一昨年5月に長野県中野市で、散歩中の女性2人と警察官2人を殺害したとして殺人と銃刀法違反に問われた青木政憲被告(34)の裁判員裁判判決が10月14日に長野地裁で開かれ、坂田正史裁判長は青木被告に求刑通りの死刑を言い渡した。
【写真】被告が立てこもった、青木家の邸宅。被告が卒業文集で綴った「自分が思う事」ほか
周囲から「ぼっち」「キモい」と言われているという”妄想”を持っていた青木被告。裁判の争点は責任能力だった。検察側は被告が当時、妄想症であったが完全責任能力を有していたと主張しており、対する弁護側は、統合失調症の影響下で起こした事件であるとして心神耗弱の状態にあったと主張していた。判決では検察側の主張が認められた格好になる。【前後編の前編】
* * * 刑事裁判では多くの場合、判決を言い渡す際に、被告を証言台の前に立たせる。判決主文を言い渡したのち、理由の読み上げが長くなる場合には、座るように促す。しかしこの日は開廷直後、証言台の前に立った青木被告に対し、坂田裁判長は「椅子を引いて座ってください」と主文を言い渡す前から、座るように命じた。いわゆる主文後回しである。報道記者席に座る記者が複数名、急ぎ足で法廷を出て行く。裁判長が読み上げ始めた判決理由が、ドアの開閉音でかき消された――。
2023年5月25日当時、長野県中野市に住んでいた青木政憲被告は、彼の自宅付近を散歩していた竹内靖子さん(70=当時)と村上幸枝さん(66=同)をナイフで刺殺し、その後パトカーで駆けつけた中野署の警察官、池内卓夫警部(61=同・二階級特進)に猟銃を発砲して殺害。ともに駆けつけた玉井良樹警視(46=同・二階級特進)に対して猟銃を発砲したのちナイフで刺して殺害した。
検察官は被告が犯行当時、妄想症であったが、完全責任能力を有していたと主張しており、この立証のために精神鑑定が行なわれた。対する弁護人は、被告が当時、統合失調症であり、心神耗弱状態にあったため責任能力は限定されると主張していた。この立証のため、また別の医師が鑑定を行なっている。判決では双方の鑑定結果を検討するにあたり、まず証拠から認められる事実について整理された。
それによると、被告は高校卒業後、一浪して都内の大学に進学。学生寮での生活を始めたが「次第に、大学や寮で『ぼっち』『キモい』などと悪口を言われており、これが拡散されてネットいじめにあっていると感じるようになった」という。母にいじめを訴え、寮を出てアパートで一人暮らしを始めたが、帰省時に乗った高速バスでも乗客から「ぼっち」「キモい」と言われると感じ、都内から長野県中野市の自宅まで自転車で帰ってこようとしたこともあった。「ぼっち」「キモい」と悪口を言われている……というのは被告の妄想である。
2013年の夏には、連絡がつかないことを心配し都内のアパートを訪ねた両親に対し、被告がこう訴えた。
〈周囲から「ぼっち」「キモい」と言われ、ネットいじめにあっている。アパートに盗聴器や隠しカメラが仕掛けられており、部屋の様子がネット上で流されている〉(判決より)
両親はこれを聞いた当日に警察に出向きネットいじめの被害を訴えたが、その形跡は発見されなかったことから被告は落胆した様子を見せたという。くわえて両親は、盗聴器等の捜索を依頼した探偵から、何も発見されなかったという報告だけでなく「統合失調症かもしれない」と受診を勧められた。結局、被告は大学を退学し、実家で両親と暮らすこととなったが、両親は被告を精神科に受診させることはなかった。裁判に証人として出廷した父親は「家族の愛情で元の元気な姿に戻るだろうという素人判断だった」と振り返っている。
被告は実家に戻ってからアルバイトの傍ら、父親の果樹園の手伝いを始め、2016年には農園の経営を任されるようになった。自身の名前から「マサノリ園」と名付けた農園では、ぶどう栽培などに精を出し、順調に利益を上げていた。2019年、父親がオープンさせたジェラート店で製造の仕事をするようになってから、その製造エリアに目隠しを施し、客から自身の姿を見えないようにした。
2022年にオープンした二号店では経営までも任されるようになったが、同様に目隠しを施し、店舗のトイレを使用せず、用便の際は実家に戻るという日々を送っていた。この年の9月には、二号店にアルバイト店員が出勤した際、いきなり被告が店員に殴りかかり「ぼっちとバカにしただろう」「ぶっ殺すぞ」と大声を上げるという事件もあった。
