離婚したことを後悔する人は少なくはない。男性の17%、女性では10%が「離婚して後悔したか」の問いに「はい」と回答している調査もある(イベント総合サイト「e-venz(イベンツ)」の2021年調査、115名の男女を対象)。決意が揺らぐタイミングがある、というのは確かなのだろう。
実際、もとのパートナーとふたたびヨリをもどすパターンもある。男女問題を30年近く取材し『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏が今回取材したのもそんな男性。自身の不貞による離婚と再婚を後悔し、最初の妻と「元のサヤ」におさまった。だがその胸中には暗い影が落ちているようだ。
***
古典落語に『子別れ』という人情噺の大ネタがある。腕のいい大工の熊さんが吉原に3日も入りびたり、帰宅したのはいいが妻に向かって女郎ののろけ話までし、夫婦げんかのあげくに妻は子を連れて家を出ていってしまう。
その後、お気に入りの女郎と暮らし始めるが、家のことを何もせず朝から酒を飲んで寝てばかりで、男を作って出ていった。心を入れ替えて仕事に打ち込んだ熊さん、3年後にばったり生き別れた子どもに会い、それがきっかけで妻とよりを戻すという内容だ。
現代にもそんな話はある。不倫から離婚、不倫相手と再婚したもののうまくいかず、元妻と再々婚。そんな激動の数年間を送ったのは、坂本雄浩さん(44歳・仮名=以下同)だ。
「せっかく元妻とまた一緒になれたのだから、何があってもがんばろうと思っていました。でも元妻の秘密を知ってしまった。もとはといえば自分が蒔いた種ですから、僕がここで踏ん張るしかないとわかっているんですが……葛藤しています」
雄浩さんが最初の妻であるすみれさんと結婚したのは29歳のとき。大学の同期だったが、在学中も卒業後も親しくする機会はなかった。だがあるとき、仕事でばったり会った。
「僕は、とある企業でコンサルティング事業をしていて、彼女が勤める会社と取引があったんです。担当が変わったと紹介され、顔を見たらすみれだった。あちらも覚えていて、いきなり和やかに仕事が進みました」
その後、再会を祝して気軽に食事に行ったのを機会に、デートを重ねるようになり、1年後には結婚した。
「気が強い、しっかり者、そして何より率直でチャーミング。それがすみれですね。仕事ぶりもテキパキしてかっこよかった」
2年後には双子の女の子も生まれた。すみれさんはずっと仕事を続けるつもりだったようだが、長女に先天性の病気が見つかり、退職を余儀なくされた。生まれてからの2年間で3回も大きな手術をしたという。
「すみれは長女に付き添って病院、僕は次女のめんどうをみるのがパターンでした。それでもどうにもならず、僕の母親がよく手伝いに来てくれました。みんなでがんばって双子を育てていた。無我夢中でした」
その後も入退院を繰り返していた長女が少しずつ元気になり、もう大丈夫だと思えるようになったのは4歳になったころだ。
「娘たちの誕生日に家族でお祝いしました。今まで本当に大変だったと思う、ありがとうと僕はすみれに頭を下げました。一時期、すみれは長女を連れて死にたいとまで言っていましたから。でもそれを彼女は前向きなエネルギーに変えた。どうしても長女を元気にするんだ、と。彼女を支えていたのはその一心だったと思う。僕は気が弱くて、娘の将来を考えると落ち込んでばかりだった。でもとうとう完治した。すべてすみれのおかげです。そう言うと、すみれは泣き笑いして、『あなたも大変だったわよ』と。娘たちもキャーキャーはしゃいでいて、ああ、家族っていいなと本気で思いましたね」
夫婦で協力して、子どもを育てていく。そんな「平凡だけど幸せな日々」を雄浩さんは満喫していた。それからしばらくして、すみれさんは「仕事をしようと思う」と告げた。
「保育園に預けて働くのは大変だけど、すみれはたぶん仕事が好きなのだろうから、彼女の人生も大事にしたい。そう思いました。できる限り時間を調整しあって共働きでがんばっていこうと話し合ったんです。僕たちは何でも話しあって決めていく。それができる関係になっているというのがうれしかった」
