静かな夜だった。昨年11月10日午前1時半。スマートフォンに「+380」で始まる覚えのない番号の着信があった。
「息子さんと思われる方が亡くなったようだ。確認してもらいたい。最短でいつ来られますか」
在ウクライナ日本大使館からだった。
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すぐに国際便を手配し、11月15日に隣国ポーランドの首都ワルシャワに到着。爆撃が続くウクライナには入国できず、大使館の連絡をホテルで待った。「間違いであってほしい」。祈るしかなかった。
2日後。大使館とのビデオ通話で、遺体の映像を見せられた。ウクライナ東部ルガンスク州の前線でミサイルが近くに着弾し、破片が左側頭部を直撃。首都キーウ(キエフ)に運ばれてきたと聞いた。体には血の跡が残っていた。左腕に「SAMURAI」のタトゥー。渡航直前に「彫った」と見せられた記憶があった。「確かに息子だ」。全身の力が抜けるのを感じた。
「銃は持たない。英語のスキルがないから、入隊試験に落ちたらすぐ帰ってくる」
昨年5月。息子に突然、ウクライナ行きを告げられた。どんなに引き留めても考えを変えない。「後方支援だったら」と許した。
6月12日。息子を車で福岡空港まで送った。数日後、「ウクライナに着いた」と通信アプリで知らせが届いた。「配属が分かったら教えて」と返すと、追加でメッセージが来た。
「配属先は分かりませんが、前線でほぼ間違いないです」
驚いて返信した。「銃は持たんと言うたやろ。違う方向に流れよるばい」
「実は最初から前線に行くつもりでした。言ったら絶対に止められると思ったので」
「すぐ帰ってこい」「許さん」。不安や憤り…。複雑な感情が渦巻き、激しい怒りの言葉を送ったが、もうどうすることもできない。気持ちを抑えて「生きて帰ってこい。何かあれば連絡するように」と伝えるしかなかった。
「軍事訓練が始まる」のメッセージの後、アプリでの連絡は途絶えた。再び送られてきたのは9月。
「前線に出発します。自分が死んだ時の緊急連絡先で父ちゃんの番号を教えています」
その後は部隊の仲間と談笑する様子など、たわいない便りが週1回ほど送信されてきた。息子のツイッターには、銃を構える姿などの写真が投稿されていた。無事を知らせようとしているのだと受け止めた。
過酷な環境に置かれ、心身はすり減っていったのだろう。前向きな性格だったのに、メッセージは日ごとに弱々しくなった。
「移動車両の外を見ると遺体がごろごろしている」「人が死んだにおい、油と火薬のにおい」「変になりそう、おかしくなりそう」
「地獄絵図だ」…。
11月2日。「日本はどんなですか」との言葉が届いた。添えられた動画には、部隊を乗せて走る装甲車と、頬がこけた息子の姿が映っていた。最後のやりとりになった。
「義勇兵」としてウクライナ軍に志願した福岡県南部出身の男性が昨年11月、ロシア軍との戦闘で亡くなった。28歳。「行くべきでない所に行ったのは分かっている」。父親は努めて冷静に振る舞う一方、考え続けているという。
息子はなぜ、遠い異国の戦場に向かったのか-。
男性は渡航前の昨年5月7日、気心の知れた友人2人と県内の山にキャンプに出かけた。「仕事を辞めて関東に行く」と話していたが、酒が進むと「実は」と切り出した。
「義勇兵になるんです」。驚く2人に「後方支援の任務をする」「銃は持たない」と続けた。ウクライナに向かう理由は話さなかったが、決意は固い。「そこまで強い意志があるなら」。友人は「どうして」と聞くことはできず、止めることもしなかった。
男性は高校卒業後、陸上自衛隊に入り、九州の駐屯地に配属された。2年で辞めて道路舗装会社で勤務後、収入の良いトラックの長距離ドライバーの職に就く。キャンプを共にした友人の1人によると、一時期、戦場を模してエアガンを撃ち合うサバイバルゲームを趣味にしていた。昨年2月の侵攻開始以降は、1人で何度も山奥までキャンプに出かけた。
この友人は、男性がウクライナに着いてからも通信アプリでやりとりしていた。昨年9月の「帰ったら必ず連絡します」とのメッセージが最後になった。
「恵まれた職場と平和な暮らしを捨ててまで戦場に行った。軍事に興味を抱いていたことと関係があるのかもしれない」。友人は男性がウクライナに赴いた理由を「分からない」としつつ、推測した。
「戦争に行くなんて想像がつかない」(中学時代の担任教員)、「クラスでも目立たず、おとなしいタイプだったのに」(高校の同級生)。男性を知る他の人も、ウクライナ軍に参加した動機を測りかねていた。
父親はビデオ通話に映された遺体をポーランドで確認した後、遺骨や遺品を受け取った。帰国する前、日本人が経営する現地のレストランに立ち寄った。
「日本から来た理由は」と経営者に聞かれ、訳を説明。するとウクライナ人の店員が出てきて、スマートフォンの翻訳機能を使って声をかけられた。「息子さんはわれわれのヒーロー。一生忘れません」。経営者は涙を流していた。
日本政府は男性がウクライナで死亡したことを匿名で発表。松野博一官房長官は「どのような目的であれ、渡航はやめてほしい」と呼びかけた。「大和男子ここにあり」「同情する余地はない」。ツイッターには、男性への称賛と批判の書き込みがあふれた。
「英雄視されるのは違うと思う」。死亡して3カ月半が過ぎ、父親は受け止める。なぜウクライナに行ったのか。自分一人が加わっても戦況が変わらないのは理解していたはずなのに‐。
男性は詳しく話さなかったが、罪のない女性や子どもに対する殺りく、暴力に我慢ならない様子が渡航前からうかがえたという。「結局、素朴な正義感に駆られたんだと信じている」。父親は言葉に力を込める。
帰国後、家族だけで法要した。持ち帰った遺品には血が付いた時計が含まれ、今も作動し、ウクライナ時間を刻んでいる。文字盤を見るたび、割り切れなさが湧き上がる。
「息子を失った私たちの悲しみは途方もなく大きい。ウクライナには、こんな思いをしている家族が何万人もいる…」。父親は絞り出すようにつぶやき、ウクライナ軍から贈られた国旗と、戦闘服を飾る自宅の祭壇に手を合わせた。 (児玉珠希、木村知寛)