眉をつり上げ、口を尖らせながら、どこか上から目線の批判を述べる。朝のテレビをつけると、そこらの専門家や芸能人よりも存在感を放っているのがコメンテーターとして出演する玉川徹氏(59)だ。自称する肩書きは“テレビ朝日のヒラ社員”。その振る舞いはなんだか尊大で、歯に衣着せぬ物言いが炎上したことは数知れず──だが、今回ばかりは大事になってしまった。
【写真】パートナーとされる女性と歩く玉川氏 賛否両論を呼んだ安倍晋三・元首相の国葬での菅義偉・前首相による弔辞をめぐり、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレ朝系)で玉川氏は「僕は演出側の人間ですからね」「政治的意図がにおわないように、それは制作者としては考えますよ。当然これ、電通が入ってますからね」などと発言。事実ではない発言をしたとして、10日間の出勤停止処分となった。10月19日には番組に出演するが、それを最後に降板する意向であることが報じられている。テレ朝関係者が語る。

「玉川さんの進退については局内でもおいそれとは口にできない状態で、番組で本人が何を言うのか全く読めません。ただ、局には降板要求だけでなく、番組に玉川さんがいないのは物足りないという“玉川ロス”の声も多く届いている。たしかに、玉川さんがいない『モーニングショー』は想像もつきません」 炎上をも視聴率に変えて、番組に欠かせないコメンテーターへと成り上がった玉川氏。いったいどのような経緯で異例のサラリーマン人生を歩むことになったのか。“伝説の視聴率男” 宮城県出身の玉川氏は、仙台の進学校から1浪の末に京都大学農学部に入る。京大大学院の修士課程を経て、1989年にテレ朝に入社。以降、ワイドショーを担当することになる。玉川氏は放送批評誌『GALAC』(2019年12月)の取材にこう語っている。〈入社時、当時テレビ朝日で“天皇”と呼ばれた取締役の小田久栄門さんの前に並べられ、『君は何をやりたい?』と問われたので、『ワイドショーだけはやりたくない』と発言して、こっぴどく叱られました。結果、配属先はワイドショー(笑)。僕のワイドショー人生はそこから始まるんです〉 ディレクターである玉川氏が番組に出演するようになったのは1998年、政治取材をフリーレポーターに断わられて、やむを得ず自らレポートしたのが最初だったという。一等地に格安で住める公務員宿舎問題に切り込み、大きな反響があった。 玉川氏と同じ京大出身で、『スーパーモーニング』(テレ朝系)で共演していたジャーナリストの鳥越俊太郎氏が語る。「この番組で玉川の社内的な肩書きはディレクターでしたが、レポーターだけでなく、政治的なテーマや話題になっていることを取り上げてフリップで解説する役をやるようになった。テレビ局でディレクターなのにコメンテーターのようなことをやるのはあり得ないので、それをやれる彼の能力と、それを許すテレ朝の両方にびっくりしました。政治的なテーマを自ら探してきてフリップを工夫してわかりやすく話すのが彼の特徴で、そこから始まったのです」 裏方のディレクターが“出役”に回るのは「前代未聞だった」と語るのは、テレ朝で同じ番組を担当したこともあるテレビプロデューサーの鎮目博道氏だ。「『スーパーモーニング』で同じ班にいたのが“伝説の視聴率男”として恐れられていた先輩の玉川さんでした。はじめは現場からレポートしたり、スタジオで自分が取材したVTRを解説する形で出ていました。すると彼が出た部分だけすごく視聴率が上がるので『スタジオに出すと視聴率が取れるぞ』となり、時々スタジオに出演するという独自の地位に。そこでもあまりに視聴率が取れるから番組を改編する時にいっそレギュラーにしようとなったそうです」 当初は「テレビ朝日課長 玉川徹」というテロップでスタジオ出演していたこともある玉川氏だが、視聴率を味方にコメンテーターとしての地位を確立していった。2015年、週1で出演していた番組が現在の『モーニングショー』にリニューアルしたのを機に、玉川氏は毎日出演するようになる。「帯の大きな番組のレギュラー出演者はプロデューサーレベルで決められることではないので、局のトップ、テレ朝でいうと早河洋会長も了承しているということでしょう。報道部署には解説員室やコメンテーター室があり、そこにいる局員でレギュラーのコメンテーターは全員が元記者で、政治や外報など専門分野があります。 玉川さんの場合、記者経験はない。そういう意味で本来ならコメンテーターになる人ではないので、彼だけオンリーワンな特別扱いと言えるでしょう」(鎮目氏)※週刊ポスト2022年10月28日号