どうにもならないときは彼の母親が助っ人にきてくれた。そこに甘えていると感じてもいたが、4歳にもなると言い聞かせればわかる年齢でもある。元保育士の母は、子どもの気持ちをきちんとすくい上げてくれた。
「娘たちは元気だし、すみれも仕事を再開して楽しそうだし。僕は仕事が多忙を極めていた時期なのに、なんだか気が緩んだのか、けっこう飲みにも行ってました。すみれからは『もうちょっと早く帰れないの?』と何度か言われていたけど、当時は遊ぶのも仕事だと思っていた。既婚なのに合コンにまで参加して、ホテルへ行ってしまったこともありました。相手は選んでいたつもりだったんですが……」
そんなとき、社内の後輩有志が開催した立食パーティで出会ったのが10歳年下の雪絵さんだ。それは「合コン」ではなく、社内外の人が出会って新しいつながりを作ろうという会だったが、30代後半にさしかかった彼にとって、雪絵さんは鮮烈でまぶしい存在だった。一瞬にして「恋に落ちた」と感じた。
「ところが彼女は、その有志の中心である後輩の恋人だったんです。僕は知らなかったので、彼女に積極的に話しかけました。彼女も明るく対応してくれた。『ここから抜け出しませんか?』と言ったら彼女もニコッと笑って。一緒にこっそり出てバーに行きました。楽しかった。なぜこんなに気が合うんだろうと思うくらい楽しかった」
彼女は恋人と別れようと思っていると話してくれた。その話の中で、彼は後輩の恋人だと知った。雄浩さんから見て、仕事では頼りになる後輩だったが、確かに言葉がきつかったり人への思いやりに少し欠けるところがある。客観的な意見としてそう言うと、雪絵さんは「やっぱり」と頷いた。それを機に、雪絵さんからは何度も連絡があり、そのたびに相談に乗った。そして相談に乗っているうちに、雪絵さんから「彼のことはもうどうでもいい。私、あなたを好きになってしまった」と告白された。
雄浩さんも彼女に夢中になった。半年もたたないうちに自制心が薄れて、彼女の部屋に入り浸るようになった。週の半分くらい彼女の部屋に泊まるようになったとき、妻から「離婚しましょう」と言われた。
「僕は愚かでした。そのとき初めて『ヤバい』と思ったんです。外泊がそれほどいけないことだと思ってなかった。というか、雪絵に夢中で家族のことが視界から外れていた……。妻は泣きながら『こっちは3人なの。3人で越すのは大変だから、あなたが出て行って』と怒りを押し殺したような声で言った。怖かったですねえ、あれは」
家族と共に暮らしていたマンションを出て、とりあえず身の回りの荷物を持って実家に行くと、母が「ダメな男だね。あんたは」と息子を切り捨てるような言葉を投げてきた。入れ替わるように、母はすみれさんと同居し、雄浩さんは実家でひとり暮らしとなった。
「寂しかったんです、ひとりは。すみれは聞く耳をもたなかったし。雪絵に連絡して、もう離婚するからこっちに来ないかと誘いました」
偶然、戻ってきた母に雪絵さんと一緒にいるところを見られ、とうとう離婚に追い込まれたのは、娘たちが小学校に上がる直前だった。
「すみれと娘たちは母とともに実家に住むことになりました。もともと住んでいたマンションは彼女たちには手狭だったので、僕が再度、そちらに越しました。離婚の条件はすべて飲みましたよ。マンションのローンは僕が払い続け、安くはない養育費についても承諾しました。養育費を払えば娘たちに会わせてくれると言ったのに、すみれは小学校の入学式の連絡も寄越さなかった。母も母ですよ、完全にすみれの味方だった」
当てつけのように雪絵さんにプロポーズし、受け入れてもらった。ひそかに婚姻届を出したが、会社の後輩で雪絵さんの元恋人には「先輩が不倫したあげく、妻を追い出して僕の恋人と再婚した」と言いふらされた。当たってはいるけど、言いふらす話でもないだろうと彼は思ったという。噂を払拭するかのように彼は周りに目を向けず、ひたすら仕事をした。
