静岡県牧之原市の高校教師・榛葉達也(しんば・たつや)さん(31)。余命1年の末期がんと宣告されながらも、教師として、厳しい現実から目を背けず、自分らしく生きることの大切さを伝えようと前を向いて日々を過ごしている。治療を始めてから7カ月。榛葉さんの“今”を追った。治療開始から約7カ月 3週間に1度の通院と治療榛葉達也さん:きょうCTの結果も出るので、嫌な話にならなければいいですけれど。現実的な方もあるので、結構緊張しています

医師:前回・今回比べても、胃の壁が厚くなっていたのも、薄くなってきています榛葉さん:前回より良くなっています?医師:前回の横ばいかな9月26日、医師から画像を見せられ説明を受ける榛葉さん。他の臓器への転移はないか、そして、これまでの治療の効果がどれくらい出ているのかを確認するため、2週間前に撮影した検査の結果が知らされた。医師:(薬が)よく効いているのが維持されているので、今の治療はまだ効果が続いていますよということで、継続で大丈夫です榛葉さん:ありがとうございます。うれしいです榛葉達也さん:現状維持というと、良くなっていないのかなと思うかもしれないですけれど、これ以上画像で良くなっていると判断するのが難しいくらい、今、正常に近いくらい薬が効いていると経過は良好で、これまで通り3週間に1度の通院と治療を継続することが決まった。2022年2月に、ステージ4のスキルス胃がんと診断され、3月から治療を始めてから7カ月。妻・美咲さん:(榛葉さんの)指先の感覚がないんですよ榛葉達也さん:6回目の治療くらいから痺れ出して。最初は親指と人差し指の先だけだったんですけれど、いまは全部ないですからね。いまは触られてもわからないとかただ、一時は54kgまで落ちてしまった体重も、62kgまで戻った。榛葉達也さん:(治療開始当初は)噛んで食べるものがまったく食べられなくて、最初の3週間くらいは。抗がん剤が効き始めていって、そこから食べられるようになったんですけれど、噛むことをしなかったので顔の筋力が落ちていて。噛むだけで疲れるみたいな、筋肉痛になるみたいな状態を経験しました余命宣告時には想像できなかったいま夏には、人生の一部と話すほど大好きな剣道を再開できるまでになった。恩師の計らいで、時折、 母校・榛原高校の現役部員に交じって稽古に励んでいる。榛葉達也さん:これ先日、教え子たちOBからもらって。吉原工業高校剣道部卒業生一同って書いてありますよ。これとてもいい防具なんですよ。きょうは初めてこれを使おうかなと思って手足の痺れから思うように動けず、もどかしいとは言うものの、切れ味鋭い竹刀さばきと足さばきは健在。大病を患っていることを感じさせないほどだ。榛葉達也さん:そろそろ死ぬ頃かなと思っていたので、余命宣告から半年後は。想像していなかったですね、剣道するつもりはなかったので9月10日には、がんが発覚するまで指導していた吉原工業高校の教え子たちを激励するため、東部地区大会の応援に出向いた。これに結果で応える生徒たち。新チームになって初めての公式戦を見事、優勝で飾った。榛葉達也さん:大きな励みになりますね。自分がいろいろ活動するということもエネルギーになるんですけれど、やっぱり生徒の頑張りを見られるのが一番幸せで、本当に大きいです自ら動き、前向きにまた、自身の経験や闘病で感じた様々なことを知ってほしいと始めた、講演活動を取り巻く環境にも変化があった。休職中の身であることから、当初は活動に後ろ向きだった県の教育委員会も、ここに来て背中を押してくれるようになったのだ。静岡県教育委員会・池上重弘 教育長その命の輝きを、しっかりと自分の納得できる形で続けていっていただければと思っています榛葉達也さん:病気になってから特に感じるんですが、人と人とのつながりのおかげで今、強気でというか、前向きに生活できているというのはあります。講演もそういうきっかけになりますし、何より自分の目標であるとか、生きがいであるとかエネルギーを向ける場所になるので、すごくありがたいと思います妻・美咲さんも、榛葉さんの気持ちの変化を感じていた。妻・美咲さん:講演会をやるようになってから表情がパッと変わって、生活にハリが出たような感じで、すごく生き生きしていて。治療を始めた頃よりは楽しそうに日々を送っていますね“教師”であり続けるためこの日、榛葉さんは浜松市で開かれた異業種交流会に招かれた。企業のトップや若手ビジネスマンを前に伝えたのは、挑戦し続けることの大切さだ。榛葉達也さん:失敗したときに何も感じないのであれば、そもそも全然、努力なんて出来ていない。向き合えていない証拠だなと思います。本当に自分がそれをやると決めてやるんだったら、そこにしっかり時間をかけて来たんだったら、必ず次につながるものが残るはずです。確率に物怖じして、努力や挑戦から逃げてはいけない。そういうことをすごく思いました子供の頃からあこがれ続けた高校教師という職業。教壇には立つことの出来ない日々だが、“教師”であり続けることが、今の目標だ。榛葉達也さん:病気になって休職しているので立場などいろいろ変わっているんですけど、今までも生徒に向き合って、自分の経験を伝えて来ました。これからもそれを大きく変えずに、病気を経験してそれを伝える、今までやってきたことを継続してやっていきたい(テレビ静岡)
静岡県牧之原市の高校教師・榛葉達也(しんば・たつや)さん(31)。余命1年の末期がんと宣告されながらも、教師として、厳しい現実から目を背けず、自分らしく生きることの大切さを伝えようと前を向いて日々を過ごしている。治療を始めてから7カ月。榛葉さんの“今”を追った。
榛葉達也さん:きょうCTの結果も出るので、嫌な話にならなければいいですけれど。現実的な方もあるので、結構緊張しています
医師:前回・今回比べても、胃の壁が厚くなっていたのも、薄くなってきています
榛葉さん:前回より良くなっています?
