歌手志望の若者が路上ライブから夢をつかもうとする姿を駅前や繁華街で見かけることがある。しかし彼らが、その場所に大阪・西成を選ぶことは……ないだろう。日雇い労働者の街として知られ、治安が悪いというイメージが根強く残る西成などで、あえて路上ライブを行う還暦前の元CAがいるという。
彼女は何が目的でそんなことをするのか? 華やかなCAという職業から不安定な道を選んだ理由とは……? ◆早期退職者制度でCAを辞め、不安定な道へ
関西エリアを中心に毎日のように路上ライブを行う還暦前の元CA……太田由貴さんは現在57歳。12年前までCAとして25年間国内大手の航空会社で活躍していた。40代後半で新人教育なども任される立場になってもなお、フライトの現場に立ち続けるほど「飛ぶのが好き」だったと話す。しかし2010年12月、突然退職を決意する。 「すごく好きな仕事だったのですが、十分にやり切ったなという感覚があったことが大きいです。そして現場には若い人も多く、機内サービスもどんどん変わっていって、ついていくのに精いっぱいだったこともあります。そんな状況で早期退職制度の募集があったんです。
その頃にフライトで沖縄を訪れて綺麗なお月さまを眺めていたらふと辞めようと思い立って……。いろんなことを十分経験できたし、これからは組織や会社の枠に捉われずに自由にやりたいことやりたいな、と」(太田由貴さん、以下同)
◆自由を満喫する一方で「これでいいのか」
そうして夫にも息子にも相談せず退社を決意、息子はまだ高校生でお金のかかる時期。夫も息子も驚いたが、最終的には「ママが決めたことなら」と納得してくれたそうだ。 「会社を辞めてからは旅行に行って自由を満喫したり、専業主婦を楽しんでみたりしていました。しかし、その一方『これでいいのか、自分には何かやることがあるんじゃないのか』という罪悪感のような気持ちもあったんです。そこでとりあえずパートをしてみようと思いました」 そして託児所の保育補助、カフェのキッチン補助、美容家の雑用秘書など様々なパートを転々とした。しかしどれも“これが本当にやりたいのか?”と違和感を感じ、長く続かなかったという。
◆パートの仕事を転々とするなかで… 「これまで自分は大企業でお膳立てされた場所で守られて働いていたんだって。そのありがたさに気づきました。
そして、好きなことをやって生きる道があるはず、と思った時に『自分は人の話を聞くのが好き』ということを思い出して。CA時代、フライト中に上司や同僚に相談されることも多かったですし、カウンセラーのようなことができたらいいなと。それでコーチングの資格を取りました。でも、その時はまだフリーランスで独立してカウンセラーになる勇気は持てませんでした」 そこで太田さんが取った行動は、「母校の女子大にいきなり履歴書を持っていく」という常識では考えられないものだった。その理由としては「どうして良いかわからないからとりあえず中学から短大までお世話になった母校に飛び込んでみよう!母校なら怖くない」というもの。
さらに、CAになる前の太田さんは自己肯定感がとても低かったこともあり、「多感だった短大時代に『あなたのここが素敵よ』と言ってくれる大人がいて欲しかった」「自分がそんな大人になれたら」という想いもあった。断られたらそれはそれで仕方ない、と半ばダメ元ではあったが、元CAの経歴が功を奏することとなる。
◆“元CA”を活かして学生相手のキャリアカウンセラーに

そうしてキャリアカウンセラーの勉強をしながら、1日5~6人の学生の進路相談に乗ることになった。太田さんのアドバイスで大手航空会社に入社した学生も多く、その手腕を認められ評価されていたものの、太田さんは「本当は就職したくない学生がいても就職させたい大学の意向とのギャップ」を感じ、結果的に約1年半で辞めることとなった。とはいえ、女子大生850人以上と向き合った体験は、カウンセラーとしてのキャリアにつながった。 その頃、友人から「大阪で面白いセッションをしている人がいる」と紹介されたのが小嶋道広氏(一般社団法人「If the world changes これやん!」代表理事)だった。「本来の自分に導くセッション」に共感した太田さんは師事、その視点と概念を採用し、自分も東京で個人セッションを行うようになった。その後、夫と離婚後はより互いに感謝し合う関係性を確立、もっと自分の在り方を充実させるために拠点を大阪へ。小嶋氏のオフィスでボランティアスタッフとして働くことに。 「活動に共感してスタッフとして働くことになったとはいえ、ボランティアスタッフですから収入はほとんど0でした。早期退職制度で得た退職金は当時使い果たしてしまっていましたし、クレジットカードも払えなくなってしまって……。どうやって生きていこう、と悩んだ時に思い立ったのが『路上ライブ』でした」
