可能な限りの虐待の証拠を提示し、『私は彼女とは関係ありません』を貫きたいと考えています」ときっぱり答えた。これが子どもを所有物化した親の末路なのかもしれない。
「でも、今思えば、弟には引きこもる要因が多かったとも思います。私や妹と違って、弟は勉強や習い事を強制されなかった結果、全く勉強をせず、勉強ができませんでした。そのため言葉や伝え方を知らず、自分の意見を文章化したり口に出すことが苦手になったのだと思います。
また、弟だけは母からかなり甘やかされており、“彼氏のような息子”ポジションでした。母は弟を叱れず、弟を叱る仕事はずっと私に任せていました」
弟がゲームばかりしていると、母親は三宅さんに弟を殴って叱るように命じ、三宅さんはその通りにした。瞬間、母親は弟に駆け寄り、「かわいそうに!かわいそうに!」と頭をなでるのだ。
そんな調子の母親によって、現在離れて暮らす三宅さんと妹は、“弟を助けない薄情者”として扱われ、身内や近所にあることないこと吹聴されている。
三宅さんは現在30歳。23歳のときに大学院に進んだが、摂食障害などで体調を崩し、25歳頃に前期を終え一旦就職し、今は仕事を続けながら博士課程に通う。
25歳くらいの頃、母親から電話で、「弟の学費が足らない。実の父方のお祖母ちゃんから2000万騙し取って来い!」と命令された。
さすがの三宅さんも、これには従えなかった。
「この命令が、母の行き過ぎた我が儘や異常性を自分に気付かせ、母と縁を切る大きなきっかけの一つでした。私はさすがにひどいと思い、母には同意したフリをし、すぐに実の父方の祖母と大叔母にこのことを話しました。母がどれほど異常であるかを、身内が本当の意味で知り始めるきっかけでもあったと思います」
一方で、妹は母親の異常性に徐々に気付きながらも、まだ母親に「愛されたい」という気持ちが残っており、完全には断ち切れないでいる。
「私自身、積み重なってきたものが理由で、何かがあって母と縁を切ったということではありません。上京してからも、実家に残っている妹と弟、祖父母のために、私が少しでも母の電話に対応したり、帰省した時に母の意地悪のターゲットになったりすれば、妹弟や祖父母への母からの被害が少しでも減らせるのではないかと考えていたためです。また、祖父母孝行するために祖父母宅に帰るとなると、必然的に母にも会うことになるため、面倒なもめ事を避けるために縁を切れずにいました」8年前に祖父が亡くなり、祖母も遠方の伯父(母の兄)と同居することになったこともきっかけの一つだった。何らかの精神疾患をかかえていたのか母親は今年60歳になる。最近、上司にあたる教頭か校長に暴力的な行為をしたことで学校を辞めさせられ、現在は引きこもりに関わる機関で働いているという。三宅さんの話を聞いて筆者は、母親は何らかの精神疾患を抱えていたのではないかと思わずにはいられない。 「母は仮病を使うことが多く、これまでに何度も癌になったり、何度も脳に腫瘍ができたり、何度も余命宣告を受けたりしています。精神科にかかることも多かったですが、『病気を治そう』という意志は全く無く、自分が病気であることを盾や言い訳にし、私や妹が少しでも母に何か相談しようとすると、『私の方が苦しい』と薬を見せびらかしてきました。確かに、祖父母の育て方も母がおかしくなった原因の一つだとは思いますが、私はむしろ、“突然変異”的な要素が強いように感じています」三宅さんは成人した後、母親の性格の悪さや我が儘さ、虚言癖について疑問を持ち、伯父(母の兄)に訊ねたことがある。「子供を所有物扱いした親」の救いようのない末路「お母さんは、私のお父さんが死んだから、人を貶めたり息をするように大きな嘘をついたり、自己中心的な性格になったの?」と聞いたところ、「いや、昔からやね。小さい頃からあんな感じやった」と答えたのだ。伯父の話によると、祖父母は母親の性格をずっと何とかしようと努力してきたが、何をどう試みても変わらなかったという。「祖父母の育て方以上に、母の先天的な脳の疾患、例えばサイコパスなどによる可能性が高い気がしています」例えば自己愛性パーソナリティ障害など、先天的な脳の疾患によって子どもを所有物扱いしてしまっていたのだとしたら、それは「仕方のないこと」になってしまうのだろうか。 いや、それを「仕方のないこと」としてしまったら、子どもは救われない。だからといって、「先天的な脳の疾患を持つ人が子どもをもうけて良いのだろうか」などという暴論を投げかけるつもりはない。三宅さんや三宅さんの妹弟のような子どもを救うには、周囲の大人がいち早く微かな異常に気付き、然るべき機関につなげることではないだろうか。そういう意味では、三宅さんの祖父母や大叔母や伯父は、その責任を十分に果たせていたとは言い難いだろう。最後に三宅さんに、「もしもこの先、『お母さんが入院した。介護が必要になった』などという知らせを受けたらどうしますか?」と聞くと、「可能な限りの虐待の証拠を提示し、『私は彼女とは関係ありません』を貫きたいと考えています」ときっぱり答えた。これが子どもを所有物化した親の末路なのかもしれない。
「私自身、積み重なってきたものが理由で、何かがあって母と縁を切ったということではありません。
上京してからも、実家に残っている妹と弟、祖父母のために、私が少しでも母の電話に対応したり、帰省した時に母の意地悪のターゲットになったりすれば、妹弟や祖父母への母からの被害が少しでも減らせるのではないかと考えていたためです。
また、祖父母孝行するために祖父母宅に帰るとなると、必然的に母にも会うことになるため、面倒なもめ事を避けるために縁を切れずにいました」
