思わず、つんつん、つんつん…。むっちむち、ぽちゃぽちゃの赤ちゃんを見て、指先でその感触を確かめたくなることはないだろうか。しかし、むっちむち、ぽちゃぽちゃの大人には決してできない行為だ。赤ちゃんへの距離感は曖昧になりがちで、実は、小さいころから大人がある意識を持つことが大切なようだ。
【写真を見る】『ほっぺ、つんつん』は問題?「子どもは癒しグッズじゃない」性教育ユーチューバーが懸念する子との曖昧な距離感赤ちゃんを、つんつん、つんつん、これって問題?!「はなちゃん(仮名)は教室で大人気ですよー」。娘の習い事の先生からそんな風に言われたことがある。え、そうなの?と筆者は嬉しくなった。確かに、やさしくて、笑顔の可愛い娘だとは思っていたが、みんなも大好きなんだと心躍った。しかし、教室で娘の様子を見て驚愕した。

つんつん、つんつん、つんつん…娘は上のクラスのお兄ちゃん、お姉ちゃんたち、そして先生に、ほっぺをつんつんされていたのだ。娘が人気というよりも、娘のむっちむち、ぽちゃぽちゃのほっぺが人気なのだった。娘は身体をくねらせ、笑顔でキャーキャー言っていた。遊びの延長で、誰もなんの悪気もない様子だった。しかし、この光景に、筆者は強烈な違和感を持った。当時娘は3歳。その年齢なら、つんつんもスキンシップやコミュニケーションの一つだと感じられる方もいるかもしれない。しかし、もし娘が中学生だったら、高校生だったら、多くの人がつんつんに違和感をもつのではないだろうか。3歳ならよくて、10代ならダメという子どもへの接し方とは、どうにも腑に落ちないのだった。「子どもは癒しグッズじゃない!」つんつんは“バウンダリー”を軽視?!助産師で性教育ユーチューバーとして活動するシオリーヌさんは、自分の体が持つ権利を知り、他人と関わりながら、社会で健康に安全に生きていくための『包括的な性教育』の重要性を発信している。その中で、よく紹介されるのが“バウンダリー”という概念だ。子どもの“バウンダリー”への意識が、つんつんの受け止めの違いに影響すると指摘する。ーー子どものほっぺがつんつんされることに、なんともいえない違和感があるのですが、これって変でしょうか?「私もその違和感にすごく共感します。つんつんする行為は、子どものためというより、触っている側が、子どものムチムチした体が気持ちいいとか、癒される、などが理由だと思うんです。でも、子どもは癒しグッズでも、ぬいぐるみでもありませんよね。特に言葉を発しないお子さんの場合は、子どもの権利や、バウンダリーが軽く扱われやすいです」ーーバウンダリーですか…どういう概念でしょうか?「日本語で言えば境界線のことです。性教育で大切なことの一つは、自分の体のことを決める権利は自分自身にあるということです。自分にはプライベートな領域があって、人と人との間には境界線があると考えます。ですので、境界線を踏み越えて、その人のプライベートな領域に入るとき、例えば、その人の体に触れたい、などというときには、その人の同意を確認するのが大原則なんです」ーーつんつんは、バウンダリーを同意なく踏み越えていますね…。でも、幼い子どもにもバウンダリーはあるのですか?「子どもにもあるのだと意識することが大切です。授乳、オムツ替え、抱っこ、などなど、赤ちゃんのときは毎日肌と肌が接する生活が続きますよね。幼いころからの積み重ねで、大きくなっても、わが子への境界線は曖昧になりがちだと思います。だからこそ、親がバウンダリーを意識しすぎるくらいして、その子を1人の人間として尊重していくということが必要だと思います」「抱っこしますよ」の声かけ 大人の都合で無断でやらないことの大切さーーバウンダリーを意識しすぎるくらいとは、具体的にはどうするのでしょうか?「一つは声かけです。まだ話せない子どもの場合は、同意を得るのは難しいですが、それでも声をかけましょう。例えば、大人の都合で移動させたいとき、無断で抱っこせずに『ちょっと抱っこしますよ』と言ってから抱っこをする。お風呂に入って体を洗うときには『洗うね』と声をかけてから触る。オムツ替えるときには『ちょっとオムツ見せてね』と声をかけてから外す、といった具合です。もちろん、お話ができる段階になってからも声かけは続けます。私の知り合いは、3歳の娘に『抱っこしてもいい?』『手を繋いでいい?』などと毎回確認をしているそうです。たまに『いまヤダ!』などと断られることもあるそうですが、親はショックを受けるわけでもなく『今はイヤなんだね、教えてくれてよかった。していい時になったら教えてね』と会話しているそうです」ーーそんな風に小さいころから子どもの気持ちやバウンダリーを尊重することが、なぜ大切なのでしょうか?「性教育は、人権教育なのだと思っています。自分自身が持っている権利を学び、相手が持ってる権利を学び、そこにある境界線を踏み越えるときにはコミュニケーションを取る。そんな基本的なスキルが根底にあると思うんです。大人が子どもを1人の人間として尊重し、コミュニケーションをとる。その繰り返しによって、子どもは自分の体に誰が触れていいかは自分で決めるんだ。嫌だって言ったとしても、親や、自分の大切な人との関係性は壊れないんだという感覚を習得していくわけです。このことは、大きくなったときに、自分が嫌なことには嫌だ、自分の同意を得ずに自分の体に触れてくるのはおかしい、という感覚が当たり前の自分の権利として身についていくことにつながっていくと思います」子どもの未来の意識のあり様は、現在の大人の意識に委ねられているところが大きいようだ。子どもにどう接するのか、まずは大人が学ぶべきことが多くありそうだ。(6月19日配信『SHARE』より)
