昨年2月1日、新井香織(仮名・70代)は経営する不動産会社の登記を見て、思わず息をのんだ。自分の名前があるはずの「代表取締役」の欄にあったのは、見知らぬ男の名前……。登記によればおよそ1週間前に自分は代表を退任しており、粂陵平なる男に入れ替わっている。けれど、この男と面識もなければ、退任した覚えもない。
翌日、慌てて大阪市生野区役所を訪れると、新井名義の運転免許証をもとに印鑑登録が変更されていたことが判明。彼女の免許証は2年ほど前に失効したはずだった。存在していない免許証が使われている。それは、何者かが「新井香織」になりすましていることを意味していた。
一方、同年3月7日、大阪市内のオフィスでは、10人ほどの男たちが顔を突き合わせていた。部屋には不動産会社の代表や司法書士、仲介業者といった面々が並ぶ。そのなかに粂の姿があった。傍らには、コーディネーターを自称する50代の男が座っている。
数日前に交わした契約をもとに、不動産会社は「新井香織の親族」を名乗る粂にスーツケースを手渡した。なかに入っているのは10億円を超える札束だ。それは、地面師グループが大阪・ミナミの一等地を巡る巨額詐欺を完遂した瞬間だった――。
今年6月、大阪府警は福田裕容疑者(53歳)と粂陵平容疑者(24歳)を詐欺容疑で逮捕したと発表した。
容疑者らは、ミナミの土地を所有する会社の登記を不正に書き換え、所有者になりすまして大阪市内の不動産会社2社から約14億5000万円をだまし取ったとされる。事件には60代と70代の女性も関与したと見られ、捜査が進められている。
所有者になりすまし、ありもしない土地売買を持ちかけるまさにNetflixの人気ドラマ『地面師たち』を彷彿とさせる手口だ。たとえるなら、福田は豊川悦司演じる主犯格のハリソン山中、粂は綾野剛演じる右腕・辻本拓海といったところだろう。
だが、事実はドラマよりも奇なり。本誌は捜査関係者だけでなく、犯行グループのメンバーへの接触にも成功。明らかになったのは、首謀者である福田のずさんな犯行計画、そして行政や警察のお粗末な対応の数々だった。
事件の舞台となったのは大阪・ミナミのビル3棟とその土地だ。道頓堀、心斎橋、宗右衛門町の一等地にあり、いずれも50年近く同じ不動産会社が所有。それが、新井の会社(以下・M社)だ。業界内では「売りに出ることのない幻の物件」として知られていた。
地面師詐欺のためには、土地所有者になりすますことが必要不可欠だ。グループは、M社の乗っ取りを仕掛ける。
まず、福田は生野区役所に出向き、「新井香織に数十万の金銭を貸している」と記載した偽造の借用書を提出。債権回収など正当な目的があれば第三者でも希望する人物の住民票の写しを取得できるという規定を悪用し、新井の住民票を手に入れた。
会社登記の書き換えには、代表者の印鑑証明書の提出が必要。M社の代表である新井香織の印鑑登録を変更するには身分証明書が必須だ。そこで福田は、住民票の情報をもとに、新井香織名義の免許証偽造を行う。福田にはそのノウハウがあったという。
「福田は体に入れたタトゥーを見せびらかして歩くような町のチンピラ。ハリソン? そんな大物感はまったくありませんよ。10年以上前から大阪でカネ貸しを生業にしていて、取り立ての際は怒鳴りつけるなど気性は荒っぽかった。
愛車は黒のレクサス。免許証の偽造や架空口座を売るシノギもやっていた。’14年に福田は架空の人物になりすまし、銀行口座を開設した詐欺容疑で大阪府警に逮捕されています」(福田の知人)
同時並行で、福田は知人を介し、「カネに困っている人物」として粂陵平の紹介を受ける。当時、粂はインターネットカジノで数百万円の借金があったという。また、知り合いだった60代女性から、新井香織のなりすまし役となる70代女性も紹介されている。70代女性は、カネに困った素人だった。
福田はこの女性二人に、事件の概要は一切教えていなかった。少額の謝礼を条件に、70代女性に証明写真を送らせ、「簡単な仕事を手伝ってほしい」とだけ伝えた。だがその後、この福田の判断が、計画を大きく狂わせることとなる。
後編記事『【大阪・ミナミの14億円地面師事件】犯人グループのメンバーが独占取材に明かした「ドタバタ劇」…ドラマとはまるで違うお粗末な犯行内容』へ続く。
「週刊現代」2025年09月01日号より
【つづきを読む】【大阪・ミナミの14億円地面師事件】犯人グループのメンバーが独占取材に明かした「ドタバタ劇」…ドラマとはまるで違うお粗末な犯行内容