結婚後の夫婦間のトラブルは後をたたない。厚生労働省の「令和4年度 離婚に関する統計の概況」によると、令和2年度には約19万3000組が離婚している。
前編『「病院なんか行くなよ」妊娠5ヵ月の33歳妻が「激痛」に襲われても罵り続ける「モラ夫」のヤバすぎる本性』では、夫から過度のモラハラ(モラルハラスメント)を受け、実家に避難した斉藤ジェリーさん(33歳/仮名)の実例をお伝えした。
斉藤さんは20歳ほど年上の夫と結婚、その後すぐに夫が居酒屋を開業した。家計を助けるため、斉藤さんが昼間は調理関係のパートで働き、夜は居酒屋を深夜2時まで手伝う日々を送っていた。
しかし斉藤さんが妊娠すると、夫の態度は豹変。つわりで休む彼女に、夫は「だらけすぎだ」「休んでないで働けよ」などと心ない言葉を投げかけるようになった。
さらに妊娠5ヵ月のとき、決定的な出来事が起こる。具合が悪くなった斉藤さんがスーパーの駐車場で車を止めて休んでいると、軽トラックが斉藤さんの車に衝突。衝撃で腰に痛みが走ったため、夫に連絡して迎えに来てもらった。
それでも夫は、「こんなところで休んでいるお前が悪いんだろ」と冷たく言い放つばかり。耐えられなくなった斉藤さんは、実家へ戻る決断をしたのだった。
Photo by iStock
腰の骨が折れていた実家に戻れた斉藤さんは、改めてお姉さんに付き添ってもらい、体調不良をみてもらうため病院へ行った。すると、切迫早産になりかけていると診断され、即入院。妊娠6カ月なのに子宮口が開いていたのだ。また「貧血」や「パニック障害」の診断も下された。さらに、あの軽トラの事故で、実は「仙骨」という腰の骨が骨折していたことも、この時に発覚。腰に激痛が走っていたので、「やはり折れていたのか」と納得した。斉藤さんはそのまま病院に入院し続け、無事、子どもを出産。しかし、ある日、友人に「子どもが生まれたよ」と連絡をすると、夫と友人がSNSで繋がっていて、夫に子どもが生まれたことが伝わってしまう。「住んでいた家から飛び出したとき、夫からは『勝手に出ていって何を考えているんだ』『店はどうするんだ』『いいかげんにしろ』などの連絡がきていました。子どもが生まれたことが分かった後は『お前、自分で育てられると思うなよ』と脅すような連絡もくるようになりました。本当に怖かったんです」この時から斉藤さんは「いつか夫が、実家に子どもをさらいにくるかもしれない」という、強い恐怖に襲われるようになる。 まだ出産して1ヵ月もたっていなかったが、斉藤さんは早く協議離婚に持ち込もうと考えた。両家の親を呼び、経営する居酒屋の一室で話し合いが行われた。そのとき斉藤さんは「もしかしたら暴力沙汰に発展するかもしれない」と考え、実は店の外には警察を呼び、待機までしてもらっていた。何事も起きなかったが、離婚の話もまとまることはなかった。子どもがさらわれてしまう「このまま実家にいると、夫が実家に押しかけてくるかもしれない」「急に子どもを取られるかもしれない」そんな恐怖を感じていた斉藤さんは、実家から離れて、ひっそりとシェルターに避難することを選ぶ。実家の母親には「実家にいていいよ」と言われていたが、両親は離婚していて、家には父親がいない。「女性ばかりの家ということもあり、何かあったときに子どもを守れない」と考えたのだ。2015年の4月から、斉藤さんはシェルター生活に入ることとなる。その2ヵ月後には、調停で離婚が成立した。しかし夫への恐怖心は変わらない。 「生活費も悩みの一つでした。夫の居酒屋を手伝っていたので、自分個人としての貯蓄はほとんどなかったんです。必然的に生活保護を受けることとなりました」赤ちゃんとのシェルター生活。大変だが、できるだけ早く生活保護から抜け出し、自立したいとも考えた。そこで、斉藤さんは家計簿をつけ、生活費をできるだけ節約する工夫をした。「結婚前の歯科医院で歯科助手として働きながら、実は節約をして生活保護費の約半額貯めていました。シェルターなので家賃はないので、かかるのは光熱費だけです。赤ちゃんのオムツは自分のおばあちゃんのゆかたを切って布オムツを手作りし、オムツ代をゼロにしました。ミルクは自分が栄養をとるようにし、母乳だけで育てて、ミルク代もゼロ。搾乳して飲ませることもしました」生活保護を受給してちょうど4ヵ月たったとき、軽トラの事故の保険金が90万円ほど下りた。そこで40万円以上を生活保護の担当の課に支払い、受給をストップした。生活保護を抜けた後も、シェルターには3年間住んだ。子どもが3歳のときに引っ越し、まだ夫の心配があったので、警察署の斜め向かいのアパートを選んで借り、しばらく住んだ。 