51歳同士の再婚、その新婚生活とは?(イラスト:堀江篤史)
勤続30年の叩き上げの警察官と、海外在住歴10年の外資金融の管理職。51歳の同い年とはいえ、日常生活でも仕事でも親しく交わることはなさそうな経歴の男女。
そんな2人が、昨年の春に結婚相談所で出会い、3カ月後には「事実婚の契約書」を交わしてお互いの家を行き来する週末婚を始めた。今年4月に婚姻届を出し、妻が所有する中古住宅を夫がローンを組んでリノベーション。夏からようやく2人きりの新婚生活をスタートしている。それぞれバツイチ子持ちの再婚である。
インタビュー場所は池袋駅近くにある中華料理店。夫の清水敏弘さん(仮名)は柔和で優しげなメガネ姿の男性で、警察よりも高級ホテルの制服のほうが似合いそうだ。
一方の妻の久美さん(仮名)は小柄ながらもエネルギーと押しの強さが伝わってくる。結婚までの経緯を高速かつ詳細に話してくれたので、以下に要約させてもらう。
久美さんは九州出身で3姉妹の長女。残念ながら母親は子どもに暴力を振るう人で、弱い父親はそれを止めることができなかった。高校卒業後、実家から逃げ出すように上京して大学に進学。在学中にアメリカで米国公認会計士の資格を取り、卒業後はオーストラリアへ。
その後も海外と東京を行き来しながら、金融業界でのキャリアを重ねてきた。なお、2人の妹も危険な実家から連れ出して面倒をみて、それぞれ自立させている。
「結婚願望は高校生の頃からありました。親に愛されていないから、誰かに愛されたいという気持ちが強かったのです。いわゆる愛着障害だと思います」
働きすぎで体を壊していた頃、九州の地元で知り合ったのが前夫の真一さん(仮名)だ。長男長女に恵まれたが、16年間の結婚生活の後半7年間は「離婚したくて仕方なかった」と久美さんは明かす。
「(外で)働こうとしないからです。たまにアルバイトをしても、人間関係がどうのこうのといってすぐに辞めてしまう。実家が裕福で、私も稼いでいるので、働く必要を感じていなかったのでしょう。海外で家族で暮らしていたときも、英語ができないので家にいて子どもとベッタリ。一応は主夫でしたが、はっきり言って家事も私のほうが得意です。あまりに腹が立ったので、私一人で海外に赴任していた時期もあります」
真一さんは何か悪いことをしたわけではないが、久美さんの気持ちが完全に離れたときに潔く別れることもしなかった。久美さんによれば「甘ちゃん」なので、他に行くところがなかったのだろう。3年前に離婚した後も久美さん名義の自宅に居座り続け、最近になって渋々と地元に帰ったという。それまでの間、久美さんはストレスで病気をしたり思わぬ事故に遭ったりすることが続いた。
離婚後、久美さんは晴れやかな気分で婚活を始めた。しかし、結婚相談所ではなかなかお見合いを組んでもらえない。子どもがいる40代女性は避けられる傾向にあるという。2000万円という高収入も女性の場合は有利に働かないことがわかった。
商売好きの久美さんはそのうちに自分で結婚相談所を始めてしまう。「面白そう」という直感で、大手の加盟店となった。
「驚くほど男性会員が少なかったのですが、そこで光っていたのが警察官の主人です。私が中学生時代から好きな俳優さんにそっくりだし(笑)。年齢的に釣り合いそうな女性会員にお見合いを勧めたのですが、前の奥さんとの間に子どもがいることなどから敬遠されていました」
それならば、と久美さんはカウンセラーではなく会員を装って自ら敏弘さんにお見合いを申し込んだ。倍以上の年収格差に及び腰の敏弘さんに対しては、「この会員さんは誇りを持って働いている男性を探しています。年収の差は気にしていません」と説得。自分のことなのだから正確かつ情熱的にアピールできる。若干反則技だが、婚活における究極の裏技とも言えるだろう。
「もちろん、2回目に会ったときに種明かしをしました。いつも仕事でピリピリしている私とは違って、のほほんと明るい主人に惹かれたのです」
そんな敏弘さんも前の結婚生活では苦労をしている。30代半ばまで独身を謳歌していたという敏弘さんは、一緒に遊んでいた同期が結婚していくのを目の当たりにして焦り、警察内の結婚相談所に入会した。警察官およびその紹介がある人だけが登録できるもので、現役の警察官は無料。そこでお見合いをした3歳下の真由子さん(仮名)の父親も警察OBである。