「はなちゃん(仮名)は教室で大人気ですよー」。娘の習い事の先生からそんな風に言われたことがある。え、そうなの?と筆者は嬉しくなった。確かに、やさしくて、笑顔の可愛い娘だとは思っていたが、みんなも大好きなんだと心躍った。しかし、教室で娘の様子を見て驚愕した。
つんつん、つんつん、つんつん…
娘は上のクラスのお兄ちゃん、お姉ちゃんたち、そして先生に、ほっぺをつんつんされていたのだ。娘が人気というよりも、娘のむっちむち、ぽちゃぽちゃのほっぺが人気なのだった。
娘は身体をくねらせ、笑顔でキャーキャー言っていた。遊びの延長で、誰もなんの悪気もない様子だった。しかし、この光景に、筆者は強烈な違和感を持った。
当時娘は3歳。その年齢なら、つんつんもスキンシップやコミュニケーションの一つだと感じられる方もいるかもしれない。しかし、もし娘が中学生だったら、高校生だったら、多くの人がつんつんに違和感をもつのではないだろうか。3歳ならよくて、10代ならダメという子どもへの接し方とは、どうにも腑に落ちないのだった。
助産師で性教育ユーチューバーとして活動するシオリーヌさんは、自分の体が持つ権利を知り、他人と関わりながら、社会で健康に安全に生きていくための『包括的な性教育』の重要性を発信している。その中で、よく紹介されるのが“バウンダリー”という概念だ。子どもの“バウンダリー”への意識が、つんつんの受け止めの違いに影響すると指摘する。
ーー子どものほっぺがつんつんされることに、なんともいえない違和感があるのですが、これって変でしょうか?
「私もその違和感にすごく共感します。
つんつんする行為は、子どものためというより、触っている側が、子どものムチムチした体が気持ちいいとか、癒される、などが理由だと思うんです。でも、子どもは癒しグッズでも、ぬいぐるみでもありませんよね。
特に言葉を発しないお子さんの場合は、子どもの権利や、バウンダリーが軽く扱われやすいです」
ーーバウンダリーですか…どういう概念でしょうか?
「日本語で言えば境界線のことです。性教育で大切なことの一つは、自分の体のことを決める権利は自分自身にあるということです。自分にはプライベートな領域があって、人と人との間には境界線があると考えます。
ですので、境界線を踏み越えて、その人のプライベートな領域に入るとき、例えば、その人の体に触れたい、などというときには、その人の同意を確認するのが大原則なんです」
ーーつんつんは、バウンダリーを同意なく踏み越えていますね…。でも、幼い子どもにもバウンダリーはあるのですか?
「子どもにもあるのだと意識することが大切です。授乳、オムツ替え、抱っこ、などなど、赤ちゃんのときは毎日肌と肌が接する生活が続きますよね。幼いころからの積み重ねで、大きくなっても、わが子への境界線は曖昧になりがちだと思います。だからこそ、親がバウンダリーを意識しすぎるくらいして、その子を1人の人間として尊重していくということが必要だと思います」
ーーバウンダリーを意識しすぎるくらいとは、具体的にはどうするのでしょうか?
「一つは声かけです。まだ話せない子どもの場合は、同意を得るのは難しいですが、それでも声をかけましょう。
例えば、大人の都合で移動させたいとき、無断で抱っこせずに『ちょっと抱っこしますよ』と言ってから抱っこをする。お風呂に入って体を洗うときには『洗うね』と声をかけてから触る。オムツ替えるときには『ちょっとオムツ見せてね』と声をかけてから外す、といった具合です。
もちろん、お話ができる段階になってからも声かけは続けます。
私の知り合いは、3歳の娘に『抱っこしてもいい?』『手を繋いでいい?』などと毎回確認をしているそうです。たまに『いまヤダ!』などと断られることもあるそうですが、親はショックを受けるわけでもなく『今はイヤなんだね、教えてくれてよかった。していい時になったら教えてね』と会話しているそうです」
ーーそんな風に小さいころから子どもの気持ちやバウンダリーを尊重することが、なぜ大切なのでしょうか?
「性教育は、人権教育なのだと思っています。自分自身が持っている権利を学び、相手が持ってる権利を学び、そこにある境界線を踏み越えるときにはコミュニケーションを取る。そんな基本的なスキルが根底にあると思うんです。
大人が子どもを1人の人間として尊重し、コミュニケーションをとる。その繰り返しによって、子どもは自分の体に誰が触れていいかは自分で決めるんだ。嫌だって言ったとしても、親や、自分の大切な人との関係性は壊れないんだという感覚を習得していくわけです。
このことは、大きくなったときに、自分が嫌なことには嫌だ、自分の同意を得ずに自分の体に触れてくるのはおかしい、という感覚が当たり前の自分の権利として身についていくことにつながっていくと思います」
子どもの未来の意識のあり様は、現在の大人の意識に委ねられているところが大きいようだ。子どもにどう接するのか、まずは大人が学ぶべきことが多くありそうだ。
(6月19日配信『SHARE』より)