その後の斉藤さんは、再婚と二度目の離婚を得て、現在はコールセンターで働きながら、実家で暮らしている。「最初の夫との離婚から、もう8年くらいたつので、ようやく実家にいても大丈夫だと思えるようになりました。子どもと触れ合う時間ができて、笑顔で生活ができるようになり、今が一番幸せです。二人の夫からの養育費はなく、シングルマザーで、金銭的な余裕はありませんが、子どもに不自由させないように頑張っていきたいと思います」「心の暴力」も許されない取材の前半では泣きながら話してくれていたものの、終盤ではさわやかな笑顔を見せてくれた斉藤さん。「事実、今が一番幸せです」と言い切ってくれていたのが、とても力強く、印象的だった。元夫は身体的な暴力をふるっていたわけではない。しかし精神的な暴力「モラハラ」が、通常の暴力以上に斉藤さんに恐怖を植え付けていたと感じた。 世の中の妊娠中の女性が直面する、辛い「つわり」への男性の関心の低さ、理解不足もまた、ひとつの問題だろう。妊娠や出産は、状況にもよるが、夫婦二人で乗り越えていくものであり、決して女性一人の問題ではない。そしてモラハラは受ける側の心に大きな影を落とす。一人で解決は難しい。解決の糸口となるのは、「親族や周りの人、専門機関に相談することから」ということも知っておくべきだろう。
実家に戻れた斉藤さんは、改めてお姉さんに付き添ってもらい、体調不良をみてもらうため病院へ行った。すると、切迫早産になりかけていると診断され、即入院。妊娠6カ月なのに子宮口が開いていたのだ。また「貧血」や「パニック障害」の診断も下された。
さらに、あの軽トラの事故で、実は「仙骨」という腰の骨が骨折していたことも、この時に発覚。腰に激痛が走っていたので、「やはり折れていたのか」と納得した。
斉藤さんはそのまま病院に入院し続け、無事、子どもを出産。
しかし、ある日、友人に「子どもが生まれたよ」と連絡をすると、夫と友人がSNSで繋がっていて、夫に子どもが生まれたことが伝わってしまう。
「住んでいた家から飛び出したとき、夫からは『勝手に出ていって何を考えているんだ』『店はどうするんだ』『いいかげんにしろ』などの連絡がきていました。子どもが生まれたことが分かった後は『お前、自分で育てられると思うなよ』と脅すような連絡もくるようになりました。本当に怖かったんです」
この時から斉藤さんは「いつか夫が、実家に子どもをさらいにくるかもしれない」という、強い恐怖に襲われるようになる。
まだ出産して1ヵ月もたっていなかったが、斉藤さんは早く協議離婚に持ち込もうと考えた。両家の親を呼び、経営する居酒屋の一室で話し合いが行われた。そのとき斉藤さんは「もしかしたら暴力沙汰に発展するかもしれない」と考え、実は店の外には警察を呼び、待機までしてもらっていた。何事も起きなかったが、離婚の話もまとまることはなかった。子どもがさらわれてしまう「このまま実家にいると、夫が実家に押しかけてくるかもしれない」「急に子どもを取られるかもしれない」そんな恐怖を感じていた斉藤さんは、実家から離れて、ひっそりとシェルターに避難することを選ぶ。実家の母親には「実家にいていいよ」と言われていたが、両親は離婚していて、家には父親がいない。「女性ばかりの家ということもあり、何かあったときに子どもを守れない」と考えたのだ。2015年の4月から、斉藤さんはシェルター生活に入ることとなる。その2ヵ月後には、調停で離婚が成立した。しかし夫への恐怖心は変わらない。 「生活費も悩みの一つでした。夫の居酒屋を手伝っていたので、自分個人としての貯蓄はほとんどなかったんです。必然的に生活保護を受けることとなりました」赤ちゃんとのシェルター生活。大変だが、できるだけ早く生活保護から抜け出し、自立したいとも考えた。そこで、斉藤さんは家計簿をつけ、生活費をできるだけ節約する工夫をした。「結婚前の歯科医院で歯科助手として働きながら、実は節約をして生活保護費の約半額貯めていました。シェルターなので家賃はないので、かかるのは光熱費だけです。赤ちゃんのオムツは自分のおばあちゃんのゆかたを切って布オムツを手作りし、オムツ代をゼロにしました。ミルクは自分が栄養をとるようにし、母乳だけで育てて、ミルク代もゼロ。搾乳して飲ませることもしました」生活保護を受給してちょうど4ヵ月たったとき、軽トラの事故の保険金が90万円ほど下りた。そこで40万円以上を生活保護の担当の課に支払い、受給をストップした。生活保護を抜けた後も、シェルターには3年間住んだ。