女性が妊娠を誰にも告げられず、病院も未受診のまま自宅などでひとり出産する「孤立出産」。母子を速やかに医療や保護につなげることが必要だが、それが流産・死産であった場合、「死体遺棄事件」として警察に逮捕され、実名を報道されてしまう事案が後を絶たない。2020年12月、東京・品川区内のマンションで死産した女性が逮捕された事件(のちに不起訴)について、筆者は以前文春オンラインで記事を書いた(「胎児の遺体を黒ビニール袋に入れて逮捕…『孤立出産』に直面した女性たちを救えるか」2021/3/25付)。
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なぜ孤立した女性たちは、逮捕されるのか。取材を続けていた今年1月、筆者は偶然、孤立流産したばかりのある女性の救急搬送に立ち合うこととなった。孤立出産の現場で何が起こるのか、報告したい。
20歳の女性ユキさん(仮名)が東京の新宿歌舞伎町からほど近いアパートで流産したのは1月の早朝だった。ユキさんは産婦人科を受診しておらず、ネットで見つけた妊娠相談窓口に「どうしたらいいかわからない」と電話した。電話を受けたのは熊本市の慈恵病院。赤ちゃんポストを運営し、内密出産を受け入れている民間病院だ。理事長で産婦人科医の蓮田健氏がユキさんに状況を確認、最終月経から妊娠16~17週という推測が立った。だが、119番通報をして救急医療受診をという蓮田氏の提案をユキさんは拒否した。
その朝、近くで取材をしていた筆者が蓮田氏から電話を受けたのは、午前9時過ぎ。女性を説得して救急車を呼んでほしいとスマートフォンの向こうの蓮田氏は言う。2020年に慈恵病院の取材を開始して以来、予期せぬ妊娠をした複数の当事者に取材をしてきた。予期せぬ妊娠に混乱している女性は簡単に他者を受け入れない傾向があることは、取材を通して体験的に知っていた。
取るものも取りあえず現場に急行し、ユキさんと会った。キャラクターの柄のフリースのパジャマの上にコートを重ね、表情の乏しい顔には血の気がなく貧血が疑われた。「あなたの身体が心配です」と説得すると、ユキさんは意外にあっさり救急車を呼ぶことを受け入れた。バッグには、胎児の形がつくられかけた塊や血液の塊など体内から出てきた内容物を収めたビニール袋が入っていた。蓮田氏が電話で指示したものだ。
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午前10時50分、筆者が119番に通報。10分ほどで到着した救急隊員がビニール袋の内容物を確認し、ユキさんをストレッチャーで救急車に移動させた。血圧と心拍数の測定、状況聞き取りを行い、約30分後、救急車はサイレンを鳴らしながら走り出した。向かう先は蓮田氏の受け入れ要請を快諾した墨田区の民間総合病院だ。
12時過ぎ、病院のソーシャルワーカーと看護師に迎えられ、ユキさんを乗せたストレッチャーは産科外来に運び込まれた。「もうだいじょうぶですね。安心して休んでください」とユキさんに声をかけて見送り、筆者の役目は終了するはずだった。
ところが予想外の事態が起きた。
病院を出ようとした筆者がソーシャルワーカーに求められて自身と慈恵病院の関係を含む状況説明をすると、ソーシャルワーカーが「警察に通報します」と言ったのだ。
「なぜですか」筆者は聞き返した。
「死産だからです」
と答えたケースワーカーはごく当然の口ぶりで、「週数にもよりますが」とつけ加えた。
蓮田氏は病院が警察に通報することを把握しているのだろうか。ユキさんは守ってもらえると思っていたのに警察に通報されたらショックを受けるだろう。
病院を出て蓮田氏に電話をかけた。筆者の説明を聞いて蓮田氏の声色が変わるのがわかった。「病院に確認します」と蓮田氏は言い、慌ただしく電話は切れた。 直後、今度は筆者のスマホが鳴った。覚えのない番号は新宿署の刑事だった。状況説明を求められ、その場で、大まかな経緯を話した。すると、刑事は「わかりました」と概ね理解したような反応だったが、そこで話は終わらなかった。「事件性の有無を調べる必要があるので捜査に協力してもらえませんか」と言う。驚いた。「流産ですよ。どこに事件性があるんですか?」問い返す声が大きくなった。彼女も自分も法律に触れているはずがない 病院では新宿警察署刑事課強行犯捜査第一係の刑事によるユキさんへの聞き取りが始まり、筆者は警視庁機動隊の刑事の運転する車で新宿署に運ばれた。