「そんなときに限って仕事がやたらとうまくいくんですよ。新規の顧客開拓もそれまでなかったくらい成功して……。それでも社内ではなるべく目立たないようにしていたから、謙虚な人とまで言われるようになった。雪絵の恋人だった後輩はひっそり辞めていきました。悪いことをしたとは思ったけど、恋愛の勝負に勝ったという気持ちもありましたね」
子どもに会えない寂しさはあったが、新しい人生をもう一度歩もうと雄浩さんは心に決めた。ところが仕事がうまくいくと、今度は家庭が怪しくなった。
「雪絵はすみれと違って甘えん坊でした。専業主婦になりたいと言ったのに、帰宅すると『寂しい、つまらない』と。『習い事をしたいけど、あなたの給料からあんなに養育費を払っていたら、私、何もできない』とまで言う。まだ若いんだし仕事をしたらどうかなと言ったら、『私は専業主婦が夢だったの』って。とはいえ、家事はどうやら好きじゃないみたいで、正直言って料理もおいしくなかった。料理教室に行ってみたらと言ったら泣かれました」
気が合うと思っていたが、それは自分の思い込みだったのか。雄浩さんはだんだん後悔するようになっていった。
4年も経つと、雄浩さんは充実感のない結婚生活に嫌気がさしていた。出張と言って出かけた日、急遽、出張がなくなって帰宅したら、雪絵さんが男を自宅に引っ張り込んでいたという。
「ああ、やっぱりとホッとしましたね。これで別れられる、と。男を訴えて慰謝料とってもいいんだよと言って、雪絵を追い出しました。わかっていたんです、僕が求めているのはすみれだということを。でも今さら帰ってきてほしいとは言えなかった」
雪絵さんと離婚してからほどなく、すみれさんから突然連絡があった。雄浩さんの母が余命いくばくもないという。息子には知らせるなと言われていたが、知らせないわけにはいかないとすみれさんは言った。病院に駆けつけると、痩せこけた母が横たわっていた。
「すみれちゃんったら、と母が笑ったんです。すみれは黙って部屋を出て行きました。母の枕元で、オレはとんでもない親不孝だったと気づいた。すみれや子どもだけでなく、母まで傷つけて。『私の年金が少ないし、何年にもわたって病気をしたから、すみれちゃんは必死に働いてくれた。あんたに連絡しようと言っても、それだけは嫌だと。養育費を払ってくれているのだから、雄浩さんの新婚生活を邪魔するわけにはいかないって』と聞いて、号泣しました」
母はひとり息子に会って安堵したのか、それから数日後に眠るように亡くなった。すみれさんと一緒に住むようになってから母は体調を崩し、それからずっと病と闘って入退院を繰り返していたのだという。
「『すみれちゃんは本当によくめんどうを見てくれた。私が退院して家にいるときは夜、働きに出ていた。夜のほうが時給がいいからって』なんて話も母からは聞きました。通夜と葬儀が終わったあと、娘たちが『おとうさん、お仕事終わったの?』と言うんです。仕事で海外にいて連絡がとれないということにしていたようです。4年近く離れていたのに娘たちは僕にまとわりつくように懐いてくれて。すみれはかつてより痩せていたけど、なんだか色っぽかった」
一段落してから、雪絵さんとは離婚していること、娘たちのことを考えてやり直せないだろうかと雄浩さんは懇願した。頭を床にこすりつけて「すべてオレが悪い。おふくろのめんどうまで見てもらって申し訳ない」と泣いた。
「私は母親を早くに亡くしているから、あなたのお母さんが私の味方をしてくれたとき本当にうれしかった。一生、恩に着てめんどうをみようと決めたの。私とお母さんのことと、私とあなたのことは別に考えてちょうだい」
すみれさんはきっぱりとそう言った。そういう潔さがすみれさんのいいところだったと雄浩さんは思い出した。自分の生き方は、すみれさんの足下にも及ばないとはっきり悟った。
その上で、もう一度だけチャンスをくださいと頼んだ。
彼が戻ったその晩、娘たちはニコニコしていた。彼は大きなケーキを買い、すみれさんは手早く料理を作った。彼女の味は変わっていなかった。
