2022年11月、神奈川県・大磯町で夫が長年連れ添った妻を車いすに乗せたまま海に突き落とし殺害した。40年間、献身的に妻を支えてきた高齢の被告が、なぜ妻を手にかけてしまったのか。事件から半年以上が経ち、男の裁判員裁判が行われている。 その男が公判期間中に記者の面会に応じた。面会を通して見えてきたのは男の「介護への強いこだわり」だった。
【写真を見る】「あの世で会おう」40年の老老介護の末に妻を手にかけた82歳の男との面会録 記者に語った後悔「私の心が弱かった証拠だよ」40年介護“妻殺害” 男が記者に胸中語る「部屋へお入り下さい」小田原拘置支所の待合室にアナウンスが流れた。金属探知機をくぐり抜け面会室へ。無造作に置かれたパイプ椅子に座り男が来るのを待つ。1分ほど経っただろうか。突然扉が開き、白いTシャツ姿の高齢の男が刑務官に連れられ入ってきた。藤原宏被告、82歳だ。背筋は伸び、しっかりとした足取り。とても82歳には見えない。
藤原被告はこちらの様子を伺い、じっと見つめている。記者「初めまして。TBSの桝本です」藤原被告「メディアはあんまり来ないから、びっくりしちゃったよ。いきなりこんな時間に面会に来るなんて・・・。裁判も始まってるし」腹から出される藤原被告の声は、アクリル板越しでもはっきり聞き取れるほど力強いものだった。藤原被告は去年11月、神奈川県の大磯港で長年連れ添った妻の照子(てるこ)さん(79)を車いすに乗せたまま岸壁から海に突き落とし、殺害した罪に問われている。記者「老老介護が社会的な問題となっていますが、今回自身が起こしてしまった事件について何か思うことはありますか?」藤原被告「私がやったようなことがたくさん起きたらだめでしょ。私の心が弱かった証拠だよ。自分の家内を殺してしまったんだもん」これまでの裁判で弁護側は「40年来、ほぼ1人で介護をしてきた」と主張している。冒頭陳述では藤原被告が「介護を1人ですると決意した」としていて、その経緯を次のように明かしている。「体の続く限り、私一人で介護する」仕事に追われ気づかなかった妻の異変と被告の決意藤原被告が妻・照子さんと出会ったのは今からおよそ55年前。当時、大手スーパーのバイヤーとして仕事に没頭していた藤原被告は出張も多く、月の半分近くは家を空ける生活。家事は照子さんに任せっきりだったという。そんな矢先、生活が一変した。1978年、照子さんが自宅で倒れ脳梗塞と診断された。そして、左半身不随となった。藤原被告が39歳、妻照子さんが37歳の時だった。この時、藤原被告は医師から諭されたという。医師:「脳梗塞です。ここまで悪化しているのに気づかなかったのか?」藤原被告:「仕事が忙しく、脳梗塞の兆候に気づかなかった」医師:「兆候があったはずだ。あなたにも責任がある」藤原被告は「自分のせいで妻が脳梗塞になった」と自身を責め、ある決意をしたという。「体の続く限り、私一人で介護する」。記者「(介護について)誰かに相談しなかったんですか?」藤原被告「“頑固親父”って言葉知ってる?俺は頑固な性格だから『俺一人で面倒見るんだ』と強い決心をした。決意がなかったらもっと早く事件を起こしていただろうよ」今まで淡々と話していた藤原被告が突然、語気を強めて話し始めた。妻の介護への思いの強さが感じられた。そんな話し方だった。「誰かに相談していれば・・・」問われる妻の”所有化”と男の後悔藤原被告「2022年7月頃、家内の体調がおかしくなって…その時に誰かに相談していればこうならなかった」記者「息子さんとかケアマネージャーには相談しなかったんですか?」藤原被告「息子には精神的・金銭的な負担をかけたくなかったし、ケアマネージャーにも相談しなかった」裁判に証人として出廷したケアマネージャーは、事件前の藤原被告の様子についてこう証言する。