サラリーマン、学生、ホームレス……。多くの人間が行き交う駅はドラマの宝庫である。今回は電車や駅で発生した昭和初期の奇妙な事件について紹介したい。
1935年(昭和10年)5月19日夜10時ごろ。東京市王子区袋町(現在の東京都北区赤羽地区)の鉄道省管轄の線路にて、ひとりの女性が走る列車めがけて飛び込み自殺を図った。女性の身体を車輪に巻き込んだ列車は急停止し、辺りには生臭い血の匂いが充満。現場はすぐに大パニックとなった。
「大変だ!女が飛び込んだぞ!」
騒ぎを聞きつけた駅員が電車と線路のあいだを覗き込むと、女性の身体は無惨にも腹部からふたつに切断されており、もはや手が付けられない状態であった。電車の復旧のため、死体を引っ張り出そうと駅員たちが集まりはじめる。
すると、そのうちのひとりが叫んだ。
「おい!この女まだ息があるぞ!」
駅員が口元に手を近づけたところ、わずかではあるが確かに息がある。当然、死んではいない人間を死体として処理することはできないため、駅員たちは彼女を近くの病院へ連れていくことにした。
そしてこの数分後、当時の新聞を賑わした奇妙な数時間がはじまるのである……。
病院に運び込まれた“女性の上半身”は突然、意識が回復し、なんと医者と意思疎通もできたという。
本件を報じた読売新聞によると、病院へ到着した後の彼女の第一声は「ああ……私の足がない」であり、しばらくして彼女はタバコを欲しがったという。そこで恐る恐るタバコを渡すと、彼女は美味しそうに煙を吸い込み、医師や看護師、付き添いの警察官の前で淡々と世間話をはじめたのだった。
以下は女性が病室のベッドで話したとされる「身の上話」である。
高木勝枝(仮名)は東京の荒川区に住む紙芝居屋の内縁の妻で、本人いわく自殺に至った要因は自身の「浮気癖」にあったという。
勝枝は7~8年前にとあるカフェーで女給として働いていた際、馴染みの客であった高木某と結婚。しかし、次第に仲たがいするようになり、家を出てきてしまった。
その後、道端で出会った紙芝居屋と関係を持つようになり内縁の妻となったが、もとから男好きの性格だったためか、十数人の男性と浮気を繰り返してしまい紙芝居屋とも夫婦喧嘩が絶えなかった。
勝枝は「貴方を殺して私も死ぬ。村正の刀(著者注:有名な妖刀)は磨いてあるから!」という凄まじいタンカを切ったものの、最終的に内縁の夫を殺める勇気が出ず、自分ひとりで死ぬことを選んだのだという。
繰り返すが、この「身の上話」は身体を二つに切断された女性によるものである。
勝枝は世間話をした後、いよいよ死期が近いことを察したのか、医師や看護師に「お手数をおかけして申し訳ございません」とつぶやき、数時間後に息絶えたという。時刻は日付が変わって5月20日の深夜2時過ぎ。彼女が下半身を失ってから4~5時間が経過していた。
「身体が真っ二つになった女性が身の上話をして絶命した事件」は、同年11月21日付の読売新聞のほか、国民新報や時事新報などでも取り上げられている。
それぞれ見出しは「胴体を轢断の女 奇跡的に蘇生」(読売新聞)、「胴体を切断し乍(なが)ら五時間も生存」(国民新聞)、「女の虫の息…警官の前で懺悔五時間」(時事新報)となっており、細かい時刻や自殺に至る動機を除いてはほぼ内容に差異はない。
一紙だけならともかく複数の新聞が同じ日に同じ内容を取り上げている以上、冗談や単なる誤報とは考えづらく、少なくともこのような出来事があったのは間違いないのだろう。
だが、本当に身体が真っ二つに裂かれていたのかどうかは意見の分かれるところで、読売新聞は「真っ二つに轢断(れきだん)」、国民新聞は「胴体を殆ど切断」、時事新報は「胴体を轢(ひ)かれ」とそれぞれ微妙に表現が異なっている。
新聞報道の「胴体」がどこまでの部分を指すのかは不明だが、長く生存したことを考えても内臓のほとんどは損傷がなかったのではないだろうか。
また、読売新聞および国民新聞には高木勝枝が生前から右脚に障害を抱えていたことが書かれている。恐らくは彼女の右脚はすでに痛覚が鈍くなっており、電車に轢かれたとしても痛みを感じるまでに多少の時間がかかったのではないかと思われる。
90年前の事件であるため再検証は難しいが、人間の生命力や人体の不思議を感じさせる珍事件であった。
実は、こうしたセンセーショナルな事件は、日本で最も利用者の多い駅として知られる東京の新宿駅でも起きている。
つづく記事〈新宿駅で見つかった「7体の腐った赤ちゃん」…笑顔で子どもを引き取る元警察官が次々殺していた〉で詳細に迫る。
【参考資料】
・読売新聞
・国民新報
・時事新報
【つづきを読む】新宿駅で見つかった「7体の腐った赤ちゃん」…笑顔で子どもを引き取る元警察官が次々殺していた