子どもが3歳のときに引っ越し、まだ夫の心配があったので、警察署の斜め向かいのアパートを選んで借り、しばらく住んだ。 その後の斉藤さんは、再婚と二度目の離婚を得て、現在はコールセンターで働きながら、実家で暮らしている。「最初の夫との離婚から、もう8年くらいたつので、ようやく実家にいても大丈夫だと思えるようになりました。子どもと触れ合う時間ができて、笑顔で生活ができるようになり、今が一番幸せです。二人の夫からの養育費はなく、シングルマザーで、金銭的な余裕はありませんが、子どもに不自由させないように頑張っていきたいと思います」「心の暴力」も許されない取材の前半では泣きながら話してくれていたものの、終盤ではさわやかな笑顔を見せてくれた斉藤さん。「事実、今が一番幸せです」と言い切ってくれていたのが、とても力強く、印象的だった。元夫は身体的な暴力をふるっていたわけではない。しかし精神的な暴力「モラハラ」が、通常の暴力以上に斉藤さんに恐怖を植え付けていたと感じた。 世の中の妊娠中の女性が直面する、辛い「つわり」への男性の関心の低さ、理解不足もまた、ひとつの問題だろう。妊娠や出産は、状況にもよるが、夫婦二人で乗り越えていくものであり、決して女性一人の問題ではない。そしてモラハラは受ける側の心に大きな影を落とす。一人で解決は難しい。解決の糸口となるのは、「親族や周りの人、専門機関に相談することから」ということも知っておくべきだろう。
まだ出産して1ヵ月もたっていなかったが、斉藤さんは早く協議離婚に持ち込もうと考えた。両家の親を呼び、経営する居酒屋の一室で話し合いが行われた。
そのとき斉藤さんは「もしかしたら暴力沙汰に発展するかもしれない」と考え、実は店の外には警察を呼び、待機までしてもらっていた。何事も起きなかったが、離婚の話もまとまることはなかった。
「このまま実家にいると、夫が実家に押しかけてくるかもしれない」
「急に子どもを取られるかもしれない」
そんな恐怖を感じていた斉藤さんは、実家から離れて、ひっそりとシェルターに避難することを選ぶ。実家の母親には「実家にいていいよ」と言われていたが、両親は離婚していて、家には父親がいない。「女性ばかりの家ということもあり、何かあったときに子どもを守れない」と考えたのだ。
2015年の4月から、斉藤さんはシェルター生活に入ることとなる。その2ヵ月後には、調停で離婚が成立した。しかし夫への恐怖心は変わらない。
「生活費も悩みの一つでした。夫の居酒屋を手伝っていたので、自分個人としての貯蓄はほとんどなかったんです。必然的に生活保護を受けることとなりました」赤ちゃんとのシェルター生活。大変だが、できるだけ早く生活保護から抜け出し、自立したいとも考えた。そこで、斉藤さんは家計簿をつけ、生活費をできるだけ節約する工夫をした。「結婚前の歯科医院で歯科助手として働きながら、実は節約をして生活保護費の約半額貯めていました。シェルターなので家賃はないので、かかるのは光熱費だけです。赤ちゃんのオムツは自分のおばあちゃんのゆかたを切って布オムツを手作りし、オムツ代をゼロにしました。ミルクは自分が栄養をとるようにし、母乳だけで育てて、ミルク代もゼロ。搾乳して飲ませることもしました」生活保護を受給してちょうど4ヵ月たったとき、軽トラの事故の保険金が90万円ほど下りた。そこで40万円以上を生活保護の担当の課に支払い、受給をストップした。生活保護を抜けた後も、シェルターには3年間住んだ。子どもが3歳のときに引っ越し、まだ夫の心配があったので、警察署の斜め向かいのアパートを選んで借り、しばらく住んだ。 その後の斉藤さんは、再婚と二度目の離婚を得て、現在はコールセンターで働きながら、実家で暮らしている。「最初の夫との離婚から、もう8年くらいたつので、ようやく実家にいても大丈夫だと思えるようになりました。子どもと触れ合う時間ができて、笑顔で生活ができるようになり、今が一番幸せです。二人の夫からの養育費はなく、シングルマザーで、金銭的な余裕はありませんが、子どもに不自由させないように頑張っていきたいと思います」「心の暴力」も許されない取材の前半では泣きながら話してくれていたものの、終盤ではさわやかな笑顔を見せてくれた斉藤さん。「事実、今が一番幸せです」と言い切ってくれていたのが、とても力強く、印象的だった。元夫は身体的な暴力をふるっていたわけではない。しかし精神的な暴力「モラハラ」が、通常の暴力以上に斉藤さんに恐怖を植え付けていたと感じた。 世の中の妊娠中の女性が直面する、辛い「つわり」への男性の関心の低さ、理解不足もまた、ひとつの問題だろう。妊娠や出産は、状況にもよるが、夫婦二人で乗り越えていくものであり、決して女性一人の問題ではない。そしてモラハラは受ける側の心に大きな影を落とす。一人で解決は難しい。解決の糸口となるのは、「親族や周りの人、専門機関に相談することから」ということも知っておくべきだろう。
