40年以上長きにわたり働き、退職により労働から解放され、退職後の「セカンドライフ」を満喫するーー。そんな老後を夢見て、日々の業務をこなしてきた人たちの再スタートがうまくいかなければ、体の不調をきたし、意気消沈、何もやる気が起きない状態になる場合もある。
近年ではそんな状態を「退職うつ」とされる場合もあるという。この原因は医学的にはまだハッキリと解明されていないものの、ひとつの要因として大きな環境の変化があげられるようだ。
現役時代は仕事をバリバリこなし、周囲から期待され頼られてきたビジネスマンにとって、退職後に何もやることがなければ、「生きがい」もないのと同然だ。人によってキャリアはさまざまだが、それでも長年勤めあげた会社を辞めるということは、ある側面では精神的な居場所を失ったもの同然で「自分はもうお払い箱」と自信を無くしてしまうのもうなずける。
また、通勤から解放された結果、生活のリズムが崩れたり、妻(または夫)との会話が続かなかったり、他人と話す機会が激減して孤独に陥ってしまうなど、「退職うつ」になり得る要素はほかにもあるようだ。
埼玉県在住の無職、ヤスダさん(仮名、67歳)も、定年後の人生がつまらないと嘆いている男性だ。現在は年金生活者で60代の妻と二人暮らしをしている。30代の娘と息子はそれぞれに独立し、結婚した娘の孫がひとりいる。身長は170センチ後半、ふくよかな男性だ。
「忙しく働いていた時は、定年を迎えたらクルーズ船に乗って、のんびり旅行がしたい、美味しいものを食べ歩きたいなど、色々と悠々自適な老後を妄想していましたが、現実は何一つかなっていません。毎日、1日が過ぎるのを持て余して暮らしています。
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子供達が孫の顔を見せに遊びに来ることもありませんので、妻とふたりきりの時間は、ものすごくつまらないです」
夢と希望で溢れていた定年後の生活は想像以上に”つまらない”話すヤスダさん。高校卒業後に大手建設会社に就職し、営業職として働いていた。
1956年生まれのヤスダさんが就職した年は、第二次世界大戦後に日本初の東京オリンピックが開催され「もはや戦後ではない」と言われたちょうど10年後にあたる。
この年は、”ミスター巨人”と呼ばれた長嶋茂雄の引退や、コンビニエンスストアの「セブンイレブン」が東京の豊洲に一号店を構えるなど、時代が華やかさに向かって変わっていく一方で、オイルショックの影響から、戦後初のマイナス経済を記録した時期でもあった。
「20代から40代は仕事で忙しかったです。週末になると接待ゴルフ、平日の夜は取引先との飲み会が連日のように入っていました。
プライベートの時間は全然なく、友達と遊んだり彼女を作るヒマなんかなかったですよ。ただ給与は、20代でもボーナスの良い年は年収800万円を超えたこともありました。
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あまりに激務な私を見かねた父親の勧めで、30歳の時に結婚相談所に登録し、2ヵ月目くらいで今の妻と知り合い結婚しました。容姿は悪くないし、デートもそこそこ楽しかった。私の身の回りの世話を案じていた両親に心配はかけまいと、すぐに、今の妻と結婚を決めたんです。
ですが、流れるままにした結婚は、正直失敗でした。結婚前は、歯に絹着せぬ物言いが嘘なく聞こえていたのに、一緒に暮らしてみればとんでもかなった。実際はヒステリックな性格で、ちょっとでも気に障ることがあるとしつこく騒ぎ立て、喧嘩をすればすぐに『離婚してやる!』とキレてばかりで。
ただでさえ、仕事が忙しくイライラしていたので、時には金切り声をあげる妻を平手打ちをして、制したこともありました。ですが、そうしている間にも娘ができ、その2年後には息子も生まれて、離婚どころではなくなった。
母親になれば少しは性格も変わるだろうと思っていましたが、逆でした。妻のことはすごく嫌いだったし、私も離婚したいと何度も思いましたが、不思議と今も婚姻関係は続いています」
夫婦喧嘩が一番激しかった時期は、30代の頃だと話すヤスダさんは振り返る。当時子どもは小さかったそうだが、影響などはなかったのだろうか。
「小さかった娘は『お父さん、お母さん、喧嘩はやめて!』と言っていました。でも妻の小言は収まらず、不満を爆発させて騒ぎ立てるもんだから、私もつい頭に血が上って、最終的には喧嘩になってしまう。それこそ毎週のように夫婦喧嘩していたので、始まると娘と息子は押し入れに隠れていました。
そんな夫婦仲だったし、仕事が忙しかったこともあって、家族をどこかに連れて行ったことはあまりありません。ごくたまに近所のファミレスに食事に行くことくらいはありましたけどね。車も持っていなかったし旅行にもほとんど行かなかったです」
高度経済成長を経て時はバブル景気に突入。栄養ドリンクのCMのキャッチフレーズである「24時間戦えますか」が流行語大賞にノミネートされ、海外では日本人の働きすぎを「エコノミックアニマル」と揶揄した。
そんな時代にあって、ヤスダさんが激務だったのは確かだろう。「男性は外で働き、女性は家を守る」が当たり前とされた時代で、役割をきちんとこなしている自分をなぜ責めるのかと喧嘩も起こるだろう。
とはいえそれは夫婦の問題だ。ふたりの怒鳴り合いを怖がる子供たちを無視していいわけがない。時には妻に平手打ちをしていたということから、子供たちへの暴力はなかったのかと聞くと「それは、絶対にない」とヤスダさんはキッパリと答えた。
妻からの執拗な攻撃と、あまりにも激務で心身ともにおかしくなりそうだったというヤスダさんは、40歳を過ぎたころに同業だが扱う商品の違う会社に転職した。
それにより、時間の余裕ができ、家族と過ごすの時間も増えたが、その頃には子供たちがちょうど親離れする時期と重なり、ほぼ一緒に遊ぶことはなかったたという。
家族旅行へは何度か言ったことがあるものの、「どこへ行ったかは覚えていない」と話すヤスダさん。慣れない旅行に不機嫌なる妻とは喧嘩に至り、子どもたちもつまらなそうにしていたことだけは覚えているそうだ。
家庭を顧みず激務をこなし、土日もほぼ休みなく働くサラリーマンを当時は”モーレツ社員”と呼び、父親不在の家庭も多かった。ヤスダさんが置かれている状況もそんな当時の一般的な家庭とそう変わらないように見える。
しかし、実際には妻に何らかの不満が溜まっていたのも事実だ。時代に流されたと言ってしまうのは簡単だが、この時期に少しでも、家庭を顧みる生き方にシフトチェンジしてみたら現在の生活も、もう少し違ったものになっていたかもしれない。
ひとつ気になるのが、好景気時代のサラリーマンならば、冒頭の余裕のある暮らしも夢ではないように思えるが、稼いだお金はどこに消えてしまったのか…。
その詳細は『67歳の夫が青ざめた…妻からのヤバすぎる攻撃で「帰宅恐怖症」になった、元サラリーマンの「悲惨な老後」…お金もなく、子供からも見放された』で明かす。