首都高の渋滞にはまり、新宿署に到着したのは午後4時前になっていた。新宿署は東京メトロ丸ノ内線西新宿駅にほとんど隣接する、四角く巨大な建物だった。 なぜ、流産した女性と救急搬送に同行した自分が警察に取り調べられるのか。だが彼女も自分も法律に触れているはずがない。反発と好奇心が8割、予想のつかない展開への不安が2割、どうなるのだろうと思いながら、先に立って歩く刑事について建物に入った。 受付のある1階は警棒を持った私服の警察官や制服の警察官で混雑している。受付で通常は求められるらしい身分証明書の提示を免除され、刑事に連れられてエレベーターに乗り込むと、制服を着た若い警察官の集団が、同期なのか、冗談を言い合っている。この建物で何人ぐらいが働いているのかと刑事に質問したところ、約800人だという。女性は何人ぐらいですか、と尋ねると、1割ぐらいかなとの答えだった。刑事は「個人的には事件性はないと思う。ただ…」 捜査第一係のある階はスーツ姿の男性の出入りで慌ただしい雰囲気だった。会議室が空いていないので、と連れて行かれた廊下の隅で、小さなテーブル越しに捜査第一係の刑事と対面で座った。さきほど電話で話した若い刑事だ。刑事は筆者の時間を拘束していることを詫び、捜査への協力について礼を言うと、住所と職業を聞き、記録した。そして、「もう一度、朝から起きたことを順番に話してもらえますか」 聞き取りが始まった。 筆者は昼間電話で話した内容をもう一度説明した。すなわち、ユキさんのいる場所に筆者が向かったこと。ユキさんが流産した内容物の入ったビニール袋をバッグに入れていたこと。救急車を呼ぶ提案をユキさんが抵抗なく受け入れたこと。慈恵病院と筆者の関係、そして、慈恵病院が救急搬送を要請した病院についてだ。 説明に要したのは10分ほどだった。その後、筆者は、2020年12月に品川区のマンションで死産した女性が逮捕後に不起訴となったケースを当時取材したことを話した。そして、「同じパターンだと思うんですが、なぜ、流産したことで取り調べが必要なんでしょうか」と質問した。 すると刑事は困ったような顔になり「個人的には事件性はないと思う」と言いにくそうに話した。「ただ、赤ちゃんをロッカーに遺棄するような事件などが歌舞伎町界隈には多いんですよ。だから、こういう捜査をせざるを得ないんです。一応、ちゃんと調べとかないといけないんで。でも、事件性がないと思ったのも、あくまで僕個人です。上司がどう判断するかはわからないんで」 だが、流産にいったいどんな事件を想定しているのか、刑事の説明ではさっぱり見当がつかないまま、15分ほどで放免となった。流産直後の女性に4時間の事情聴取 その後、夜、ユキさんからショートメッセージが入り、さらに驚くことになる。ユキさんは4時間にわたり病院の診察台に座った状態で刑事に事情聴取をされていたというのだ。流産直後で心身に負担のかかった女性を、スーツ姿の刑事が3人、産科外来の診察室で取り調べた。流産したその日の状況や妊娠の経緯を聞かれ、ケータイの通話やLINE履歴を全部取られた。親の連絡先を明かすよう求められ、拒否すると「それを言わないと事情聴取は終わらないよ」と言われたという。死産児の遺体は警察で病理解剖に回され、女性の身につけていた下着を含むすべての衣類を押収された。 警察の言う「流産における事件性」とは何なのか。母体保護の観点からも、こうした警察の事情聴取のあり方に問題はないのだろうか。「下着も持っていきますけど、かまいませんかねえ」“孤立流産”した女性が警察から取り調べを受けた理由 へ続く(三宅 玲子)
病院を出て蓮田氏に電話をかけた。筆者の説明を聞いて蓮田氏の声色が変わるのがわかった。「病院に確認します」と蓮田氏は言い、慌ただしく電話は切れた。
直後、今度は筆者のスマホが鳴った。覚えのない番号は新宿署の刑事だった。状況説明を求められ、その場で、大まかな経緯を話した。すると、刑事は「わかりました」と概ね理解したような反応だったが、そこで話は終わらなかった。「事件性の有無を調べる必要があるので捜査に協力してもらえませんか」と言う。驚いた。「流産ですよ。どこに事件性があるんですか?」問い返す声が大きくなった。
