2025年9月25日、奇怪な死体遺棄事件が報道された。
茨城県牛久署は同市内に住む75歳の女性を死体遺棄の容疑で逮捕した。自ら警察署に出頭した女性は「自宅の冷凍庫に娘の遺体を保管している」「遺体は20年くらい前に冷凍庫に入れた」と語っており、2005年頃から娘の死体と一緒に暮らす生活を続けていたようだ。
亡くなった娘は成人済みで、大型の冷凍庫の中に正座した状態で押し込まれていたという。女性が我が子の死体を長年に渡って保管していた理由や経緯は不明だ。
ただ実は、似た事件は過去にもある。
本稿では、それぞれの理由で死体と暮らしていた2人の女性を紹介したい。
1973年5月14日の夜、東京都豊島区池袋の繁華街にあるクラブ「エス(仮称)」は騒然となっていた。なんと、店の冷凍庫の中から「信じられないモノ」が出てきたのだ。
第一発見者はクラブに勤務する男性コックだった。彼は、冷凍庫の中の小さなボール箱の存在が以前から気になっていた。店で働くひとりの女性が20日ほど前に預けて以来、なかなか引き取りに来なかったからだ。
我慢できなくなったコックは、とうとう箱に手を伸ばす。出てきたのは新聞紙で何重にも包まれた黒い肉塊だった。明らかに食材ではない「怪しい肉」の正体にコックは思わず悲鳴をあげた。
それは、人間の赤ん坊の死体だったのだ。
大騒ぎとなったクラブ内には警察の捜査が入り、翌日には新聞でも大々的に報道された。
「なぜ、冷凍庫の中に赤ん坊の死体が……」
当時、世間の誰もがそう思っていたはずだ。もっとも犯人の身元はすぐに判明する。死体を冷凍庫に入れたのは、クラブに勤務する岸田恵(仮名)という23歳の女性歌手だった。
死体が発見された当時、岸田は新聞報道でこの騒ぎを知り、「あの赤ん坊は私が産んだ子どもです。明日、必ず出頭いたします」と自ら池袋署に電話したという。
そして翌日、約束通りに同署にやってきた岸田は死体遺棄で逮捕。警察官たちに「赤ん坊の正体」について語りだした。
勤務先の冷凍庫(冷蔵庫とする資料も一部ある)に赤ん坊の死体を入れていた岸田は2年ほど前まで、さる男性と交際していた。愛し合う彼らの間にはやがて子どもができたものの、実は男性は妻子ある身であった。妊娠がわかると彼女の前から姿を消してしまったという。
裏切られる形となった岸田だが、仮にも愛する男性との間に授かった命であったため、一度は出産を決意する。だが、もともと身体が弱かった彼女は出産に耐えられるほどの体力を持ちあわせていなかった。
その結果、彼女は出産を諦め、中絶を選択した。
手術後、彼女は看護師に対し「赤ちゃんを自分の手で葬りたい」と頼んだという。
一般的に中絶した場合、胎児は病院で適切に処理される。しかしこの時は岸田の熱意に根負けした看護師が、死産証書と共に赤ん坊の死体を渡してしまった。
病院で渡された赤ん坊の死体はとても小さく性別もわからないほどだったが、彼女にとっては愛する男性との間に産まれた子どもであるという事実に変わりはない。埋葬せずに我が子のように育てることを心に決めたのだという。
岸田と赤ん坊の1年7ヵ月にも及ぶ同棲生活のはじまりだった。
岸田は美人で歌も上手かったため、やがて仙台を中心にバーやキャバレー、クラブなどで歌手として働きだす。仕事へ出かける際は必ず、新聞紙に包んだ赤ん坊の死体も一緒で、基本的には“子連れ”の出勤だったという。仕事を終えた後も赤ん坊の死体と一緒に寝たり、花を飾ってあげたりと普通の母親とほぼ変わらない生活を送っていた。
だが、たとえ愛する我が子でも、目の前にあるのは物言わぬまま腐敗していく肉の塊である。死体を包んでいた新聞紙は脂で茶色く染まるため何重にも重ねたり、夏場には腐らないよう家庭用の冷蔵庫に入れたりとその苦労は絶えなかったようだ
そんな生活を1年7ヵ月余り続けた1973年(昭和48年)5月。岸田は長く住んでいた仙台を離れ、東京豊島区池袋のクラブ「エス」に歌手兼従業員として働きはじめる。
店には各従業員用のロッカーが用意されていたが、この年の初夏は日差しの影響か気温が非常に高かった。
すでにミイラ状態になっていたとはいえ高温多湿の状態でロッカーに入れれば赤ん坊の死体はたちまち腐ってしまう。岸田は仕方なく厨房の冷凍庫を拝借し、赤ん坊を新聞紙とボール紙で包装し保管することにした。
だが、それからしばらく経って、岸田はひっそりと店から姿を消してしまったのだ。
では一体、彼女はどこへ行ってしまったのか。
つづく記事〈ミイラになった夫と最期の夫婦旅行へ…杉並区の33歳女性が決心した「2000キロのドライブ」〉では、岸田が店を出た後の動向に加え、かつて世間を騒がせた「夫のミイラとドライブ旅行をした女性」について紹介する。
【参考文献】
・朝日新聞
・読売新聞
・女性セブン
・女性自身
・週刊明星
【つづきを読む】ミイラになった夫と最期の夫婦旅行へ…杉並区の33歳女性が決心した「2000キロのドライブ」