デビューから17年、現代の「罪と罰」をテーマに、一貫して贖罪の在り方を問い続けてきた作家・薬丸岳氏の『告解』が文庫化された。本作は著者がキャリアの中で初めて「加害者」を視点に、その心情を真っ向から描いた意欲作だ。真に罪を償うとはどういうことなのか。氏だからこそ到達できたひとつの答えとは――。本作の魅力を書評家の大矢博子氏にあますことなく読み解いてもらった。
『告解』深夜、飲酒運転中に何かを撥ねるも、逃げてしまった大学生の籬翔太。翌日、一人の老女の命を奪ってしまったことを知る。罪に怯え、現実を直視できない翔太に下ったのは、懲役四年を超える実刑だった。一方、被害者の夫・法輪二三久は、ある思いを胸に翔太の出所を待ち続けていた。贖罪の在り方を問う傑作長編
謎解きの「その先」を描く薬丸岳は、罪と罰を描く作家である。少年犯罪を扱ったデビュー作『天使のナイフ』。同僚が世間を震撼させた殺人犯だと知った青年の苦悩を描く『友罪』。息子が殺人犯になってしまった親の葛藤がテーマの『Aではない君と』。心神喪失による不起訴となった殺人犯とその被害者遺族を描いた『虚夢』。犯罪加害者の追跡調査を請け負う探偵と彼に依頼する被害者の物語『悪党』。ミステリでは犯人がわかれば解決となるケースが多いが、それは決して「めでたしめでたし」ではないのだと、薬丸作品を読むたびに思いしらされる。薬丸岳が描くのはその先なのだ。罪を犯した者は何を抱えて生きていくのか。その周囲の者はそれにどう向き合うのか。そんな簡単には答えの出ないテーマに、薬丸岳は常に正面から向き合ってきた。加害者の心情に鋭く切り込む『告解』もまた、読者に強烈な問を突きつける加害者と被害者の物語である。だがこれまでの切り口とは少々異なる。大学生の籬(まがき)翔太はケンカ中の恋人に呼び出され、酒を飲んでいるにもかかわらず深夜に車を走らせた。ところがふと余所見をしたとき、突然の衝撃と何かに乗り上げた感触を覚える。怖くなりそのまま走り去ったものの、翌日の報道で、八十代の女性を撥ねて死なせていたことを知る。すぐに警察の捜査の手が伸び、翔太は逮捕。裁判で四年の服役が決まった。『告解』(薬丸岳)四年後に出所したとき、彼は事故の後で家族が離散していたことを知る。さらに友人たちは離れていき、就職も思うようにいかない。何より、たとえ刑期を全うしても自分が人を殺してしまったという事実そのものから逃れられない。この翔太の揺らぎの描写が圧巻だ。事故後、自首しなければと思いつつも逃げてしまう。轢いたのは犬か猫だと思った、人間だとは思わなかったと嘘をついてしまう。卑怯だというのは簡単だが、少しでも罪を軽くしたいと願ってしまうのは人情だ。そして出所後、母の苗字に変えることもできたのに、翔太はあえて籬という珍しい名前──つまり検索しやすい名前で生きることを決める。罪から逃げない勇気に感心した。けれど被害者遺族の家に謝りにいくことは、恐ろしくてどうしてもできない。思わず唸った。これは上手い。苗字を変えない勇気と、遺族に会うことからの逃避がひとりの中にあるのだ。罪に対して真摯でありたい、責任をちゃんととりたいという思い。辛いことからは逃げたい、向き合いたくないという思い。そのふたつが翔太の中でせめぎ合う。ささやかに真面目に生きていくことに喜びを感じる日もあれば、どうせまともに就職できないのなら狡く生きたっていいじゃないかと考える日もある。自分の罪は一生背負っていくんだと考える日もあれば、もう罪を償ったのだから自由になっていいはずだという気持ちに襲われる日もある。 これが人間なのだ。人間に100%の悪も100%の善もない。人はその間で揺れ動く。翔太が揺れるのは善良な証拠と言っていい。罪を忘れることも罪から逃げることもできない。逃げたいのに逃げられない。眠ると夢を見てしまう。亡霊を見てしまう。家族を奪われた側はもちろん加害者を赦さないだろう。だが加害者を最も赦せずにいるのは当の加害者本人、というのが本書の構造なのだ。