ヤクザ業界には「事始め」という習慣がある。毎年12月13日、組長以下、組員一同が集まって、「今年もお世話になりました。新年も頑張っていきましょう」と挨拶する。この日から正月の準備を始めるわけだ。【藤原良/作家・ノンフィクションライター】
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【写真を見る】6代目山口組「司組長」の誕生会に招かれた銀座の有名ママ、もともと高山姓だった弘道会幹部のその後「『事始め』があるのなら、暴力団にも仕事納めや御用納めといった『事納め』はないのか?」という疑問を持つ人も多いようだ。 ヤクザ業界の「事始め」は、「大祓(大掃除など)を済ませ、新年を迎える準備を始める」という行事だ。

つまりタイムテーブルとしては、「12月13日に旧年と新年が入れ替わる」という意味があり、仕事納めの側面も持っている。そのためわざわざ「事納め」を行う必要はないのだ。元ヤクザが師走にアパートを退去させられた一部始終(※写真はイメージ) ヤクザの事始めは、神道の影響を受けている。12月13日は「鬼宿日」と言い、婚礼以外なら何をするにも縁起がいいとされている。この日に煤払いを行う神社も多い。新年を迎える準備を始める日として、ちょうどいいタイミングということなのだろう。 師走は引っ越しシーズンとしても知られている。11月から3月まで、不動産業界や運送業界はかき入れ時を迎える。「年末年始、割引サービス」を謳う会社も少なくない。 近年、暴力団員は条例や企業の規定により、自分名義でアパートやマンションなどの賃貸物件を借りることが難しくなっている。住むところを見つけるのに一苦労するのは、暴力団員にとっては当たり前のことになった。ヤクザとの交際 何しろ「契約してもらえない」だけでなく、「強制退去させられても文句は言えない」、「もし他人名義の契約が発覚すると、詐欺罪で逮捕される可能性が高い」と、かなり苛酷なのだ。「いくらなんでも詐欺罪は重すぎる」と驚いた方もいるかもしれない。だが、暴力団組員に限らず一般の市民でも、不動産業者を騙して他人名義で賃貸契約を結ぶと、基本的に詐欺罪が適応される。 弁護士会の公的サイトや債務整理の情報をまとめたサイトなどでは、「普通の人が考える以上に罪は重い」と、安易に名義を貸さないよう呼びかけているほどだ。 本題に戻ると、某暴力団の幹部だったAさんはヤクザの生活に苦しさを覚え、5年前に組を離脱、カタギになっていた。 カタギになってからは飲食店の経営など、正業に就いていた。しかし、周囲の人々は彼がカタギになったと知らないままで、依然として暴力団幹部だと認識していた。 Aさんが所属していた暴力団には、子供の頃からの友人が多かった。カタギになってからも幼なじみである現役組員との交流は続き、時々は“友人同士”として食事を共にすることもあった。パニックになった隣人 これでは確かに、周囲の人々からすればAさんがカタギに見えなくても当然かもしれない。 そんなある日、Aさんが住んでいたアパートで、隣の部屋に新しい住人が引っ越してきた。 Aさんは相手のことを知らなかったが、隣人は共有スペースでAさんの顔を見て、「暴力団の幹部が住んでいるじゃないか」と驚愕したという。そして直ちに、アパートの管理会社に相談したのだ。 暴力団排除条例(暴排条例)により、ほとんどの不動産賃貸契約書には「賃借人が暴力団に加入していた場合には、賃貸契約を解除できる」といった条項が盛り込まれている。 管理会社は直ちに、Aさんに「暴力団員であることを理由とした強制退去」を書面で通知した。 Aさんは管理会社に対して、「暴力団員ではない」という今の身分を証明し、退去は不当だと訴えた。だが管理会社は、Aさんが既に払っていた翌月分の家賃の返還手続きを進めていく。 カタギになりたいと考えている現役組員の相談に乗ることもあったAさんだったが、周囲は「Aさんは現役の暴力団幹部だ」と“認識”していた。 この“認識”だけで、新しい隣人は管理会社に相談し、管理会社はAさんに強制退去を言い渡した。白旗のAさん もしAさんが弁護士に相談し、管理会社に法的な対抗措置を取ったなら、そのまま住むことができたかもしれない。 だが、管理会社から「家賃も返還する」とまで言われてしまい、Aさんは精神的に参ってしまった。「もうカタギなのだから、アパートは自由に借りられる。こんな管理会社や隣人と付き合うより、よそに引っ越したほうがいい」と考え直した。 そしてAさんは師走の忙しい時期に、不本意な気持ちを抱えながら引っ越しを行った。現役の暴力団組員に強制退去を通告するならまだしも、カタギになっている元暴力団員を退去させるのは、果たして正しい判断だったのだろうか? 元暴力団員であっても、日常生活を送るにはまだまだ厳しい状況が至るところに残っているのである。藤原良(ふじわら・りょう)作家・ノンフィクションライター。週刊誌や月刊誌等で、マンガ原作やアウトロー記事を多数執筆。万物斉同の精神で取材や執筆にあたり、主にアウトロー分野のライターとして定評がある。2020年に『山口組対山口組』(太田出版)、22年に『M資金 欲望の地下資産』(同)を上梓。デイリー新潮編集部
