26年前。東京・葛飾区の自宅で上智大学4年の小林順子さんが、何者かに殺害され、自宅を放火された。事件は今も未解決のままで、父・賢二さんは今年76歳となった。4年前には大病を患い、15時間以上にも及ぶ手術を乗り越えた賢二さん。「未解決のまま死ねない」と26年経ったいまも、娘を殺害した犯人逮捕のために情報提供を呼びかける。 ◇◇◇■毎日、今日か明日かと…小林順子さんの父・賢二さん「まさにあっという間という感じがしますね。もう26年も経ってしまったかと」

事件が起きたのは1996年9月9日”世界で活躍するジャーナリストになる”夢を胸に一歩ずつ歩んでいた上智大学4年生の小林順子さんの命は、突然奪われた。葛飾区柴又の自宅で賢二さんら家族と暮らしている中、起きた事件は未解決のまま26年。賢二さん「15年20年と5か0がつく節目の年によく聞かれますが、遺族の気持ちは5とか0で割り切れるものじゃないんです。26年間毎日、今日か明日かという気持ちで犯人逮捕への強い思いは全く変わってないんです」賢二さんが事件について語る際の表情は厳しい。だが、順子さんとの思い出を話す時には、まさに「優しい父親」の顔。■父の夢をかなえてくれた娘賢二さん「娘は大変努力家だなという印象を持っていますが、親として手前みそになるので」少し照れたような表情で賢二さんはこう話す。自身が家庭の事情で大学に進学できなかった賢二さんは、娘には自分が経験できなかった大学生活を謳歌してほしいという思いをずっと抱いていた。そんな賢二さんの思いを感じていたのか、順子さんは努力を重ね、第一志望の上智大学に合格。賢二さん「合格通知を受け取った時は本人よりも私の方が小躍りするくらい」順子さんの帰りは終電間近になることもあったが…。賢二さん「楽しんで欲しかったから」あえて叱ることはせずに充実した大学生活を送る娘の姿を温かく見守っていた。しかし─。日常は突然奪われる。”夢”のアメリカ留学を2日後に控えていた時だった。賢二さん「東京の下町で一家4人のささやかな幸せを感じながら、生活があそこにあったわけなんです。それが一瞬のうちに破壊され、奪われた。あそこから世界に羽ばたこうとしていた女の子の命まで奪われて、父親としては悲しいというものを通り越して本当に悔しい。順子も本当に無念だったと思う、本当に悔しい…」警視庁は最重要事件として、これまでにのべ11万人以上の捜査員を投入するも、今も解決には至っていない。捜査が進展しない理由について捜査関係者は、友人にも家族にも愛されていた順子さんが「殺されるような動機面がどうしても見つからない」と苦しそうに語る。■父を襲うがん事件解決を願う賢二さんの体に異変が起きたのは2018年。鼻の内部に大きな腫瘍が…。診察を受けた結果「がん」だった。10時間と言われていた手術は、15時間以上にも及んだ。賢二さん「そんなに深刻には考えてなかったですけど、ほんの少し、これでもしかしたら目が覚めないのかもしれないなと思ったこともありました」賢二さんを支えたのは事件解決を願う思い。賢二さん「とにかく生きている以上は、未解決である以上はそう簡単には死ねないなと。それが唯一の心の支えでした」賢二さんは、医師に「奇跡に近い」と言われるまで回復。「順子が後押ししてくれたのかもしれませんね」■とにかく犯人を逃がさない「どんなわずかな情報でもいい」賢二さんは毎年、命日には現場近くの駅に立って、チラシを配り、情報提供を呼びかけてきた。大病を患った年の命日にも、駅前に賢二さんの姿はあった。”事件を風化させない”賢二さんが駅前に立ち続ける理由の一つだ。賢二さん「まだまだ情報は埋没していると思う。事件に重要な情報だけど警察に伝わっていないということがあっては遺族としては大変残念に思う。それを一つ一つ掘り起こすために情報提供を呼びかけ続ける」今年は事件の日と同じように雨が降る中、一人一人にチラシを配り、「どんなささいなことでも」と声をかけ情報提供を呼びかけた。賢二さん「とにかく犯人を逃がさない。何年たってもこれは未解決である以上は、全く変わるものではありません。そういった気持ちで今はいっぱいです」情報提供先警視庁亀有警察署特別捜査本部:03-3607-0110