これは周囲から虐げられるよりも、はるかに辛い罰なのではないだろうか。だって逃げられないのだから。「罪悪感」と共に生きていく薬丸岳はこれまでの作品で、犯罪加害者が出所後に向けられる蔑みや悪意を描いてきた。だが今回は本人の内面に焦点を絞った。善良であればあるほど、彼は決して自分を赦さないし、赦すことで得られる安寧も手にできない。善良だからこそ苦しむのだ。彼を苦しめているものを一言で言うなら「罪悪感」である。photo by iStockこの罪悪感こそが本書のテーマだ。取り返しのつかないことをしてしまった罪悪感を抱えて生きることが、人に何をもたらすか。それを薬丸岳は本書で追求しているのだ。実はここに、もうひとつ大きな要素がある。本書では翔太の物語と並行して、被害者遺族──亡くなった法輪君子の夫・二三久の物語が綴られるのである。懲役四年という判決に、君子の息子は短すぎると憤ったが、夫の二三久の心中は少し違っていた。〈四年間、自分の思いを果たすことができないということだ。彼が社会に出てきたときに自分は九十一歳になっている。それまで生きていられるだろうか〉高齢で一人暮らしとなった父を心配し、息子は自分が住む名古屋に来るよう勧めるが、二三久は頑としてそれを拒絶する。〈やらなければならないことがあるんだ〉 ──とくれば、二三久が何を考えているのか、見当をつける読者も多いだろう。だが断言しよう。物語はあなたの思いも寄らない方向に進む。中盤以降、物語は大きく動いて、加害者と遺族が互いにそうとは知らず接する機会を持つのである。これには驚かされた。と同時に引き込まれた。ヒントは、二三久がすでに90歳を超えているということ。これが事態を複雑にするのだ。 そこからの展開たるや! 彼らが互いを認識したとき何が起きるのか。何を思うのか。そこから薬丸岳の真骨頂だ。これは「罪悪感」の物語であると先ほど書いたが、その本当の意味が終盤でおわかりいただけるだろう。いやあ、まさかこんな方法で来るとは。ネタバレになるので具体的に書けないのがもどかしいが、まさか加害者の罪悪感にこんな方向からアプローチするとは思わなかった。これは予想できない。だが明かされてみれば、ひどく納得するのだ。決して他人事ではない物語これは決して翔太だけの物語ではない。私は本書を読みながら、何度も我が身を振り返った。命を奪うほどではないにしろ、人生の中で罪悪感や後ろめたさを持ったことのない人はいないだろう。何をしていてもそのことが気に掛かる。いっそぶちまけて謝れば楽になるかもしれない。でも怖い。失うものが多過ぎて踏み切れない。そういう気持ちは誰しも経験があるのではないだろうか。たとえば本書でも、翔太の恋人は「自分のせいで翔太が事故を起こした」という罪悪感を背負い続けている。被害者の息子や娘は、自分が同居していればと思わずにはいられないし、二三久もまた責任を感じている。直接の死因は翔太だが、誰もがそれぞれの立場で罪悪感を抱えているのだ。これまで薬丸岳は加害者を描くとともに贖罪とは何かを追求していた。だが犯してしまった罪はいくら償おうともなかったことにはならないし、過去は変えられないという厳然たる事実がここにある。ならばどうするのか。罪と罰を背負った加害者はどう生きていけばいいのか。その答えのひとつがここにある。 慟哭のクライマックスと、悲しみの中にも力強さがあるラストを、どうかじっくりと味わっていただきたい。これはあなたの物語でもあるのだから。
薬丸岳は、罪と罰を描く作家である。
少年犯罪を扱ったデビュー作『天使のナイフ』。同僚が世間を震撼させた殺人犯だと知った青年の苦悩を描く『友罪』。息子が殺人犯になってしまった親の葛藤がテーマの『Aではない君と』。心神喪失による不起訴となった殺人犯とその被害者遺族を描いた『虚夢』。犯罪加害者の追跡調査を請け負う探偵と彼に依頼する被害者の物語『悪党』。
