自分にとって「毒」である親ならば、まずは物理的に離れたほうがいい。しかし実際には、さまざまな事情からそうもいかないケースがある。
私を「優先」する実母が重い家を出るタイミングを失ってしまい、結果、母と同居し続けている会社員のエミさん(40歳)。
「妹がいるんですが、彼女は学生時代から自由奔放。世界を旅して回って帰国して働いて、またどこかへ行ってしまう。今は沖縄にいるみたいです。
私は子どものころから親の言うことを聞く“いい子”タイプ。大学を出て就職して、一時期は関西支社で勤務していましたが30歳のとき父が亡くなり、その後は東京本社にいます。そのときにひとり暮らしをすればよかったんですが、父が亡くなったショックで母が後を追いかねない感じだったので心配で」
小さいころから母の「愛情という名の支配」に苦しめられてきた。それでも言い返すこともあったのだが、母はすぐに泣き出すので、めんどうくさくなって「はいはい」と言うことを聞いているふりをし続けてきた。
「父が亡くなってからは、今度は私にべったり依存するようになりました。仕事に行けば残業も付き合いもあるんですが、今日は遅くなるから先に食べていてと言っても夕飯を食べずに待っている。外で食べて帰るからと言っても、私が帰るまで夕飯に手をつけずにいる。生活は母の年金と私の給料でやっていますが、母はあくまでも『娘に食べさせてもらっている』と言い張るんです。それも苦痛ですね」
先日、エミさんが冷蔵庫を開けると蒸し焼きそばがひとつだけあった。賞味期限も切れかけている。
「鉄板焼きをして最後にやきそばを少しずつ食べようと母に提案すると、『ひとつしかないなら、あなたが食べなさい。私はいいから』って。いつもこうなんですよ。量が少ないものだと母はいつも、『私はいいから』と言う。それが母の好物であってもです。
そういう異常な忖度が気持ち悪くて、ひとつしかないなら半分にすればいいじゃん、どうしてなんでもそうやって『私はいいから』って譲ろうとするのよと言うと、『私はあなたに養ってもらっているから』と」
この一言で、エミさんはキレてしまった。「私はあんたの夫じゃない!」と。夫に頼り、夫に依存するように母はエミさんに寄りかかってくるのだ。
それでいて私を「下に」見る母エミさんの仕事はエンタメ関係の広報だ。週末が休みとは限らないし、人間関係も幅が広い。
「仕事の話は母にはしません。したってわからないし、以前、ちょっと話したらあたかも上司のように説教されたので、それ以降しないことにしています。
でも母は基本的に私の仕事を『遊びみたいなもの』だと思っている。先日も3日ほど出張だったんですが、出張前後って仕事が山積みになってしまうんですよね。帰ってきてから『やけに忙しいわ』となにげなくつぶやいたら、『そりゃ3日も遊んでくればしかたないでしょ』って。出張を遊びだと思ってるわけ? 思わずそう言ったら知らん顔されました」
母も10年前まではパートで働いていた。それなのにパートを辞めてから、「仕事」に関する理解がまったくなくなった。仕事というものがどういうものであるのか、想像もしなくなったようだ。
「忙しい時期が続いて、こっちがふうふう言いながら働いているのに、『疲れているなら休めばいいじゃない』と気楽に言うわけですよ。そう簡単に休めるわけがない。体を壊してまで仕事なんてする必要ないのに、なんて言うから言い返したくもなるけど、もうめんどうだから何も言わない。
私にとって仕事は仕事以上の価値があるもの。だけどそんな価値観を母には理解してもらえそうにない。理解してなくてもいいから放っておいてくれと言いたいですね」
30代半ばで結婚を考えたこともある。だが母と同居させるわけにはいかないとも感じていた。そんなとき母は、薬を大量に飲んだ。
「もちろん致死量には至りません。本人は飲んだと勘違いしてまた飲んだと言っていましたが、私を手放さないためにやったんですよ、たぶん。それがきっかけで私はつきあっていた人と別れました。こんな人生に巻き込むわけにはいかないと思ったから」
母はエミさんが恋人と別れたことを察したようで、急に元気になったという。そこまでいくと「哀れだと思う」と彼女は言った。
「心の中で、いつも母はかわいそうな人、哀れな人と考えています。そう考えないとやっていられない。見捨てるには時が経ちすぎた。私の人生、母がいなくなってからがスタートだと思うんですが、いつになったらスタートを切ることができるのか……。見通しは立たないですね」
母を見捨てられないエミさんは優しい。その優しさが自分の首を締めていることも彼女は自覚している。つらくて重いけど捨てることはできない。少しずつガス抜きしながら、日常を「仕事優先で過ごすしかない」と彼女は考えているという。