「優先席」でなく、「専用席」。全国の地下鉄で唯一、札幌市営地下鉄だけにある。190万人都市の札幌市の通勤時間帯は首都圏と同様に車内が混雑し、乗客が肩をぶつけあう。だが、満員電車の中、すべての座席が埋まる首都圏と違い、ぽっかりと3席の専用席が空いているのだ。専用席とは何か。なぜ北海道内だけにあるのか。座席を必要とする人のため、全国で導入したらよいのでは――。この春に東京都内から赴任したばかりの新人記者は素朴な疑問を抱いた。【金将来、25歳】
【写真特集】懐かしの車両もズラリ 日本の鉄道 全国の公共交通機関で見かけるのは優先席。「お譲りください」の文言とともにおなじみのロゴが表記されている。妊婦や高齢者、障害者をはじめ座席を必要とする人が混雑時でも座れるようにほかの乗客に配慮を求めることが目的だ。一方、札幌市営地下鉄は優先席がなく、専用席のみが設置されている。 優先席の利用は乗客のマナーに委ねられている。ただし、利用を巡って、全国でさまざまなトラブルが起きている。たとえば、優先席に腰掛けた若者の前に立つ高齢者の姿を見た第三者が「譲るべきだ」と言って、若者と口論になるケースだ。専用席が生まれた背景に、そのようなことを教訓として、トラブルを未然に防止しようとする考えがあるのだろうか。札幌市交通局に尋ねると、誕生の背景がおよそ半世紀前までさかのぼることを知った。 札幌市交通局によると、市営地下鉄は1972年札幌冬季オリンピックの約2カ月前に開業した。街の近代化に合わせて74年4月に優先席を試験導入したものの、無理解な人々に座席を占領され、必要な人たちが座れないトラブルが相次いだという。市に対する市民からの苦情が殺到し、札幌市議会で審議する事態になった。 専用席の実態に詳しい北星学園大学(札幌市)の鈴木克典教授(交通計画学)らがまとめた研究論文(2020年発表)によると、札幌市議会特別委員会で、専用席の設置への道筋が着いた。特別委で「『優先』なんていうのはなまやさしい。やはり『専用席』」などの発言が飛び交ったのだ。試験導入から1年後の75年4月、市営地下鉄は「専用席」の表記を採用した。 市交通局の担当者は「優先席が『譲る席』とするならば、専用席は『空けておく席』。もちろん法的な拘束力はなく、あくまでも利用者に協力をお願いするもの」と説明する。専用席は導入されると、徐々に市民に浸透した。現在はおおむね適切に運用されているという。定着ぶりは鈴木教授らの論文でも裏付けられており、18年3月に実施したアンケートによると、電車で「優先席/専用席に座らない」と回答した人は、関東圏(300人回答)で58%だったのに対し、札幌市(同)で96%にも上った。 専用席の導入から50年弱……。鈴木教授は「『専用席に座らない』という行動が長い年月を経て、一つの『文化』として定着した」とみる。実際、地下鉄を利用する札幌市の主婦(34)は「専用席を必要としない人が座っているところはあまり見ません。だから、子どもを連れて乗る時は助かります。逆に、私が一人で乗るときに座ることはありませんね」と証言。東京都内での勤務経験がある札幌市の女性看護師(39)も「首都圏の優先席はすぐに埋まる。けれど、札幌市の専用席は座らない人が多い。違いに驚く」と話す。 専用席が全国に普及すれば、適切な座席の利用が広まり、トラブルの解消につながるのでは――と単純な発想が頭をよぎる。しかし、鈴木教授は「全国的な普及は現実的でない」と首を横に振る。「札幌市で定着したのは導入の時期がよかったというのもある。まだ優先席が国内で浸透していない時期に専用席を設置したことで自然に定着し、あつれきを生まずになじんでいったとみられる」と言う。さらに北海道の開拓の歴史にも触れて、「道内は各地から人が集まって土地柄が形成された。人々がルールを決め、守り、コミュニティーの秩序を保つような『道民性』も背景にあるのかもしれない」と分析した。 1日に約522万人(21年度)が利用する地下鉄を運行する東京メトロ(東京都)に専用席という表記の利用の可能性について聞いてみた。すると、「多くの他社と相互直通運転を行っており、他社と共通の(優先席の)表示で、広くお客様にご協力いただきたい」との回答。今になって表記を変更することは、かえって混乱を生じさせる恐れがあるとの見立てだった。 取材に協力してくれた鈴木教授は「名称がなんでも、どんな座席でも、乗客同士が譲り合えるような寛大な社会にしていかなくてはならないのでしょう」と結んだ。
