国会では、上皇陛下の生前退位を可能にした皇室典範特例法の付帯決議に基づいて皇族数の確保策を取りまとめる必要があることから、額賀福志郎衆院議長の主導により6月22日に閉会した通常国会で各党の意見集約が図られる予定だった。しかし、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案については「おおむね認識を共有できた」としつつも結局、見送られた。
【写真】「振袖」「十二単」「シックな装い」…彬子さまの華麗なるお姿
一方で9月30日、皇室経済会議が開かれ、故三笠宮さまの長男・故寛仁さまと信子さまの長女・彬子さま(彬子女王)が、三笠宮家を継承して当主に就任されることが決まった。同時に「三笠宮寛仁親王妃家」とする新たな宮家が創設され、信子さまが当主になられることも決定した。宮内庁プロパーの中堅幹部はこう語る。
「皇室制度に地殻変動が起きようとしているのかもしれません」
その意味を考察する。
よく知られるように、神話の時代も含めて126代続いているとされる歴代天皇のうち、女性天皇は推古天皇に始まり10代8人いる(一旦退位した後に再び即位した2人を含む)。
また757年に制定された法律の養老律令「継嗣令」には現代語訳で「天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること(女帝の子もまた同じ)」との規定がある。この規定から分かるのは、男帝(男性天皇)を前提としつつも、女帝(女性天皇)の存在が法律に盛り込まれ、明文化されていたという事実だ。法制定の時点で、既に6人の女帝が存在していたという既成事実を、法制度上も追認したわけである。
歴史学者で『皇位継承のあり方』(PHP新書)などの著書がある所功・京都産業大学名誉教授(法制史)は、この事実を「女性天皇も公認していた」とする解釈を公表しており、「男系男子を優先しながら男系女子(1代限り)まで公認することは、可能であり必要だ」と主張している。
保守層の人々は、男系女子であっても女性天皇実現の可能性を残さないために、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる案に原則反対の立場を取っているが、前述の宮内庁中堅幹部は、こんな疑問を口にする。
「保守を掲げて伝統を大切にしているはずの方々が、皇室の歴史に蓋をしようとしているとも言えるのではないでしょうか」
いわゆる女性宮家の容認を柱とする意見集約が見送られたのは、女性天皇に直結するものではないとしても、夫や子供に皇族の身分を与えれば女系天皇の誕生につながる可能性もあるとの反対意見からだ。反対論の急先鋒となったのは、自民党の対応を一任された麻生太郎最高顧問だった。
宮内庁関係者は「女性皇族が当主となるのは、高円宮さまに先立たれた今の久子さまのように、夫の宮さまがお亡くなりになった場合、妃(きさき)のお立場から臨時で就任されるのが通例です」と語る。その上でこう説明する。
「宮家に後継者がいないために未婚の女性皇族が当主となられるのは、江戸時代に桂宮家(旧桂宮家)を継承した淑子内親王以来で、彬子さまが163年ぶりのご存在となられました。また『親王妃家』という異例なカタチですが、信子さまの場合はまさに新たな『女性宮家』の創設となりました」
つまり、皮肉なことに麻生元総理の実の妹である信子さまによって、国会議論に先行するカタチで女性宮家が実現したわけだ。
彬子さまについても、未婚のまま独立するのは1988年に宮家(新桂宮家)の新設が認められた桂宮さま以来で、これも実に37年ぶり。母子ともに異色の女性当主となられた。
信子さまと彬子さまを巡っては、旧寛仁親王邸や三笠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地ではなく、同千代田区の宮内庁分庁舎に住む信子さまと、寛仁さまの葬儀で喪主を務めた彬子さまの間の溝が指摘されてきた。三笠宮家内で真摯に話し合いが行われた結果、得られた結論こそが、女性皇族2人がそれぞれ独立するという道だった。
上述した淑子内親王は、江戸時代に事実上最後の天皇となった孝明天皇の姉で、NHKの大河ドラマ「篤姫」で俳優の堀北真希さん、TBSドラマ「JIN-仁-」で同・黒川智花さんが演じた皇女和宮の姉でもある。桂宮家を継いだ別の弟が亡くなり、当主不在となったことから1863年に第12代当主となった。
天皇にお世継ぎがない場合に次の天皇を立てるために存在し、「世襲親王家」や「四親王家」と呼ばれた4つの宮家の継承者で唯一の女性皇族でもある。実は彬子さまの事例は、女性皇族のモデルケースとして、これまで想定されてこなかったもの。なぜなら未婚のままで独立した生計を立てる女性皇族が、結婚した場合にどういう扱いとなるのか、何も明文化されていないからだ。宮内庁元幹部は言う。
「実際には養われていないものの、形式上は一般の『扶養家族』のような立場にあるお嬢さまの皇族は『嫁に行く』とか『嫁(とつ)ぐ』といった表現に当てはまるように、従来通り皇籍離脱をすれば良いわけです。しかし家長や家主(やぬし)と呼ばれる立場になった彬子さまは、夫を宮家に迎え入れるのか。それとも当主でありながら宮家を出ることになるのか。制度の課題を検討せずに見切り発車してしまった感が否めません」
また、宮内庁OBはこう語る。
「政権内で新たな課題の指摘や問題提起がないのは、皇室制度への無理解が根底にあります。選挙で保守層の支持をつなぎ止めたいだけの自民党保守派の国会議員の方々は、彬子さまが結婚後も皇室に残るのかどうかには関心がないのです。要するに、愛子天皇の誕生を阻止できればいいのでしょう。そうなれば選挙に勝てるのですから」
他方で女性宮家については、旧民主党政権下で野田内閣が皇室典範改正を視野に論点整理を行った際、有識者からヒアリングを実施。2012年2月の第1回ヒアリングで『武家と天皇』(岩波新書)などの著書がある歴史学者の今谷明横浜市立大学名誉教授(日本中世史)が「女性宮家は仁孝天皇の皇女の淑子内親王が桂宮を継いだ例もあり、決して不自然ではない」と言及するなどしている。
「200年の時をまたいで、江戸時代の光格天皇(光格上皇)以来となる上皇が再び実現したように、160年を経て女性宮家が彬子さまや信子さまのケースで再現したとみることも可能なわけです。国会での結論に先立って今回、三笠宮家のお家騒動に、2人の女性当主並立のカタチで終止符が打たれたことの意義は大きいのです」(前述の宮内庁OB)
つまり、愛子さまや佳子さまが結婚後も皇室に残られる道筋がはっきり見えてきたということだろう。敬宮愛子さまの敬宮はあくまでも敬称であって宮号ではないが、たとえるなら「敬宮家」誕生へのプロセスが、国会が目先の政局で右往左往している間に図らずも大きく前進したのである。
宮内大臣や内大臣として大正天皇と昭和天皇に仕え、戦後も昭和天皇の相談役を務めた牧野伸顕伯爵を曽祖父、いわゆるひいお爺さんに持つ麻生元総理。信子さまとのきょうだいの絆が、そして忠臣として皇室の存在を守ってきた一族のDNAが、女性宮家に対する姿勢に変化をもたらす可能性は十分に考えられる。
前述の宮内庁関係者は、最後にこう語った。
「当事者のお一方が信子さまであることの意味は大きいと言えます。夫や子供を皇族とするか否かを前面に押し出して強行に合意反対を貫いた麻生元総理が、果たしてこれまで通りに強硬姿勢を続けられるのでしょうか」
朝霞保人(あさか・やすひと)皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部