8年前に祖父が亡くなり、祖母も遠方の伯父(母の兄)と同居することになったこともきっかけの一つだった。
母親は今年60歳になる。最近、上司にあたる教頭か校長に暴力的な行為をしたことで学校を辞めさせられ、現在は引きこもりに関わる機関で働いているという。
三宅さんの話を聞いて筆者は、母親は何らかの精神疾患を抱えていたのではないかと思わずにはいられない。
「母は仮病を使うことが多く、これまでに何度も癌になったり、何度も脳に腫瘍ができたり、何度も余命宣告を受けたりしています。精神科にかかることも多かったですが、『病気を治そう』という意志は全く無く、自分が病気であることを盾や言い訳にし、私や妹が少しでも母に何か相談しようとすると、『私の方が苦しい』と薬を見せびらかしてきました。確かに、祖父母の育て方も母がおかしくなった原因の一つだとは思いますが、私はむしろ、“突然変異”的な要素が強いように感じています」三宅さんは成人した後、母親の性格の悪さや我が儘さ、虚言癖について疑問を持ち、伯父(母の兄)に訊ねたことがある。「子供を所有物扱いした親」の救いようのない末路「お母さんは、私のお父さんが死んだから、人を貶めたり息をするように大きな嘘をついたり、自己中心的な性格になったの?」と聞いたところ、「いや、昔からやね。小さい頃からあんな感じやった」と答えたのだ。伯父の話によると、祖父母は母親の性格をずっと何とかしようと努力してきたが、何をどう試みても変わらなかったという。「祖父母の育て方以上に、母の先天的な脳の疾患、例えばサイコパスなどによる可能性が高い気がしています」例えば自己愛性パーソナリティ障害など、先天的な脳の疾患によって子どもを所有物扱いしてしまっていたのだとしたら、それは「仕方のないこと」になってしまうのだろうか。 いや、それを「仕方のないこと」としてしまったら、子どもは救われない。だからといって、「先天的な脳の疾患を持つ人が子どもをもうけて良いのだろうか」などという暴論を投げかけるつもりはない。三宅さんや三宅さんの妹弟のような子どもを救うには、周囲の大人がいち早く微かな異常に気付き、然るべき機関につなげることではないだろうか。そういう意味では、三宅さんの祖父母や大叔母や伯父は、その責任を十分に果たせていたとは言い難いだろう。最後に三宅さんに、「もしもこの先、『お母さんが入院した。介護が必要になった』などという知らせを受けたらどうしますか?」と聞くと、「可能な限りの虐待の証拠を提示し、『私は彼女とは関係ありません』を貫きたいと考えています」ときっぱり答えた。これが子どもを所有物化した親の末路なのかもしれない。
「母は仮病を使うことが多く、これまでに何度も癌になったり、何度も脳に腫瘍ができたり、何度も余命宣告を受けたりしています。
精神科にかかることも多かったですが、『病気を治そう』という意志は全く無く、自分が病気であることを盾や言い訳にし、私や妹が少しでも母に何か相談しようとすると、『私の方が苦しい』と薬を見せびらかしてきました。
確かに、祖父母の育て方も母がおかしくなった原因の一つだとは思いますが、私はむしろ、“突然変異”的な要素が強いように感じています」
三宅さんは成人した後、母親の性格の悪さや我が儘さ、虚言癖について疑問を持ち、伯父(母の兄)に訊ねたことがある。
「お母さんは、私のお父さんが死んだから、人を貶めたり息をするように大きな嘘をついたり、自己中心的な性格になったの?」と聞いたところ、「いや、昔からやね。小さい頃からあんな感じやった」と答えたのだ。
伯父の話によると、祖父母は母親の性格をずっと何とかしようと努力してきたが、何をどう試みても変わらなかったという。
「祖父母の育て方以上に、母の先天的な脳の疾患、例えばサイコパスなどによる可能性が高い気がしています」
例えば自己愛性パーソナリティ障害など、先天的な脳の疾患によって子どもを所有物扱いしてしまっていたのだとしたら、それは「仕方のないこと」になってしまうのだろうか。
いや、それを「仕方のないこと」としてしまったら、子どもは救われない。だからといって、「先天的な脳の疾患を持つ人が子どもをもうけて良いのだろうか」などという暴論を投げかけるつもりはない。三宅さんや三宅さんの妹弟のような子どもを救うには、周囲の大人がいち早く微かな異常に気付き、然るべき機関につなげることではないだろうか。そういう意味では、三宅さんの祖父母や大叔母や伯父は、その責任を十分に果たせていたとは言い難いだろう。最後に三宅さんに、「もしもこの先、『お母さんが入院した。介護が必要になった』などという知らせを受けたらどうしますか?」と聞くと、「可能な限りの虐待の証拠を提示し、『私は彼女とは関係ありません』を貫きたいと考えています」ときっぱり答えた。これが子どもを所有物化した親の末路なのかもしれない。
いや、それを「仕方のないこと」としてしまったら、子どもは救われない。だからといって、「先天的な脳の疾患を持つ人が子どもをもうけて良いのだろうか」などという暴論を投げかけるつもりはない。
三宅さんや三宅さんの妹弟のような子どもを救うには、周囲の大人がいち早く微かな異常に気付き、然るべき機関につなげることではないだろうか。
そういう意味では、三宅さんの祖父母や大叔母や伯父は、その責任を十分に果たせていたとは言い難いだろう。
最後に三宅さんに、「もしもこの先、『お母さんが入院した。介護が必要になった』などという知らせを受けたらどうしますか?」と聞くと、「可能な限りの虐待の証拠を提示し、『私は彼女とは関係ありません』を貫きたいと考えています」ときっぱり答えた。
これが子どもを所有物化した親の末路なのかもしれない。