ミステリでは犯人がわかれば解決となるケースが多いが、それは決して「めでたしめでたし」ではないのだと、薬丸作品を読むたびに思いしらされる。薬丸岳が描くのはその先なのだ。罪を犯した者は何を抱えて生きていくのか。その周囲の者はそれにどう向き合うのか。そんな簡単には答えの出ないテーマに、薬丸岳は常に正面から向き合ってきた。
『告解』もまた、読者に強烈な問を突きつける加害者と被害者の物語である。だがこれまでの切り口とは少々異なる。
大学生の籬(まがき)翔太はケンカ中の恋人に呼び出され、酒を飲んでいるにもかかわらず深夜に車を走らせた。ところがふと余所見をしたとき、突然の衝撃と何かに乗り上げた感触を覚える。怖くなりそのまま走り去ったものの、翌日の報道で、八十代の女性を撥ねて死なせていたことを知る。すぐに警察の捜査の手が伸び、翔太は逮捕。裁判で四年の服役が決まった。
『告解』(薬丸岳)
四年後に出所したとき、彼は事故の後で家族が離散していたことを知る。さらに友人たちは離れていき、就職も思うようにいかない。何より、たとえ刑期を全うしても自分が人を殺してしまったという事実そのものから逃れられない。
この翔太の揺らぎの描写が圧巻だ。
事故後、自首しなければと思いつつも逃げてしまう。轢いたのは犬か猫だと思った、人間だとは思わなかったと嘘をついてしまう。卑怯だというのは簡単だが、少しでも罪を軽くしたいと願ってしまうのは人情だ。そして出所後、母の苗字に変えることもできたのに、翔太はあえて籬という珍しい名前──つまり検索しやすい名前で生きることを決める。罪から逃げない勇気に感心した。けれど被害者遺族の家に謝りにいくことは、恐ろしくてどうしてもできない。
思わず唸った。これは上手い。苗字を変えない勇気と、遺族に会うことからの逃避がひとりの中にあるのだ。
罪に対して真摯でありたい、責任をちゃんととりたいという思い。辛いことからは逃げたい、向き合いたくないという思い。そのふたつが翔太の中でせめぎ合う。ささやかに真面目に生きていくことに喜びを感じる日もあれば、どうせまともに就職できないのなら狡く生きたっていいじゃないかと考える日もある。自分の罪は一生背負っていくんだと考える日もあれば、もう罪を償ったのだから自由になっていいはずだという気持ちに襲われる日もある。
これが人間なのだ。人間に100%の悪も100%の善もない。人はその間で揺れ動く。翔太が揺れるのは善良な証拠と言っていい。罪を忘れることも罪から逃げることもできない。逃げたいのに逃げられない。眠ると夢を見てしまう。亡霊を見てしまう。家族を奪われた側はもちろん加害者を赦さないだろう。だが加害者を最も赦せずにいるのは当の加害者本人、というのが本書の構造なのだ。これは周囲から虐げられるよりも、はるかに辛い罰なのではないだろうか。だって逃げられないのだから。「罪悪感」と共に生きていく薬丸岳はこれまでの作品で、犯罪加害者が出所後に向けられる蔑みや悪意を描いてきた。だが今回は本人の内面に焦点を絞った。善良であればあるほど、彼は決して自分を赦さないし、赦すことで得られる安寧も手にできない。善良だからこそ苦しむのだ。彼を苦しめているものを一言で言うなら「罪悪感」である。photo by iStockこの罪悪感こそが本書のテーマだ。取り返しのつかないことをしてしまった罪悪感を抱えて生きることが、人に何をもたらすか。それを薬丸岳は本書で追求しているのだ。実はここに、もうひとつ大きな要素がある。本書では翔太の物語と並行して、被害者遺族──亡くなった法輪君子の夫・二三久の物語が綴られるのである。懲役四年という判決に、君子の息子は短すぎると憤ったが、夫の二三久の心中は少し違っていた。〈四年間、自分の思いを果たすことができないということだ。彼が社会に出てきたときに自分は九十一歳になっている。それまで生きていられるだろうか〉高齢で一人暮らしとなった父を心配し、息子は自分が住む名古屋に来るよう勧めるが、二三久は頑としてそれを拒絶する。