「『事始め』があるのなら、暴力団にも仕事納めや御用納めといった『事納め』はないのか?」という疑問を持つ人も多いようだ。
ヤクザ業界の「事始め」は、「大祓(大掃除など)を済ませ、新年を迎える準備を始める」という行事だ。
つまりタイムテーブルとしては、「12月13日に旧年と新年が入れ替わる」という意味があり、仕事納めの側面も持っている。そのためわざわざ「事納め」を行う必要はないのだ。
ヤクザの事始めは、神道の影響を受けている。12月13日は「鬼宿日」と言い、婚礼以外なら何をするにも縁起がいいとされている。この日に煤払いを行う神社も多い。新年を迎える準備を始める日として、ちょうどいいタイミングということなのだろう。
師走は引っ越しシーズンとしても知られている。11月から3月まで、不動産業界や運送業界はかき入れ時を迎える。「年末年始、割引サービス」を謳う会社も少なくない。
近年、暴力団員は条例や企業の規定により、自分名義でアパートやマンションなどの賃貸物件を借りることが難しくなっている。住むところを見つけるのに一苦労するのは、暴力団員にとっては当たり前のことになった。
何しろ「契約してもらえない」だけでなく、「強制退去させられても文句は言えない」、「もし他人名義の契約が発覚すると、詐欺罪で逮捕される可能性が高い」と、かなり苛酷なのだ。
「いくらなんでも詐欺罪は重すぎる」と驚いた方もいるかもしれない。だが、暴力団組員に限らず一般の市民でも、不動産業者を騙して他人名義で賃貸契約を結ぶと、基本的に詐欺罪が適応される。
弁護士会の公的サイトや債務整理の情報をまとめたサイトなどでは、「普通の人が考える以上に罪は重い」と、安易に名義を貸さないよう呼びかけているほどだ。
本題に戻ると、某暴力団の幹部だったAさんはヤクザの生活に苦しさを覚え、5年前に組を離脱、カタギになっていた。
カタギになってからは飲食店の経営など、正業に就いていた。しかし、周囲の人々は彼がカタギになったと知らないままで、依然として暴力団幹部だと認識していた。
Aさんが所属していた暴力団には、子供の頃からの友人が多かった。カタギになってからも幼なじみである現役組員との交流は続き、時々は“友人同士”として食事を共にすることもあった。
これでは確かに、周囲の人々からすればAさんがカタギに見えなくても当然かもしれない。
そんなある日、Aさんが住んでいたアパートで、隣の部屋に新しい住人が引っ越してきた。
Aさんは相手のことを知らなかったが、隣人は共有スペースでAさんの顔を見て、「暴力団の幹部が住んでいるじゃないか」と驚愕したという。そして直ちに、アパートの管理会社に相談したのだ。
暴力団排除条例(暴排条例)により、ほとんどの不動産賃貸契約書には「賃借人が暴力団に加入していた場合には、賃貸契約を解除できる」といった条項が盛り込まれている。
管理会社は直ちに、Aさんに「暴力団員であることを理由とした強制退去」を書面で通知した。
Aさんは管理会社に対して、「暴力団員ではない」という今の身分を証明し、退去は不当だと訴えた。だが管理会社は、Aさんが既に払っていた翌月分の家賃の返還手続きを進めていく。
カタギになりたいと考えている現役組員の相談に乗ることもあったAさんだったが、周囲は「Aさんは現役の暴力団幹部だ」と“認識”していた。
この“認識”だけで、新しい隣人は管理会社に相談し、管理会社はAさんに強制退去を言い渡した。
もしAさんが弁護士に相談し、管理会社に法的な対抗措置を取ったなら、そのまま住むことができたかもしれない。
だが、管理会社から「家賃も返還する」とまで言われてしまい、Aさんは精神的に参ってしまった。
「もうカタギなのだから、アパートは自由に借りられる。こんな管理会社や隣人と付き合うより、よそに引っ越したほうがいい」と考え直した。
そしてAさんは師走の忙しい時期に、不本意な気持ちを抱えながら引っ越しを行った。現役の暴力団組員に強制退去を通告するならまだしも、カタギになっている元暴力団員を退去させるのは、果たして正しい判断だったのだろうか?
元暴力団員であっても、日常生活を送るにはまだまだ厳しい状況が至るところに残っているのである。
藤原良(ふじわら・りょう)作家・ノンフィクションライター。週刊誌や月刊誌等で、マンガ原作やアウトロー記事を多数執筆。万物斉同の精神で取材や執筆にあたり、主にアウトロー分野のライターとして定評がある。2020年に『山口組対山口組』(太田出版)、22年に『M資金 欲望の地下資産』(同)を上梓。
デイリー新潮編集部