内密出産で生まれた赤ちゃん
【映像】赤ちゃんとの別れ…涙する母親(実際の映像)
熊本市の慈恵病院で、病院のみに身元を明かして出産する「内密出産」を頼った女性は40人に上る。法律上の裏付けはなく、病院はリスクや負担を抱えながら運用を続けている。
内密出産を選択した1人の女性は、「赤ちゃんを遺棄して捕まるつもりだった」と取材に語った。女性たちの孤立の背景には何があるのか。内密出産の後に、思い直し、自ら子どもを育てるという決意に至った女性もいる。内密出産を選んだ女性やその後を追いかけた。
慈恵病院での内密出産
今日も行き場のない女性が慈恵病院にたどり着いた。女性は妊娠を周囲に隠し、誰にも知られずに出産したいと希望している。そして、内密出産で新たな命が生まれた。
「いつかトラブルになるのではないかと半ば心配して怯えながらやっている。世の中で言われている正論、つまり名前を明かして出産しなさいと、彼女たちに求めると彼女たちは逃げていく。それはお腹の中の赤ちゃんを見捨てたことになる」
「妊婦健診を受ける、母子健康手帳をもらう、病院に行って出産するというのが当たり前と思われているかもしれないけど、それがどうしてもできない人がいて、やっぱり限界がある。限界点に達して慈恵に来る人がほとんどなんですよね」(慈恵病院 蓮田健院長)
国内では、ここ20年間で185人の小さな命が生後まもなく遺棄されるなどして奪われている。すべてのケースで母親は自宅のトイレなど医療機関以外の場所で出産していた。
「自宅でお産になって パニックになって、赤ちゃんを遺棄したりとか殺人になったりするので、ゆりかご、赤ちゃんポストよりも重要性というのは感じる」(蓮田院長)
乳児の遺棄を防ごうと、病院が2007年に開設した「こうのとりのゆりかご」にはこれまでに179人の幼い命が託された。半数以上は危険な自宅での出産で、車の中で出産していたケースもあった。
病院で安全に出産してもらおうと始めたのが、女性を匿名で受け入れる内密出産だ。妊娠を周囲に悟られるわけにはいかない。けれど、赤ちゃんの命は残してあげたい。内密出産は追い詰められた女性たちの受け皿となり、病院は3年間で2300万円あまりを負担しながら40人を受け入れてきた。
不安を抱え、たった1人で出産に臨む女性に寄り添う職員がいる。蓮田院長の妻で新生児相談室長の真琴さんだ。
女性の身元情報は将来子どもに開示する前提で病院内に保管される。女性は真琴さんだけに、身元を明かし出産に臨む。身元は行政にも報告されることはない。このため、支援につながりにくいと指摘する声もあるが、それでも、この仕組みでなければ救えない命があると考えている。
「内密出産を選ばれる女性は、家族との関係が厳しい状況に小さい時からあった方が多いので、来られるまで未受診の方がほとんど。私たちが断ったり(つながりが)切れてしまうと、このお母さんと赤ちゃんは命の危険があるという思いで受けている」(真琴さん)
軽度の知的障害や発達障害が疑われる場合もあるという。「彼女たちは自分でSOSを出すのが苦手なので、その時に関わった大人が気付いて手を差し伸べていれば、こういうことにはならなかったんじゃないかな」(真琴さん)
美咲さん(仮名・成人)
病院で1人の女性と出会った。西日本に住む美咲さん(仮名・成人)だ。「小学校の頃から父親からのDVだったり、暴言を受けていて。これは妊娠前の傷なんですけど、押し倒されたかなんかで……」。
性被害を受けて妊娠したが、父親からの虐待を恐れ、家族にも相談できなかったという。もし妊娠を家族に打ち明けた場合は「殺されるだろうなっていう一択ですね」と語る。
中絶をしたいと病院を受診したが、子どもの父親のサインとお金が必要だと言われ、諦めた。地元の妊娠相談窓口では「まずは親御さんに連絡してみて」と言われたという。「できないから相談してるのに。赤ちゃんが死ぬためにOD(薬の過剰摂取)をしたり、過度なお酒、喫煙、お腹がぽこって出てきた時に お腹を自分で殴ったり、地元の焼却場を調べたり、黒色の袋も買っていた」(美咲さん)
親友にだけは、妊娠を打ち明けていた。臨月に入るころのやり取りを見せてくれた。「私は捕まる覚悟でいるから、遺棄する覚悟だからと言ったら、『まだ内密出産、こうのとりのゆりかごっていうのが熊本にあるんだよ』って言われて」。
親友の勧めでようやく、慈恵病院を頼ることができた。「お腹に話しかけると、お腹を蹴ってくれたり、そういうのがすごく嬉しくなって。自分も赤ちゃんも守れるって思った」。
数日間滞在し、内密出産をした。「赤ちゃんの声を聞いたら、『ごめんね』しか言えなくて。本当はもっと『大好きだよ』と言ってあげたかったけど、『産んでしまってごめんね』『今までつらい思いさせてごめんね』っていう」。
「自分で育てたい」心が揺れ始めた美咲さんに、真琴さんが寄り添う。「行政に支援をしていただきながら自分で育てられるようにお手伝いできますよというお話をしている。一番良い選択がどれなのかをしっかり考えて選んでいただくのが一番大切だと思っているので、そこは押し付けることもないし、説得することもない」(真琴さん)
「ずっと抱っこしたいし、ずっと隣にいて欲しいけど、一緒にいることがつらい。でもかわいいし、自分の子どもだし」。美咲さんの愛情は募る一方だった。