彼女も自分も法律に触れているはずがない 病院では新宿警察署刑事課強行犯捜査第一係の刑事によるユキさんへの聞き取りが始まり、筆者は警視庁機動隊の刑事の運転する車で新宿署に運ばれた。首都高の渋滞にはまり、新宿署に到着したのは午後4時前になっていた。新宿署は東京メトロ丸ノ内線西新宿駅にほとんど隣接する、四角く巨大な建物だった。 なぜ、流産した女性と救急搬送に同行した自分が警察に取り調べられるのか。だが彼女も自分も法律に触れているはずがない。反発と好奇心が8割、予想のつかない展開への不安が2割、どうなるのだろうと思いながら、先に立って歩く刑事について建物に入った。 受付のある1階は警棒を持った私服の警察官や制服の警察官で混雑している。受付で通常は求められるらしい身分証明書の提示を免除され、刑事に連れられてエレベーターに乗り込むと、制服を着た若い警察官の集団が、同期なのか、冗談を言い合っている。この建物で何人ぐらいが働いているのかと刑事に質問したところ、約800人だという。女性は何人ぐらいですか、と尋ねると、1割ぐらいかなとの答えだった。刑事は「個人的には事件性はないと思う。ただ…」 捜査第一係のある階はスーツ姿の男性の出入りで慌ただしい雰囲気だった。会議室が空いていないので、と連れて行かれた廊下の隅で、小さなテーブル越しに捜査第一係の刑事と対面で座った。さきほど電話で話した若い刑事だ。刑事は筆者の時間を拘束していることを詫び、捜査への協力について礼を言うと、住所と職業を聞き、記録した。そして、「もう一度、朝から起きたことを順番に話してもらえますか」 聞き取りが始まった。 筆者は昼間電話で話した内容をもう一度説明した。すなわち、ユキさんのいる場所に筆者が向かったこと。ユキさんが流産した内容物の入ったビニール袋をバッグに入れていたこと。救急車を呼ぶ提案をユキさんが抵抗なく受け入れたこと。慈恵病院と筆者の関係、そして、慈恵病院が救急搬送を要請した病院についてだ。 説明に要したのは10分ほどだった。その後、筆者は、2020年12月に品川区のマンションで死産した女性が逮捕後に不起訴となったケースを当時取材したことを話した。そして、「同じパターンだと思うんですが、なぜ、流産したことで取り調べが必要なんでしょうか」と質問した。 すると刑事は困ったような顔になり「個人的には事件性はないと思う」と言いにくそうに話した。「ただ、赤ちゃんをロッカーに遺棄するような事件などが歌舞伎町界隈には多いんですよ。だから、こういう捜査をせざるを得ないんです。一応、ちゃんと調べとかないといけないんで。でも、事件性がないと思ったのも、あくまで僕個人です。上司がどう判断するかはわからないんで」 だが、流産にいったいどんな事件を想定しているのか、刑事の説明ではさっぱり見当がつかないまま、15分ほどで放免となった。流産直後の女性に4時間の事情聴取 その後、夜、ユキさんからショートメッセージが入り、さらに驚くことになる。ユキさんは4時間にわたり病院の診察台に座った状態で刑事に事情聴取をされていたというのだ。流産直後で心身に負担のかかった女性を、スーツ姿の刑事が3人、産科外来の診察室で取り調べた。流産したその日の状況や妊娠の経緯を聞かれ、ケータイの通話やLINE履歴を全部取られた。親の連絡先を明かすよう求められ、拒否すると「それを言わないと事情聴取は終わらないよ」と言われたという。死産児の遺体は警察で病理解剖に回され、女性の身につけていた下着を含むすべての衣類を押収された。 警察の言う「流産における事件性」とは何なのか。母体保護の観点からも、こうした警察の事情聴取のあり方に問題はないのだろうか。「下着も持っていきますけど、かまいませんかねえ」“孤立流産”した女性が警察から取り調べを受けた理由 へ続く(三宅 玲子)
病院では新宿警察署刑事課強行犯捜査第一係の刑事によるユキさんへの聞き取りが始まり、筆者は警視庁機動隊の刑事の運転する車で新宿署に運ばれた。首都高の渋滞にはまり、新宿署に到着したのは午後4時前になっていた。新宿署は東京メトロ丸ノ内線西新宿駅にほとんど隣接する、四角く巨大な建物だった。
なぜ、流産した女性と救急搬送に同行した自分が警察に取り調べられるのか。だが彼女も自分も法律に触れているはずがない。反発と好奇心が8割、予想のつかない展開への不安が2割、どうなるのだろうと思いながら、先に立って歩く刑事について建物に入った。
受付のある1階は警棒を持った私服の警察官や制服の警察官で混雑している。受付で通常は求められるらしい身分証明書の提示を免除され、刑事に連れられてエレベーターに乗り込むと、制服を着た若い警察官の集団が、同期なのか、冗談を言い合っている。この建物で何人ぐらいが働いているのかと刑事に質問したところ、約800人だという。女性は何人ぐらいですか、と尋ねると、1割ぐらいかなとの答えだった。
