※本稿は、富岡悠希『妻が怖くて仕方ない DV、借金、教育方針、現代夫婦の沼に迫る』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。
「賠償金を払ってもらうからね。あんたのことは、みんなで憎んでやるからね。地獄の果てまで、本当に。あんたを地獄に送り込むまで恨んでやるからな」「あんたがいることで、幸せになれるか考えてください。このやろー。そう思っているのが、自分の支えなのだろうが、誰も思っていないんだよ。あんたについていく人なんていないんだよ」「完全に間違ったよ、こんな人、もう。くっそ、もう。本当にこの人はダメだ」
2021年2月のある平日午後、僕は妻・美和から、罵声を浴びせられていた。怒髪天を突くような鬼の形相で、口調も普段の3倍速。時に床をドンドン踏みならし、身ぶり手ぶりが激しい。
人をおとしめる言葉を連発する様子は、怒りの精霊に捕らわれたか、魔物に憑依されたかのよう。こうした妻の姿を見るのは初めてではない。しかし、対処法を身に付けられていない僕は、迫力に圧倒されて立ちすくむ。
するとさらに怒りを増長させた妻が、「この野郎」と叫びながら向かってきた。そして、グーパンチを浴びせてくる。反射的に僕は半身になって頭部をガードした。妻の拳(こぶし)が無防備となった肩や背中に当たる。「痛っ、痛っ」。数秒間、サンドバッグ状態で堪える。彼女の息が上がったタイミングで、やっと逃げることができた。
僕が上梓した『妻が怖くて仕方ない DV、借金、教育方針、現代夫婦の沼に迫る』(ポプラ社)の「はじめに」で、妻からの暴力で左肩を脱臼して運ばれた「救急車事件」を記した。20年9月のことだ。搬送されるほどの大ケガは1回だが、コロナ禍では単なる口論で済まない夫婦喧嘩が、ふた月に1回ほど発生するようになる。うち約半分で、妻は暴力行為に走った。救急車事件を経験し、妻は以前より簡単に手を出すようになった。
この日の原因も実に些細なことだ。救急車事件はテレビ台。この21年2月は、僕がドラム式洗濯乾燥機の乾燥機能を使ったことだった。ちょっと大げさだが、読者の記憶に残りやすいように「洗濯乾燥事件」と名付ける。
2019年5月に彼女が作った借金800万円を僕が肩代わりしてからしばらくして、我が家の光熱費は妻が出すようになった。彼女はこまめに電気を消せないし、衣食住の共同生活費の負担割合は余りに僕に偏っている。いくどかの話し合いの末、彼女も一度は納得した。
だが、給料を全部好きにしたい彼女は、内心は面白くない。そこで主張してきたのが、「乾燥は夜間に1日1回」という謎ルール。しかし、洗濯物をほぼケアする僕は、生乾きだと困る。そのため妻の不在時を見計らい、こっそり昼間も乾燥機能を使った。
冬晴れのこの日、僕は妻が不在と判断。日没までの時間を考えると、ベランダに出した洗濯物の全部は乾かないと見切りをつけ、半分ほどを乾燥させ始めた。ところが、彼女はウオークインクローゼット内の机で、静かに仕事をしていた。痛恨のミスだった。「一時停止」ボタンを押す前に気づかれる。彼女は戦闘態勢十分で絡んできた。
「こんな天気のよい日にやめてもらえる? 電気代を私が払っているからって、嫌がらせなの?」
僕の理由も聞かず、全否定できた。
「このままだと全部は乾かないよ。生乾きで臭うと嫌でしょ」
こう反論したが、「そんな風にならない」。そして、「そもそも、お前が電気代を払っていないのがおかしい」と、「お前」呼ばわりしてきた。
「夫婦でお前はおかしいでしょ。その呼び方こそ、やめてもらえる?」
こう言い返した僕に、妻は逆上し、怒りのボルテージを上げた。そして、先の罵倒や殴打の展開となる。
それにしても改めて文章に記すと、夫婦喧嘩の原因は何とも程度が低い。テレビ台の導入やら乾燥機能の使用やらと、恥ずかしい限りだ。しかし、これは一つの大切なファクト。実は夫婦喧嘩にとどまらず、夫婦間のDVさえも、日常生活の些細なことが起点となると後に学ぶ機会を得た。
我が家で起きている妻から夫への暴力という構図は、決して珍しくない。家庭内での暴力、ドメスティック・バイオレンス(DV)と聞くと、反射的に夫から妻だと想像しないだろうか? それは一昔前の話だ。
警察庁が22年3月に発表した「令和3年におけるストーカー事案及び配偶者からの暴力事案等への対応状況について」を引用する。全国の警察が同年受理した配偶者などパートナーからのDV相談は、前年比0.5%増の8万3042件。03年から18年連続で増加している。
この発表では、被害者の性別データもある。21年だと男性の相談割合が25.2%、女性が74.8%。実に被害者の4人に1人が男性だ。過去5年間で比較すると、17年の17.2%から右肩上がりが続いている。
これらの相談は、内縁関係や「生活の本拠を共にする交際をする関係」(同棲関係など)も含む。今度はこの書籍が扱っている婚姻関係に絞った統計を見てみよう。
内閣府男女共同参画局が21年3月に発表した「男女間における暴力に関する調査」を参照する。結婚したことのある2591人に、身体的暴行、心理的攻撃(暴言や長期間の無視など)、経済的圧迫(生活費を渡さないなど)、性的強要の4行為を配偶者からされたことがないかを聞いた。