「娘たちの4歳の誕生日のときと同じように、家族4人で笑い合うことができた。娘たちが寝てから僕はずっと泣いていました。すみれが『いいかげんにしろっ、ばかっ』と僕の腕を叩いたので、なお泣けてきて」
最初は多少、ぎくしゃくしていた夫婦関係だが、娘たちのおかげでふたりが顔を見合わせて微笑むことも増えていった。
「今年の夏、娘たちが泊まりがけのキャンプに行ったんです。その日はすみれと久々のデート。すみれが見たがっていた映画を観て、昔行ったことのあるレストランで食事をして。ぶらぶらと繁華街を歩いていたら、向こうからやってきた男性が『あれ、ユメさんだよね』と声をかけてきたんです。すみれはビクッとしながら『人違いです』と毅然と言った。するとその男性が、『ユメさんだよー、熟女~~にいたよね』と。すみれの顔色が変わったので僕は彼女を抱きかかえるようにしてその場を去りました。背中から『もう店には出ないの?』という声が聞こえた」
雄浩さんは、「どこかでこんな日が来るかもしれないと思っていた」と言う。すみれさんは子どもたちの世話もあるし、雄浩さんの母のめんどうもみていた。正社員としては働けない。彼は知らなかったが、母の年金はごくわずか。すみれさんは「子どもたちが学校に行っている間はファミレス、母が退院しているときは夜、スナックで働いていた」と雄浩さんには説明したらしいが、それで生活が成り立っていたとは思えなかった。
「あの男性が言った言葉を検索したら、風俗店でした。すみれは生活に合わせた時間帯で風俗で働いていたんでしょう。母の入院費はかなりかさんだはず。母はそれほど高い保険に入っていなかったと思う。なのに最後は個室でしたからね」
その晩、彼は全身全霊をこめてすみれさんを抱いた。必死だった。ここで自分が男として機能しなかったら、また妻の気持ちを傷つけてしまう。そう思ったという。
道ばたで出会った男性との会話についてはすみれさんに問いただしていない。彼女の様子でもうわかっている。苦労をかけた自分を呪うだけだ。
「本音を言えば気になりますが、もうすみれと離れたくない。優先順位はすみれと子どもたちと仲良く暮らすこと。そのためには僕がすみれの心に土足で踏み込んではいけない。今のすみれを信じていくしかない。僕自身が生まれ変わったつもりでがんばらなければいけないんです」
自分に言い聞かせるように雄浩さんは力を込めた。
風俗で働かせたのは自分のせいだと彼は思っている。もちろん、そうなのだが、どんなことをしても子どもたちと元夫の母親に不自由をさせまいとしたすみれさんの心意気に目を向けてあげてほしい。彼女の前向きさをプラスにとらえてほしい。最後にそれとなくそう言うと、彼はしきりに目をしばたたかせて深く頷いた。
***
冒頭で紹介したアンケート調査では、離婚して後悔した理由についても尋ねていて、男女ともに「子供」の存在を挙げている。
久々に顔を合わせても変わらず懐いてくれる娘たちに心が揺れているあたり、雄浩さんもどうやら似た思いを抱いていたようだ。再々婚したすみれさんとの関係も、まさに「子はかすがい」で良好な関係を築けているようだ。
娘たちと再びうまくやっていけているのは、雄浩さんの母とすみれさんがつき通していた「おとうさんは海外でお仕事をしている」という嘘のおかげだ。すみれさんからしてみれば、不倫され、(本人は拒んでいなかったにしろ)義母のめんどうをみるはめになり、風俗で働くことになった元凶である雄浩さんを悪く言っていてもおかしくない。困窮しても雄浩さんの新婚生活を邪魔しまいと連絡を控えていた。すみれさんはよくできた人である。
そんなすみれさんのことを思えば、空白期間中の彼女の秘密についても問題にならないはず。気になるのは、亀山氏に話を聞いてほしいと願うほどに、雄浩さんが葛藤をしているという点だ。彼に葛藤する権利はあるのか。亀山氏の最後の言葉が響いてくれているといいのだが……。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部