捜査第一係のある階はスーツ姿の男性の出入りで慌ただしい雰囲気だった。会議室が空いていないので、と連れて行かれた廊下の隅で、小さなテーブル越しに捜査第一係の刑事と対面で座った。さきほど電話で話した若い刑事だ。刑事は筆者の時間を拘束していることを詫び、捜査への協力について礼を言うと、住所と職業を聞き、記録した。そして、
「もう一度、朝から起きたことを順番に話してもらえますか」
聞き取りが始まった。
筆者は昼間電話で話した内容をもう一度説明した。すなわち、ユキさんのいる場所に筆者が向かったこと。ユキさんが流産した内容物の入ったビニール袋をバッグに入れていたこと。救急車を呼ぶ提案をユキさんが抵抗なく受け入れたこと。慈恵病院と筆者の関係、そして、慈恵病院が救急搬送を要請した病院についてだ。
説明に要したのは10分ほどだった。その後、筆者は、2020年12月に品川区のマンションで死産した女性が逮捕後に不起訴となったケースを当時取材したことを話した。そして、「同じパターンだと思うんですが、なぜ、流産したことで取り調べが必要なんでしょうか」と質問した。 すると刑事は困ったような顔になり「個人的には事件性はないと思う」と言いにくそうに話した。「ただ、赤ちゃんをロッカーに遺棄するような事件などが歌舞伎町界隈には多いんですよ。だから、こういう捜査をせざるを得ないんです。一応、ちゃんと調べとかないといけないんで。でも、事件性がないと思ったのも、あくまで僕個人です。上司がどう判断するかはわからないんで」 だが、流産にいったいどんな事件を想定しているのか、刑事の説明ではさっぱり見当がつかないまま、15分ほどで放免となった。流産直後の女性に4時間の事情聴取 その後、夜、ユキさんからショートメッセージが入り、さらに驚くことになる。ユキさんは4時間にわたり病院の診察台に座った状態で刑事に事情聴取をされていたというのだ。流産直後で心身に負担のかかった女性を、スーツ姿の刑事が3人、産科外来の診察室で取り調べた。流産したその日の状況や妊娠の経緯を聞かれ、ケータイの通話やLINE履歴を全部取られた。親の連絡先を明かすよう求められ、拒否すると「それを言わないと事情聴取は終わらないよ」と言われたという。死産児の遺体は警察で病理解剖に回され、女性の身につけていた下着を含むすべての衣類を押収された。 警察の言う「流産における事件性」とは何なのか。母体保護の観点からも、こうした警察の事情聴取のあり方に問題はないのだろうか。「下着も持っていきますけど、かまいませんかねえ」“孤立流産”した女性が警察から取り調べを受けた理由 へ続く(三宅 玲子)
説明に要したのは10分ほどだった。その後、筆者は、2020年12月に品川区のマンションで死産した女性が逮捕後に不起訴となったケースを当時取材したことを話した。そして、「同じパターンだと思うんですが、なぜ、流産したことで取り調べが必要なんでしょうか」と質問した。
すると刑事は困ったような顔になり「個人的には事件性はないと思う」と言いにくそうに話した。
「ただ、赤ちゃんをロッカーに遺棄するような事件などが歌舞伎町界隈には多いんですよ。だから、こういう捜査をせざるを得ないんです。一応、ちゃんと調べとかないといけないんで。でも、事件性がないと思ったのも、あくまで僕個人です。上司がどう判断するかはわからないんで」
だが、流産にいったいどんな事件を想定しているのか、刑事の説明ではさっぱり見当がつかないまま、15分ほどで放免となった。
その後、夜、ユキさんからショートメッセージが入り、さらに驚くことになる。ユキさんは4時間にわたり病院の診察台に座った状態で刑事に事情聴取をされていたというのだ。流産直後で心身に負担のかかった女性を、スーツ姿の刑事が3人、産科外来の診察室で取り調べた。流産したその日の状況や妊娠の経緯を聞かれ、ケータイの通話やLINE履歴を全部取られた。親の連絡先を明かすよう求められ、拒否すると「それを言わないと事情聴取は終わらないよ」と言われたという。死産児の遺体は警察で病理解剖に回され、女性の身につけていた下着を含むすべての衣類を押収された。
警察の言う「流産における事件性」とは何なのか。母体保護の観点からも、こうした警察の事情聴取のあり方に問題はないのだろうか。
「下着も持っていきますけど、かまいませんかねえ」“孤立流産”した女性が警察から取り調べを受けた理由 へ続く
(三宅 玲子)