「前の妻はちょっとワガママな性格でしたが、私はお義父さんのことが好きでした。亡くなってしまったときはショックでしたね……。妻や義母よりも私のほうが墓参りをしていると思います」
東京郊外に一軒家を買った敏弘さん。真由子さんとの間には一人息子がいる。しかし、義父が他界してから同居を始めた義母との折り合いは最初から悪かった。
「一人では寂しいだろうと思って呼び寄せたのが間違いでした。妻以上に我が強い人で、私には何の配慮もしてくれません。義母の影響で妻もよりワガママになってしまい……。そんな家には帰りたくないので、仕事が終わっても車の中で過ごしたりしていました。あるとき限界を感じて、『この家にはオレの居場所がないよ。3人でアパートを借りて出よう』と泣いて訴えたのです。妻からは『なんでそんな無駄なお金を使わなくちゃいけないの』と言われました」
真由子さんとの結婚生活の継続をあきらめた敏弘さんは自分一人でアパートに住み始め、調停を申し出て離婚。その後、別の地域で中古住宅を購入し、久美さんと出会うまでの3年間を過ごした。小学校4年生になった息子とは月1回は面会できているし、養育費も支払い続けている。
「再婚を考え始めたのはコロナがきっかけです。ワクチンを打ったら体調がすごく悪くなってしまい、こういうときに誰もそばにいてくれないのはつらいなと思いました」
今度は、保険の外交員に誘われて大手の結婚相談所に登録した。久美さんも副業として加盟していた相談所である。
当時の敏弘さんは40代後半で年収800万円の公務員。見た目も爽やか。離婚歴があって子どもの養育費を払っているとはいえ、婚活の場では売り手市場と言えるだろう。しかし、前の結婚で苦しんだ本人はそのような自覚はなく、「こんな私でよければどなたでもお願いします。できれば、明るくて前向きで小柄な女性がいいけれど」という程度の希望条件だった。
たいていの人は「自分なんて」と言いながらも、自分の市場価値を無意識に高く見積もっているものだ。その間違った見積もりに釣り合う相手を見つけようとするので、出会いは多くても成果には結びつかない。自分を低く見積もる敏弘さんのような人はかなりのレアケースである。
目ざとい久美さんが見逃すはずはない。「前向きで小柄なら私です!」とアプローチをして、敏弘さんをさっさと婚活市場から退場させた。個人で不動産の売り買いもしている久美さんにすれば、「超お買い得物件」だったのだ。
久美さんの年収を見て、「お嬢様なのか!?」と見当違いの遠慮をしていたという敏弘さん。交際から現在に至るまで久美さんに対する「驚きと尊敬」に満ちた毎日だと素直に語る。
「私にはとてもできないことをしている妻が、私を想ってくれるのがとてもありがたいです。私もそれ以上に彼女を想い、支えられるように努力していきます」
久美さんの子どもたちは進学先の大学を決め、精神的には自立している。自他に厳しすぎる母親が、優しい敏弘さんに迷惑をかけないかを危惧していると久美さんは笑う。
「私に叱られてばかりいたからでしょう。子どもは叱られるようなことをするからです。勉強しろとは一言も言いませんでしたが、勉強せずに落ちぶれても一切助けないと態度で示していました。でも、私は主人を叱ったりはしませんよ」
夜勤もある敏弘さんだが、月に1回は久美さんと遠出することを楽しみにしている。職業柄、車の運転はお手の物だ。
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新居ではリノベーションのローンは敏弘さんが払っている。一時的な独身時代に住んでいた一軒家は久美さんが高値で売却してくれたので資金には困らない。生活費は久美さんが負担。再婚後は幸せパワーで年収がさらに上がったというのでまったく問題ない。洗濯は敏弘さん、料理と掃除は久美さん、とそれぞれが「好きな家事」を担っている。
公私でさまざまな経験を重ねてきた敏弘さんと久美さん。業界も特技も違うけれど、一緒にいると倍以上の力を発揮できているようだ。想定外の人と出会い、結ばれて、偶然を必然に変えていく。いろいろあっても前を向くことを忘れなかった51歳には、そのための勇気と実力が備わっているのだと思った。
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(大宮 冬洋 : ライター)