一口に還暦といっても、過ごしてきた60年は、誰のそれとも同じではない。似たような人生はあっても同じ人生はないのだから。だが振り返ってみると、さまざまな後悔にさいなまれている人もいる。
後悔しても意味ないけど「還暦を迎えて、人生を振り返ることが増えました。たまたま中学、高校、それぞれの同窓会があったんですが、みんな案外、自分の人生に満足してるんだなと羨ましく思ったりしました」
サエコさん(61歳)はそう言った。もちろんサエコさん自身も、生きていたくなくなるほどの後悔を抱えているわけではない。ただ、どうしても「流されてしまった人生」から目を向けたくなることもあるという。
「私の周りは四年制大学へ行く人も多かったんです。でも私は当時、短大のほうが就職率がいいと父に言われて短大に進んだ。本当は四年制に行きたかったけど、弟もいたので少し遠慮しちゃったんです」
就職率は確かによかった。サエコさんも大手企業に入社した。その後、バブルがやってきて就職してから3、4年後にはボーナスが一気に上がったという。
「海外旅行をよくしましたね。とはいえツアーだったから、冒険したわけではないんですけどね。あのときがひとつのターニングポイントだったかもしれない。何人かの女性の同僚がお金をためて留学しました。
うちひとりは今もアメリカに住んで家庭をもって仕事もやり手で頑張っていますし、もうひとりは帰ってきてから外資系企業に入っていいポジションで仕事をしている。私も留学したい夢はあったけど、臆病でできなかった」
バブル期真っ盛りに27歳で社内結婚し、彼女は退職した。その後は「平凡な専業主婦」を経て、子どもふたりをもうけ、子どもたちが学校に上がったところでパートで働くようになった。
「子どもたちの成長をずっと見られたのはよかったと思っています。でも2歳違いの兄弟をひとりで見るのはつらいときもありましたね。夫は企業戦士で、週末はゴルフか家でゴロゴロするかのどちらか。台所になんて入ったこともないという昭和の男です」
人生は、ただ流れていった。子どもたちが高校生ともなると、男の子だったせいもあるのか親と出かけるのを嫌がった。それぞれ好きなことを見つけ、友だちと時間を過ごし、巣立っていくのだろうと思っていた。
「私も何かしたいと思いました。でも何をしたいのかわからなかった。フランスに留学してお菓子を習いたいなんて考えたこともあったけど、夫に一蹴されました。確かに夢みたいな話だったし、具体的に計画を立てたわけでもないので、夫を説得できるだけの情熱がなかったんだと思います」
40代半ばからは、ずっと退屈な人生だったと彼女は言った。
まだ続く退屈な時間パート仕事を変えたり、スポーツジムに行ったり、習ってみたかったピアノ教室に行ったりもした。だが何をやっても、たいして楽しくはなかった。
「自分が何を求めているのかわからないまま、時間だけが流れてしまった。ある時期から、もう自分自身に退屈してしまって……」
周りから見れば、それなりに人生を楽しんでいるように見えるかもしれないと彼女は言う。心の中の孤独感や退屈な気持ちは人に見せるものではないから、気取られないよう楽しそうに生活しているフリをしている。
最近は、結婚した息子が孫を連れて近所に引っ越してきた。だが、子育てをもう一度したいという気にはならないと彼女は言う。
「どうしようもないときは手伝いますが、基本的に子どもは夫婦で育てなさいと言っています。孫がかわいくて毎日でも会いたいと言っている友人もいますが、私はそうも思えなくて。生まれたばかりの孫を見ていると、逆に自分の老いやエネルギーのなさを自覚させられるから」
なんともネガティブな発言を繰り返すサエコさんだが、もしかしたら楽しそうに生きていながらも、実際には「老いへの恐怖」を抱えている人は少なくないだろう。
「死ぬのは怖くないんですが、老いて寝たきりになったりしたらどうしようと思うと不安でたまらない。3歳年上の夫は、今も仕事が多忙で、週末はゴルフをしたりと生活が変わってないんですよ。65歳の定年以降も仕事を続けると張り切っています。私はそんな夫のエネルギッシュな生き方についていけないなあと思っていて……」
今からだって何かはできる。やろうと思いさえすれば。友人からはそんな言葉ももらったが、彼女は淡々と「今までできなかったのだから、今から何かできるとは思えない」とつぶやいた。
「平凡な人生だったけど、それをよしとするしかない。自分を納得させるために老後を生きていくんだろうなと思っています」
いくつからでも何かを始めることはできる。だが、もしかしたら、過去を納得させるための「今後の人生」があってもいいのかもしれない。どんなに淡々とした平凡な人生であったとしても、その人だけの人生であることは確かなのだから。