「皇居への“ご遠慮”が」 悠仁さまの成年式が宮殿で行われない理由 紀子さまは「新たな批判が起きないかと懸念されている」

【全2回(前編/後編)の前編】
9月6日に執り行われる秋篠宮家の長男・悠仁さまの成年式について、先頃宮内庁は行事の詳細を発表。併せて最高位の「大勲位菊花大綬章」を授与することも閣議決定された。その後は祝宴が控えているのだが、先日出産した長女の眞子さんは現れないという。
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式の当日は悠仁さまの19歳のお誕生日。ちなみに、通学されている筑波大は夏休みの最中である。
「一連の儀式と行事については、宮内庁から7月29日に発表がありました」
とは、宮内庁担当記者。
「当日の朝はまず、『冠を賜うの儀』から始まります。モーニングコートを召された悠仁さまが、天皇陛下の使者から宮邸で成年の冠を受け取られます。続いて未成年の装束である『闕腋袍(けってきのほう)』に着替えられ、皇居・宮殿で臨まれる『加冠の儀』で実際に冠を被られる。その後は成年用の装束『縫腋袍(ほうえきのほう)』をまとわれ、儀装馬車で宮中三殿(賢所〈かしこどころ〉・皇霊殿・神殿)を参拝なさるのです」
歴代の天皇や皇族に成年の奉告をなさった後、午後からは、
「燕尾服をお召しになり、宮殿の正殿松の間で両陛下に感謝のお言葉をお伝えする『朝見の儀』が執り行われます。続けて陛下から大勲位菊花大綬章を授けられ、15時をめどに宮内庁長官らから祝賀を受けられます。その後は上皇ご夫妻の元へごあいさつに赴かれ、夜は皇族方や元皇族、親族も招いた私的な祝宴が催されます」(前出の記者)
翌々日の8日は、成年のご奉告のため伊勢神宮や神武天皇陵、そして9日には東京・八王子の昭和天皇陵などを参拝なさる予定である。さらに、
「10日の昼には、三権の長や皇族方を招いた昼食会が開かれます。こちらは公的な行事で、6日の祝宴ともども、都内の民間施設にて執り行われることになっています」(同)
その会場と目されているのは秋篠宮邸のある赤坂御用地からほど近い高級ホテルで、出席人数に応じた宴会場が用いられる見通しである。さる皇室ジャーナリストによれば、
「ちょうど40年前、秋篠宮さまのご成年の際は、11月30日の式を経て12月3日に昼食会が催され、当時の中曽根首相や閣僚らが招かれました。また、その日の夜には昭和天皇をはじめお身内の方々による晩餐会も開かれています。会場は、ともに皇居の小食堂『連翠』でした。ちなみに45年前の陛下の時は、お誕生日の2日後である2月25日の昼に宮殿・豊明殿で午餐会が催され、大平首相や衆参両院正副議長などが出席。伊勢エビや若鶏などフランス料理が供されています」
当時、これらの行事はいずれも上皇(当時・皇太子)ご夫妻が主催されていた。対して今回の主催は秋篠宮ご夫妻。皇室解説者の山下晋司氏が言う。
「秋篠宮殿下は皇太子と同格の皇嗣というお立場ですが、天皇直系の親族である内廷皇族ではありません。そのため今回は、天皇陛下のご活動の場である宮殿を使うのは好ましくないとお考えになったのでしょう」
実際に過去のケースを見ると、
「昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王には寛仁親王などのお子さまがいらっしゃいましたが、成年式後の祝宴は東京・港区にある『綱町三井倶楽部』で催されました。そうした前例も踏まえて秋篠宮殿下は、あくまで“宮家の親王”というご身位を重視して、外部の施設で催すという判断をなさったのだと思います」(山下氏)
皇居への“ご遠慮”が働いたというわけだが、一方で宮内庁関係者が言うには、
「秋篠宮ご夫妻の強いご意向もあって、都心の高級ホテルが会場候補となっていますが、庁内には『こうした形で独自色をお出しにならなくてもよいのでは』と困惑する声も上がっています。これまでも秋篠宮さまは“特別扱い”を好まれず、車でご移動中の信号操作や海外ご訪問時の政府専用機ご搭乗に難色を示されてきました。そのたび周囲の負担はかえって増えたわけですが、今回もまた、そうしたお考えが色濃く反映されています」
さらには、
「とりわけ紀子さまには、宮殿で祝宴を催すことで新たな批判が起きないかと懸念されている節がうかがえます。とはいえ、将来のお世継ぎである悠仁さまのお祝い事であり、他ならぬ陛下も同席されるのです。そうした批判が沸き起こるとは、到底考えられません」(同)
ご夫妻は“世間の風”を読み違えておられるというのだ。
後編【「将来の天皇の姉だと自覚しているかどうか疑わしい」 小室さん夫妻が悠仁さまの成年式に出席しない理由】では、小室さん夫妻が悠仁さまの成年式に出席しない理由について詳しく報じる。
「週刊新潮」2025年8月14・21日号 掲載