いずれかの被害経験ありは、女性25.9%、男性18.4%。女性の4人に1人に対し、男性でも5人に1人が該当している。DVはもはや、女性被害者のみの文脈では語れない。
同調査では、こうした配偶者からの行為を誰かに相談したかどうかも聞いている。「相談した」男性は31.5%で、女性の53.7%より20ポイント以上少ない。
僕自身、警察や行政、民間の夫婦カウンセラーなどに頼ったことはない。友人に愚痴をこぼすこともない。父母にも黙っていることが多い。
他方、妻は自分の母親には全部の報告を入れ、僕の母にもしょっちゅう僕を非難するLINEを送っている。救急車事件からしばらくの間は、警察ともやりとりしていた。地元の自治体窓口にも話をしに行ったと、彼女が自ら明かしたこともある。僕の体験に即しても、男性被害者のほうが誰にも相談しにくいと言える。
さらに興味を引いたのが、配偶者と別れなかった理由だ。被害を受けた時、「相手と別れたい(別れよう)と思ったが、別れなかった」212人に理由を聞いた(複数回答)。男女共に最多の「子供のことを考えた」に続き、男性では約27%が「相手が変わってくれるかもしれないと思ったから」を選択している。女性でも約16%あった。
暴力を振るう相手に「変わってくれるかもしれない」との期待を抱くのは、実にけなげ。やはり多くの夫婦は、愛情があって関係が始まっているからだろう。もちろん、そんな相手でも「ああ、この人はもうダメ」とあっさり三行半(みくだりはん)を突きつけられる人もいる。
かたや、好きになった相手との関係を長く続けたいと望む、ウェットな気質の人もいる。僕は、間違いなく後者だ。「運命の人」として選んだ妻との関係は、子どもを抜きにしても、そうそう簡単に断ち切れない。
僕ら夫婦だって、平和な時代はあった。10年に出会ってから、19年5月の借金問題の発覚まで、僕は家庭を持った幸せを感じていた。妻が借金に手を出したのは、16年6月に次女を出産してから。その頃までは、彼女もまずまず心穏やかだったろう。
こう振り返ると、僕は16年5月頃までの夫婦関係に戻したくなる。妻をDV加害者にしているのは、僕の存在に他ならない。だとすれば、この「暴力沼」から抜け出すヒントを得ねば。こういう考えのもと、リサーチに乗り出した。
人選に苦労していると、担当編集者からNPO法人ステップの栗原加代美理事長の情報を得た。早速、サイトをチェックする。ステップは11年からDV・ストーカー加害者更生プログラムを実施。加害者は毎週2時間ずつ、全52回のプログラムに参加し、「不健全な価値観や考え方に気づき、思考を変えていく」。「加害者の変化の事例」を見ると、効果を上げているようだ。
取材を申し込むと、快諾を得た。それに先立ち、栗原さんが出した『DVはなおせる! 加害者・被害者は変われる』(さくら舎)を読む。僕はこの本で、妻からのDV被害者だけではない、僕の立ち位置を認識することになった。
書籍の冒頭部分に、DVチェックリストが載っていた。被害者用と加害者用の二つ。
出典元は栗原さんが理事長を務めるステップで、サイトにも出している。使用許諾を得られたので表形式で掲載する。ぜひ、読者の皆さんも、その項目に該当するか否かを一つずつ確認して頂きたい。意外な気づきがあるかもしれない。
最初にある被害者用の項目では、僕はイ鉢┐完全に該当した。,侶な言い方で呼ぶは、喧嘩した時、「お前」などと言われることがあり、半分ほど当てはまる。2.5点というところだ。リストは「ひとつでも当てはまる方は、DVを受けている可能性があります」とのこと。僕は、れっきとしたDV被害者と認定できた。
同じく加害者用リストをチェックする。今回、完全に該当するのはΔ澄最近は気をつけているが、以前、口論となった時、机をバンバン叩いてしまったことがある。高ぶった感情のままに行動したことを、今では心から反省している。
また、「いつも相手をリードしなければ」も、半分当てはまる。妻は僕より10歳下。僕は何かとリードしようとする意識が強い。お金のこと、しつけや教育面では、長らく妻と主導権争いを繰り広げてきた。専門家への取材を通し、考えを改めつつあるが、それは最近のこと。
その反面、もともと土日の過ごし方や日々の食事などは、妻任せだった。全部が全部、「リードしなければ」と気負っているわけではないことを考慮すると、半分ほど当てはまるか。加害者としては、1.5点となった。
こちらも被害者と同じく、「ひとつでも該当する項目があったら自分の態度・行動を見直しましょう」。予期していなかったが、僕はDV加害者でもあるのだ。ただ単純に被害者なわけではない。
———-富岡 悠希(とみおか・ゆうき)ジャーナリスト・ライターオールドメディアからネット世界に執筆活動の場を変更中。低い目線で世の中を見ることを心がけている。繁華街の路上から見える若者の生態、格差社会のほか、学校の問題、ネットの闇、夫婦の溝などに関心を寄せている。———-
(ジャーナリスト・ライター 富岡 悠希)