全国の公共交通機関で見かけるのは優先席。「お譲りください」の文言とともにおなじみのロゴが表記されている。妊婦や高齢者、障害者をはじめ座席を必要とする人が混雑時でも座れるようにほかの乗客に配慮を求めることが目的だ。一方、札幌市営地下鉄は優先席がなく、専用席のみが設置されている。
優先席の利用は乗客のマナーに委ねられている。ただし、利用を巡って、全国でさまざまなトラブルが起きている。たとえば、優先席に腰掛けた若者の前に立つ高齢者の姿を見た第三者が「譲るべきだ」と言って、若者と口論になるケースだ。専用席が生まれた背景に、そのようなことを教訓として、トラブルを未然に防止しようとする考えがあるのだろうか。札幌市交通局に尋ねると、誕生の背景がおよそ半世紀前までさかのぼることを知った。
札幌市交通局によると、市営地下鉄は1972年札幌冬季オリンピックの約2カ月前に開業した。街の近代化に合わせて74年4月に優先席を試験導入したものの、無理解な人々に座席を占領され、必要な人たちが座れないトラブルが相次いだという。市に対する市民からの苦情が殺到し、札幌市議会で審議する事態になった。
専用席の実態に詳しい北星学園大学(札幌市)の鈴木克典教授(交通計画学)らがまとめた研究論文(2020年発表)によると、札幌市議会特別委員会で、専用席の設置への道筋が着いた。特別委で「『優先』なんていうのはなまやさしい。やはり『専用席』」などの発言が飛び交ったのだ。試験導入から1年後の75年4月、市営地下鉄は「専用席」の表記を採用した。
市交通局の担当者は「優先席が『譲る席』とするならば、専用席は『空けておく席』。もちろん法的な拘束力はなく、あくまでも利用者に協力をお願いするもの」と説明する。専用席は導入されると、徐々に市民に浸透した。現在はおおむね適切に運用されているという。定着ぶりは鈴木教授らの論文でも裏付けられており、18年3月に実施したアンケートによると、電車で「優先席/専用席に座らない」と回答した人は、関東圏(300人回答)で58%だったのに対し、札幌市(同)で96%にも上った。
専用席の導入から50年弱……。鈴木教授は「『専用席に座らない』という行動が長い年月を経て、一つの『文化』として定着した」とみる。実際、地下鉄を利用する札幌市の主婦(34)は「専用席を必要としない人が座っているところはあまり見ません。だから、子どもを連れて乗る時は助かります。逆に、私が一人で乗るときに座ることはありませんね」と証言。東京都内での勤務経験がある札幌市の女性看護師(39)も「首都圏の優先席はすぐに埋まる。けれど、札幌市の専用席は座らない人が多い。違いに驚く」と話す。
専用席が全国に普及すれば、適切な座席の利用が広まり、トラブルの解消につながるのでは――と単純な発想が頭をよぎる。しかし、鈴木教授は「全国的な普及は現実的でない」と首を横に振る。「札幌市で定着したのは導入の時期がよかったというのもある。まだ優先席が国内で浸透していない時期に専用席を設置したことで自然に定着し、あつれきを生まずになじんでいったとみられる」と言う。さらに北海道の開拓の歴史にも触れて、「道内は各地から人が集まって土地柄が形成された。人々がルールを決め、守り、コミュニティーの秩序を保つような『道民性』も背景にあるのかもしれない」と分析した。
1日に約522万人(21年度)が利用する地下鉄を運行する東京メトロ(東京都)に専用席という表記の利用の可能性について聞いてみた。すると、「多くの他社と相互直通運転を行っており、他社と共通の(優先席の)表示で、広くお客様にご協力いただきたい」との回答。今になって表記を変更することは、かえって混乱を生じさせる恐れがあるとの見立てだった。
取材に協力してくれた鈴木教授は「名称がなんでも、どんな座席でも、乗客同士が譲り合えるような寛大な社会にしていかなくてはならないのでしょう」と結んだ。