【第3回公判 証人尋問より】弁護人:藤原被告は他人の手を借りたくなかった?ケアマネージャー:はい。弁護人:そういった気持ちはどこから来るものだと思う?ケアマネージャー:もちろん愛情だと思うが、いつからか「介護を自分でやらないといけない」という強いこだわりを持ち、照子さんを所有物化していったと思う。面会では、藤原被告が“自身の死”を意識した発言をすることもあった。藤原被告「彼女を突き落として何で自分がのうのうと生きているんだろう」照子さんは海に落とされる直前、「いやだ」と大きな声を上げた。それが最期の言葉だったという。記者「今回起こしてしまった事件について思うことは?」藤原被告「私がとんちんかんだったと言う話。あのときはもう頭が・・・」記者「照子さんに対して、今何を思いますか?」藤原被告「ただ家内の冥福を祈るだけです。解決するわけじゃないけど、もういないんだから」「あの世で会おう」男が面会の最後に記者に語った言葉そして、藤原被告は机に手をついて目を閉じ、10秒ほど沈黙した後、より落ち着いた声でこう話し始めた。藤原被告「こうやって心の中でね、逮捕されてから200日くらいになるけど、毎日祈っています。反省しても反省 しても反省してもどうしようもない・・・。介護を40年やることは普通のことだよ。それを最後に殺してしまった。大ばか者がやることですよ」私は返す言葉が見つからず、面会室はしばらく静寂に包まれた。そんな中、刑務官から合図が…。刑務官「まもなくです」まだ想定していた質問のほんの少ししか聞けておらず、焦った私はとっさにこう切り出した。記者「また面会に来てもいいですか?」藤原被告は少し考え…。藤原被告「俺も年だし、もう来なくていいよ。あの世で会おう」こう言い残し、部屋を去った。この4日後、私は法廷で藤原被告に再会した。裁判長から「最後に言いたいことはあるか」と聞かれた藤原被告は証言台に手をつき、声を絞り出すようにして叫んだ。「照子、申し訳ない」。嗚咽混じりに泣きながら。その瞬間、ちょっとしたざわめきと共に、法廷内にいた全員が悲しさに包まれたように私は感じた。裁判は結審した。40年の介護の末に自ら妻に手をかけた藤原被告に対し、検察側は懲役7年を求刑している。判決は7月18日に言い渡される。(TBSテレビ社会部 桝本康平)
「部屋へお入り下さい」
小田原拘置支所の待合室にアナウンスが流れた。金属探知機をくぐり抜け面会室へ。無造作に置かれたパイプ椅子に座り男が来るのを待つ。1分ほど経っただろうか。突然扉が開き、白いTシャツ姿の高齢の男が刑務官に連れられ入ってきた。藤原宏被告、82歳だ。背筋は伸び、しっかりとした足取り。とても82歳には見えない。
藤原被告はこちらの様子を伺い、じっと見つめている。
記者「初めまして。TBSの桝本です」
藤原被告「メディアはあんまり来ないから、びっくりしちゃったよ。いきなりこんな時間に面会に来るなんて・・・。裁判も始まってるし」
腹から出される藤原被告の声は、アクリル板越しでもはっきり聞き取れるほど力強いものだった。
藤原被告は去年11月、神奈川県の大磯港で長年連れ添った妻の照子(てるこ)さん(79)を車いすに乗せたまま岸壁から海に突き落とし、殺害した罪に問われている。
記者「老老介護が社会的な問題となっていますが、今回自身が起こしてしまった事件について何か思うことはありますか?」
藤原被告「私がやったようなことがたくさん起きたらだめでしょ。私の心が弱かった証拠だよ。自分の家内を殺してしまったんだもん」
これまでの裁判で弁護側は「40年来、ほぼ1人で介護をしてきた」と主張している。冒頭陳述では藤原被告が「介護を1人ですると決意した」としていて、その経緯を次のように明かしている。