「生活費も悩みの一つでした。夫の居酒屋を手伝っていたので、自分個人としての貯蓄はほとんどなかったんです。必然的に生活保護を受けることとなりました」
赤ちゃんとのシェルター生活。大変だが、できるだけ早く生活保護から抜け出し、自立したいとも考えた。そこで、斉藤さんは家計簿をつけ、生活費をできるだけ節約する工夫をした。
「結婚前の歯科医院で歯科助手として働きながら、実は節約をして生活保護費の約半額貯めていました。シェルターなので家賃はないので、かかるのは光熱費だけです。赤ちゃんのオムツは自分のおばあちゃんのゆかたを切って布オムツを手作りし、オムツ代をゼロにしました。ミルクは自分が栄養をとるようにし、母乳だけで育てて、ミルク代もゼロ。搾乳して飲ませることもしました」
生活保護を受給してちょうど4ヵ月たったとき、軽トラの事故の保険金が90万円ほど下りた。そこで40万円以上を生活保護の担当の課に支払い、受給をストップした。
生活保護を抜けた後も、シェルターには3年間住んだ。子どもが3歳のときに引っ越し、まだ夫の心配があったので、警察署の斜め向かいのアパートを選んで借り、しばらく住んだ。
その後の斉藤さんは、再婚と二度目の離婚を得て、現在はコールセンターで働きながら、実家で暮らしている。「最初の夫との離婚から、もう8年くらいたつので、ようやく実家にいても大丈夫だと思えるようになりました。子どもと触れ合う時間ができて、笑顔で生活ができるようになり、今が一番幸せです。二人の夫からの養育費はなく、シングルマザーで、金銭的な余裕はありませんが、子どもに不自由させないように頑張っていきたいと思います」「心の暴力」も許されない取材の前半では泣きながら話してくれていたものの、終盤ではさわやかな笑顔を見せてくれた斉藤さん。「事実、今が一番幸せです」と言い切ってくれていたのが、とても力強く、印象的だった。元夫は身体的な暴力をふるっていたわけではない。しかし精神的な暴力「モラハラ」が、通常の暴力以上に斉藤さんに恐怖を植え付けていたと感じた。 世の中の妊娠中の女性が直面する、辛い「つわり」への男性の関心の低さ、理解不足もまた、ひとつの問題だろう。妊娠や出産は、状況にもよるが、夫婦二人で乗り越えていくものであり、決して女性一人の問題ではない。そしてモラハラは受ける側の心に大きな影を落とす。一人で解決は難しい。解決の糸口となるのは、「親族や周りの人、専門機関に相談することから」ということも知っておくべきだろう。
その後の斉藤さんは、再婚と二度目の離婚を得て、現在はコールセンターで働きながら、実家で暮らしている。
「最初の夫との離婚から、もう8年くらいたつので、ようやく実家にいても大丈夫だと思えるようになりました。子どもと触れ合う時間ができて、笑顔で生活ができるようになり、今が一番幸せです。二人の夫からの養育費はなく、シングルマザーで、金銭的な余裕はありませんが、子どもに不自由させないように頑張っていきたいと思います」
取材の前半では泣きながら話してくれていたものの、終盤ではさわやかな笑顔を見せてくれた斉藤さん。「事実、今が一番幸せです」と言い切ってくれていたのが、とても力強く、印象的だった。
元夫は身体的な暴力をふるっていたわけではない。しかし精神的な暴力「モラハラ」が、通常の暴力以上に斉藤さんに恐怖を植え付けていたと感じた。
世の中の妊娠中の女性が直面する、辛い「つわり」への男性の関心の低さ、理解不足もまた、ひとつの問題だろう。妊娠や出産は、状況にもよるが、夫婦二人で乗り越えていくものであり、決して女性一人の問題ではない。そしてモラハラは受ける側の心に大きな影を落とす。一人で解決は難しい。解決の糸口となるのは、「親族や周りの人、専門機関に相談することから」ということも知っておくべきだろう。
世の中の妊娠中の女性が直面する、辛い「つわり」への男性の関心の低さ、理解不足もまた、ひとつの問題だろう。妊娠や出産は、状況にもよるが、夫婦二人で乗り越えていくものであり、決して女性一人の問題ではない。
そしてモラハラは受ける側の心に大きな影を落とす。一人で解決は難しい。解決の糸口となるのは、「親族や周りの人、専門機関に相談することから」ということも知っておくべきだろう。