26年前。東京・葛飾区の自宅で上智大学4年の小林順子さんが、何者かに殺害され、自宅を放火された。事件は今も未解決のままで、父・賢二さんは今年76歳となった。4年前には大病を患い、15時間以上にも及ぶ手術を乗り越えた賢二さん。「未解決のまま死ねない」と26年経ったいまも、娘を殺害した犯人逮捕のために情報提供を呼びかける。
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小林順子さんの父・賢二さん「まさにあっという間という感じがしますね。もう26年も経ってしまったかと」
事件が起きたのは1996年9月9日”世界で活躍するジャーナリストになる”夢を胸に一歩ずつ歩んでいた上智大学4年生の小林順子さんの命は、突然奪われた。葛飾区柴又の自宅で賢二さんら家族と暮らしている中、起きた事件は未解決のまま26年。
賢二さん「15年20年と5か0がつく節目の年によく聞かれますが、遺族の気持ちは5とか0で割り切れるものじゃないんです。26年間毎日、今日か明日かという気持ちで犯人逮捕への強い思いは全く変わってないんです」
賢二さんが事件について語る際の表情は厳しい。だが、順子さんとの思い出を話す時には、まさに「優しい父親」の顔。
賢二さん「娘は大変努力家だなという印象を持っていますが、親として手前みそになるので」
少し照れたような表情で賢二さんはこう話す。
自身が家庭の事情で大学に進学できなかった賢二さんは、娘には自分が経験できなかった大学生活を謳歌してほしいという思いをずっと抱いていた。そんな賢二さんの思いを感じていたのか、順子さんは努力を重ね、第一志望の上智大学に合格。
賢二さん「合格通知を受け取った時は本人よりも私の方が小躍りするくらい」
順子さんの帰りは終電間近になることもあったが…。
賢二さん「楽しんで欲しかったから」
あえて叱ることはせずに充実した大学生活を送る娘の姿を温かく見守っていた。
しかし─。日常は突然奪われる。”夢”のアメリカ留学を2日後に控えていた時だった。
賢二さん「東京の下町で一家4人のささやかな幸せを感じながら、生活があそこにあったわけなんです。それが一瞬のうちに破壊され、奪われた。あそこから世界に羽ばたこうとしていた女の子の命まで奪われて、父親としては悲しいというものを通り越して本当に悔しい。順子も本当に無念だったと思う、本当に悔しい…」
警視庁は最重要事件として、これまでにのべ11万人以上の捜査員を投入するも、今も解決には至っていない。
捜査が進展しない理由について捜査関係者は、友人にも家族にも愛されていた順子さんが「殺されるような動機面がどうしても見つからない」と苦しそうに語る。
事件解決を願う賢二さんの体に異変が起きたのは2018年。鼻の内部に大きな腫瘍が…。診察を受けた結果「がん」だった。10時間と言われていた手術は、15時間以上にも及んだ。
賢二さん「そんなに深刻には考えてなかったですけど、ほんの少し、これでもしかしたら目が覚めないのかもしれないなと思ったこともありました」
賢二さんを支えたのは事件解決を願う思い。
賢二さん「とにかく生きている以上は、未解決である以上はそう簡単には死ねないなと。それが唯一の心の支えでした」
賢二さんは、医師に「奇跡に近い」と言われるまで回復。
「順子が後押ししてくれたのかもしれませんね」
「どんなわずかな情報でもいい」
賢二さんは毎年、命日には現場近くの駅に立って、チラシを配り、情報提供を呼びかけてきた。大病を患った年の命日にも、駅前に賢二さんの姿はあった。”事件を風化させない”賢二さんが駅前に立ち続ける理由の一つだ。
賢二さん「まだまだ情報は埋没していると思う。事件に重要な情報だけど警察に伝わっていないということがあっては遺族としては大変残念に思う。それを一つ一つ掘り起こすために情報提供を呼びかけ続ける」
今年は事件の日と同じように雨が降る中、一人一人にチラシを配り、「どんなささいなことでも」と声をかけ情報提供を呼びかけた。
賢二さん「とにかく犯人を逃がさない。何年たってもこれは未解決である以上は、全く変わるものではありません。そういった気持ちで今はいっぱいです」