〈やらなければならないことがあるんだ〉 ──とくれば、二三久が何を考えているのか、見当をつける読者も多いだろう。だが断言しよう。物語はあなたの思いも寄らない方向に進む。中盤以降、物語は大きく動いて、加害者と遺族が互いにそうとは知らず接する機会を持つのである。これには驚かされた。と同時に引き込まれた。ヒントは、二三久がすでに90歳を超えているということ。これが事態を複雑にするのだ。 そこからの展開たるや! 彼らが互いを認識したとき何が起きるのか。何を思うのか。そこから薬丸岳の真骨頂だ。これは「罪悪感」の物語であると先ほど書いたが、その本当の意味が終盤でおわかりいただけるだろう。いやあ、まさかこんな方法で来るとは。ネタバレになるので具体的に書けないのがもどかしいが、まさか加害者の罪悪感にこんな方向からアプローチするとは思わなかった。これは予想できない。だが明かされてみれば、ひどく納得するのだ。決して他人事ではない物語これは決して翔太だけの物語ではない。私は本書を読みながら、何度も我が身を振り返った。命を奪うほどではないにしろ、人生の中で罪悪感や後ろめたさを持ったことのない人はいないだろう。何をしていてもそのことが気に掛かる。いっそぶちまけて謝れば楽になるかもしれない。でも怖い。失うものが多過ぎて踏み切れない。そういう気持ちは誰しも経験があるのではないだろうか。たとえば本書でも、翔太の恋人は「自分のせいで翔太が事故を起こした」という罪悪感を背負い続けている。被害者の息子や娘は、自分が同居していればと思わずにはいられないし、二三久もまた責任を感じている。直接の死因は翔太だが、誰もがそれぞれの立場で罪悪感を抱えているのだ。これまで薬丸岳は加害者を描くとともに贖罪とは何かを追求していた。だが犯してしまった罪はいくら償おうともなかったことにはならないし、過去は変えられないという厳然たる事実がここにある。ならばどうするのか。罪と罰を背負った加害者はどう生きていけばいいのか。その答えのひとつがここにある。 慟哭のクライマックスと、悲しみの中にも力強さがあるラストを、どうかじっくりと味わっていただきたい。これはあなたの物語でもあるのだから。
これが人間なのだ。
人間に100%の悪も100%の善もない。人はその間で揺れ動く。翔太が揺れるのは善良な証拠と言っていい。罪を忘れることも罪から逃げることもできない。逃げたいのに逃げられない。眠ると夢を見てしまう。亡霊を見てしまう。家族を奪われた側はもちろん加害者を赦さないだろう。だが加害者を最も赦せずにいるのは当の加害者本人、というのが本書の構造なのだ。これは周囲から虐げられるよりも、はるかに辛い罰なのではないだろうか。だって逃げられないのだから。
薬丸岳はこれまでの作品で、犯罪加害者が出所後に向けられる蔑みや悪意を描いてきた。だが今回は本人の内面に焦点を絞った。善良であればあるほど、彼は決して自分を赦さないし、赦すことで得られる安寧も手にできない。善良だからこそ苦しむのだ。
彼を苦しめているものを一言で言うなら「罪悪感」である。
photo by iStock
この罪悪感こそが本書のテーマだ。取り返しのつかないことをしてしまった罪悪感を抱えて生きることが、人に何をもたらすか。それを薬丸岳は本書で追求しているのだ。
実はここに、もうひとつ大きな要素がある。本書では翔太の物語と並行して、被害者遺族──亡くなった法輪君子の夫・二三久の物語が綴られるのである。
懲役四年という判決に、君子の息子は短すぎると憤ったが、夫の二三久の心中は少し違っていた。
〈四年間、自分の思いを果たすことができないということだ。彼が社会に出てきたときに自分は九十一歳になっている。それまで生きていられるだろうか〉
高齢で一人暮らしとなった父を心配し、息子は自分が住む名古屋に来るよう勧めるが、二三久は頑としてそれを拒絶する。
〈やらなければならないことがあるんだ〉