賛否両論を呼んだ安倍晋三・元首相の国葬での菅義偉・前首相による弔辞をめぐり、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレ朝系)で玉川氏は「僕は演出側の人間ですからね」「政治的意図がにおわないように、それは制作者としては考えますよ。当然これ、電通が入ってますからね」などと発言。事実ではない発言をしたとして、10日間の出勤停止処分となった。10月19日には番組に出演するが、それを最後に降板する意向であることが報じられている。テレ朝関係者が語る。
「玉川さんの進退については局内でもおいそれとは口にできない状態で、番組で本人が何を言うのか全く読めません。ただ、局には降板要求だけでなく、番組に玉川さんがいないのは物足りないという“玉川ロス”の声も多く届いている。たしかに、玉川さんがいない『モーニングショー』は想像もつきません」
炎上をも視聴率に変えて、番組に欠かせないコメンテーターへと成り上がった玉川氏。いったいどのような経緯で異例のサラリーマン人生を歩むことになったのか。
宮城県出身の玉川氏は、仙台の進学校から1浪の末に京都大学農学部に入る。京大大学院の修士課程を経て、1989年にテレ朝に入社。以降、ワイドショーを担当することになる。玉川氏は放送批評誌『GALAC』(2019年12月)の取材にこう語っている。
〈入社時、当時テレビ朝日で“天皇”と呼ばれた取締役の小田久栄門さんの前に並べられ、『君は何をやりたい?』と問われたので、『ワイドショーだけはやりたくない』と発言して、こっぴどく叱られました。結果、配属先はワイドショー(笑)。僕のワイドショー人生はそこから始まるんです〉
ディレクターである玉川氏が番組に出演するようになったのは1998年、政治取材をフリーレポーターに断わられて、やむを得ず自らレポートしたのが最初だったという。一等地に格安で住める公務員宿舎問題に切り込み、大きな反響があった。
玉川氏と同じ京大出身で、『スーパーモーニング』(テレ朝系)で共演していたジャーナリストの鳥越俊太郎氏が語る。
「この番組で玉川の社内的な肩書きはディレクターでしたが、レポーターだけでなく、政治的なテーマや話題になっていることを取り上げてフリップで解説する役をやるようになった。テレビ局でディレクターなのにコメンテーターのようなことをやるのはあり得ないので、それをやれる彼の能力と、それを許すテレ朝の両方にびっくりしました。政治的なテーマを自ら探してきてフリップを工夫してわかりやすく話すのが彼の特徴で、そこから始まったのです」
裏方のディレクターが“出役”に回るのは「前代未聞だった」と語るのは、テレ朝で同じ番組を担当したこともあるテレビプロデューサーの鎮目博道氏だ。
「『スーパーモーニング』で同じ班にいたのが“伝説の視聴率男”として恐れられていた先輩の玉川さんでした。はじめは現場からレポートしたり、スタジオで自分が取材したVTRを解説する形で出ていました。すると彼が出た部分だけすごく視聴率が上がるので『スタジオに出すと視聴率が取れるぞ』となり、時々スタジオに出演するという独自の地位に。そこでもあまりに視聴率が取れるから番組を改編する時にいっそレギュラーにしようとなったそうです」
当初は「テレビ朝日課長 玉川徹」というテロップでスタジオ出演していたこともある玉川氏だが、視聴率を味方にコメンテーターとしての地位を確立していった。2015年、週1で出演していた番組が現在の『モーニングショー』にリニューアルしたのを機に、玉川氏は毎日出演するようになる。
「帯の大きな番組のレギュラー出演者はプロデューサーレベルで決められることではないので、局のトップ、テレ朝でいうと早河洋会長も了承しているということでしょう。報道部署には解説員室やコメンテーター室があり、そこにいる局員でレギュラーのコメンテーターは全員が元記者で、政治や外報など専門分野があります。
玉川さんの場合、記者経験はない。そういう意味で本来ならコメンテーターになる人ではないので、彼だけオンリーワンな特別扱いと言えるでしょう」(鎮目氏)
※週刊ポスト2022年10月28日号