YouTube「星のミライチャネル」で「おもちくん」の愛称で親しまれる未来くん。まぶたがなく、頭蓋骨の一部も欠損しているなど、世界的にも前例がない障がいを持って生まれました。異常が発覚した妊娠当時のお話を、ご両親の星野しほさん、孝輔さんに伺います。(全3回中の1回)
【写真】異常発覚後の妊娠7か月のときのエコー写真や生後間もないころの未来くん ほか(4枚目/全28枚)
── 妊娠中のことをうかがってもいいですか。
しほさん:妊娠してしばらくは、教科書通りの成長をしていました。「何の異常もない」と。「おもちくん」という胎児ネームをつけて、産まれてくるのを楽しみにしていました。
「頭部に異常があるかもしれない」と初めて言われたのは、22週に入ったころです。胎児スクリーニング検査で頭の形がいびつなことがわかって、「大学病院への紹介状を書きます」と言われました。妊娠中は何が起こるかわからないですし、ネット上でいろいろな事例を目にしていましたけれど、「それがまさか自分に起こるなんて」と信じられない気持ちでした。
そのときにわかっていたのは「頭蓋骨がレモン型」ということだけだったので、ひたすら検索して調べました。そうしたら「二分脊椎」かもしれない、場合によっては一生歩けないし、自分で排泄ができないかもしれないと。妊婦に原因がある場合もあるという情報にもたどり着いてしまい、自分を責めて、その晩は一睡もできませんでした。朝、起きてきたパパには私がいつもと違うことがすぐにわかったみたいで「いろいろ調べたの?俺にも教えてくれる?」と言ってくれて。「こういう病気かもしれない、将来はこうなるかもしれない、私のせいかもしれない」と話しながらワーッと泣きました。「大丈夫だよ、しほのせいじゃない」とパパはひたすら言ってくれました。それが、現実を受け入れる第一段階だった気がします。それからは「赤ちゃんにストレスが伝わらないように、リラックスして診断を待つ強さを持とう」という意識に切り替わりました。
── そのときの孝輔さんのお気持ちは?
孝輔さん:通っていた産婦人科で「大学病院で調べてもらってください」と言われていたので、僕は早まって調べることはしませんでした。結果を待って、それから考えればいいと思って。
その日、朝起きたら妻は明らかに寝ていない顔をしていて。妻は思っていることを吐露して泣いてスッキリするタイプなので、とにかく話を聞きました。「将来歩けないかもしれない、排泄ができないかもしれない」と妻に言われても、落ち込むことはなかったですね。「そういう子育てもあるのかな」という感じで。「子どもが産まれたら、ああしたいこうしたい」と思うことが僕はまだあまりなかったから、臨機応変に考えられたのかもしれないですね。「そういう子なら、そういう子なりの楽しい子育てをしよう」という感じでした。
しほさん:最初は、パパのそのスタンスを不安に感じたことはありました。「この人、何も考えていないんじゃないか。私がこんなに悩んでいるのに」って。でも、私が落ち込むたびに「大丈夫だよ」という言葉をブレずにかけてくれて、信頼が深まっていきました。パパは何があってもどんと構えているタイプで、私が泣こうがわめこうが、笑っているんですよ。「なんで泣いているの?」って私の話を聞いてくれる。パパが変わらずにいてくれるから、私も「なんで泣いてたんだっけ?」って。いつもそんな感じですね、私たち。
── 大学病院では、どのような診断が下りたのでしょうか。
しほさん:二分脊椎ではないことは明らかになったのですが、病名はわかりませんでした。妊娠中は「産まれてみないとわからない」と言われたのですが、結局、産まれてもわからないんです。日本では症例がないので、先生方が海外の症例も調べてくださったのですけど、似たような症状は見つかっていません。
大学病院でわかったのは、目の間隔が離れていることと、下あごが小さいこと。そのせいで気道が狭まっている可能性があることでした。気道が狭いだけなら大学病院で気管切開ができるけれど、もしも気道そのものが形成されていない場合は、日本では限られた病院でしかできない大きな手術が必要になるということで。30週になったころにまた転院をしました。結局は、懸念していた大きな手術まではしなくて済んだのですが。
── 出産まで、どんな気持ちで過ごされていましたか。