赤ちゃんを連れて帰ることもできる。ただし、行政に自ら出生を届け出ることが条件だ。「家に帰って、そんな父親がいる場所で育てていくこともできないし、どうすればいいんだろうって……」。
病院に滞在できるのは一週間ほど。決断の時が近づいていた。
慈恵病院の相談員がつくったアルバム
新生児相談室では、相談員がアルバムづくりを進めていた。親が育てられない赤ちゃんのためのものだ。「皆に愛されて、皆に抱っこされて、かわいがられて、そういう思いが少しでも 形に残ればいいなと思う」(相談員)
将来、自分が誰から生まれたのか、思い悩む日が来るかもしれない。ただ、生い立ちに関する情報をいつ、どのような形で伝えるのかについて、国内に指針はないのが現状だ。
「引き取る前のお子さんの状態を里親さんや施設の方も知りたがるので、少しでもお伝えできるところがあればと思う」(相談員)
「赤ちゃんだけで言ったら、親御さんが自分で育てる赤ちゃんと、育てられない赤ちゃんというのは区別がつかない。見た目は一緒に見えるけど、この先のことは心配ですよね」(蓮田院長)
赤ちゃんたちは特別養子縁組に向けて手続きが進められる。ただ、その受け皿が見つかるまで数カ月間かかることもある。「赤ちゃんが無事に保護された後の受け皿が非常に整っていないので、命が助かればいいという話じゃない。出自情報があれば良いという話でもない」(蓮田院長)
ある日、1人の女性が病院を訪ねてきた。西日本に住む優子さん(仮名・成人)だ。同居する母親と子どもも一緒だ。
1歳半を迎えた女の子。優子さんが内密出産をした後、自ら育てると思い直した。成長を直接報告したいと思っていたそうだ。
「うわー大きくなった!かわいい!」(真琴さん)「よかった。愛されているという感じで。なかなかお子さんを見られることがないので、赤ちゃんの時だけなので嬉しいです」(蓮田院長)「ありがとうございます」(優子さん)
妊娠が分かった時、優子さんは学生だった。「元彼との子どもなんですけど、もう別れているし、他人事で『知らん』みたいな感じだった。おろせる期間が過ぎていたので、赤ちゃんとこのまま2人で死んじゃおうかなって何回も考えました」(優子さん)
家族とほとんどコミュニケーションを取っておらず、助けを求めることは考えられなかったと当時を振り返る。産後は可能な限り、病室で赤ちゃんと過ごした。「本当にかわいくて、この子が大きくなるのを見られないのかと思うとめちゃくちゃ寂しくて」。
「朝お部屋に来ると目が腫れていたりとか、ご飯に全然手を付けていなくて置いていたりするとやっぱり心配でしたし、すごく悩んでいたね」(真琴さん)
「育てるっていう選択肢がもともと頭になかったことを選択肢としてあげていただいて」(優子さん)
両親に出産を打ち明け、自ら育てることを決意した。現在は実家で両親の支援を受けながら子どもを育てている。「話せるようになった時とかいろいろなことができるようになった時、産んでよかったな、かわいいなって思います。仲良しの親子になりたい」(優子さん)
優子さんの告白を、母親はどのように受け止めたのだろうか。「なんとなく予感はしていたんです。聞いても何も言わないから何も言えず。反省するところで、言えない雰囲気をつくってしまっていたのかなと。(慈恵病院で)いろいろ話を聞いていただいて、自分で育てるって決意をしてくれたのはありがたく思っています」。
「産んだことでいろいろなことが良い方向に変わった。赤ちゃんを殺しちゃったりとかも全然あった未来なので」(優子さん)
慈恵病院 蓮田健院長
優子さんのほかにも、数人の女性が自ら子どもを育てると思い直した。しかし、家族の支援が得られず子育てを続けられなくなった女性もいる。
「1人でさえ大変だった人が、赤ちゃんを抱えてうまくいくわけがない。非常にこれは厳しい現実だと思う」(蓮田院長)
なかには、病院も行政も行方が把握できなくなった女性もいるという。蓮田院長は彼女たちに支援を届ける難しさを日々感じている。
「女性の妊娠前、妊娠後、そこまでというのは私はとても力が及ばない。今私たちにできることは、予期しない妊娠があった時に、その母子が安全に保護されるかどうかというところだけかなと思っている」(蓮田院長)
内密出産をした美咲さん。「なんで育ててあげられないんだろうって。ごめんね。離れたくないよ……」。
赤ちゃんは特別養子縁組に託すことに決めた。一緒に過ごせるのは、これが最後だ。「またいつか会おうね。何があってもずっと笑うんよ。人に頼って頑張って生きていくんよ」。赤ちゃんに最後の言葉を伝えた美咲さん。別れたあとも涙を流していた。
今は、地元に戻り暮らしている。「乳児の遺棄の事件がニュースに出てきたら、やっぱりすごく目に留まる。私もたぶん同じ思いをしたから、誰にも言えないままずっと1人で抱え込んで。産んでよかったなって。殺していたらどうなっていたんだろうって」。
新たに、病院に緊急の連絡が入った。妊娠した女性が破水し、車で病院へ向かっているという。女性は身元を明かすことを拒んでいる。母子の安全のため、受け入れを急ぐ。
「車の中で生まれるのが心配なので。だけど頑として病院を受診しない。救急車を呼ばないので。本当は救急車を呼んでもらいたいけど、それを強いると連絡がつかなくなってしまう」(蓮田院長)
向き合わなければ、手が届かない命がある。正論だけでは解決しない現実がある。苦しむ女性に、また今日も寄り添う。
(熊本朝日放送制作テレメンタリー『内密出産のリアル』より)