◆人前も歌も苦手なのに、路上ライブをする意外な理由 太田さんはこれまで人前に出ることがとても苦手だった。CA時代は機内アナウンスも苦手で、ましてや人前で歌うことなど考えられないほど。それなのになぜ稼ぐ手段として路上ライブを選んだのか。 「とにかく自分にとって怖いこと、恥ずかしいことをやろうと思ったんです。これまで人の目ばかり気にしている私でしたが、嫌だと思っていることをやってみたらどうなるんだろう?とふと思い立って。本当に嫌なことが起きるのか、やっぱり笑われたり無視されたりするのか?試してみたくなったんです。 それでも最初に路上で歌い始めた時は足が震えるほど嫌でした。楽譜も読めないし歌も全然うまくない。それなのに投げ銭ボックスを置いて歌い始めるわけです。図々しいと思われるのではないかと恥ずかしさでいっぱいでした」 しかし、歌い始めるとそんな不安は覆される。「頑張ってね」という声がかかり、拍手を浴び、「今度はいつここで歌うの?」などと温かい声ばかりをもらうことができたそうだ。そうして1年ほど、毎晩のように昭和の懐メロを中心に路上で歌っているうちに、人前で歌うことに慣れてきた太田さんは「もっと刺激があるところで歌ったらどうなるのか」と思うようになる。
◆“嫌なこと”の先にある喜び 「ネットで『大阪 怖いところ』って検索してヒットした西成の三角公園に向かいました。さすがに夜は避けて夕方くらいに行ってみたのですが、これまで歌っていた場所とは全く違う光景で。家のない方や昼からお酒を飲んでいたであろう方、いきなり喧嘩が始まったり騒ぐ人がいたり……。怖さから思わず立ち止まってしまい、『ほんとに、やる?』と自問自答して。それでもせっかく来たんだから、と歌い始めました」 公園の前で歌い始めると、酒の缶を持った男性が集まってきたという。 「中島みゆきの『時代』や『糸』を歌ったのですが、『自分がここにたどり着く前のことを思い出した』と泣いてくれた人がいたり、『お金はないけど』とずっと集めていた5円玉を35枚も投げ銭してくれた方もいました。

そんな経験を経て、太田さんはほぼ毎日のように異なる場所で歌うようになった。時には高級住宅街の芦屋で歌った。芦屋マダムに「やってることがすごい、ご馳走したい」とバーに招かれたこともあった。 「いろんな場所での人との出会いが楽しくて。どうしても嫌だった『人前で歌う』ということの先にこんな喜びがあったんだと驚きました。誰でも怖くて避けていることがあると思いますが、その奥に幸せがあるのですね」 さらに、夜間に路上で「あなたのお話聞きます」という活動も開始。通りかかった人の話を1時間~1時間半ほど聞き、相手の「お気持ち程度」の金額を受け取っているという。
これはコロナ禍で自分と向き合う時間が増えたものの、なかなか人と会う機会がなく誰にもアウトプットできないストレスを抱えた人たちの受け皿にもなっている実感があるそうだ。
◆還暦前で不安定な生活「どうなるかわからない」から面白い 現在太田さんの活動は、路上ライブ、路上での「あなたのお話聞きます」、そして個人セッション、路上ライブなどで経験したことを話す講演会の4つ。 気になる収入面だが、ある月は路上ライブの投げ銭が約8万円、講演会が約3万円、個人セッションと路上での「あなたのお話聞きます」が9万円。月によるが、概ね合計20万円程度とそれなりに暮らしていける収入がある。だが、現在住んでいる大阪と東京の実家を往復する際には、あえてヒッチハイクで帰るという……なぜまたそんなことをするのか? 「一番はやってみたかったから……なんですが、これもたくさんの人に話を聞けるから楽しくて。大阪から東京はだいたい7台くらい、東京から大阪までは3台くらいを乗り継ぐことが多いです。車中でいろんな話を聞いたりアドバイスをしたりするので喜ばれることもあります。『危ないからやめなさい』と言われることもありますが、基本的にはヒッチハイクをする前に『私はどうなってもいい』と思うようにしています」
自暴自棄?と思ったがそういうことではないらしい。 「人間は本質的に『いろんなことを体験することを喜びとして感じる』と言われています。不安なこともあると思いますが、思い切って様々な体験をしてみると、結果良いことしか起きないものなんです。だから『どうなってもいいや』と思って挑戦すると、結果的にどうなっても『良い!』ことしか起きなくなりました」 もちろん、リスクヘッジは十分に行っている。夜間は知らない人の車に乗らない、22時を過ぎたらホテルに泊まる、色恋を期待してカマをかけてくる会話の流れにはきっぱりと拒絶の意を示すなどだ。
◆将来を憂いている暇はない 彼女のような大胆な行動はなかなか真似できない……と思ってしまいがちだが、太田さんは「誰にでもできること」と話す。 「誰にでも『将来の不安』があると思いますが、私は『今の怖さ』と向き合っているから将来を憂いている暇がありません(笑)。西成で路上ライブをするといったことは、わからないことをやるチャレンジで怖いことでした。だけど、『今の怖さ』をやることで、私は結果的に温かい気持ちを得ることの方が多かったんです。
“純粋にやりたいことを怖がりながらもやったら、嬉しい現実が起こる体験”を重ねていくと個々の“わたし”が輝いていく。そんな自分を大好きになった人たちが増えて、温かい地球になるのを見てみたいという好奇心でやっています」 その言葉には本質を突かれたような気がした。安定や安心だけが幸せのキーワードではないのかもしれない……西成で路上ライブはできないけれど、「苦手だから」と目を背けていたものにチャレンジしてみよう、と勇気をもらった。
<取材・文/松本果歩>