しほさん:リラックスしていようと心がけていましたけど、感情の起伏はやっぱりあって。どんな症状かはわからないけれど、何かしらの異常を持って産まれてくることは確定しているので、それはやっぱりショックでした。
── リラックスするために心がけていたことはありますか。
しほさん:できるだけパパに話して、ため込まないようにしていました。「調べたら、こんなことが書かれていた」とか「私たちの生活がこうなる可能性があって」とか、私の話には「かもしれない」が多いんですけど、こまめにパパにアウトプットすると、「そうだとしたら、こうすればいいんじゃない?」と返してくれるから、精神が安定する。そのくり返しでした。
パパと一緒にいることは、私にとっては精神安定剤みたいなものですね。わからないことをひとりで抱えてしまうと、ますますわからなくなります。でも、同じようにわからない人がいてくれると、それだけで心強いんですよね。「わからない、が正解で合ってるよね?」と答え合わせができますし、新しい視点ももらえるし、パパがいてくれて救われました。
孝輔さん:僕は、先のことを考えるより、何か起きたらそのとき考えて対処すればいい。それでこれまでなんとかなってきた経験があるから大丈夫、というマインドです。
しほさん:パパと病院の帰りに夜道を歩きながら「どんな子が産まれてきても、家族として幸せを目指していくことに変わりはないから、大丈夫だよね」という話をしました。パパと同じ気持ちを持てたことで、不安を乗り越えられたと思います。
── 出産の日まで、穏やかな気持ちでいられたのですね。
しほさん:それが…第1段階として、おもちくんに何かしらの異常があるということは受け入れられたのですが、 「周りの人に受け入れてもらえるだろうか」と今度は不安になってしまって。
妊娠後期に私の実家へ行ったのですが、ちょうど私の姉が第1子を出産して1か月という時期だったんです。初めて会った赤ちゃんはすごくかわいくて。姉夫婦は寝不足で白目むきながらも幸せそうで、私の父と母も初孫がかわいくてしょうがないという顔でした。すごく楽しい時間を過ごしたんですけど、思った以上に打撃を受けたというか。大学病院で言われたことは両親にも話していましたけれど、「おもちくんもこんなふうにかわいがってもらえるだろうか」と思ってしまったんです。
帰りの車の中で「途中から、顔が固まってたよ」とパパに言われて、「周りの人に愛してもらえるかわからない」ってワーッと泣いてしまいました。そうしたらパパが、「なんだか結婚式を思い出すな」と言ったんです。「あのときもよく泣いていたけど、最高の結婚式になったじゃん」って。
── 結婚式ですか?
しほさん:私たちは2020年6月に結婚したのですが、コロナ禍で結婚式を3回延期しました。私は結婚式にこだわりがあって、準備の一部を海外で進めたりもしていたのに、何度もあきらめて、中止したり変更したりするのがつらくて、何度か泣いてしまったんです。それでも夫は「じゃあこうすればいいね」「僕たちなら、最高の結婚式ができるよ」と、どんなトラブルのときも言ってくれました。そのときは「そんなわけないじゃん!」と言っていたんですけど、本当に最高の結婚式になった。
あのときと同じように「僕たちなら、最高に幸せな家族になれると思ってるよ」とパパは言ってくれて、「この人と一緒なら、そうなれるかもしれない」と思えたんです。周りの人に受け入れてもらうには時間がかかるかもしれないけれど、私たちが最高に幸せなら、少なくても私の両親はきっと受け入れてくれると思えて、またパパに救われました。パパはいつも私がほしい言葉を言ってくれるよね。
孝輔さん:そういうつもりではなくて、そのとき思ったことを言っているだけなんだけどね。実際に、おもちくんが産まれてからは、彼女の両親も僕の実家の家族も、すごくかわいがってくれています。しょっちゅう遊びに来てくれたり、おもちゃを買ってくれたりしてくれています。

妊娠中、しほさんが不安になるたびに孝輔さんは話を聞いて、「大丈夫」という言葉をかけ続けてくれたそうです。やがて産まれてきたおもちくんこと未来くんとの日常を、2人はYouTubeで発信し始めるように。最近は、つかまり立ちにつたい歩き、好きなおもちゃに突進するなど、産まれたときは想像もしていなかったほどのおもちくんの成長を感じているそうです。
取材・文/林優子 写真提供/星野しほ