藤原被告が妻・照子さんと出会ったのは今からおよそ55年前。当時、大手スーパーのバイヤーとして仕事に没頭していた藤原被告は出張も多く、月の半分近くは家を空ける生活。家事は照子さんに任せっきりだったという。そんな矢先、生活が一変した。1978年、照子さんが自宅で倒れ脳梗塞と診断された。そして、左半身不随となった。藤原被告が39歳、妻照子さんが37歳の時だった。
この時、藤原被告は医師から諭されたという。
医師:「脳梗塞です。ここまで悪化しているのに気づかなかったのか?」藤原被告:「仕事が忙しく、脳梗塞の兆候に気づかなかった」医師:「兆候があったはずだ。あなたにも責任がある」
藤原被告は「自分のせいで妻が脳梗塞になった」と自身を責め、ある決意をしたという。「体の続く限り、私一人で介護する」。
記者「(介護について)誰かに相談しなかったんですか?」
藤原被告「“頑固親父”って言葉知ってる?俺は頑固な性格だから『俺一人で面倒見るんだ』と強い決心をした。決意がなかったらもっと早く事件を起こしていただろうよ」
今まで淡々と話していた藤原被告が突然、語気を強めて話し始めた。妻の介護への思いの強さが感じられた。そんな話し方だった。
藤原被告「2022年7月頃、家内の体調がおかしくなって…その時に誰かに相談していればこうならなかった」
記者「息子さんとかケアマネージャーには相談しなかったんですか?」
藤原被告「息子には精神的・金銭的な負担をかけたくなかったし、ケアマネージャーにも相談しなかった」
裁判に証人として出廷したケアマネージャーは、事件前の藤原被告の様子についてこう証言する。
【第3回公判 証人尋問より】弁護人:藤原被告は他人の手を借りたくなかった?ケアマネージャー:はい。弁護人:そういった気持ちはどこから来るものだと思う?ケアマネージャー:もちろん愛情だと思うが、いつからか「介護を自分でやらないといけない」という強いこだわりを持ち、照子さんを所有物化していったと思う。
面会では、藤原被告が“自身の死”を意識した発言をすることもあった。
藤原被告「彼女を突き落として何で自分がのうのうと生きているんだろう」
照子さんは海に落とされる直前、「いやだ」と大きな声を上げた。それが最期の言葉だったという。
記者「今回起こしてしまった事件について思うことは?」
藤原被告「私がとんちんかんだったと言う話。あのときはもう頭が・・・」
記者「照子さんに対して、今何を思いますか?」
藤原被告「ただ家内の冥福を祈るだけです。解決するわけじゃないけど、もういないんだから」
そして、藤原被告は机に手をついて目を閉じ、10秒ほど沈黙した後、より落ち着いた声でこう話し始めた。
藤原被告「こうやって心の中でね、逮捕されてから200日くらいになるけど、毎日祈っています。反省しても反省 しても反省してもどうしようもない・・・。介護を40年やることは普通のことだよ。それを最後に殺してしまった。大ばか者がやることですよ」
私は返す言葉が見つからず、面会室はしばらく静寂に包まれた。そんな中、刑務官から合図が…。
刑務官「まもなくです」
まだ想定していた質問のほんの少ししか聞けておらず、焦った私はとっさにこう切り出した。
記者「また面会に来てもいいですか?」
藤原被告は少し考え…。
藤原被告「俺も年だし、もう来なくていいよ。あの世で会おう」
こう言い残し、部屋を去った。
この4日後、私は法廷で藤原被告に再会した。裁判長から「最後に言いたいことはあるか」と聞かれた藤原被告は証言台に手をつき、声を絞り出すようにして叫んだ。「照子、申し訳ない」。嗚咽混じりに泣きながら。その瞬間、ちょっとしたざわめきと共に、法廷内にいた全員が悲しさに包まれたように私は感じた。
裁判は結審した。
40年の介護の末に自ら妻に手をかけた藤原被告に対し、検察側は懲役7年を求刑している。判決は7月18日に言い渡される。
(TBSテレビ社会部 桝本康平)