──とくれば、二三久が何を考えているのか、見当をつける読者も多いだろう。だが断言しよう。物語はあなたの思いも寄らない方向に進む。中盤以降、物語は大きく動いて、加害者と遺族が互いにそうとは知らず接する機会を持つのである。これには驚かされた。と同時に引き込まれた。ヒントは、二三久がすでに90歳を超えているということ。これが事態を複雑にするのだ。
そこからの展開たるや! 彼らが互いを認識したとき何が起きるのか。何を思うのか。そこから薬丸岳の真骨頂だ。これは「罪悪感」の物語であると先ほど書いたが、その本当の意味が終盤でおわかりいただけるだろう。いやあ、まさかこんな方法で来るとは。ネタバレになるので具体的に書けないのがもどかしいが、まさか加害者の罪悪感にこんな方向からアプローチするとは思わなかった。これは予想できない。だが明かされてみれば、ひどく納得するのだ。決して他人事ではない物語これは決して翔太だけの物語ではない。私は本書を読みながら、何度も我が身を振り返った。命を奪うほどではないにしろ、人生の中で罪悪感や後ろめたさを持ったことのない人はいないだろう。何をしていてもそのことが気に掛かる。いっそぶちまけて謝れば楽になるかもしれない。でも怖い。失うものが多過ぎて踏み切れない。そういう気持ちは誰しも経験があるのではないだろうか。たとえば本書でも、翔太の恋人は「自分のせいで翔太が事故を起こした」という罪悪感を背負い続けている。被害者の息子や娘は、自分が同居していればと思わずにはいられないし、二三久もまた責任を感じている。直接の死因は翔太だが、誰もがそれぞれの立場で罪悪感を抱えているのだ。これまで薬丸岳は加害者を描くとともに贖罪とは何かを追求していた。だが犯してしまった罪はいくら償おうともなかったことにはならないし、過去は変えられないという厳然たる事実がここにある。ならばどうするのか。罪と罰を背負った加害者はどう生きていけばいいのか。その答えのひとつがここにある。 慟哭のクライマックスと、悲しみの中にも力強さがあるラストを、どうかじっくりと味わっていただきたい。これはあなたの物語でもあるのだから。
そこからの展開たるや! 彼らが互いを認識したとき何が起きるのか。何を思うのか。そこから薬丸岳の真骨頂だ。これは「罪悪感」の物語であると先ほど書いたが、その本当の意味が終盤でおわかりいただけるだろう。いやあ、まさかこんな方法で来るとは。ネタバレになるので具体的に書けないのがもどかしいが、まさか加害者の罪悪感にこんな方向からアプローチするとは思わなかった。これは予想できない。だが明かされてみれば、ひどく納得するのだ。
これは決して翔太だけの物語ではない。
私は本書を読みながら、何度も我が身を振り返った。命を奪うほどではないにしろ、人生の中で罪悪感や後ろめたさを持ったことのない人はいないだろう。何をしていてもそのことが気に掛かる。いっそぶちまけて謝れば楽になるかもしれない。でも怖い。失うものが多過ぎて踏み切れない。そういう気持ちは誰しも経験があるのではないだろうか。
たとえば本書でも、翔太の恋人は「自分のせいで翔太が事故を起こした」という罪悪感を背負い続けている。被害者の息子や娘は、自分が同居していればと思わずにはいられないし、二三久もまた責任を感じている。直接の死因は翔太だが、誰もがそれぞれの立場で罪悪感を抱えているのだ。
これまで薬丸岳は加害者を描くとともに贖罪とは何かを追求していた。だが犯してしまった罪はいくら償おうともなかったことにはならないし、過去は変えられないという厳然たる事実がここにある。ならばどうするのか。罪と罰を背負った加害者はどう生きていけばいいのか。
その答えのひとつがここにある。
慟哭のクライマックスと、悲しみの中にも力強さがあるラストを、どうかじっくりと味わっていただきたい。これはあなたの物語でもあるのだから。
慟哭のクライマックスと、悲しみの中にも力強さがあるラストを、どうかじっくりと味わっていただきたい。これはあなたの物語でもあるのだから。