実家に戻ってからの被告は、しばらく「ぼっち」という悪口が聞こえることはなかったというが、数年後には再び悪口が聞こえるようになったようだ。農作業中に近くの高齢者から、そしてジェラート店では客から悪口を言われている、ネットいじめが再燃した、と思っていたという。自宅ではパーカーのフードをかぶり、来客に応対することもせず、「隠しカメラだ」と、PCのカメラ部分にガムテープを貼った。
「ぼっち」「キモい」という悪口が聞こえるという妄想が続きながらも、父親から任された農園やジェラート店を切り盛りし、また趣味にも勤しんでいた。狩猟免許を取得し、猟銃所持の許可を受け、これらを複数回更新している。複数の猟銃を買い求め、そして2019年2月には、事件で使用したハーフライフル銃の所持の許可を受けた。こうした狩猟免許の取得や更新、拳銃所持の許可や更新の際、合計7回、3名の精神科医の診察を受けているが、いずれも「精神疾患はない」と診断されていた。
バイクや武器の収集も趣味だったようだ。自宅には猟銃のほか、弾丸や多数のナイフ、クロスボウも所持しており、また複数のバイクを購入し、県外にツーリングに行くこともあったという。
そんな暮らしをしていた青木被告は、2023年4月にボウイナイフを購入。片方の刃を研ぎ、ダガーナイフ状にした。このナイフで1か月後、散歩中の女性二人をいきなり攻撃し、殺害する。近所に住んでいた二人は、近隣の散歩を日課にしており、被告の住んでいた家の前の道を散歩ルートとしていた。被告は二人から「ぼっち」と悪口を言われている……という妄想を抱いており、次第に殺してやりたいと考えるようになっていた。
事件当日の午後4時18分ごろ、いつものように散歩していた二人は、被告の家の近くに差し掛かった。畑で作業していた被告は二人から「ぼっちがいるね」「キモいね」と言われている……と思い込み、殺害を決意。一階の物入れに収納していた先の刃渡り30.2センチのナイフを手に取り二人に歩み寄り、一人を刺して殺害。逃げるもう一人を追いかけ、畑の中で刺して殺害した。
同じ畑にいた近隣住民はこの様子を見ていた。「なんでこんな酷いことするんだ」と問うと、被告は答えた。
「殺したいから殺した」
その後、倒れている被害者を”目立たなくしよう”と自宅から台車を押し、一人を乗せて自宅敷地に運び込んだところで、”近隣住民に目撃されたことから、警察官が臨場して射殺されるかもしれない”と思い、今度は自宅からハーフライフル銃と弾丸を持ち出し、また台車を押し、もう一人の被害者が倒れている畑に向かっていた。そこにパトカーに乗った警察官が臨場。被告はパトカーが近くの工場付近に入り停車すると、銃口をパトカーに向け距離を詰め、銃を発砲し運転席に座っていた池内警察官を殺害。助手席の玉井警察官が車外に出たところ、ナイフで刺して殺害した。
直後に私服警察官が臨場したが、被告は銃を持って追いかけている。「ここは銃を持ってよい場所ではない」ととがめられると「そんなことはわかっている」「撃たないのでどこかに行くように」と答え、立ち去った。もうひとりの私服警察官にも遭遇したが、何もせずに自宅に戻る。
午後5時半過ぎ、事件を聞きつけた母親が自宅に戻ると、青木被告は言った。
「俺のことをぼっち、ぼっちってバカにしてるからやったんだ」「警察が来て、もう俺は撃たれるから、撃たれる前に撃った」
自宅に立てこもる中、母親から自首を勧められた時には、こう答えたという。
「警察に捕まっても、長い裁判の末に絞首刑になってしまう。絞首刑になるのは長く辛く苦しいので、そういう死に方は嫌だ」
自殺のために自分に銃口を向け二度発砲したが、弾はいずれも被告に命中しなかった。「これから出る。飼い犬のことを頼む」と父親に電話で伝えたのち、翌日午前4時過ぎごろ、自宅を出て投降。のち逮捕されている。
裁判所はこうした事実関係と、双方の鑑定結果を照らし合わせた末に、被告には完全責任能力があると認定した。後編〈「倒れている被害者を目立たなくしようと台車で自宅敷地の奥に運び込んでいた」死刑を言い渡された犯人が「完全責任能力」を認められた理由〉では、被告に責任能力があったかについてどう認定されたのか、その経緯を綴る。
(後編につづく)
◆取材・文/高橋ユキ(ノンフィクションライター)