医師:前回の横ばいかな
9月26日、医師から画像を見せられ説明を受ける榛葉さん。他の臓器への転移はないか、そして、これまでの治療の効果がどれくらい出ているのかを確認するため、2週間前に撮影した検査の結果が知らされた。
医師:(薬が)よく効いているのが維持されているので、今の治療はまだ効果が続いていますよということで、継続で大丈夫です
榛葉さん:ありがとうございます。うれしいです
榛葉達也さん:現状維持というと、良くなっていないのかなと思うかもしれないですけれど、これ以上画像で良くなっていると判断するのが難しいくらい、今、正常に近いくらい薬が効いていると
経過は良好で、これまで通り3週間に1度の通院と治療を継続することが決まった。
2022年2月に、ステージ4のスキルス胃がんと診断され、3月から治療を始めてから7カ月。
妻・美咲さん:(榛葉さんの)指先の感覚がないんですよ
榛葉達也さん:6回目の治療くらいから痺れ出して。最初は親指と人差し指の先だけだったんですけれど、いまは全部ないですからね。いまは触られてもわからないとか
ただ、一時は54kgまで落ちてしまった体重も、62kgまで戻った。
榛葉達也さん:(治療開始当初は)噛んで食べるものがまったく食べられなくて、最初の3週間くらいは。抗がん剤が効き始めていって、そこから食べられるようになったんですけれど、噛むことをしなかったので顔の筋力が落ちていて。噛むだけで疲れるみたいな、筋肉痛になるみたいな状態を経験しました
夏には、人生の一部と話すほど大好きな剣道を再開できるまでになった。恩師の計らいで、時折、 母校・榛原高校の現役部員に交じって稽古に励んでいる。
榛葉達也さん:これ先日、教え子たちOBからもらって。吉原工業高校剣道部卒業生一同って書いてありますよ。これとてもいい防具なんですよ。きょうは初めてこれを使おうかなと思って
手足の痺れから思うように動けず、もどかしいとは言うものの、切れ味鋭い竹刀さばきと足さばきは健在。大病を患っていることを感じさせないほどだ。
榛葉達也さん:そろそろ死ぬ頃かなと思っていたので、余命宣告から半年後は。想像していなかったですね、剣道するつもりはなかったので
9月10日には、がんが発覚するまで指導していた吉原工業高校の教え子たちを激励するため、東部地区大会の応援に出向いた。
これに結果で応える生徒たち。新チームになって初めての公式戦を見事、優勝で飾った。
榛葉達也さん:大きな励みになりますね。自分がいろいろ活動するということもエネルギーになるんですけれど、やっぱり生徒の頑張りを見られるのが一番幸せで、本当に大きいです
また、自身の経験や闘病で感じた様々なことを知ってほしいと始めた、講演活動を取り巻く環境にも変化があった。休職中の身であることから、当初は活動に後ろ向きだった県の教育委員会も、ここに来て背中を押してくれるようになったのだ。
静岡県教育委員会・池上重弘 教育長その命の輝きを、しっかりと自分の納得できる形で続けていっていただければと思っています
榛葉達也さん:病気になってから特に感じるんですが、人と人とのつながりのおかげで今、強気でというか、前向きに生活できているというのはあります。講演もそういうきっかけになりますし、何より自分の目標であるとか、生きがいであるとかエネルギーを向ける場所になるので、すごくありがたいと思います
妻・美咲さん:講演会をやるようになってから表情がパッと変わって、生活にハリが出たような感じで、すごく生き生きしていて。治療を始めた頃よりは楽しそうに日々を送っていますね
この日、榛葉さんは浜松市で開かれた異業種交流会に招かれた。企業のトップや若手ビジネスマンを前に伝えたのは、挑戦し続けることの大切さだ。
榛葉達也さん:失敗したときに何も感じないのであれば、そもそも全然、努力なんて出来ていない。向き合えていない証拠だなと思います。本当に自分がそれをやると決めてやるんだったら、そこにしっかり時間をかけて来たんだったら、必ず次につながるものが残るはずです。確率に物怖じして、努力や挑戦から逃げてはいけない。そういうことをすごく思いました
子供の頃からあこがれ続けた高校教師という職業。教壇には立つことの出来ない日々だが、“教師”であり続けることが、今の目標だ。
榛葉達也さん:病気になって休職しているので立場などいろいろ変わっているんですけど、今までも生徒に向き合って、自分の経験を伝えて来ました。これからもそれを大きく変えずに、病気を経験してそれを伝える、今までやってきたことを継続してやっていきたい
(テレビ静岡)